第七章 最終決戦
第七章 最終決戦
「戦闘が始まったようね」
薄暗い地下道の先頭を行くサラが呟いた。
地上からそれなりの距離があるはずの地下道だが、戦闘の衝撃は確かに伝わってきていた。
大きなバッグを背負ったサラを先頭に、ボリス、ニコラス、カリムの四人は、中央都市の地下に作られた隠し通路を進んでいた。
熱と湿気がこもり、淀んだ空気で息苦しくなりそうな地下道を、懐中電灯の僅かな明かりを頼りに進む中、ニコラスが周囲を見渡しながら感心したような声を上げた。
「しっかし、噂には聞いてたけど、本当にこんなものがあったとはな。水道管の点検の仕事で地下に降りたことはあったけど、全然気が付かなかったぜ」
「王国の、それこそ上下水道が整備されるよりも前から、この地下通路の原型は存在したわ。インフラ整備を国主導でやったのは、そのノウハウを一番持ってるのが王族の側近で、地下施設の存在を国民に悟らせないようにするためでもあったし」
「なるほどな。でも大昔の王様は何でこんなものを作ったんだ?」
ニコラスの問いかけにたいし、サラは皮肉げな笑みを浮かべた。
「こういう使い方をする為よ。勿論主な使い方は、王族か国内の反乱分子の情報を収集したり、奇襲を仕掛けたりするためよ。だけど、例えばお家騒動で消されそうになった王族が脱出するためだったり、それこそ悪政を敷く王を秘密裏に粛正したり、いろんな使い道があるわ」
「権力の内側は物騒だな」
四人は淡々と地下道を進んだ。迷路のように、いくつもの分岐が現れるが、サラは躊躇無く道を選択する。
「ワシからも質問させてもらえるか?」
「良いわよ、ボリス。まだ距離はありそうだし」
「君の口振りから察するに、この地下通路を管理している当の王族ですら総てを把握してはいないようだが、その辺はどうなのだね」
サラは立ち止まり目を閉じ大きく深呼吸をする。地下道の淀んだ空気は、サラに対して過去の記憶を急激に再生させた。閉じた瞼の裏には血と炎の赤が限りない現実味と共に再生される。
あの日、火薬と鉄の匂いが立ち込め、悲鳴と怒号と破壊音が響き渡る中を、ただひたすらに振り返ることなく、サラは走り続けていた。
背後では、沢山の彫刻や絵画などが容赦なく破壊されていた。
外では、襲撃者の放つ銃声が鳴り響いていた。
暗い地下道にサラの足音が反響していた。そして、それを塗り潰すかのように地上からはウォーカーの歩行音が響いていた。地震のように大地を揺らすそれは、十メートルの鉄の巨人が大地を踏み砕く足音だ。三十ミリアサルトライフルの銃声が、地上で繰り広げられている惨状を容赦なく想像させた。
生暖かく、湿っぽく、かび臭い空気は、サラの全身に不快感を伝わていた。
だがそれ以上に、血の色と鉄の匂いの記憶が、彼女の脳内を何度も駆け巡ってた。
父も、母も、みんな殺されてしまった。
……大丈夫。
サラは何度も自分自身にそう言い聞かせてきた。
それでも私はまだ生きている、と。
彼女が五感から受け取る全てと、その時生まれたばかりの感情は、彼女自身が生きていることの何よりの証だった。
……兄さん。
サラは走りながら、絞り出すようにして言葉を口にしていた。
……私は、絶対に貴方のことを許さない。
どんな手段を使っても己の復讐を果たしてみせる。
そのために何を利用しようと、その結果として何が起ころうと、復讐を成し遂げることをサラは誓った。
他の誰でもない、自分自身の魂に。
――やっとここまで来ることが出来た。私は、この国の為に生き残ることを許容されたんだ。
それを再確認したサラは、目を開け、口を開き、歩き始めると同時に言葉を紡いだ。
「みんなは『ダモクレスの剣』って知ってる?」
その問いに対して、最初に回答したのはカリムだった。
「……天井から髪の毛一本で吊るされた剣、とかだったか?」
「そうよ。大昔の王様の逸話よ。絶大な権力を誇る王様の座る玉座の上には、常にそこを狙うかのように一本の毛髪で吊るされた剣が存在した。要するに絶大な権力者は、その華やかさとは裏腹に、常に命の危機を伴うものだということよ。とは言っても史実、と言うよりは権力者がその心の内側に隠す恐れや、地位の危うさを表す一種の寓話みたいなモノ何だけどね。……そしてこの国には、そのままズバリの『ダモクレス』という秘密組織が存在するわ。彼等はこの国の王の権力に対抗するための組織として存在するの。そして、王ではなく『トルバラド王国』という存在を守るために行動するわ。悪政を行う王が現れたとき、彼等はそれを排除する為に行動する。この地下道は『ダモクレス』によって管理されていて、王族はここの全ての詳細を知ることが出来ないようになっているのよ」
サラの言葉に対して全員がしばらくの間沈黙していた。あまりにも突拍子もない話だが、その真偽を疑う者はいなかった。ただ、この国の裏側に存在する秘密の一端に圧倒されていた。
最初に口を開いたのはボリスだった。
「それが独裁体制のこの国における、権力腐敗の抑止力というわけか」
サラはそれに対して決意と憎しみを滲ませながら答えた。
「ええその通りよ。本来であれば『ダモクレス』は今すぐにでも現王、ガダル=トルバラドを討ち取りたい。だけど、総ての王位継承可能な人間に対して処刑や権利剥奪が行われたことで、ガダル王の死が国の滅亡に直結する状態を作り出し、『ダモクレス』の動きは封じられた。そして私はこの通路の地図を託されたのよ。講堂に続くこの地下道を」
「講堂!?」
ニコラスが素っ頓狂な声を上げて足を止めた。
「王宮じゃないのか!? どうして講堂に行くんだ!? いや、もう完全に王宮に乗り込むモンだとばっかり思ってて、その辺は話半分で聞いてて、だってガダル王は今、王宮にいるんだろ!? 何で講堂に行くんだ?」
