吉祥寺2
街路樹の陰に隠れるようにクロネコヤマトの運送車がハザードをつけている。ナヴィゲーターシートには懐かしい顔が見えた。
「あっ、大坂さん」
天然パーマの黒髪に、以前の黒ぶちとは違って、銀縁眼鏡をしているが、見間違えようがない。いろんな意味で世話になった大坂誠だ。
10
「大坂の野郎、クロネコに転職してたとはな」
優貴の冗談に莉愛が微笑んだ。大坂や優貴のような人間がまともな仕事ができるはずがない。偽装なのだ。またぞろ、CIAで働いているらしい。
「大坂さんが配達員だと、なんか追加料金とられそう」
「確かに、再配達頼んだら何万かとられそうだな」
大坂は金に目がない。すぐに得する方に寝返る。
なるほどな。
優貴は納得いくとマツダ2のシフトをドライヴに入れた。
絢は、いや、エージェントは思った以上にマシアスに興味があるらしい。
まぁ、踊ってやるよ。そっちもうまく踊ってくれ。
優貴はにやりと笑うとマツダ2を渋谷に向けた。
「こちらブラボーや。ウサギはタクシーで渋谷方面に向かったで。ヴィクター改めタンゴはウサギの部屋に残留や」
「了解。こちらアルファ。作戦目的を変更。ヴィクターの回収からタンゴの拘束に移行する。相手はウサギより上位のミッキーの可能性が出て来た。油断するな」
アルファの植田絢は作戦目的を変更した。いい判断だ。
ウサギの西川が連れ込んだ被害者を回収して研究資料とするというのが当初の目的だったのだが、西川の部屋で、ヴィクターは襲われるどころか、ことが終わった後、西川に命令を下していた。その時点で、男は被害者ではなく、ターゲット(タンゴ)になった。おそらく西川より上位のミッキー=マシアスなのだ。拘束できれば、マシアスの動きをつかめる。
「了解や。シエラ、そっちから内部の様子はつかめまっかぁ」
大坂は七階の西川の部屋に狙いをつけているザック・タワーに話しかけた。
「いや、無理だ。遮光カーテンがかかっている。赤外線でも見通せない」
「なるほど」
大坂はシエラ=ザック、カーゴルームに待機しているチャーリィ=ウェル、ステアリングを握っているデルタ=マッケンニーにタスクを割り振った。それだけで行動要諦は決まる。プロのチームは楽でええわ。闘争の予感に大坂が北叟笑む。
「ほな、状況開始やで」
西川の乗ったタクシーは井の頭通りから甲州街道に入ると山の手通りを抜け、明治通りに入った。裏渋谷と呼ばれる渋谷駅の南東の一角に停車する。暗渠になっていた渋谷川を復活させて、新たな商業施設が林立しているあたりだ。
「歩き出したみたいだ」
ラップトップを見ていた莉愛が優貴に告げる。地図アプリの上を光点がゆっくり移動している。西川のスマホの位置情報を拾っている。
「了解だ」
優貴はマツダ2を明治通りまで進めて路上駐車する。尾行も便利な時代になった。
「さて、どう動くか」
優貴は莉愛を振り向いた。莉愛がラップトップをこちらに向ける。
光点は渋谷川沿いに渋谷駅方向へ移動している。
と、莉愛と優貴は菊池に目をやった。しきりに周囲の様子を気にして首を回していたからだ。
「どうかしたかい?」
「い、いえ、なんでもありません」
「大丈夫だ。この光点が西川の位置だ。襲われる可能性はないよ」
「え、ええ、それは判っています」
「じゃあ、大船に乗った気持で、どんと構えてればいいのさ、あんたは」
「はい」
菊池は頷くがそれでも不安げだ。再び外を見る。
その時、スピーカーから声がした。
「どこにいる、薫。次はお前だ、次はお前だぞ」
地獄の底から聞こえてくるような粘っこい声に菊池が凍り付く。怨恨の体液に塗れ湿った怨念が繰り返される。
菊池の咽喉仏が上下する。
「これじゃあ、どんとは構えられなさそうだな、あんたも」
菊池は青ざめた顔で頷く。
「とまったぞ」
莉愛がふたりに告げる。
「どこだ?」
「イタリアンレストランみたいだ」
同時に、ベンベヌゥト! と元気のいい声が車内に響いた。