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第四章 革命前夜祭

第四章 革命前夜祭


 金曜日の放課後。シオンは中央都市の講堂前広場に来ていた。

 正面には講堂の入口の門があり、その左右数百メートルを、等間隔に配置された分厚い壁と街路樹によって仕切られたそここそが『講堂前広場』と呼ばれる場所だ。幅も相当な広さがあり、この場所で行われるウォーカー部隊と戦車部隊による軍事パレードは圧巻と言えるものだ。

 現在講堂の中に通じる門は固く閉ざされており、その高さや頑強さもあって講堂そのものの中に入ることは不可能だった。

 講堂前広場は学生を中心としたグループにより占拠されている。

 この場所を支配するのは異様な熱気だ。

 広場の周囲は椅子や机によって作られたバリケードで封鎖されている。広場にはいくつものテントが張られている。また、一目で盗品と分かるような車も何台か止められている。

 車だけではない。数台の作業用ウォーカー〈トロル〉までもが、鉄パイプ等で武装し周囲を警戒していた。

 広場の中央では学生による野外コンサートが開かれていた。精一杯に声を張り上げる歌い声と、力の限りに打ち鳴らされる楽器、そしてそれを包み込む観衆の熱狂が、日の落ち始めた講堂前広場を支配していた。

 シオンはどこか落ち着かないまま、講堂前の広場に集まる学生達を見ていた。普段なら、これだけ大人数の同年代の人間を目にすることは無い。それに加え、特に娯楽に対する興味の薄いシオンは、これほど多くの人間が浮かれ騒ぐ空気に慣れていなかった。

 ……いや、シオンだけではない。この国の全ての若者、この広場にいる全員が、この言いしれない熱狂に対する免疫を持っていなかった。外国の娯楽はその多くが遮断され、あるいは娯楽を享受するほどの余裕のある生活を送れないこの国では、この広場での熱狂は未知の世界の出来事だった。

 広場の中央で音楽を披露する者。テントの中で休む者。旗や横断幕を掲げながら主義主張を表現する者。角材や鉄パイプ等の武器を手にしながら周囲を見張る者。その多くが若い、シオンと同年代の少年少女だ。ふと、シオンは広場の人混みの中から、自分に対して手を振る少女を見つけた。

(……あれは、エリサか)

 自分の方に向かって笑顔のまま近付いてくる少女に対して、シオンは手を振り返すことで応じた。

「ありがとうね、シオン君。もし来てくれなかったらどうしようかと思ってたけど、でもよかった」

「まあ、どんな風になってるかは気になってたし」

「すごいでしょ? 私達にだって力があるんだって、改めて分かるよ。私達は今晩から国王に対する請願活動を開始するわ。今回の私達の要求はただ一点。講堂につながる門を開き、そして、講堂内での私達の発言を国内のテレビで放送せよ、というものよ」

 シオンは、視線を講堂前広場の巨大な門に向けた。

 講堂前広場には誰でも来ることが出来る。しかし、講堂そのものは、周囲を高く分厚い壁で囲まれており、その門は閉ざされている。

 国王からの重大発表、国王によって選出された議員や有力貴族を参謀として招き行われる会議などには、この講堂が使われる。そのため、この場所は王宮に次ぐ、或いは同等の権力の象徴と言えた。

 だからこそ、そこで発言し、それを全国民に届けよというのは、とても大きな象徴的意味合いを持つ。即ち、王族や議会、そして一部の貴族のみに認められた特権を、ただの市民に認めろということなのだ。

「私も、無謀だって事ぐらい分かっているわ。たぶんそれは、このデモを企画したリーダーのアレンさんも同じだと思う。だけど、そうやって何もしないでいたら、それこそこの国の状況は変わらない。その無謀を誰かがやらなくちゃいけないし、それは、私達みたいな若い世代じゃなきゃいけないのよ」

 エリサの言葉に対してシオンは小さく「……そうだね」とだけ応じた。

「それからね、会長はアレンさんと少し繋がりがあってね、それでうちの学校のことを伝えたら、アレンさんはシオン君について興味があるらしいの。よければシオン君と話をしたいらしくて、よければ、もう少しでいいから残っててくれると嬉しいんだけど」

 シオンは無言で頷いた。

 対するエリサは嬉しそうな、そしてどこかホッとしたような表情を見せた。

「ついて来て、会長たちが待ってるから」

 そう言って広場の人混みを進むエリサに、シオンは黙ってついて行く。

 この場所にいるほとんどが学生と思われる少年少女だ。しかし、大人と言えるような年齢の人間の確かにいる。もっとも、それ自体は何ら不自然なことではない。アレンという男の主催したこの集会は、中心となっているのが若者というだけで、参加する人間に年齢の制限は設けられていない。