「ガダル王が王宮ではなく講堂にいるからよ。講堂には、この国最大の防衛装置が存在するののだもの。そのことを知らない人間の裏をかけるという点でも、この国で最も安全な場所よ。あの臆病者は必ず講堂にいるわ。前に王国側の工作員を問い詰めた時に確認出来たのよ。ボリスが彼に「城の守りは万全か?」と聞いたとき、その工作員の男は確かに笑みを浮かべていたわ。だってそうよね。王が最後に隠れる場所が城じゃないと知っていれば、城の守りについて聞いてくるような間抜けには、絶対に王を殺せないと思うもの」
×××
トルバラド王国内での戦闘は激化していった。
反政府系武装組織の王宮に対する進行は一層激しさを増し、防衛する王国軍側もウォーカー部隊の増援を得てこれに応戦した。
主力としているウォーカーは、反政府系武装組織が第二世代初期の〈コクレア〉。これに対する王国軍の主力機は同じく第二世代だが最良と言われる新型の〈ウルス〉だ。
当初の戦闘においては数に勝る反政府系武装組織が有利に戦いを進めていた。
しかし、ジュラルド率いる部隊が基地を奪還し、反政府系武装組織の一派である革命武装同胞団が壊滅した。これに伴い王宮守護の増援を王国軍が送ることが出来るようになったことで、戦況が変化し始める。
数に劣りながらも性能に勝ることで持ちこたえていた王国軍側が、徐々に数の不利を覆し始めた。これにより戦況は拮抗から、徐々に王国軍側の有利に変わろうとし始めていた。
もっとも、王国内での戦闘は王宮周辺での攻防戦のみに留まるものではない。反政府系武装組織は、王国内の政治的重要拠点を制圧し支配下に置こうとしていた。これによって王の支配権威に重大な傷を与え、王宮攻略失敗時の籠城戦や交渉に用いることも考えていた。
そのような反政府系武装組織の思惑は勿論王国側も理解している。各地での武力衝突の発生は時間を追うごとに激しさを増していった。
特に、王宮に次ぐ激しい攻防が繰り広げられることとなったのは講堂前広場だ。
先日学生運動が繰り広げられたことからも分かるように、ここはトルバラド王国の人間にとって極めて象徴的な意味合いの強い場所である。そのため、現在王国軍側の拠点として用いられていることも併せて、反政府系武装組織の矛先が向けられることは必然的な事だった。
舗装されたアスファルトは無造作に踏み砕かれた。多くの建物が無惨に破壊された。王国の繁栄を対外的に象徴していたような中央都市の景色を惨憺たる姿に変化させながら、二勢力の戦いは続けられた。
しかし、両軍の無線へと想定外の状況が伝えられた。
「中央都市に未確認のウォーカーが出現した。講堂前広場を目指して進行中。反政府系武装組織のウォーカーに対して攻撃を加えている。目的は不明」
〈コクレア〉に乗り、講堂前広場の王国軍に対して攻撃を行っていた反政府系武装組織に所属するパイロットの一人は半信半疑だった。
「第三勢力だとでも言うのか? しかし、ウォーカー単騎でこの戦いに乱入するなど、そんな馬鹿げたヤツがいる筈――」
彼の思考は驚愕と共に中断された。
鳴り響く接近警報を受け、反射的に振り返ったそこには、見たこともないようなウォーカーの姿があった。
その名は第三世代相当試作型ウォーカー〈スヴァログ〉。
「――敵機発見、全ステータスを戦闘用に移行、排除開始」
操るパイロットは強き意思のもとに戦いに身を投じた少年、シオン。
〈コクレア〉は迎撃行動をとろうとしたが、シオンの反応と判断はそれを上回っていた。振りかぶられていたブーストアックスの加速用ロケットブースターが点火し、次の瞬間には鈍い金属音と共に〈コクレア〉のコックピットが両断された。
ショートした配線が燃料に引火し、切断された〈コクレア〉が爆散する。
反政府系武装組織に混乱と動揺が広がる。
「なんだあの機体は!」
「報告にあった第三勢力か!?」
事前に情報が伝達されていたこともあってか、反政府系武装組織の判断は速かった。
王国軍側の押さえに数機を残し、それ以外が〈スヴァログ〉の迎撃に向かった。
王国軍側のウォーカー部隊は講堂を背にし、縦を構えながら各種の射撃装備で弾幕を張り接近を阻んでいた。
シオンはそれを回避しつつ、最初の攻撃対象として反政府系武装組織を定め攻撃を開始する。
「……邪魔だ。消えろ」
極めて冷静に、そして確実に、シオンは反政府系武装組織のウォーカーに攻撃を仕掛ける。
一番近くにいた〈コクレア〉に対しブーストアックスの刃が襲いかかる。
有史以来進化を続けてきた兵器という人殺しの道具は、その強さを表す一つの尺度として射程というものが用いられてきた。刀から槍に、槍から弓に、弓から鉄砲にと進化を続けてきたその歴史を考えれば、『斧』を模した近接戦闘用装備というのは一見ナンセンスにも感じられるだろう。しかし、堅い装甲を有しながら極めて小回りが利くウォーカーという兵器においては、選択肢の一つとしてとても優れた装備だった。ましてや、その破壊力を極限まで高めたブーストアックスであればその有用性は絶大なものだった。
反政府系武装組織の〈コクレア〉が切断され爆散する。シオンは容赦なく襲いかかる無数の弾丸を、致命傷になる恐れのあるモノだけを的確に回避しながら、次の標的に向かう。
反政府系武装組織は最初の段階で、散会して包囲し射撃攻撃によって〈スヴァログ〉の撃破を試みた。しかし、その判断は結果から言ってしまえば過ちだった。
無数の火線を回避しながら、〈スヴァログ〉は一機の〈コクレア〉に迫る。射撃装備による迎撃が不可能と判断した〈コクレア〉のパイロットは咄嗟の判断で超硬質アックスに持ち変える。〈スヴァログ〉が極めて予測の難しい複雑な乱数移動で攻撃間合いに入る。そして、ある一定の段階から反政府系武装組織の多くのウォーカーは射撃装備が使用できなくなった。
「クソッ、あのままじゃ味方に当たるぞ!」
近接戦闘の間合いは、外から射撃装備による支援を行おうとしたときに同士討ちのリスクが極めて高くなる。敵対者が射撃装備の射線を正確に予測し回避できる技量があるならば、最終的には近接戦闘となる。そして一対複数の筈の戦闘は、一対一の戦闘を複数回というものに変化してしまう。
