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第八章 決着の引き金

第八章 決着の引き金


 その広い部屋にいるのは一人の男だけだった。

「ジュラルドの力は本物だ。ヤツに勝てる者などいるはずもない。城の方に攻め込んだ間抜け共も、ここに来た少しばかり頭の働くヤツも、全てまとめて排除する。反乱分子も、予定外の第三勢力も、全てを摘み取った後で磐石の体制を作り出す」

 男の名はガダル=トルバラド。現トルバラド王国国王である。

「ゴルデアの庇護下に入ることさえ出来れば、その強大な戦力を後ろ盾に、現体制の維持は可能だ。実質的な植民地となろうとも、我が命は保証される」

 明かりを点けず、カーテンも閉め、そこから漏れてくる日の光で僅かに照らされる薄暗いその部屋で、ガダル王は一人思案した。

 その薄暗い部屋に、彼の予想していなかった音が聞こえてきた。

 最初に聞こえてきたのは、分厚い扉の外で誰かが倒れる音だった。ガダル王は反射的に拳銃を取り出し、安全装置を解除した。

 ややあって、その分厚い扉がゆっくりと開き、廊下から冷たい風が入り込んできた。それと同時に、何者かが姿を現した。

 薄暗い部屋の中からでは、その姿の詳細を知ることは出来ない。

 背格好から判断するに、十代半ばの少女だろうか。身にまとう服は汚れ、あちこちが傷だらけだった。しかし、上品な刺繍や高級感のある生地から、これを着る者がおよそ貧民街出身の人間ではなく、確かな家柄の人間である事を容易に想像することが出来た。

 それを認識した次の瞬間、ガダル王は目を見開き叫んだ。

「やはり生きていたか! サウラム!」

 彼は躊躇い無く拳銃の引き金を引いた。

 弾倉の中身が空になるまで何度も、何度も引き金を引き続けた。静かだった薄暗い部屋の中に、狂気に満ちた銃声だけがこだまし続けた。

「…………」

 やがて弾が尽き、徐々に冷静さを取り戻し始めたガダル王は、自分が撃った血を流すことなく倒れる『ソレ』を見つめた。

「……これは、……人形、なのか?」

 彼が撃ったのは生きている人間ではなかった。十代半ばの少女を連想させる背格好の、服を着せたマネキン人形だった。

 いったい何が起こっているのか、ガダル王は状況を理解できずにいた。

 そして僅かな沈黙の後、扉が開け放たれ、二人の人物が入ってきた。

 一人は油断のない表情で目を光らせる男、ボリス。

 もう一人は、まだ幼さの残る顔立ちに反し、何処までも冷たい目をした少女、サラ。

 彼女はわざとらしく溜息を付きながら言った。

「本当に躊躇い無く撃つのね。予想を裏切らない行動は嬉しいけど、その器の小ささには相変わらず失望させられるわ」

 サラは腰に吊り下げていたホルスターから拳銃を抜き出し構えた。彼女の小さな手に合わせた小柄な、しかし確かな殺傷能力を持った無骨な凶器が、冷たい鉄色の輝きを放つ。

「久しぶりね、ガダル兄さん。貴方を殺しに来たわ」


×××


 ――今なら僕は死んでもいい。

 シオンは何の疑いもなく、その結論にたどり着いた。

 そして、その思考に基づいて次の行動を模索し始めた次の瞬間、もう一つの記憶が蘇った。

 視線の先にいる少女は、兵舎を脱出した後に仲間に加わったアミナだった。

 最後の準備をしていたあの日、駆け寄ってきたアミナはシオンに言った。

「シオン、絶対に帰ってきて。そのことを約束して」

「……どうして?」

 アミナの突然の言葉に、シオンはそう聞き返した。

 シオンには命を懸けて作戦を成功させる理由があった。しかし、生きて帰ってこなければならない理由など何一つとして存在しなかった。

 対するアミナは、どこか怒っているような、そして今にも泣き出しそうな、そんな複雑な表情を見せながら言った。

「だって……、だって私は、シオンに死んでほしくない。また会いたいし、また話がしたいから。死んじゃった人とはもう話せなくなって、私はシオンとそんな風になりたくなくて……」

