星空の下で乾杯を
蝉が鳴いて止まない真夏の夜。
リリンリリン。ドアの鈴が鳴った。お客様のご来店だ。
「おお、ハルッ!いらっしゃい!」
「おつかれさまです、ツネさんッ!」
ツネは大学3年生。PUBのバーテンダーのバイトをしている。たかがバイトと言えばそれまでだが、それでもお酒作りに関しては、溢れんばかりの愛と情熱を注いできた。お酒に対する熱い想いは誰にも負けない。そしてお客様に感動を与えられる、そんなバーテンダーを目指して毎日仕事をしている。
ハルは大学1年生。ツネより世間的には少し頭がいいとされる大学に通っている。ツネが勤めるPUBの常連だ。強い酒を好み、酒癖は悪い。だが、いつも元気で、誰にでも親しさと優しさを持って接する事が出来る好青年。
ツネはそんなハルの事が好きだったし、ハルもたまた、ツネの事を先輩と良く慕っていた。
「ご注文は?」
「タランチュラのジャンボサイズを1つで!」
「あいよ!」
オーダーが入るとツネは嬉しそうに、慣れた手つきでドリンクをシェークする。
「ツネさん、オレ、来週長野にサークルの合宿行って来るんですけど、もうすごい楽しみで楽しみで。」
「おぉ〜そうかそうか!長野はいいぞぉ?長野はな〜、善光寺に、地獄谷温泉、それから……」
――――――――――――――――――――――――――
時は過ぎ、それから2週間後、
ツネはいつものようにお客様と真摯に向き合い、鄭重にもてなし仕事をしていた。
材料を混ぜ、シェーカーでジャガジャガと音を立てシェークをしていたその折、1本の電話が鳴った。
「ハルが……ハルが……亡くなった……。」
「なんだってッ!?」
衝撃の報せだった。
ハルは先日のサークルの合宿で亡くなった。死因は、吐瀉物を喉に詰まらせたことによる窒息死。
ハルの合宿の飲み会は豪快な飲み方で有名だった。勿論、その日も殆どの学生達が潰れた。ハルもその1人だった。
他の学生も潰れていたため、ハルが窒息している事にいち早く気付き、蘇生させられる者がいなかったのだ。
その突然の訃報を聞いたツネは、茫然自失に陥った。心が空っぽになったかのような虚しさに包まれ、毎日お酒を飲むのが好きだったツネが初めてお酒を飲めなくなった。
(オレはアイツに酒の飲み方を、ちゃんと教えてやれなかった。オレが、オレが普段から忠告していればこんなこと……。)
それ以来、ツネは拭いきれない後悔と自責の念に駆られることになる。
後日、ハルの両親に頼んだが葬式もお墓参りにも参列するのは断られ、遂に願いは叶わなかった。
自分の非力さを呪ったツネはハルの為に今の自分に出来る事は何なのかを模索し、やがて1つの答えに辿り着く。
夜の帳が降りる中、ツネは脇目も振らず酒屋に走る。そしてウォッカとピーチジュース、ブラッドオレンジジュースを手に携え、急いで自宅に戻った。
乱れる呼吸。汗だくで服はビショビショ。そんなことは意に介さず、キッチンで買ってきた材料を混ぜ無我夢中でシェークした。
ツネが作ったのは、ハルが大好きだった〝タランチュラ〟
2杯のタランチュラを手に自宅のベランダに出た。ツネの頬を優しく撫でる温い風。星々が燦然と輝き夜空を照らしている。空に向かって掲げた濃厚な緋色のタランチュラ。それは夜も輝く太陽のようにツネの目に焼き付いて離れなかった。
恍惚とした瞳をゆっくりと閉じて、味を一口一口舌の上でしっかりと確かめる。
口の中で広がる甘美で芳醇な味と香り。フルーツの爽やかな酸味。最後にやってくるブラッドオレンジの微かな苦味。
複雑で深みのあるその独特の味はツネの中の奥深くで溶けて染み渡り、得もいえぬ感動を与えた。
(タランチュラってこんなに強かったっけ……。それに前飲んだ時より随分甘いな……。)
双眸に悲しみの涙がふと浮かび、唇は僅かに震える。
(もう一度……。もう一度だけでいいから……。)
今は亡きハルの事を偲ぶツネ。どんなに願っても、もうハルと会う事は決して叶わない。それでも一縷の望みを繋いでそっと瞼を閉じる。後ろ髪を引かれる思い。
生涯、ツネはこの日のタランチュラの味を一度たりとも忘れることは無かった。
「ハル、これがオレからのせめてもの餞です。――」
――星空の下で乾杯を。