超硬質アックスの攻撃間合いを既に把握しているシオンは、最小限の動きで支援射撃を難なく回避する。そして、無情なる必殺の一撃を振り下ろす。
それを見せつけられ、散会が失策だったと理解した反政府系武装組織のウォーカーは集合陣形へと移行しようと試みる。
しかし、シミュレーターで一対複数想定の戦闘を多くこなしてきたシオンは、そういった状況の変化が起きることを十分に予測していた。
「今更、やらせはしない」
シオンは、あくまでも各個撃破を目的に行動する。彼は、少し離れた所にいた移動速度の遅いウォーカーに狙いを定める。
背面部に大口径の砲身を装備した、砲撃戦特化型に改修された〈コクレア〉だ。射撃時の安定性を高めるために、他よりも重く設計されているこの機体は頑強な装甲による高い防御能力を誇る。しかしその防御能力と引き替えに、機動性が致命的に劣っていた。装備していた自衛用の二〇ミリサブマシンガン、そして背面部の大口径砲の攻撃がシオンに向けて放たれる。
砲撃戦特化型の〈コクレア〉が機動性に劣り間合いを詰められると危ないことは反政府系武装組織も十分に理解している。そのため一機の通常使用の〈コクレア〉を護衛に付けていた。その〈コクレア〉も、接近する〈スヴァログ〉を迎撃するために武器を構える。
だが、二対一程度で〈コクレア〉が〈スヴァログ〉をくい止めることなど不可能なことである。
シオンはすぐさま、〈スヴァログ〉に搭載された試作装備の一つを起動させる。
「リニアキャタピラ、起動。超電磁加速開始」
〈スヴァログ〉の脚部に折り畳まれていたキャタピラが接地し、電磁加速による高速回転を開始する。
その急激な速度変化に対して、〈コクレア〉のパイロット達は対処出来なかった。
未来位置予測で放たれた大口径砲の弾丸は見当違いの場所に着弾し、サブマシンガンの狙いは定まらない。
〈スヴァログ〉の装備するブーストアックスが、すれ違いざまに振り抜かれた。最早常人の反応速度では回避も防御も間に合わない。砲撃戦特化型と護衛の二機の〈コクレア〉は為す術なく切断され、大量の弾薬を抱えて爆散した。
「……よし、次は――」
シオンは他の反政府系武装組織のウォーカーに攻撃を仕掛けるため、次の標的を探す。
「何だ? 何処に、どうして――」
シオンは一つの違和感に気が付いた。いつの間にか、講堂の門を背にして弾幕を張っていた王国軍の〈ウルス〉の姿が見えなくなっていた。その代わりに、奇妙な物体が地中から出現していた。巨大な砲身のような『ソレ』に、シオンは心当たりがあった。
「あれが、サラの言っていたヤツか」
彼の脳裏には、この作戦のための会議を行ったときのサラの言葉が思い起こされた。
(「講堂前広場の地下、門のすぐ側には王国が反乱分子を排除するための秘密兵器が隠されているわ。講堂前広場でウォーカー同士の戦闘が発生すれば確実に『ソレ』が発動される。もしそうなったら、〈スヴァログ〉の例の装置を最大出力で発動させなさい」……確かにそう言っていた)
出現した『ソレ』の温度が急激に上昇し、通常のビーム兵器を遙かに上回るほどの電磁波の反応が検出された。
そのことを確認したシオンは、一切の躊躇無くリニアキャタピラを起動させた。そして反政府系武装組織のウォーカーを全て無視し、『ソレ』の方へ向けて一直線に移動した。
『ソレ』と〈スヴァログ〉の間には数百メートルの距離がある。しかし〈スヴァログ〉のリニアキャタピラ使用時の最高移動速度は、カタログスペックでは整地で時速一三〇キロを誇る。瞬く間にその距離は詰められるだろう。
しかし、ブーストアックスを振り上げた〈スヴァログ〉が突撃を開始するのとほぼ同じタイミングで、出現した『ソレ』は絶大にして強力無比な攻撃能力を、最大出力で解放した。
講堂前広場に出現した『ソレ』の正体とは、巨大な高出力拡散ビーム砲である。
膨大な量の重金属粒子を、地下に専用に備え付けられた発電器で電磁加速し、広範囲に拡散させて射出する迎撃用兵器。この兵器の恐るべき点は、移動や射角の変更を事実上不可能とする事を代償に、破格の攻撃力を得ているという部分にある。地下から門の正面に出現した高出力拡散ビーム砲は、あくまでも帯電粒子の放出装置に過ぎない。講堂前の広場そのものの地下と、左右に等間隔に配置された壁の中に帯電粒子制御用の金属プレートを埋め込むことで、巨大な『砲身』に変化させているのだ。連続照射可能時間は十秒以上であり、その規格外の攻撃はいかなる頑強な装甲を持ってしても防御不能である。
これを用いれば、拡散し放出される帯電粒子によって、一瞬にして講堂前広場に存在する人間も、車両も、ウォーカーであったとしても、そのすべてを破壊し尽くすことが可能である。
自国民の反乱を警戒し、それらを一斉に迎撃する事を目的として作られたその兵器が、ついに力を解放したのだ。そして触れるもの総てに死をもたらす閃光の砲撃を容赦なく放った。
植えられていた街路樹が一瞬にして蒸発し消滅した。
大半の装飾が瞬く間に溶解した。
砲身の役割をはたす道路が高熱に焼かれ赤く変色する。
この兵器はただ『起動させる』という手続きのみが存在し、『狙い撃つ』という概念が存在しない。
講堂前広場に存在するあらゆる物体が、皆等しく閃光によって焼き砕かれるのだ。
この場所で、つい先ほどまで死闘を演じていた反政府系武装組織の総てが、何が起こったのかを理解するよりも早く絶命した。搭乗していたウォーカーは、原型を留めないほどに破壊し尽くされた。
この空間には一切の生命は存在しなくなり、ひたすらな死と破壊が在った。
ただ一つの例外を除いては。
「――ッ!」
シオンが操る〈スヴァログ〉は、照射される拡散ビームによる一切のダメージを受け付けることなく、純白の装甲を深紅に輝かせながら進んだ。