 バリケードの近くで一際大きな歓声が上がった。文字の書かれた旗を掲げた高い年齢層の強面の一団が入場し、それの歓迎が行われているようだった。

 学生達に占拠された講堂前広場の端の方にビニールシートが敷かれ、いくつものテントが建つ場所がある。エリサに案内されその場所にたどり着いたシオンは、第三高校の生徒会メンバーが、会長であるグレースを含め全員集合しているのを確認した。

 他校の学生グループと談笑していたグレース会長は、それを切り上げシオンとエリサの方にやってきた。

「……さてシオン君。早速だけど会って欲しい人がいるの。私達の高校に面白い生徒がいるという話を兄にしたところ、その繋がりでね。是非貴方と話がしてみたいとおっしゃっていたそうよ」

 そう言いながらグレースは、視線を人混みの方に向けた。シオンも彼女と同じ方に視線を移す。その先には、周囲の学生にねぎらいの声をかけながら近づいてくる男の姿があった。二人のところへと歩いてきたその男は言った。

「やあ、グレース。今日は来てくれてありがとう。隣の彼が君の言っていた噂の転校生かい?」

「お疲れさまですわ、アレンさん。はい、彼がシオン君ですわ」

 エリサの言葉を受けたアレンは、笑顔を浮かべながらシオンの方を向いた。

「君達の話はグレースから聞いているよ。初めましてシオン君。僕の名はアレン。今回の集会を計画した、まあ、責任者みたいなものかな」

「初めまして。噂は前から聞いています」

「それは嬉しい限りだ。こういった活動を押し進めていく以上、私たちのような層の言葉というのは直に聞いておかなくてはと思っていてね。グレースの話を聞いて是非一度会ってみたいと思っていたんだ」

 少し報道の印象とは違うな、というのがシオンの最初に抱いた感想だった。各種マスコミからは『言葉巧みに若者を学生運動に駆り立てた革命家』というように報道されていた。しかし実際に会ってみれば、想像以上にまっとうな好青年だったのだ。

「別に話をするのはいいですけど、いったい何を聞きたいんですか?」

「私が知りたいのは昔や今の生活そのものではなく、いったい何を考えて生きているのか、ということでね。率直に言って、君は今のこの国をどう思っているんだい?」

「いきなり難しいことを聞くんですね。どう、って言われても特に思うところは無い」

「この国の貧困の最たる原因は、王に富と権力が集約されているからだ。だからこそ、それを正しく国民に分配すれば貧困に苦しむことはない。そうは思わないかい? それに加え、今のこの国のシステムでは貧しい家庭に生まれればそこから先は永遠に貧しいままだ。チャンスとは、全ての国民に平等に与えられるべきだ。それが、国の正しいあり方だとは考えないかね?」

 シオンに問いを投げるアレンの声と瞳は、まさに善人のそれだった。純粋に理想を信じ、この国を良い方向に変えられると考えていることが分かった。だからこそ、シオンは率直に答えるべきだと感じ、そして実行する。

「それはそうかもしれない。けど、多分難しいと思う。生まれの環境も持って生まれる才能も、誰だって違う。だからこそ平等なんて無理だ。……結局は運だと思う。誰もが同じなんて絶対に無理だから、不平等で、不運で、不幸で、上手くは言えないけど、それで良いんだと思う」

「なるほど。そういった考え方もあるのか。だが、この国のシステムについてはどう思う? 世界を見渡せば、今時中央集権的な絶対王政を採用している先進国など僅かだ。時代遅れで非合理的なシステムだとは思わないかね?」

「……政治とか、他の国とか、そこは、正直よく分からない。けど、僕達はこのトルバラド王国に生まれた国民だから、他がどうなっていようと従うべきだと思う。そこを変えられるのは、それこそ、この国では王様だ。そこに不満があれば他の国で暮らすしかないと思う」

「情報は遮断され、教育は受けられず、娯楽に乏しい。シオン君、君はこの状況を、それでも尚肯定するのかね?」

 シオンは、エリサを含めた生徒会のメンバーやクラスメイト、あるいはこのアレンという青年から受けた違和感の正体について、何となく理解出来た。この場所にいる学生達は、シオン達とは生活様式が根本的に違う。だから、その先にある思考や価値観があまりにも違うのだ。