 なぜアミナがそんなことを言うのか、シオンには全く分からなかった。だが、アミナが必死にそう願っているという事だけは、薄ボンヤリとではあるが、理解することが出来た。

「まだ話したいことも沢山あるし、これからもきっと話したいこととかやりたいこと沢山出来ると思うから。だから……」

(……そうか。僕が生きていることを望んでくれる人間が、この世界には確かにいるんだ)

 それはシオンがこの瞬間に至って初めて知る感覚だった。戦いが終わった後に戻る場所で、自分の生還を心待ちにしている人間がいるなどという状況は、想像したことすらもなかった。

「だから私はシオンに死んでほしくない。絶対に、生きて帰ってきてほしいの」

 その時シオンは、曖昧に頷いた事を思い出した。

 その時アミナは、何故だかとても安心したように、確かに笑っていた。

(……そういえば、アミナと約束していたんだ。なら、僕は二つの約束を果たさなきゃいけないか。全ての敵を打ち倒して、必ず生きて帰らないといけない。僕は、そのための戦いをしなくちゃいけないんだ。だとすれば――)


×××


 いつからだろう?

 怒ることも、泣くことも、笑うことも、心の底から出来なくなったのは。

 人はいつか死ぬ。

 僕もいつか死ぬ。

 きっと何もかも無意味だ。

 無意味な僕に意味を与えてくれるなら、そのために命を使っても構わないと思っていた。

 誰かにとって意味のある存在でいられるなら、それが僕の生きた意味になると思っていた。

 痛みも、涙も、苦しみも、怒りも、恐怖も、全て捨てなければいけないと思っていた。

 それは全部弱さだ。

 そんな弱さには何の意味もないと思っていた。

 ……だけど。

 ……もし、僕の力でもなく、僕の役割でもなく、ただ僕自身に意味を見出してくれる人がいるのなら。

 ……弱い自分を、生きるために戦う自分を、少しくらいは許してもいいのかもしれない。

 …………だとしたら――。


×××


 ジュラルドは、万が一の反撃に備えた距離から、倒れた〈スヴァログ〉の姿を観察していた。 

「なかなか良い強さでしたよ。しかし残念です。ここで終わりのようだ」

 〈テンペスト〉がビームバヨネットを構え、ジュラルドはターゲットスコープを覗き込んだ。彼は〈スヴァログ〉のコックピットに向けて、確かに狙いを定める。銃口へと帯電粒子が収束し、その攻撃能力が最大まで高められた。

「窮鼠猫を噛むとも言いますし、この距離から決着を着けさせていただきますよ。あの奇妙な防御装置は自動発動のようですが、裏を返せばパイロットの意志とは関係なくエネルギーを無駄使いする装置ということです。ここまで消耗した状態であれば、流石に発動できないでしょう」

 ジュラルドがトリガーボタンを引いた。

 だが、それとほぼ同じタイミングで〈スヴァログ〉が動いた。

 逆回転する脚部ローラーによって後退し始めた機体は、背中を建物に擦りながら無理矢理立ち上がる。同時に頭部の複合光学センサーを〈テンペスト〉が投擲した超硬質ブレードによって破壊された状態でありながら、〈スヴァログ〉は真横に転がりビームの弾丸を紙一重で回避する。自動発動した対ビーム用装置が光を屈折させ、〈スヴァログ〉の装甲が再び深紅の輝きを放つ。

「まだ抵抗しますか……――!?」

 第二射の為に構えるジュラルドだが、〈スヴァログ〉がとった予想外の行動に驚愕を余儀なくされた。

 〈スヴァログ〉は片方の手に超硬質ブレードを構え、もう片方の手で自身の頭部に突き刺さる超硬質ブレードを引き抜き、二刀流の構えをとった。

「――正面装甲、強制開放ッ!」

 シオンは〈スヴァログ〉のコックピットへの搭乗口も兼ねた、最も分厚い正面装甲を、緊急用コマンドを用いて強制排除した。それと同時に、まだ破損していない片足のリニアキャタピラを起動させ、片輪走行で〈テンペスト〉へと肉薄する。