キャタピラがアスファルトを砕き、〈スヴァログ〉は放たれた矢のように、ただひたすら真っ直ぐに放たれる閃光の中を進み、拡散ビームの発生装置を目指す。そこから放たれる膨大な熱と粒子量を誇る拡散ビームの影響の一切を受けることなく、一直線に駆け抜けた。
振り上げられたブーストアックスの加速用ロケットトブースターが点火する。それと同時にブーストアックスの破壊力を最大化させる為の最後の安全装置が解除される。
「スパイク展開、ロケットブースター最大加速、――終わらせるッ!」
眼前に迫った重金属粒子を放ち続ける拡散ビームの発生装置に向けて、ブーストアックスの持つ破壊的な一撃を振り下ろす。
――鈍い金属音が響き渡った。
それはブーストアックスから展開されたスパイクが、拡散ビームの発生装置を、ただの一撃で貫通し、破壊し、その機能を喪失させ、照射され続けていた拡散ビームの放出を停止させたことを意味していた。
×××
その場所には、撮影用の機材を持った数名が集められていた。
「君達もか?」
「ああ、あのメッセージを受け取って、それでここに来たんだ」
彼等は講堂前広場で暴動があった日にカリムとニコラスが接触したジャーナリスト達の中で、今までに受け取ったメッセージを信じて行動した者達だった。
「……まさか、俺たちハメられたんじゃないだろうな? まとめて全員の口封じをするために」
「あり得ないとは言い切れないが、それにしては回りくどすぎる」
そんな意見が出てきはするものの、これから先に何が起こるのか分からずに不安であるというのは、この場にいる全員に共通していた。しかし、それと同時に、彼等の中にあるジャーナリストとしての本能が、自分達が巨大な事件の生き証人になれる可能性を予感していた。
「何だ!?」
突然、その場にいた全員の携帯端末が電子メールの着信を告げる音を鳴らした。一同は顔を見合わせた後、各々自身が受け取ったメールを確認した。
そこには『地下水道 管理棟 通路』という短い単語と、三桁ごとに区切られた数字の羅列が記載されていた。
それを素直に解釈するのであれば、すぐ目の前にある地下水道の管理棟に入り、そこから地下に下って、そこにある通路を進め、ということになるのだろうか。
彼等はしばらくの間、無言でそのメールを見つめていた。
やがて、誰とも無く口にした。
「行こう」
全員が頷き、そして歩き始めた。少なくとも彼等にとっては、それ以外の選択肢はあり得なかった。
携帯端末の明かりを頼りに暗い地下水道を進むと分岐が出現した。よく見ると分岐には三桁の数字が書かれたプレートが張り付けられている。彼等は無言のまま、メールに記載されていた数字の道を選択し、地下道をさらに奥へと進んでいく。
暗い地下道を歩き続け、現れた階段を登り、扉を開けると光が飛び込んできた。
やがてその光に目が慣れた時、彼等は自分達が何処に導かれたのかを理解した。
「ここは、講堂の目の前か!? 講堂前広場の、あの分厚い門の内側の」
熱風が吹いた。それと同時に金属の焼けたような臭いを感じた。ジャーナリストの中の数人、戦場での取材経験がある者達は、それが高出力のビーム兵器が使われた直後の現象であることを理解した。
門の向こうからは何かが砕け、溶け、破壊される音が断続的に響き続けていた。その僅かな後、一際大きな金属同士の衝突音が響き渡った。
ジャーナリストの一人が講堂の方を見上げながら呟く。
「……今、講堂前広場では戦闘が発生してるんだろ? なら、俺たちがそこじゃなくて、広場じゃなくてさらにその内側、講堂の正面テラスを一番良く写せるこの場所に案内された、その意味は何だ?」
×××
革命武装同胞団からの基地奪還を終えたジュラルドは、指示に従い講堂前広場へと向けて、〈テンペスト〉の飛行能力を用いて一直線に向かっていた。
「あの光は! まさか、あれを使ったというのですか。……ならば、私を呼びつける意味などないでしょうに」
ジュラルドはガダル王から、講堂前広場に備え付けられたビーム兵器について知らされていた。今講堂前広場を包む光がその兵器の発動を示すことも、その中に生存者が存在しないであろうことも容易に想像できた。
――だからこそ驚愕したのだ。
そのビーム砲が何者かの操るウォーカーによって破壊されたということに。
ジュラルドが上空から〈スヴァログ〉の姿を認識したのと同時に、シオンもまた上空に空色のウォーカーが出現したことを察知した。
両者は、本能的にお互いがお互いの倒すべき敵であることを理解した。
「死んでいただきますよ」
ジュラルドがトリガーボタンを引いた。それに連動し〈テンペスト〉の装備するビームバヨネットから帯電粒子の弾丸が放たれた。
確かな狙いによって放たれたその弾丸は、しかし〈スヴァログ〉に命中することなく霧散した。それと同時に〈スヴァログ〉の装甲が、赤い閃光を放ち始める。
〈テンペスト〉の姿を見据えながらシオンが呟く。
「無駄だ、ビーム攻撃は〈スヴァログ〉には届かない」
上空から〈スヴァログ〉を狙うジュラルドは、〈テンペスト〉の右腕に装備したビームバヨネットと左腕に内蔵されたビームマシンガンから、廃熱限界が近づくも、それに構うことなく攻撃を続けた。しかし、総ての攻撃は霧散し、そのたびに〈スヴァログ〉の装甲が赤い輝きを増していく。
「なるほど。あのウォーカー、おそらくは強力な電磁波を放つことでビームの進行方向を歪めているようですね。まだ実戦投入されていない新技術と認識していましたが、どうやら世界は広いようです。ならば、あのビーム砲を難なく攻略できるのも道理だ」
ジュラルドの推測は正しかった。
〈スヴァログ〉に内蔵された、ヴォルク共和国の開発した新技術。機体の周囲に強力な電磁波のフィールドを形成し、ビーム兵器に用いられるあらゆる帯電粒子の進行方向を狂わせることで、それらの完全回避を可能とする『アンチビームフィールド』は確かに効力を発揮していた。その力の絶大さは、拡散ビーム砲の直撃を正面から防ぎきったことからも証明される。
