3-1
精霊は小さな棺桶の中を楽しそうに飛び回っている。私の頭は全く現実に追いついていなかった。
「あ、あの……あなた本当に精霊なの?」
『そうだってば! 私はアンナの守護精霊のローズ。初めて私に出てきていいと言ってくれて、本当に嬉しいわ』
ローズはパタパタと羽を動かしながら言う。
「出てきていいってどういうこと? まさか、私が出て来いと命じたら、今までも出てきてくれたの?」
『そうなの。私みたいな精霊は、主人の命令に背いて勝手に姿を現すことはできないのよね。困っちゃうわ』
ローズは腕を組み、真面目な顔でうなずきながら言う。
私にこれまで見えていたのは精霊の光だけだった。はっきりした精霊の姿なんて、歴史書に載るようなもっと力のある聖女でないと見えないとばかり思っていた。
それが、こんなにあっさり姿を見られるなんて……。
呆気に取られていたところで思い出す。
私はついさっき、こんな終わり方はしないと決めたばかりなのだ。驚きの現象に目を奪われているばかりではいられない。
「あなた精霊なのよね? 私をここから出すことができる?」
『もちろん! 簡単よ!』
ローズがそう言って両手を上に上げると、棺桶の蓋があっさりと開いて床に落ちた。私は呆然とその光景を眺める。
『ほら、開いた!』
ローズは得意げにそう言った。私はおそるおそる、あちこち痛む体を起こす。久しぶりに寝ている以外の体勢を取ることができた。
今は夜なのか棺桶の外も暗いけれど、わずかに窓から差し込む月の光が懐かしくて、無意識のうちに涙が流れ落ちる。
『アンナが閉じ込められている間も、死なないようにずっと力を送っていたのよ! 私、できる女でしょ?』
ローズは胸を張って言う。それで二週間も経つのに死ななかったのか。親切でやってくれたのだろうが、大きなお世話だ。
しかし、今はそのことに感謝するべきかもしれないと思い直した。
私はローズのおかげで生きている。生きていれば、どんなことだってできる。たとえば、教会の奴らやヴィルジール殿下を痛い目に遭わせたりとか。
『アンナ、私役に立つでしょう? 私と契約しない?』
ローズは私の膝の上に座り、大きな目でじっとこちらを見つめてきた。
「契約?」
『そう、契約! 私はアンナの守護精霊でとっても相性がいいから、正式に契約をすれば今よりずっと強力な魔法を使えるようになるわ。私と契約しましょう!』
ローズは熱心に勧めて来る。私は迷わずに頷いた。
「わかった。しましょう。契約」
『本当?』
「ええ。どうすればいいの?」
ローズが言うことには、契約は精霊を手のひらに乗せ、呪文を唱えるだけでできるらしい。私は促されるまま呪文を唱える。
すると、周りがまたたくまに眩い光に包まれた。
体の奥がミシミシ痛む。まるで自分が自分でなくなるような感覚。
「な……にこれ……」
衝撃で声がかすれる。体全体がおかしかった。意識がだんだんと朦朧としていく。
やっと痛みと眩暈が治まったときには、肩で息をしていた。
ローズは得意げな顔で、どこから取り出したのか手鏡をこちらに向ける。
『契約完了よ! 今日からアンナと私は一心同体ね』
「誰、これ」
鏡に映っているのは、見慣れた茶色の髪と目の地味な女ではなかった。
鮮やかな赤い色をした長い髪に、猫のように吊り上がった金色の目。唇は血のように赤い。今まで見たこともないほど美しい人が鏡の中にいる。
『アンナよ。アンナと私が契約すると、こんな姿になるのね。とっても綺麗だわ』
ローズは楽しそうに笑いながら言った。
鏡の中の女とローズは、どことなく似ている気がする。しかし、精霊と契約しただけで外見まで変わると思わなかった。
しばらく呆然と鏡を見つめてから、ローズに向かって尋ねる。私には驚くよりも先に、やらなければならないことがあるのだ。
「ローズ、私ここから逃げたいの。どうやったらいい?」
『そんなの簡単よ! 派手に逃げる? それとも気づかれないようにこっそり逃げる? どちらでも好きなほうを選んでいいわよ!』
ローズは羽をぱたぱた動かしながら言った。心臓が痛いほど音を立てている。自分が今までにないほど高揚しているのを感じていた。