 ヘッドセットディスプレイを投げ捨てながらシオンは叫んだ。

「頭を潰したぐらいで、勝ったと思うな!」

 コックピットを剥き出しにしたまま、目視で状況を確認し、シオンは戦いを継続する。

 〈テンペスト〉がビームバヨネットの第二射を放つよりも先に、間合いを詰めた〈スヴァログ〉の超硬質ブレードが振り下ろされ、ビームバヨネットを切断し射撃を封じる。

「ここまで足掻きますか!」

 怯んだジュラルドは後退を選択。同時に両腕の内蔵式ビームマシンガンを〈スヴァログ〉に対して向ける。だが、それに対するシオンの行動は決まっていた。両手に装備した超硬質ブレードを双方とも投擲。どちらも〈スヴァログ〉の腕部に内蔵されたビームマシンガンに命中し、確実に破壊する。

 〈テンペスト〉が全てのビーム系装備を喪失した。シオンは尚も追撃の手を緩めない。

「左腕部接続、強制解除! オートバランサー、解除! 全出力リミッター、解除!」

 強引に切り離した〈スヴァログ〉自らの左腕を、純粋な質量の鈍器として右手で装備し、〈テンペスト〉に殴りかかった。

 現在の機体の状況から考えるなら、〈スヴァログ〉側の不利は確実だった。正面装甲を失いパイロットが剥き出しとなっているこの状態では、普段であれば問題にならないようなダメージでも致命傷になりかねない。そんな状態で近接戦闘を行うなど、常識から考えればあり得ない。

 だが、その非常識な攻撃を〈スヴァログ〉は、シオンは続行した。

 左腕部を棍棒代わりに用いて殴打する。装甲を貫通することが極めて困難だと言うことを承知の上で、狙いを定めることなくひたすら七.七ミリ胸部内蔵機銃を撃ち続ける。自分側の装甲が歪むことを厭わず蹴撃をくわえる。

 突如〈スヴァログ〉のスモークディスチャージャーから、戦場には余りにも似つかわしくない鮮やかな色の煙が〈テンペスト〉に向けて噴出した。

「眼眩ましのつもりですか? 小賢しい!」

 確かに〈テンペスト〉の光学センサーは無力化された。だが、熱源や赤外線感知のセンサーは健在である。ジュラルドはその情報を元に狙いを定め、固定装備である十二.七ミリ胸部内蔵機銃二門を撃ち込んだ。彼は、激戦の果てに限界を迎えようとしている〈テンペスト〉が各部に生じたエラーを示す警告音と共に、断続的に響く銃声を聞き続けた。

 やがて十二.七ミリ胸部内蔵機銃の残弾が尽きた。

 光学センサーだけは未だに回復しないため外の状況を知ることは出来ない。

「……ですが今の音、恐らくはあのウォーカーが倒れた音でしょう。剥き出しのコックピットにいる生身の人間に対して、あれだけの機関銃を撃ち込めば生存どころか原形を保つことすら不可能だ」

 ジュラルドは、既に限界を迎えている〈テンペスト〉を跪かせた。脚部にかかっていた負荷を考えれば、いつ倒れてしまってもおかしくはない状況だった。そして、一向に光学センサーが回復の兆しを見せないため網膜投射を切る。

 〈スヴァログ〉の放った煙の中身はシオン達が仕事用に使っていた速乾性塗料だった。光学センサーが回復しない理由はそれらが付着したことによるものである。とはいえそんなことは、今のジュラルドにとっては預かり知らぬ話である。

「面倒ですが、死体の確認ぐらいはしておきますか」

 ジュラルドはコックピットを開く。

 戦いを示す炎の臭いと熱を帯びた風が入り込み、汗にまみれた全身を冷やしていく。だが、ジュラルドがその戦いの終わりを示す独特の開放感を噛みしめることは出来なかった。

「――まさか」

 最初にジュラルドの視界に飛び込んできたのは拳銃の銃口だった。

 そして次に見たものは、それを構える少年の姿だった。

 その少年が〈スヴァログ〉のパイロットであるという事は、ジュラルドも既に理解していた。

「……こうして顔を合わせるのは二度目ですか。我ながら因果な人生です。久しぶりですね、シオン君」

 シオンも驚きこそはしていたが、冷静な口調でこれに応じる。

「ジュラルド、あなただったのか」

「ええ。私はトルバラド王国に雇われた傭兵ですよ。ウォーカーのパイロットとしてね。一応聞いておきたいのですが、あの状況からどうやって生還したのですか? 確実に殺したと思っていたのですが」