強力な電磁波の発生と無力化したビームが光の屈折に想定外の影響を与えることで機体が謎の赤色発光現象を引き起こしてしまう。また、その電磁波がパイロットに与える影響が未知数である。この二点をクリアできるのであれば、すぐにでも量産し実戦投入することが出来るだろう。
今の〈スヴァログ〉は〈テンペスト〉の繰り出す、あらゆるビーム攻撃を無力化できるという、絶大なアドバンテージを持っている。しかし、それでも尚、シオンは油断しなかった。
「アイツの攻撃が実弾に変わったら、不利になるのは僕の方だ」
シオンの読みは正しかった。ジュラルドは〈テンペスト〉の装備をビームバヨネットからサブマシンガンに持ち替え、〈スヴァログ〉を有効射程に納めるために降下し始めた。それに気が付いたシオンは、素早く次の行動を開始する。
シオンは〈スヴァログ〉のリニアキャタピラを起動。広場と講堂を分断する壁の方に最大速度で向かった。
ジュラルドは〈スヴァログ〉に対して銃口を向ける。
「いったい何をたくらんでいるのです? ……まさか、こちらに!? なるほど、壁をジャンプ台の代わりにして、私に対し空中戦を挑もうというのですか? 面白い」
〈スヴァログ〉が宙を舞った。
上段に構えていたブーストアックスを勢いよく〈テンペスト〉に対して振り下ろす。
「叩き落とす」
「当たりませんよ、そんな攻撃など!」
ジュラルドは咄嗟の判断で方向転換し、振り下ろされたブーストアックスの一撃を回避した。
〈テンペスト〉の飛行ユニットは旋回性がそれほどよくない。だが、ある程度前から攻撃を予測できていれば、それを回避するための方向転換程度は可能だ。
攻撃を空振った〈スヴァログ〉は飛行能力など無く、為す術なく落下を開始する。
「残念でしたね」
余裕の笑みを浮かべるジュラルドだが、シオンはまだ諦めていなかった。
「まだだ」
シオンはブーストアックスの加速用ロケットブースターを全ての残存燃料に接続し最大出力で起動。同時に、〈テンペスト〉の方へと向けて勢いよく放り投げた。
「なんと!?」
ロケットブースターによる加速が行われたブーストアックスが、極めて読みにくい不規則な軌道で〈テンペスト〉めがけて襲いかかる。そうでなくても、急激な方向転換が困難な〈テンペスト〉ではここから如何なる回避行動をとろうとも、直撃を避けるので精一杯だった。
着地した〈スヴァログ〉の光学センサーを上空に向け、シオンは攻撃の成功を確認しようとした。
だが、驚いたことに〈テンペスト〉は健在だった。
「侮らないで頂きたいですね!」
ジュラルドは咄嗟の判断で背面部の飛行ユニットを切り離し降下を開始した。一歩遅れて投擲されたブーストアックスが飛行ユニットを直撃する。残っていた燃料に引火した飛行ユニットがブーストアックスごと爆散する炎を背にしながら、重心移動によって方向転換した〈テンペスト〉は〈スヴァログ〉の方へと向けて降下する。さらにサブマシンガンを装備し、照準が安定しないのを無視しトリガーボタンを引く。
シオンもすぐさまそれに応じる。戦闘中に反政府系武装組織の〈コクレア〉から奪っていた超硬質アックスを装備。乱れ降るサブマシンガンの弾丸を回避し、あるいは防御し、数秒の後に訪れる迎撃の機会を伺う。
〈スヴァログ〉と〈テンペスト〉の姿が、地上で一瞬だけ交錯した。
〈スヴァログ〉の装備する超硬質アックスが横凪に振るわれ、〈テンペスト〉はサブマシンガンを撃ちながら、脚部ローラーをランディングギアにして着陸する。
――ッ!
火花と共に金属音が響き渡った。
〈スヴァログ〉の装備する超硬質アックスは、〈テンペスト〉の装備するサブマシンガンを切り裂いた。そして、その衝撃に耐えられなかった超硬質アックスが根本から真っ二つに折れる。
シオンは使い物にならなくなった超硬質アックスを捨て、即座に〈スヴァログ〉を一八〇度反転させた。
ジュラルドは破壊されたサブマシンガンを捨て、〈テンペスト〉を一八〇度反転させると同時に着地の勢いを殺して停止させた。
「あれが私の敵というわけですか。面白い。楽しい殺し合いが出来そうです」
「あれが僕の敵。サラの計画を邪魔する、僕が倒すべき最後の敵」
〈テンペスト〉に乗るジュラルドと〈スヴァログ〉に乗るシオン。
二人はお互いに、それぞれの倒すべき敵の姿を、正面から見据えた。
「破壊する」
最初に仕掛けたのはシオンの方だった。
シオンは〈スヴァログ〉の右手にサブマシンガン、左手に超硬質ブレードを装備した。そして迷うことなくトリガーボタンを引くと共に、いくつものフェイントを混ぜた複雑な乱数軌道で〈テンペスト〉への距離を詰める。
これに対してジュラルドは後退を選択。弾丸を回避しつつ、講堂前広場の中央から少し外れた、拡散ビーム砲による破壊を免れた場所へと〈テンペスト〉を移動させる。
その姿を追う〈スヴァログ〉のコックピットに、突如として警報が響いた。
「反政府系武装組織の生き残りか」
少し離れた場所で、〈スヴァログ〉の死角となるように左右の壁の陰に隠れていた反政府系武装組織の〈コクレア〉が姿を現し、装備していた一二〇ミリ滑空砲を構えた。
「だけど、遅い」
シオンは自身の集中力を、追いかけていた〈テンペスト〉から一二〇ミリ滑空砲を構える〈コクレア〉の方に移す。〈コクレア〉のパイロットがトリガーボタンを引き、滑空砲から大口径の弾頭が放たれる。しかし、シオンはその時点で、本能とも反射とも呼べる早さで、周辺の地形状況と敵の位置から安全位置の算出を終わらせていた。
シオンは滑空砲を難なく回避する。彼は滑空砲が二射目までの再装填に時間がかかることを知っている。だからこそ十分な余裕を持って、間合いを一気に詰める。
〈コクレア〉のパイロットも滑空砲の生む隙については理解していたのだろう。二発目の弾丸が装填されるまでの無防備な状態を補うため、超硬質ブレードを構えて迎撃の体勢を整える。
