代々木上原
西川の手には黒いナイフ、超振動ナイフが握られている。触れれば菊池の新しい女は一瞬でに豚コマになる。
「や、やめてっ」
必死に声を縛りだした女を無視して西川がナイフを近づける。不気味な低周波音と共にナイフが霞む。
優貴は問答無用でルーポロッソのトリガーを引き絞った。轟音が鳴り響き、窓ガラスが砕ける。
西川の動きが止まった。
真っ赤に充血し、めらめらと緑の鬼火を宿した瞳が優貴を睨みつける。おっかねぇ。
16
「だれだ、お前は」
「おれ? おれは田村っていうディプロマットさ。あんたの愛しい菊池薫の警護をやってる」
「おまえか! お前が邪魔してたのか! 余計なことしやがって」
西川が女を襤褸屑のように投げ捨てた。反対側の壁に叩きつけられる。身長一五〇センチに満たない女の力ではない。
「もう乱暴は止そうぜ、こっちには銃がある。さっきのは威嚇だ。次はあてる」
「そんなもの、あたしにはきかないんだよ!」
西川が構えていたヴァイブロナイフを手元に引き寄せた。
「?」
プロは決してしない仕草だ。
「見ろ!」
西川がヴァイブロナイフの刀身を掴んだ。一気に引き抜く。
ぱらぱらと肉片が落ちていく。
後に残った四つの丸い切り口に血が溜まる。噴き出した。
西川が左手の第二関節から先を切り落としたのだ。
あははっと狂気に満ちた高笑いと共に西川は指先のない左手を優貴に突き出した。だらだらと血が掌を伝い落ちていく。ったく、スプラッターは嫌いだっちゅうの。
「見な! こんな傷、あっという間に治る」
優貴の顎に力が入る。見ている僅かのあいだに、西川の指先にが再生し始めた。間違いなくマシアスだ。しかも、この生命力から考えて、階梯は従三位のバロネス以上。確かに銃は効かない。
「さぁ、撃ってみなよ。その瞬間にあんたは八つ裂きだ」
「なるほどな」
優貴はルーポロッソを背中に収めた。効果的でないものをぶっ放しても仕方がない。
「馬鹿が……」
西川がヴァイブロナイフを構え、間合いを詰める。
優貴は胸の息をすべて吐き出した。次いで鼻から吸いこむ。すっと意識が広がる。西川に集中しがちな視界が広くなり、部屋の匂い、壁紙の色、床のわずかな振動が躰に取り込まれて行く。
来る。
優貴は西川のわずかな腰の動きを感じた。次の動きが判る。
突くと見せかけて、横薙ぎか。
優貴の右足が僅かに退かれる。左から来るナイフを叩いて蹴りを送る準備だ。
その時、
「智海……」
突然、背後から声がかかった。
菊池だ。玄関に飛び込んで西川を見ている。血だらけの西川を。
西川の鬼火を宿した眸が菊池に移る。喜色に顔が染まる。
「薫、見つけたぞ、やっと見つけたぞ!」
狂気の喜声をあげて西川が菊池に奔る。
「殺してやる! 切り刻んで、おまえのアイマを吸って、あたしの苦しみを味あわせてやる。思い知れ!」
人の恋路を邪魔して悪いがね。
優貴は駆け抜けようとする西川の首筋に掌底を叩き込んだ。息がつまった西川の咽喉から、ぐうっと異声がする。次いで右足がヴァイブロナイフ蹴り上げた。いくら不死身とはいえ、転んでヴァイブロナイフで怪我をするのはかわいそうだ。
一瞬で頸骨を砕かれ意識を失った西川が床に叩きつけられた。余った勢いで跳ね上がると、仰向けに天井を見る。
「こ、殺したんですか?」
「人聞きの悪いこと言うなよ。これぐらいじゃ死なないさ」
マシアスになっている西川が不死身であることまで菊池に伝える必要はないだろう。
「莉愛、絢に連絡してくれ。近くに待機してる部隊をよこせってな」
優貴は玄関先に顔を出した莉愛に頼んだ。
「うん、了解なのだ」
莉愛は絢に報告すると部屋のなかに足を踏み入れた。
部屋にはむっとする血の臭いが立ち込めている。
優貴を見る。
優貴は首を振った。
莉愛は頷くと、西川を見た。
気絶してなお西川の目はかっと瞠かれ、怒りと怨念にぎらついていた。まるで頭上に立っている菊池を睨みつけているようだ。