 今、ジュラルドの生殺与奪権は確実にシオンが握っていた。そのことを理解しながらも、ジュラルドはいつもと変わらぬ口調で問いかけた。

 対するシオンも息を切らしながら、油断無く拳銃を構えながら返答する。

「スモークを使った後は自動操縦で囮に使った。あなたが自分の勝利を確認するためには、コックピットを開くしかなかった。……あなたはここで終わりだ。そしてこの国は、ここから前に向かって進む」


×××


 サラはガダル王の眉間に狙いを定め、真っ直ぐに銃口を向けた。

「兄さんに殺された父様と母様の復讐。愛すべき、この祖国を売り渡そうとした兄さんへの復讐。それを果たすために、その首謀者である兄さんを殺すために、私はここまで来た。兄さんは、父様が民主制への移行を押し進めようとしている事を知った時、自分自身の地位が脅かされることを恐れた。そして、一部の過激な王制派と共に、ゴルデアの工作員と共謀してクーデターを起こした」

 サラは今でも覚えている。

 王宮に銃声が響き、多くの者が血を流し、父と母が殺されたその日のことを。

 火薬と鉄の匂いを。

 鳴り響く悲鳴と、怒号と、そして破壊の音を。

 自分に脱出用の地下道の存在を教えた、その声を。

 薄暗い通路に反響する、自分自身の足音を。

 地下道に充満する、生暖かく、湿っぽく、かび臭い空気を。

 地震のように大地を揺らす、ウォーカーの歩行音を。

 そして、その時に生まれた激しい怒りと、決して消えることの無い復讐心を。

 その、青色の冷たさすらも感じさせる、全てを焼き尽くすほどの怒りの炎は、今この瞬間に至るまで、ただ一度たりとも衰えたことはない。

 ガダル王に対し揺らぐことのない明白な殺意を向けたまま、サラは言葉を紡ぎ続ける。

「そして、それを反体制派の仕業と喧伝し、自身が王位に着くと同時に、逆らう恐れのある者を全て粛正して強固な体制を作り上げた」

 ガダル王は抵抗する素振りを全く見せなかった。彼は真っ直ぐにサラのことを見据えながら彼女の言葉に応じた。

「……ああ、その通りさ。ゴルデア帝国との密約で現体制を武力により維持する。ゴルデア帝国は今、最も国力の大きな大国だ。その傘下に入ることに、いったい何の不都合がある? 実質的な植民地になろうとも、最低限の国の形は維持できる。そもそも、国外の工作員に扇動され、主義主張ではなく不満の捌け口として暴動を起こすような国に、民主化など早すぎる」

 対するサラは、その言葉と視線に明白な軽蔑の意を乗せて応じる。

「早すぎる、という点については確かに同意するわ。父様が理想としたこの国の進化は、現状を考えれば早すぎる理想論だった。だけど、貴方が自分の命を守るためだけにこの国を売ろうとしたという事実は、どんなに言葉を飾ろうとも消えないわ」

「その何が悪い? 王あっての国だ。国家の中心たる王の命あってこその国ならば、王が自らの命を守ることに注力して何が悪い? 国民とは国家の所有物であり、国家とは王の所有物だ。ならばそれに反旗を翻そうとするような、国のあり方を理解せぬ者は、何者であっても粛正されるべきだろう」

 国とは如何にあるべきか?

 王とは如何にあるべきか?

 民とは如何にあるべきか?

 それは人類が有史以来、社会や国家と呼ばれるモノを形成してから、連綿と繰り返され続けてきた、正しい答え無き問いかけだ。

「私も、その意見を全て否定するつもりはないわ。だけど、貴方はそれにすら失敗した。彼の暗躍を許し、私の進入を許してしまった時点で、貴方は自分の掲げる正義すらも、完遂することが出来なかった。それは確かな事実よ」

 ガダル王は、その視線をボリスの方へと動かした。

「……そういえば見覚えのある顔だ。貴様、ヴォルク共和国の革命家だな?」

 ガダル王にそう言葉をかけられたボリスは短く「昔の話だ」とだけ答えた。ガダル王は、尚も挑発的な口調で言葉を繋ぐ。

「ヴォルク共和国の現体制の基盤を作った者でありながら、政府からその力を危険視され監視され続けていたという噂を聞いた。しかし、他国の財宝に目が眩んだ国の走狗に成り下がるか。哀れな男だ」