だが、この状況はジュラルドが意図して作り出したものだ。
「背中ががら空きですよ」
ジュラルドは無防備な〈スヴァログ〉の背後に向けて、〈テンペスト〉の固定装備である十二.七ミリ胸部内蔵機銃二門を一斉に打ち込んだ。
無論、シオンも〈テンペスト〉が背後からの奇襲を仕掛けてくることは想定していた。
「当たれ」
シオンは一二〇ミリ滑空砲を撃ってきた〈コクレア〉に対して、有効射程に入ると同時に、牽引用アンカーを打ち込んだ。アンカーの先端にある電磁吸着装置が〈コクレア〉の装甲に喰らいつく。それを確認したシオンは、牽引用アンカーを逆回転させ引き寄せた。そして引き寄せた〈コクレア〉を自身の背後に放り投げた。
ジュラルドが驚きの表情を見せる。
彼が撃った十二.七ミリ胸部内蔵機銃二門の曳光弾が示す輝きの先には〈コクレア〉の姿が現れ、弾丸の総てが吸い込まれていった。
断続的な破裂音と金属音が響き渡る。
シオンは追い打ちをかけるように、引き寄せて身代わりに使った〈コクレア〉の背後から、コックピット部分に向けて超硬質ブレードで刺し貫くことで盾として利用した。
パイロットが確実に絶命したことを確信したジュラルドは、尚一層間合いを詰めながら、十二.七ミリ胸部内蔵機銃を撃ち続けた。
「ッ、こいつ」
シオンは舌打ち混じりに、突き刺していた超硬質ブレードを〈コクレア〉から引き抜き後退する。
その直後、〈テンペスト〉の十二.七ミリ胸部内蔵機銃に含まれていた焼夷弾と炸裂弾が〈コクレア〉の装甲を喰い破り、駆動用燃料に引火した。
爆音が響き渡った。
〈コクレア〉は無惨に四散し、黒々とした煙が立ち上る。
その煙の中を貫き、超硬質ブレードを構えた〈テンペスト〉が〈スヴァログ〉に迫る。
「逃がしはしませんよ」
「あのブレード、さっきのヤツから奪ったのか。あの一瞬で」
振り下ろされた〈テンペスト〉のソレを、〈スヴァログ〉も超硬質ブレードで受け止める。シオンは同時にサブマシンガンでの反撃を試みるが、〈テンペスト〉はその攻撃を容易く回避する。そして少し間合いを離してから腕部に内蔵されたビームマシンガンでの攻撃を試みる。
「今更無駄なことを」
シオンはそれに一切怯むこと無く突撃し刃を振り下ろす。
ビームは総て無力化され、〈スヴァログ〉の装甲は赤い煌きを増していく。暴力的ないくつもの攻撃を捌きながらジュラルドは冷静に思考する。
「こんなタイミングでも無力化しますか。自動発動と考えた方が良さそうです」
ビームマシンガンによる攻撃を中断。勢いよく振り下ろされた斬撃を紙一重で冷静に回避し、カウンター気味に超硬質ブレードを振り抜く。刃が〈スヴァログ〉の装甲を僅かに切り裂き火花が散る。ジュラルドは凶悪な笑みを浮かべながら叫んだ。
「さあ、楽しく殺し合おうじゃありませんか!」
ジュラルドは満たされていた。
久しく会うことの出来なかった強敵、ギリギリの領域で命の駆け引きが出来る好敵手、そして自身の命に対する確固たる実感。傭兵として戦場に生きる彼が何よりも強く求めていたモノが、この場所には全て存在した。
そしてジュラルドは確信していた。最後に望むモノ、強敵を打ち倒し得られる至高の喜びが、すぐそこまで近付いていることを。
×××
「廊下に見張りはいない。行くぞ」
サイレンサー付きの拳銃を構えるボリスの言葉を受けて、サラ達は物陰から姿を出し、歩き始めた。
サラの予測が正しいならば、トルバラド王国国王、ガダル=トルバラドはこの場所にいる。だが、そうとは思えないほどに講堂の中には人の姿が見当たらない。
「敵を騙すなら味方から、って言葉もあるわ。本当に信用している人間にしか、彼がここにいるという情報は伝えていないはずよ。ほら」
最上階の中央。外にテラスのあるその部屋の入口には、武装した二人の兵士が見張りとして立っていた。講堂前広場ではウォーカー同士の戦闘が発生しているらしく、破壊音と振動が響き続けていた。
ボリスが拳銃を構える。
「ここから先には一切の失敗が許されない。ワシが二人を仕留めたらカリムとニコラスは武装と服を奪って見張りをしてくれ。中には予定通りワシとサラで入る。サラ、準備はいいか?」
サラは、運び込んできた子供一人が入れるほどの大きさのバッグに入れていた『あるもの』を取り出しながら応じる。
「大丈夫よ。それとカリム、シオンに無線で連絡してもらえるかしら。私が今から決着を付けに行くことを」
「いいのか? 不用意に無線を使えば、俺たちの存在を探知されるリスクもあるぞ」
少し心配そうにそう聞いたカリムに対して、サラは自信を持って回答する。
「今から私がやることを考えれば、そんなリスクなんて些細なものよ。それよりもシオンに伝えてほしいの。あと少しで、私が約束を果たすということを」
×××
「これは、無闇に踏み込めないな」
〈スヴァログ〉と〈テンペスト〉の戦いを離れたところから見つめる王国軍の〈ウルス〉のパイロットはそう呟いた。講堂前広場での戦闘は、高出力拡散ビーム砲の使用で決着が着くものだと彼は考えていた。
「……化け物どもめ。あれが本当に人間の動きだとでも言うのか?」
彼は当初、多数対多数の反政府系武装組織との戦いは互角のまま膠着するだろうと予測していた。そこに、十分敵を引きつけた状態で隠し玉である高出力拡散ビーム砲を打ち込めば、一気に敵を殲滅して講堂前広場を完全に支配し、そこを拠点に都市の各地で敵を撃破すれば、王国軍側が勝利できると考えていた。しかし、彼の予想は想定外の方向に見事に裏切られた。
反政府系武装組織の排除には成功したが、正体不明のウォーカーが出現し、何故か高出力拡散ビーム砲の攻撃を受けても無傷のままこれを破壊。そして、そのウォーカーは空から現れたもう一機のウォーカーと戦闘を繰り広げている。
