犬も歩けば棒に当たる話
突然だが、マフィアには宗教を信じている奴が多い。
それを、「元から信心深いコミュニティがマフィアになった」「良心の呵責に耐えられなくて縋りついた」と見るか、「主よ許したまえと、言っておけば殺しも許されると神を舐めている」と見るかは個人の自由だが、神は死んだと信じる俺としては後者だ。
“主よ許したまえ”でなんでも許されると思うなと言う話である。
故に、信者共が集まる教会なんて自己正当化の権化が大勢いる場所であり、通例として戦闘は避けられているものの余計な襲撃リスクを回避するためにも俺は通わないことにしている。
いきなりな話だろう。
俺も驚いている。教会から召喚状が届くなんてそうあることじゃない。
俺が異端だと?バカも休み休み。俺ほど教会に金を渡してる人間もそうはいない。俺は敬虔な信徒だ。
「封蝋は?」
「教会のものです。偽装のセンはあり得ませんね」
で。
「どうするんです?」
「金を積めば解決するかもしれないがーーー」
やりたくないな、心情的に。特に生臭坊主共に渡るのが許せない。いや、そもそもこの金は麻薬取引で得たダーティマネーだしつい先日も渡したばかりなんだけども。それでも、小児性愛を拗らせたロリコン共に渡ってそのように使われるべきじゃあない。あいつら性愛を悪と抑圧するあまり壊れてんじゃないの。
俺は言葉を切り、兄弟達に聞かせるべきでない言葉を呑み込む。
俺の宗教観は置いておいても、そんなことで不和を招きたくはないからな。リスクヘッジとして当然だ。
「放置は不味い。動かなきゃならない。が、これが陽動である公算も高い」
陽動は、分かっていても動かざるを得ないものが最上だという。ならば、この攻撃は巧手によるものと見做さざるを得ない。
俺より頭も切れて、教会なんていう搦手も使ってくる。
“戦闘が行われなければいい”と曲解することで、表立って麻薬を取り扱う俺の行動を制限してきたわけだ。
この分だと兄弟達も行動が制限されているだろう。もしくはもう捕まっているとかな。
しかしそれは、同時に暴発のリスクも孕むものだ。
曲がりなりにも金を持つものがエライ≒金も金に換えられる物も持たない人間は常に貧しい社会で、麻薬取引を公的に行っている俺達が常々どれだけ脅威を退けているか。当然、それをエミュレートすることだって可能だ。
「どこに行くんです?!」
焦ったようなトーマスの声。久しぶりに聞くわ。
「散歩」
「まずいですよ!相手もこちらの動向を血眼になって探しているでしょう」
「もう遅いと思う」
「え?」
このファミリーの最大の強みであり弱点は人数の少なさであり、そこからくる隠密性だ。しかし、隠密性を重視して分散すると、それはそれで問題が生じる。
畢竟、忠誠心が高くて数も多くて練度も高い、武器も相当揃えている、そんな軍勢には勝てるわけがないのだ。
隠密性が剥がされた時待っているのは各個撃破。逆に各個撃破しなくては、人数差でこちらがやられる。
◇ ◇ ◇
地下水を汲み上げる際に生まれる余剰な水力で回される石臼。
俺達だけでなく街全体が普段食う小麦粉を挽いているそれらの間を抜けるようにして外に出ると、黒煙がいくつも立ち上っていた。
まあ、そうか。あれだけマフィア幹部大集合してたら動向も聞こえてくるわな。当然場所もそこから抑えられており襲撃を受ける、と。尾行にくらい気付けよとは思わないでもないが、俺がヘマしたせいかも……いや、あの方角には行ってないぞ?それとも別口の情報源があるのだろう。
敵が選んだ戦法は単純明快、そして俺には取れない手段だった。
同時多発的に襲撃を仕掛け、教会からの令状で俺を縛り、俺にまで情報を登らせないまま俺の手足となる兄弟を捥ぐ、という寸法だ。
お陰で街は多少盛り上がっている。まるでテロでも起きたかのよう。否、行政側の俺達を標的とするのだからテロだし、街は元々危険かな。
そして公算通り、俺の進路を阻む雑魚は存在しない。火の不始末など焼け死ぬ例は後を絶たないが、同時にその辛さは生き残りの経験談として語り継がれている。誰が好き好んで死にたいのか、って話だ。いるのは令状という手錠を持ってきた教会のお二人だけ。
「おやおや、二人も付いてきてくれるだなんて豪勢だなぁ、敬虔な信徒としては恐縮してしまう」
暇か?
