極東支部(FEB)
「菊池が言っている殺人事件には伏せられている情報があるわ」
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「へぇ、こわいねぇ」
「死因は失血死よ。頸動脈を切り裂かれての大量出血。しかも頸骨を粉砕されている」
「やなこと聞いたな」
「そして、死体はすべて裸だった。死亡した場所はベッドの上。おそらく、性交中に頸骨を折られて、身動きができない状態にされて、血を吸われた。何か思いつかない?」
「いや、なんにも」
優貴はとぼけて見せた。だが、お互いに頭の中にあるものは一緒だ。フュシスは血によって伝授され、伝授された者は不死身の躰と人ではありえない筋力を得る。西川がマシアスに加入しているなら、女の細腕でも頸骨の粉砕は可能だ。まぁ、西川が男たちを自分の眷属にするのではなく、血を吸い取って殺してしまう理由は判らないが。
「なにかが起こってるわ。マシアスは神祖のアイザック・ディを失った。でも、ディの眷属、マシアスたちは生き残っている」
「ああ、あれから一年近くだからな。寝てるのにも飽きたろうよ」
「そういうことよ。でも、あたしたちとしては直接手を出すのは経済効率が合わない。その点、こういう猟奇事件に関心がある街のディプロマットなら、手を出せるんじゃないかと思うのよね」
「まったくあんたらに都合のいい話だよ」
「そうかしら? 田村さんにも好都合でしょ? マシアスかもしれないんだし」
「まぁな。でも、おれに鈴をつけられるってところでバランスシートはCIAの黒字さ」
「当たり前でしょ? 黒字にならなきゃ、指一本だって動かさないわ」
「効率的に、絶対精神の顕現たる理想社会を目指すか。相変わらずだな」
「そういうこと。で?」
絢は優貴の言いたいことを先回りした。黒字なんだから、ちょっと協力しろと優貴が言いたいと判っている。
「なに、ちょっとしたことさ。市井のディプロマットじゃできないことだが、エージェントならできる」
優貴はそのちょっとしたことを絢に頼むと回線を切った。
菊池の住所は渋谷区だった。小田急線代々木上原の駅からはやや離れているが、閑静な住宅街だ。代々木公園や東大キャンパスにも近い。都会なのに自然も感じられる高級住宅街だ。しかも、部屋は十階建てマンションの最上階ときている。
「おお、これは贅沢だな」
玄関の拵えを見て莉愛が呟く。
「たしかにな」
警備員付きのエントランスホールを抜けて、エレベーターで十階に上がる。リノニューム張りの廊下の左手にドアがある。菊池の部屋だ。
優貴は呼び鈴を押す前に、廊下の突き当りのドアを開けた。
目の前に世田谷の住宅街が広がる。すぐそこに見えるドームは東京ジャーミィだろう。外付けの非常階段が地上まで続いている。
「退避路、確認」
優貴は廊下に戻り、部屋の呼び鈴を押した。待ち構えたようにドアが開く。
「どうぞ」
上着を脱ぎシャツ姿の菊池薫がふたりを招き入れる。部屋は暖かい。床暖房だろう。玄関は広々として、かなりの広さだ。莉愛とダンスできる。
正面にドアがあり、クランク型に廊下が奥に続いている。リヴィングダイニングがあるようだ。
「どうぞ上がってください。今お茶を……」
そう言って部屋に招こうとした菊池を優貴は制した。出かける用意をするように告げる。
「出かける? どこに?」
「それはまだ判んねぇんだがね。ともかくお出かけってことで」
「はぁ」
優貴の要領の得ない答えに菊池は首を傾げた。だが、すぐに頷く。優貴の条件を思い出したらしい。優等生なのだ。これで、イケメン、かつ将来有望なビジネスパーソン。周りの女が放っておかないだろう。
「五分待ってください」
そう言うと菊池は正面のドアを開けて入っていった。