空から現れたウォーカー、〈テンペスト〉が自分達の味方だということは彼も十分に理解している。だが、まるで命を吹き込まれたかのように動く二機の戦いは、完全に彼の常識の外の世界だった。
『新たな才能』。
ウォーカーの操縦者として軍に身を置く彼も、当然その言葉を聞いたことはある。
だが、そんな物は単なる絵空事か、そうでなくても概念上の存在に過ぎないと考えていた。
補助プログラムによる動作の発生タイミングとその内容を予測し、事前の動作から次の動作を完璧な再度で把握する洞察力。
手元に伝わる僅かな振動や限定された視覚情報から、現在の機体状況を推察し視覚情報とは別に周辺状況を俯瞰的にシミュレートする空間把握能力。
理論や知識ではなく感覚によって『ウォーカー』というマシーンの持つ本質を正しく理解し、設計者の意図から外れた潜在能力までも引き出すことが出来る操縦技能。
彼はそういったモノは非科学的な迷信だと、今に至るまで考えていた。
しかし、二機の戦闘を見せつけられた彼は思う。
(ウォーカーの操縦に特化するという『新たな才能』。それが実在すると考える方が、あの戦いをよほど合理的に説明できる。……だとすれば、俺が関わるべきではない、か)
彼は自身が傍観者になることを選んだ。
兵士の役目を放棄してもなお、そうすることが人としての正しい選択であるかのように感じていた。
×××
講堂前広場では〈スヴァログ〉と〈テンペスト〉による一進一退の攻防が繰り広げられていた。
(――僕が時間を稼ぎさえすれば、サラは必ずやり遂げる。今よりもマシな世界は絶対にやってくる。あるべき正しい世界は必ず訪れる。だから今は、一秒でも長く時間を稼ぐ)
シオンはヘッドセットディスプレイに映し出される〈テンペスト〉の姿を睨む。
生身であろうと、ウォーカーに乗ろうと、シオンが得意とする戦闘スタイルは変わらない。
ブレードで切り込む、後退する敵に対して弾丸を浴びせ、それで仕留め切れなければ瞬発力で一気に間合いを詰めて切り込む。
中、近距離で常に攻撃を加え続け、反撃を許さずに素早く殺す。
そんなシオンだが、〈テンペスト〉に対してはただの一度たりとも致命傷を与えることが出来ない。それどころか〈テンペスト〉の放つ鋭く的確な攻撃は確実にシオンの体力を奪い、無理な回避運動を強要される〈スヴァログ〉に小さなダメージを蓄積させ続けた。
「落ちろ、いい加減に」
〈スヴァログ〉の構えるサブマシンガンに対し、〈テンペスト〉は乱数軌道で射線を避けながら後退する。シオンは〈テンペスト〉の動きを制限するためにサブマシンガンを撃ちながら、脚部のリニアキャタピラを起動させ一気に間合いを詰めようと試みる。
電磁加速されたキャタピラが高速で回転し、あらゆる地形を高速で移動する。それにより一瞬にして〈テンペスト〉に対して間合いを詰め、本命である超硬質ブレードによる刺突を行う。
――筈だった。
「ッ!?」
電磁加速されたキャタピラが接地した直後、片方の履帯が破断した。
キャタピラの走破性を確立するための無限軌道が、蓄積した疲労によって自壊を起こし、一瞬にしてその機能が失われる。
〈スヴァログ〉がバランスを崩した。
無論、シオンの操縦技能によってそれは一瞬にしてリカバリーされた。しかし、〈ジュラルド〉はその一瞬を見逃さない。〈テンペスト〉の装備する超硬質ブレードが煌めく。
〈スヴァログ〉の装備するサブマシンガンの残弾が尽きたことが、シオンのヘッドセットディスプレイに映し出される。予備弾倉はもうない。振り下ろされたスヴァログの超硬質ブレードに対し、シオンはサブマシンガンを振ってその銃身で攻撃を受け止める。
響く衝突音。
斬撃の軌道が逸れ、サブマシンガンの銃身が折れ曲がる。
(……このままだと殺しきれない、もしかしたら僕の方が先に死ぬかもしれない。サラ達からの連絡もまだ無い。……少しでも長く、時間を稼がないと)
〈スヴァログ〉と〈テンペスト〉は、どちらも試験的な最先端技術を用いて作られた機体である。総合値で判断すれば優劣を決めることは極めて難しい。
だが、開発国の豊かさ故の品質的な優位性や、安定性の高さという点においては〈テンペスト〉の方が優れていると言わざるを得ないだろう。
二十歳を過ぎた成人男性であるジュラルドと十代の孤児のシオンの間には、人生経験の長さによる知識の蓄積量の差がある。そして、それはそのまま判断力の正確性に明確な差異を生じさせる。
確かにこの二人は、ウォーカーという兵器の登場によって見いだされた『新たな才能』の持ち主かもしれない。だが、小さな差異の積み重ねにより、ジュラルドと〈テンペスト〉は僅かでありながらも確実な優位性を確保していた。
不利を感じたシオンが次に無意識のうちに選んだ行動は後退だった。しかし、ジュラルドはそれを的確に予測していた。
近接攻撃の間合いを離れた〈スヴァログ〉に対し、ジュラルドはその僅かに生じた攻撃の好機を見逃さなかった。
「愚かな選択をしましたね!」
ジュラルドの操る〈テンペスト〉が、装備する超硬質ブレードを投擲した。
その鋭さと純粋な質量を最大の武器とする超硬質ブレードが一直線に〈スヴァログ〉を狙って放たれる。
シオンの回避動作は間に合わなかった。
飛来した鋼鉄の刃が、〈スヴァログ〉の頭部にあるモノアイ型複合光学センサーをバイザーの上から貫く。
「――ッ」
コックピット内のシオンにも衝撃と破壊音が伝わる。ヘッドセットディスプレイが暗転し、一瞬にして視界が奪われた。
検知された無数のエラーと〈テンペスト〉の接近に伴い、いくつもの警告音が同時に鳴り響いた。千切れた配線が火花を放ち、歪んだ装甲が苦しげに軋む。
唐突に襲う想定外の事態は、僅かではあるがシオンの思考に空白を作り出し、その僅かな隙はウォーカーというマシーンの操縦においては致命傷を意味する。
超硬質ブレードの衝突で生じた衝撃をオートバランサーが殺しきれず、本来行うべきマニュアル操作による姿勢制御のタイミングが一歩遅れたことにより、〈スヴァログ〉の巨体は転倒。背面部を建物に打ち付け崩れ落ちる。