 ボリスは溜息混じりに答えた。

「……否定はしない。だが、ヴォルクの議会はこの競争に乗り遅れた事を理解している。故に、決して本気ではなかったとだけ言っておこう。なまじ実績のある厄介者の老いぼれを、死んでも良しと送り込んだに過ぎない。得られた最大の支援は、開発途中の試作機一機をデータ集めのためによこしたのみだ」

 サラはそのことをボリス自身の口から聞き知っていた。彼の目的はゴルデアの謀略に対する妨害だった。無論、あわよくばトルバラド王国を掌中に収めようとは考えている。そして、それを知り、理解した上でお互いを利用しあう形で協力することを選んだ。

 サラは、この場所にたどり着き、自らの手で兄を殺すために。

 ボリスは、王族の生き残りであるサラを利用し、トルバラド王国とヴォルク共和国の間で確かな関係を構築するために。

 部屋の外で見張りに立つカリムとニコラス。〈スヴァログ〉を操り命がけで戦ったシオン。帰るための場所を守るため年少組と共に避難したアミナ。彼等もまた、サラとボリスの思惑は知らされていた。そして、それでも尚協力することを選んだ。

 銃を構えるサラが言った。

「さて兄さん。……いえ、ガダル王。私から一つ要求があるわ。返答は、状況を考えてした方がいいわよ」

「……言ってみろ」

「全ての王国軍に撤退命令を出しなさい。反政府系武装組織のウォーカー部隊が壊滅した以上、これ以上の戦闘継続は不毛よ。どうせ奴らは都市部に潜伏してゲリラ化するわ。そうなれば混乱が長引いて良い結果にならない。強引にでも治安を回復させ、中央都市を再建してマトモな状態を一日でも早く作った方が得策だわ」

 今、ガダル王の命は、サラが指先を少し動かすだけで吹き飛ぶ。どんな返答をしようと、その事実は覆らない。だとすれば、これは彼自身の正義の問題だ。

 僅かな沈黙の後、ガダル王が答えた。

「……いいだろう」

 

×××


 シオンは、ジュラルドと対峙していた。一切抵抗出来ないこの状況に追い込まれたジュラルドの生殺与奪権は、シオンの意思一つに委ねられていた。

 シオンが拳銃の安全装置を外し、引き金に指をかけたその時、〈テンペスト〉の通信機からガダル王の声が響いた。

『……我が名はガダル=トルバラド。全王国軍に王令として命じる。攻撃を中止せよ。作戦は終了だ。繰り返す……』

 その声をジュラルドはどこか遠い世界の出来事のように聞いていた。

(やれやれ、というヤツですか。何があったのかは知りませんが、よほどの事態があったようです。しかし、最早私には関係のない事だ。悔しくはありますが、戦いの果てに死ぬのであれば悪くない。戦場に生きた甲斐があったというものです。このシオンという少年は、技量や知識ではなく、意志と覚悟で私を上回ることで勝利した。思い返せば、何かを背負って戦う者は強いなどというのは、単なる妄言に過ぎないと切り捨ててきた人生でした。しかし、最後の最後で意地を通すためには、どうにもその類の物が必要になるらしい。それが、私とこの少年の勝敗を分けた、ということのようです)


×××


「……これで十分か?」

 通信機を切ったガダル王の言葉にサラが答える。

「ええ、これで貴方の役割は終わったわ」

 サラの言った「役割は終わった」という言葉。この状況において、それが何を意味するのか、それを分からないガダル王ではない。

「サウラム、お前に背負えるのか? この国を、この国の未来を! その先にあるのは、より激しい戦いの世界だ。何かのために、誰かのためになどと理想を掲げれば、お前は必ずその理想に押しつぶされ、絶望の闇に沈むことになるぞ。それでも尚、理想などという物を追うのか!?」

「兄さんの姿を見て決心が付いたわ。私は、私が理想とする良き王を目指す。その果てに、この国をより良い未来へと導いてみせるわ。私が持つ全てを使って」

「……いいだろう。ならばせいぜいやって見せろ。我は、一足先に地獄で待つ」

 そう言うとガダル王は、服の袖に隠し持っていた短剣を素早く取り出した。無論、それをどう使ったところで、拳銃を構えるサラに抵抗が出来る訳ではない。

 ガダル王とて、そんなことは百も承知だ。

 彼は逆手に構えたその短剣を、自身の首に突き立てようとした。

 しかし、サラはそんなガダル王の行動を、言葉によって封じる。

「優しさのつもりなら不要よ。兄さんの全ては私が背負う。そして必ず超えてみせる」

 拳銃の安全装置は既に外されている。

 弾丸は確かに装填されている。

 人差し指は引き金にかけられている。

 銃口は、確かにガダル王を狙っている。

「さよなら、ガダル兄さん」

 

 ――パンッ!


