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序章「始まりの始まり」


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 苦悶の声が途絶えた。それは即ち一つの命が終わったと言う事であり、地獄の様な苦しみから解放されたと言う事でもある。

 ここは紅蓮の炎が渦巻く小さな村の中心地。

 そこで、少年は目の前で師が絶命するのをただ黙って眺めていた。

 あまりにも呆気なく。

 あまりにも脆く。

 あまりにも儚い。

 つい先刻まで師“だったモノ”を眺めていた少年に影が差す。俯けていた顔を上げてその影の正体を知ろうとし、

『――――ぁ』

 思わず、言葉が詰まった。年齢は二十歳前半、汚れのない純白の衣を纏い、腰まで届く金髪を揺らめかせながら、人間には到底持ちえない神々しさを携えた女性がそこにいた。

 美しく煌めく碧い瞳には何の感情も映さず、人形の様に整った容貌を動かすことなく、ただ少年を見つめていた。

 ふと、彼は女性の正体を理解した。この女性こそが自分の故郷と仲間、そして師を奪ったのだと本能的に理解した。

 どれ程の間見つめ合っていたのだろう。半刻(一時間)か、それとも一刻(二時間)か。実際には呼吸三回分程度だったのだが少年にはとても長く感じられた。

 ゆっくりと女性は片手を上げた。その白い掌は座り込む少年の顔前で止まり、淡い光を放ち始める。

 最初はぼんやりとした光も徐々にその明度を上げていき今では目を開ける事さえ困難だ。しかし、少年は瞳を閉ざさず、女性の顔を眺め続ける。

 掌から魔力の塊が射出される――刹那、


『――ありがとう。お姉さん』


 少年は笑みを浮かべ、そのまま光に呑まれて消えた。


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 ガツッ――鈍い音と衝撃を受け、彼の意識は覚醒を余儀なくされた。

「……~~~~っ!?」

 少しの間を置き、頭部を駆け巡る痛みに悶絶する。何とか痛みを緩和しようと地面を転がる必死な彼の腹部を何者かが踏み付けた。予想だにしない衝撃を受け、呼吸器官の一切が機能を停止した事により息が詰まる。苦しむ彼の姿を見下ろす何者かは少し苛立ちの混ざった声を発した。

「早く起きる」

 徐々に圧力が強くなっていく足から何とか逃れた彼は未だに襲い来る頭痛を堪えて立ち上がり、暴行犯と対峙した。

「て、めぇ、何しやがる!」

 目の前には少女が立っていた。年齢は十代前半。肩まで伸ばした金髪を指で梳かしながら、深海の様に碧い瞳を鋭く細めている。

「無様な醜態を晒した不出来な弟を姉として適切に起こしただけだけど?」

「どこの世界に弟を蹴り起こす姉がいる!? 挙句の果てに悶える俺の腹を踏み付けやがって!」

「愛の鞭」

「随分と重い愛ですねぇ!」

「分かった。これからは鞭だけにする」

「抜かす要素が違う!?」

 一頻ひとしきり怒鳴り散らしてから、彼はここが自宅ではないことに気付き、目を剥いた。

「え、いやここ何処!?」

 視界に映るのは何処までも広がる砂漠と蒼い空。周辺には茶と青以外の色がなく、街から遠く離れていることが分かる。

「覚えてない? ……私の名前は?」

 心配そうに聴いてくる少女を見つめ、

「シア・グレイス。俺――エスト・グレイスの姉貴で口が悪くて発育不良で真性のサディストで生活力皆無の社会不適合者で――ひっ!?」

 突如膨れ上がった魔力が迸り、彼女の背後に蜃気楼が浮かび上がる。エストは冷や汗を滂沱ぼうだの如く流しながら閉口した。

「……どうやら頭を打っている模様。後でお仕置――もとい、治療をする。それで、あれは?」

 あれ、と言われ指の向いた先――背後を振り向いたエストは堪らず叫んだ。

「でかっ!?」

 そこには大きなわしが居た。熊の数倍もある巨体を地面に投げ出しており、絶命しているらしく呼吸をしていない。よく見ると身体中に切り傷や焼け焦げた跡がある。

「あー、そういや討伐依頼の最中だったっけ?」

 人を襲い、その死肉を喰らう魔物。それらがこの周辺の小さな村を襲う事件が最近、多発していた。彼ら――グレイス姉弟が営む万屋『朝凪』は依頼を受け、その魔物の討伐に訪れたというのが話の大筋である。

「そう、それでエストが無様に敗北。私が尻拭いをさせられたという訳」

「無様ではなかっただろ。あと一歩の所まで追い詰めたんだから」

 実際にエストはあと少しで勝利を掴んでいた。魔物の爪やくちばしを剣で弾き、時には躱して少しずつ手傷を負わせていった。一刻(二時間)にも及ぶ激闘を繰り広げ、遂に決着が着く瞬間、天はエストを見放した。

 突風が吹き、舞い上がった砂埃がエストの視界を遮ったのだ。相手は魔物、その絶好の好機を逃す筈もなく、彼は魔物の蹴りを喰らいそのまま気絶したのだ。

「ちなみに蹴られた時の声は『ぐぇっ!』」

「うぐっ……」

「カエルみたいでとても無様で滑稽だったわ。全く笑えない程に」

「あ、あそこで風が吹かなければ勝てたって!」

「そうね。偉いわ、エスト。ところで、今しがた私はこの魔物を一撃で倒したのだけれど?」

「相変わらず強いですねコンチクショー!」

 悔し涙を浮かべるエストはせめてそれをこぼすまいと空を見上げた。そして同時に、

「うげ……」

 空を見て呻く弟を訝しみ、シアは彼の視線の先を目で追いかける。

 遠くに黒い影が見えた。羽を羽ばたかせているので鳥だということはかろうじて理解できる。数は恐らく六、七羽程度。

 最初は砂粒程度だった大きさのそれは近付くにつれ、徐々に大きさを明らかにしていく。彼らの元へと辿り着いた時には熊どころか目の前で絶命している魔物さえも凌駕する大きさの鷲となっていた。