二人は顔を仮面で覆い、表情は読めない。しかし、俺の皮肉を解した様子でないことは見てとれた。
狡いじゃあないか。ファミリーをぶっ潰しにきたのにそのトップに会っていかないだなんて。
でも、同時に割り切りがいいとも思う。
俺がその立場だったら、少し欲目を出して族滅を狙いかねなかった。
家族全員、皆殺し。老いも若いも、男女も関係なく、関係者全員殺してしまえば後草れなくてスッキリ円満解決。
俺にヨシ!お前は仲間と一緒に地獄に行けてヨシ!マフィア以外には不穏分子消えてヨシ!三方ヨシ!
しかも勢力図を崩壊させればイザコザが起きて俺達は要請を受けては仲裁に入り金をせしめる。ああ他人が相争うのを見て紅茶が美味しい。日頃飲まない酒を紅茶にぶち込んで文字通りの美酒にしちゃいたいくらい。なに?紅茶とブランデーの比率がおかしい?いーんだよ細かいことは。
さて、常から俺が襲撃を恐れて拠点を特に作らずにいることを思うと、敵対者を確実に葬ることで枕を高くして寝られるようにするのは合理的だ。
だがしかし、仲間がたくさんいる身分で気も大きくなるはずなのにそうしないのは俺が警戒されているからだ。
それだけ聞くと面映ゆいような。
しかし、守るべきものがある俺にとってその感情はノイズ以上のものにならないれても大きなダメージを負うことに繋がる。
さらに、俺たちが構築した情報網は人数と影響力の元々ある相手に渡ればさらなる効力を発揮するだろう。
しかし、僭越ながらファミリー内で最大火力(文字通り)を持つ俺を遊兵としたのは戦略的に失敗の烙印を押されても仕方ないだろう。
マフィアの抗争、俺が深い仕組みを構築して以降遭遇してこなかったがために鈍っていた感覚がカンナがけされていくのを感じる。
ー――やはり、こうでなくちゃあ。
俺の精霊が何故火葬が得意になったかというと、その抗争の中で練習と実践を繰り返したからだ。
精霊術は熟せば熟すほどに習熟していき洗練されるのが常だが、その大元となる出力は人や魔物を殺すことで強くなる。
そら、餌だ。大量だ。味は知らん。
俺の心の声に反応してか、実体化した相棒の薄い唇から気炎が吐き出される。
アイドリングおっけー。
いつでもバーベキューか人体焼き鳥を楽しめるようになったところで、俺はアドラムを抱きかかえた。
いつもなら嫌がって俺の腕の中で魚よろしくのたうちまわって顔面に爪パンチをかましていただろう彼も、狩が近いことを察したら現金にも大人しく腕の中に収まる。
毛並み悪く、地肌に張り付くような毛は、俺が撫ぜてもちっとも立たず、まるで餓死寸前の犬っころのように胸郭が小刻みに動いている。
他の精霊ではそうそう見られないほどに不健康なその姿は、彼が飢えているからだ。精霊力は、俺からの供給で事足りる。精霊はそもそも食事の必要はない。
飢えているのは、満たしたいのは、嗜虐心と、殺害欲求。
◇ ◇ ◇
静寂を是とされる教会と、ごーりごーりごーりと慣れればまだしも下手をすれば心身衰弱に至りかねない音を発し続ける製粉所との相性は悪い。
俺と二人がただの沈黙を守り通すにはキツイ距離を歩くのは必然だった。
彼らの後ろを歩いていたが、先程までの小麦粉の匂いとは打って変わって特徴的な匂いが鼻腔をくすぐる。大麻の匂いとは違う、しかし、教会で嗅いだことのある匂いはもっとこう、蝋燭の燃えた匂いだとか、東から輸入されてきた胆石などの匂いのはずで。彼らが本物か?という問いに俺はイエスと答えきれない。
「罪状は書かれていなかったけれど、何か聞いてる?」
気にしてみれば気になる匂いから意識を一旦逸らすべく下っ端であるはずの二人に問いかけるも無言のみが返ってきた。
「死人にかける言葉はねえってか?笑えん」
マジ冗談キツイぜ。
が、ロナ・ファミリーとのつながりがあるってことは、まず非合法に高濃度の薬物だったりの文字通り”鼻薬”を嗅がされている可能性もあるわけで、もし仮に彼らがそれらの影響受けているのだとしたらかわいそうだと思った。
高濃度で脳の回路がぶっ壊れれば、それに応じて適度な量を継続摂取しなければ正常な活動を行いえなくなる場合もあり、それはそれで地獄だろう。
天国を目指していたはずなのに俺達と同じ地獄行きとはどこか滑稽でもあるが。
閑話休題。
ヤク中(中毒者と一緒にされるのは流石にかわいそうだろう)なら、彼らと会話しようとするだけ無駄だ。俺は、バカと煙ぐらいしか上らなさそうな、鐘を備えた尖塔へと目を向けた。
「敵はいるかぶボァ!??」
代わりに腕の中へ聞くと、返事の代わりに頭突きを顎めがけて食らわされた。どうやらいない、もしくはわからないらしい。
そっかー、わかんないかー。
振り向き仮面の向こうから俺を注視する視線に片手をあげて答えたが、警戒を緩める様子はなかった。
もうちょっと警戒を緩めてくれてもいいのよ?そして、俺の視界に星が飛んでるタイミングで攻撃しないと言うなら木偶でも下の下だ。
鼻を抑えるふりをしながら緩んだ目元を誤魔化す。
「あー、わりいわりイ、鼻血は出てないな、うん」
刺激に反応してか鼻から垂れてきたひと雫を親指で拭い取る。
同時に俺は彼らを遣わした理由について思いを馳せていた。
よく言えば自然体、悪く言えば無防備な二人は、人を殺すことにかけては一角の人物である俺を相手するには荷が勝ちすぎている。
では、俺を異端審問にかける際に逃げられるリスクをわざわざ背負う理由はあるだろうか?
