明治通り2
「ぶ、ぶつかります!」
「黙ってろ!」
菊池が悲鳴を上げた。
テールランプがまじかに迫る。
今度は左にステアリングを切る。マツダ2は左車線に戻り、さらに路肩による。それを追ってセルシオが車線を変えてくる。
優貴は口唇を巻き上げて歯を見せる。牙がないところが残念だ。
とんっと優貴は一瞬ブレーキを踏んだ。
テールランプが離れる。
マツダ2の全車重が前輪に乗る。
Gでシートベルトが肩に食い込む。
菊池は隣で前につんのめっている。
おらよっ。
15
優貴は同時に三つのことをやっていた。ステアリングを右に切り、手元のスイッチャーで駆動力を前輪に全振りし、アクセルを踏み込んだのだ。
行け!
全車重が前輪に乗り、アスファルトに食いついたタイヤが爆発するようにエネルギーを解放した。マツダ2の車体を猛然と牽引し、あっというまにセルシオの右に出る。
優貴はステアリングを左に戻し、さらに一瞬カウンターを当てる。マリリン・モンローよろしくケツを振ろうとしたマツダ2が正常位に戻る。いい子だ。
すでに、セルシオは隣にいない。バックミラーの中だ。
「あはは! さすが優貴だね」
優貴は左手でサムアップした。目線は前だ。右に左に先行車をオーヴァテークする。
「これ見りゃ、もう誰も邪魔しねぇだろ」
その通りだ。マツダ2は誰に邪魔されることなく、最高速で代々木上原に向かっていた。
タイヤを軋らせてマツダ2が止まった。菊池のマンションの玄関先だ。
「西川さんはもう中に入っているよ」
莉愛が画面をピンチする。拡大され位置精度が上がる。
「ううん、ちがう。中じゃない。これ、外階段だ」
「了解」
優貴はドアを開けてマンションの裏に走る。まだ間に合う。
「いたっ」
マンションの裏の外階段を駆け上がる女が見えた。間違いない、西川だ。だが、もう最上階、菊池の部屋のある十階だ。ドアを開けた西川が内部に入る。
「くそったれが」
育ちの悪さがバレる悪態を吐いて、優貴は外階段に走った。今から駆け上がっても間に合わないだろうって? そいつはどうかな?
『莉愛!』
『判ってるっ。口唇噛んでる、寝ないのだ!』
『えらいぞ』
そう言うと、外階段に迫った優貴の躰が飛び上がった。ゆうに十五メートルは飛ぶと五階の手すりに片足で着地する。火花を発して手すりが折れ曲がる。優貴は着地の反動を利用してさらに垂直に跳んだ。あっという間に十階の高さに到達し、ふわりと踊り場に着地する。こそりとも音を立てない。まるで羽毛が下りて来たような軽やかさだ。
ミラーのもう一つの力だ。莉愛が繋がると優貴は馬鹿力を発揮できる。その代わり莉愛は急激な睡魔に襲われるのだが。ということで、諸君。チートで悪いが、間に合うわけだ。
優貴はドアを開けて内部に飛び込む。
途端に悲鳴が響いた。もちろん、菊池の部屋からだ。
ドアは開いている。というか、破壊されている。力づくで開けられたのだ。
優貴は背中からベレッタ・ルーポロッソを取り出した。気配を探ることなく飛び込む。不意を衝かれて攻撃される可能性もあるが、そんなものは避けてやる。
飛び込んだ廊下の先に西川の姿が見えた。
胸倉をつかんで西川が女を壁に押し付けている。
「ここはな、あたしと薫の部屋なんだ。お前なんかがいていい場所じゃないんだよ。殺してやる、お前をまず殺して、次に薫も殺す」
割れるような甲高い声で西川が叫ぶ。
優貴は状況を見て取った。
西川の手には黒いナイフ、超振動ナイフが握られている。触れれば菊池の新しい女は一瞬でに豚コマになる。
「や、やめてっ」
必死に声を縛りだした女を無視して西川がナイフを近づける。不気味な低周波音と共にナイフが霞む。
優貴は問答無用でルーポロッソのトリガーを引き絞った。轟音が鳴り響き、窓ガラスが砕ける。
西川の動きが止まった。
真っ赤に充血し、めらめらと緑の鬼火を宿した瞳が優貴を睨みつける。おっかねぇ。