「親鳥ね、恐らく。子供がやられて殺気立ってるわ」

「冷静に分析してる場合か! 流石にこの数を俺一人でやらせる訳ないよな?」

 傍に落ちていた自分の大剣を手繰り寄せ、正眼に構えながらエストは問いかけた。シアは盛大に溜め息を吐き出して指先を虚空に走らせた。

「仕方がない。私が援護するから隙を見てエストは――」

 言い終える前に魔物の強靭な鉤爪がシアに迫る。巨体に似合わない俊敏な動作にシアは躱すことすら出来ず――

「――まだ、私が喋っている途中」

 鉤爪は“シアの片手”によって受け止められていた。否、正確には掌の先に展開された膜に受け止められていた。青白く輝く膜は徐々に広がっていき、エストとシアを覆っていく。

 膜が彼らを完全に包み込んだのと同時に周囲の魔物は一斉に動き出した。

 鉤爪を振るい、蹴りを繰り出し、嘴を叩きつけ、突風を巻き起こす。彼らの出来うる全ての攻撃を以てしても目の前の少女に触れる事すら叶わない。次第に少女の身体から膨大な魔力が迸り、周囲の風景を揺らめかせる。

 その姿に魔物たちは恐怖した。目の前の生き物とはレヴェルが違いすぎる、と。

 敗北は死、逃走しても死。ならば彼らに残された道はそれこそ“死に物狂い”で少女を殺さなくてはならない。

 それは億が一にも勝ち目のない戦い。シアは青白く光る指先で虚空にソレを描く。常人には読むことさえ不可能な文字や記号の羅列。一文字描くにつれ、濃厚になっていく魔力は彼女の指が記述を終えたのと同時にその高まりを止めた。

「鳥風情が、私の言葉を遮るとは良い度胸。己の過ぎたその驕りを嘆き、疾く散ると良い」

 宙に留まる青白い文字が溶ける様に消えた瞬間、世界が白く染まった。熱と光がシアを中心に広がり、魔物と周囲を呑み込んだのは一瞬。効果を失った光が収束するとそこには魔物の姿がなく、黒く焼け焦げた地面だけが残った。

「うっわぁ……」

 周囲の惨状を見つめ、エストは口元を引き攣りながら己が姉を見下ろした。その姉は涼しげな表情で乱れた髪を梳いている。

「これは流石にやりすぎだろ、死体がねぇよ……」

「やり過ぎと言う事はない。討伐なのだから討伐してなんぼ」

「どうやって証明すんだ?」

「……盲点」

 討伐依頼は通常、倒した生き物の身体の一部を剥ぎ取り、依頼主へと届ける事でようやく完遂と言える。しかし、今回は死体が塵になってしまい、依頼主に提出できる物は何もない。

「確認が取れるまで報酬が渡されない……もしくは減る。最悪の場合は――」

 言わずもがなである。

「グズ、早く塵を集めて」

「無理に決まってんだろ!? 最早砂と区別付かんわ!」

「弟の観察眼が乏しくて悲しい」

「姉の傍若無人さに泣きそうだよ!」

 その後も二人は口汚く罵り合い、責任の所在を押し付け合うといった不毛な時間を過ごした。しかし、残念ながら舌戦においてエストがシアに勝てる訳もなく、僅か二百を数える頃には彼は口を開く事が出来なくなっていた。

 ――なんかもう自分が悪い気がしてきた。って、ん?

「あー、シア。ちょっと待ってくれ」

「何? 生ごみ」

「酷いなお前。じゃなくて新手だよ」

 地面を疾駆する軍団。蜃気楼に揺れているため正確な数を計る事は出来ないがおよそ人が相手取れる数ではない事は明白だ。

 どうする? と視線だけでシアに問い掛ける。シアは遠くの魔物達から視線を外し、術式の記述を開始した。

「大鷲はさっきので全部?」

「あ? ああ……少なくとも依頼された分は倒したけど……」

「そう。なら――帰る」

「は?」

 呆然とするエストに構う事無く術式の記述は進む。先程の魔術よりも遙かに長い術式を高速で書き記すシアは何て事のない様に、

「依頼とは関係ない。あれらを討つ理由がない」

「待て待て待て。帰るのは良い。でもせめてあの大群を蹴散らしてから――!」

「面倒」

 そう言い終わるのと同時に術が完成した。

 直後、シアの身体が蜃気楼の様に揺らめく。徐々に透けていく姉へと手を伸ばすがその手は虚しく空を切った。

「転移魔術は一人用。今の私じゃ一人が精一杯。だから――走れ」

 そして彼女は消え、入れ替わる様に感じる背後の気配。振り向くまでもなく分かる。

 ――やばい、と。

「ふ、ざけんなあああぁぁぁぁあああ!!!!」


 魔物が蠢く世界において、人は余りに非力過ぎる。しかし、人は高度な知恵を用いてある技術を手に入れた。

 その技術を行使するには自分の命を消費し、“世界”に命令を出さなければならない。命をインクとして術式を描き、人間の意図した処理を行うように“世界”に指示を与える行為。その術式を“世界”に提出し、受理される事により力が満ち、命令通りの奇跡が具現する。

 この技術は魔術と呼ばれ、魔術を探求する者を“魔術師”と呼んだ。



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