では、最高戦力があの程度という理解でよろしいか?
俺も彼らに倣い、無防備に近付き、
「悪いついでに、一辺そのツラ拝ませてくれや」
仮面を剥ぎ取った。
露わになった顔は……俺の見知った顔だった。レオンファミリーの兄弟ではないのが救いといったところか。同時にバリバリの戦闘職でない彼らが俺に勝てるはずがないのも納得である。差し詰め、捨て駒と言ってもいいだろうか。
一体なぜ前見たときは宗教人ではなかったはずの彼らがけったいな仮面を付けて茫洋とした目を俺に向けてくるのか?細かい理由など必要あるだろうか。
俺の一連の行動を攻撃と捉えたのか、どこからともなく取り出した鎌を構えた。
「おやおやおやおや、街中では―――」
いや、鎌なんて道に生えた草を刈るのにも使うし、そもそも相手に言葉が通じているかも怪しいし。
思い直した俺は、言葉の代わりに腕の中の焔を解き放つ。
―――まあ、そう。無理して逆に食われない程度に頑張っておいで。
放たれた炎は顔面を、その表皮を、反射的に閉じられた瞼を焼く。
「お疲れ様。|Have a nice die《良い死を》」
奪った鎌で首を掻っ捌けば、珍妙なダンスを一瞬だけ魅せてくれて、彼らは終わる。
◇ ◇ ◇
教会なんて、彼らの先導がなくとも来ることはできた。
礼拝日にも参列者のほとんどいない場末の教会は昔からの交渉ごとの場として存続が許されている。
即ち、中立的立ち位置だ。
その立場は教会を利用するマフィアの遠慮によって成り立っている部分と、教会というどデカい組織という権威によって成り立っている部分がある。逆に、そこらの機微がわかっていない近所のクソガキ共の遊び場の一つでもあった。
今日は、違う。
腕の中で殺す快感に今から身を震わせる相棒は、壁の向こうにいる獲物を捉えていた。
レンガとは言え耐熱ではない。冬には無駄に冷気でも溜め込みたいのかと勘繰りたくなるような、温めるのに時間がかかりそうな高い天井も、崩落の際にはむしろ中の人間へのトドメとなるだろう。
ーーー反撃の狼煙とするには燃料が人間だけという悲しい状況だな。
俺がそう心の中で自嘲すると同時、腕の中から炎が吹き荒れる。
それは至近距離で見ていた俺の目を一瞬だけ焼いた。
葬儀屋なんてけったいな渾名を付けられるに至る、俺以外を焼く炎は正しく目の前の建造物を舐める。いや、舐めるなんて生やさしい表現が許されたのは一瞬だけ。
建物塗れの街中からも見ることができるアホみてーに高い尖塔を備えたそれは焔に包まれた。
水をかけられた蜂の巣から出てくる働き蜂は、そのまま炎に巻かれる。
「この、不信心者がぁ……!!」
そんな声が、炎の爆ぜる音に負けない声量で届く。
「可笑しなことを言う。神罰だのなんだのと弾劾されて大人しく従うとでも思ったか?」
俺も一応信徒なのに、中立を守るどころか一緒になって石を投げつけやがって。俺も神の下の平等を謳いながら差別を黙認している教会を改革しようと思うほど信心溢れているわけでもないが、俺に害が及ぶのなら話は別。
あらゆる害は取り除かれなければならない。
故に、神を騙る偽者と、それを信奉する教会も取り除かれて然るべきだろう。
俺の殺害欲求に応えた相棒は火力を増加させる。
燃えろ、燃えろ。
消えろ、消えろ。
死ね、死ね。
熱というカロリーを吐き出しているにも関わらず、相棒の皮下に脂肪の厚みが増えていく。
ひとりでは到底済まない人間を現在進行形で殺しているからだ。
言うだろう、「人はパンのみにて生きるにあらず」って。