「――ッ!?」
コックピットやシートが殺しきれなかった衝撃が、容赦なくシオンのことを背後から殴打する。肺の中の空気が暴力的に奪われ視界が明滅すると同時に、酸素を奪われた脳が意識を朦朧とさせ思考力を奪っていく。
シオンに与えられた、講堂前広場からの脅威の排除とは、サラ達が事を終わらせるまでの間の不確定要素の排除を意味する。今この場にいる唯一にして最大の脅威である、ジュラルドの操る〈スヴァログ〉を一秒でも長く留まらせる事が出来たのなら、それはシオンにとっての勝利を意味する。
シオンは暗転したヘッドセットディスプレイの先に、今まさに自分を殺そうとしている〈テンペスト〉の姿を幻視していた。
(……サラは必ず約束を果たす。この世界を、今よりも少しはマシなものに変えてくれる。僕は、その願いのために命を使うと決めた。僕自身の命が、無意味でなかったことの証のために。僕がどんなに頑張ってもたどり着けない大きな力にもサラなら必ずたどり着ける。僕が託した願いを、サラは必ず叶えてくれる)
――自分は生きて帰ることはない。
シオンは次第にそんな確信にも似た予感が広がり始めていた。すると、同時に彼の脳裏にはかつての記憶が蘇り始めた。
それは、最初にサラと出会った日の記憶だ。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
貧民街の片隅にある路地裏で、角材を手にしたシオンは肩で息をしながら、目の前の二人を見比べていた。
一人は、拳ほどの大きさの石を持った少女。
もう一人は、血を流して地に伏した男。
そんなシオンと視線を合わせながら、少女は手にしていた石を捨てて言った。
「ありがとう、と言うべきかしら。おかげで今夜の食事を取り返すことが出来るわ。でも、どうして助けてくれたの?」
「……君の方が正しい。僕がそう思ったから」
シオンのそんな答えを聞いた少女の表情が、僅かに緩んだ。
「正しい、か。……ふふ、貴方、中々面白いことを言うのね」
少女はそう言いながら、男から奪い返したパンを半分に千切った。そして、それをシオンに手渡した。
「受け取りなさい。奪い返せたのは貴方のおかげよ」
シオンは少女からパンを受け取り、そして口に詰め込んだ。シオンと少女は互いを観察しながら無言で半分のパンを食べる。食べ終えた後、先に口を開いたのはシオンの方だった。
「……君、変わってるね」
シオンにとって変わっていたのは、少女の言動だけではなかった。
細かな細工が施された髪飾り。それによって纏められた金色の長髪。身につけている服は元の色が分からないほどに汚れ、あちこちが擦り切れてはいるが、明らかにこのあたりの地域とは不釣り合いな、高級で上品な仕立てだ。色白で綺麗な肌からは、人生の多くを室内で過ごしていたことを容易に想像する事が出来た。
それらは少なくとも、浮浪者とその日の糧を奪い合うような人間の身なりではない。だからこそシオンは警戒していた。しかし一方で、本能的にこの少女を『悪』ではないと判断した。
少女はしばらくの沈黙の後、シオンに向けて話しかけてきた。
「私は、私自身の復讐のために、兄さんを殺さなくてはいけないの。だけど、残念ながら今の私は弱いから、絶対に上手くいかないわ。……ねえ、貴方はこの世界を、もう少しだけマシなものにしてみたいと思わない? 今よりも少しだけマシな世界に。私にはそれが出来るわ。貴方が協力してくれるなら。……貴方、名前はなんて言うの?」
「……名前は……シオン。……でも、信じていいの? もし本当にそんなことが出来るなら、僕達は君に協力する。だけど……」
「ええ、信じていいわ。……そういえば、私の自己紹介がまだだったわね。私の名前はサウラム=トルバラド。紛れもないトルバラド王国王位継承権の持ち主よ。でも、私が生きていることは秘密にしておきたいから、サラって呼んでくれると嬉しいわ」
(……そして、僕はサラの手を握り返したんだ。あの瞬間に全てが決まったんだ。僕達の、僕の進むべき道が。王国軍の奇襲で出来た隙をついてあの兵舎から抜け出した僕達は、しばらくの間、生きるためだけに生きてきた。途中で死んだヤツもいれば、家に帰れたり、誰かに引き取られたヤツもいた。そして、最後まで残った僕達は、あの日初めて生きる理由を見つけたんだ。サラに協力して、サラの力でこの国を今よりもマシにするって)
サラの復讐に協力することは、シオン自身が定義するところの『正しい』選択だった。多くの少年兵達と共に兵舎を抜け出したあの日の決断が、確かに正しい道だったと証明し、自身の存在意義をこの世界に見いだせる唯一の道だと考えていた。
(……サラがそこに行けたのなら、もし僕がここで死んだとしても大丈夫だ。後は一秒でも長くあのウォーカーを引きつける。一機のウォーカーとしては十分すぎるぐらいの役割を果たし終えたはずだ。相打ちになれればもっといい、かな……)
――その結果として自分の命を失うことになったとしても構わない。
彼自身は、全くの無自覚なのかもしれない。だが、少年兵という『道具』として幼年期を育てられたシオンは、本人の意思とは無関係に、自身の利害や損得を無視して与えられた命令を遂行することに最適化した人格が形成されていた。
そこに、歪んでいると言っていいような価値観が作り上げられ組み合わさったことによって、彼は自身の理想を叶えてくれるであろうサラに対して全てを差し出すことに躊躇いがなくなっていた。
故にシオンは戦う。
命を捨ててでもサラを守り、サラに降りかかる傷害を暴力で排除せよという、他ならぬサラ自身の命令を遂行するために。
不意に通信機がノイズ混じりの音を鳴らした。
「……こちらK……現在講堂内……Sがあと少しで目的を果たす……それまで持ちこたえてくれ……交信終わり」