 薄暗い部屋に、乾いた銃声が響きわたった。

 サラの構える拳銃は、その弾丸によってガダル王の眉間を撃ち抜いた。

 トルバラド王国、現国王、ガダル=トルバラドは、自らの妹の手によって絶命した。

 しばらくの間、サラとボリスは、血を流して息絶えたその男の死体を眺めていた。

 最初に口を開いたのはボリスだった。

 彼は、いつでも撃てるようにと構えていたサイレンサー着きの拳銃をホルスターへと戻した。

「……結局、お前が撃ったか」

 複雑そうな表情を見せるボリスに対しサラは言った。

「……少し兄さんを許せた気がするわ。あの時、私が本気だと分かった時点で、どちらにしても死ぬ以上、攻撃中止の命令を出す必要なんて無かった。なのに兄さんは、律儀に命令を出した。彼にもそれぐらいの正義は残されていた。……だけど、もうそんなことは関係ない。それにボリス、これはこの国の、その王である私たち一族の問題。それに対して他国の人間である貴方には手を出す資格も、口を挟む権利もないわ」

「今更道徳的な一般論に意味など無いが、兄殺しの罪など、背負うべき物ではない」

「その兄が両親を殺したのよ。なら、そんな道徳的正しさには何の意味もないわ。私達にあるのは自分自身の正義だけ。そして、私はこの罪を背負うために生きてきた。それを阻もうとするなら、貴方にも銃を向けるつもりでいたわ」

 サラの声は、少し震えていた。それがいったいどんな感情に由来するのかは、それを聞くボリスにも、当のサラにも分からない。だがそこには、いくつもの思いが複雑に折り重なっている事だけが確かだった。

「サラ、君のために忠告しておく。その理想は正しい。だが、人は理想を追い続けられるほど強くない。いずれ君も壊れることになるぞ」

「そんなことは最初から分かっているわ。それでも、そんな理想を追いかけていなければここまで来ることは出来なかった。来るべきではなかったと貴方は言うのかもしれないけど、私はそうは思わない。シオン達と出会い、貴方と出会い、そして今私はここにいる。その出会いは偶然なんかじゃない。私はこの場に至るための、必然の道を歩いてきた。だから私は、最後まで進み続けるわ。私に与えられた、その全てを使ってね」

 ドアが開いた。

 姿を見せたのは、カリムとニコラスだった。

 見張りをしていた二人は銃声を聞き、何が起こったのかを察していた。だからこそサラの身を案じていた。サラの想いを知っている二人だが、自らの手で自身の家族を殺すことが、どれほど辛いかは容易に想像出来た。例えどれほど憎んでいようとも、だ。

 特に、少年兵として徴兵される時に両親を殺す『儀式』をやらされたカリムにとっては、サラが如何なる復讐心と覚悟を持っていたとしても『兄殺し』に対して全面的な賛成など出来るはずもなかった。それでも尚、サラがそれを成し遂げなければ前に進めないことを理解して協力を誓い、ここまで共に進んできた。

 サラは、いつもと変わらない表情のまま二人に言葉を投げた。何があろうとも常に気高く、誇り高く、決して揺らぐことなく、あるべき理想を示し続ける絶対的強者。それこそが、サラの考える王という存在の在り方だった。彼女は、先頭に立つ指導者とは、理想の体現者であるべきだと考えていた。

「カリム、ニコラス、見張りご苦労様。次は放送の準備をお願い。テレビとラジオ、それから軍の無線、全てのチャンネルに割り込みをかけるわ。隣の放送室から全て操作出来るようになっている。お願いね」

 何か言いたげな表情の二人だったが、何も言わずに放送室の方に向かった。

 そのことを確認したサラは、身代わりに使ったマネキン人形と一緒に持ってきた『衣装』に着替え始める。そしてボリスの方を向き言った。

「さて、最後の仕上げよ。貴方も来なさい。歴史に名を刻んであげるわ」


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