 確かにシオンは、このアレンという男の話している言葉を聞いて理解することは出来る。しかし、その奥にある根本的な価値観を共有できていない。

 一方は、ただ生きているだけでも幸せだと感じられる者。もう一方は、生きて何かの使命を果たさねば人生が無意味になると考える者。その二者の間では、全ての価値観を共有することは出来ない。

「不満はある。けど、不満の解消を外に求めるだけってのには納得出来ない。少なくとも僕は、現状で楽しく忙しく生きてるから。……それと、僕からも一つ質問していいですか?」

「なんだい? 答えられる質問には極力答えたい」

「非常事態宣言が出された以上、国が武力を使ってこの集会を止めにくるとは考えないんですか? 警察だけじゃない。軍が出動して、暴力で阻止してくる可能性は十分にある」

 少なくとも非常事態宣言による警告は行われている。その為、万が一軍がそうした行動に出たとしても、一応の正当性は確保することが出来ている。ならば、軍が行動を起こさない保証など何処にもない。

 しかしアレンは、どこか自信に満ちたかのような余裕のある表情を見せていた。

「もちろん用心はしている。バリケードを作り、催涙ガス対策のマスクを配り、ヘルメットの持参を呼びかけ、角材と鉄パイプ、そして火炎瓶の武装を揃え、さらには車やウォーカーも用意した。投擲用の石の準備も進めている。これだけの戦力を相手にすれば簡単に手出しは出来ないはずだ。それに、軍は国を守るためにいる。自国民に本気で銃を向けるはずがない。たとえ王政であったとしても、国民感情を逆撫でするような致命的な事態を引き起こせば、自分たちもただではすまないということは理解しているはずだ。だからこそ、俺達の側に死者が出ることはあり得ない」

 強い自信に満ちた表情でそう話したアレンは、シオンに別れを告げると再び広場の人混みの中に戻っていった。エリサ以外の生徒会メンバーもアレンの後について行った。

 残されたシオンとエリサは、その後ろ姿を見送っていた。

「ねえシオン君。シオン君はこの後どうするの?」

「……帰るよ。僕にはもう、この場所に残る意味がない」

「この国が変わる瞬間に立ち会えるかもしれないんだよ?」

 もしこの学生運動を、講堂前広場を受けて国王側が何らかの対話の姿勢を見せれば、それは確かに『この国が変わる瞬間』といえるかもしれない。それが国家体制の変更まで行くのであれば、無血革命の成功とも言えるだろう。

 『それ故に』シオンはこの講堂前広場の占拠が、何らかの対話の切っ掛けを引き出すことなどあり得ないと考えていた。冷静になって理屈で考えれば、当然その結論にたどり着くはずだった。だが、ここに集まっている、エリサを含めた多くの学生は冷静さを欠いていた。そしてシオンは何かの危険が迫っていることを本能的に理解していた。

「――エリサ、ごめん」

 シオンは唐突にそう切り出した。

「いきなりどうしたの? シオン君」

 エリサは、何故いきなりシオンに謝られたのか分からず、怪訝な表情のままシオンの顔を伺う。元々シオンの表情は何を考えているのか分かりにくいと感じていたエリサだが、今のシオンの表情からはどんな感情も見つけることが出来なかった。

「今までみんなのことを騙していた。多分会うのは今日が最後だと思う」

「シオン君、いったい何を――」

 シオンの声は決して大きくない。意識しなければ周囲の喧騒によって簡単にかき消されてしまいそうだった。実際、行き交う人々は誰一人としてシオンの言葉を気にする気配もなかった。だがエリサの耳には、彼の言葉だけが反響していた、

「今学生運動がどうなっているか、まとめているのがどんな人間か、背後にいる組織、その意図を調べておく必要があった。大規模デモが発生するタイミングと、王国側がそれに対してどう対処するか、その後で何が起きるのか。それらをなるべく早い段階で、正確に予測する必要があった」

 エリサにはシオンが何を言っているのか、何を言おうとしているのか理解できなかった。ただし、シオン自身にも何か特別な意図があるわけではない。

 シオンはただ、そうすることが『正しいこと』だと感じていた。多少の世話になった人間に対しては、別れの理由を自分なりに説明する必要があると感じていた。

「生徒会が学生運動に参加していることは分かっていた。第三高校に来たのは、そこに接触して内情を探るのが目的だったから、声をかけてくれたのは正直言って助かった」

 エリサはシオンに対して何か言葉をかけようとしたが、いったい何を言えばいいのか分からなくなっていた。せめて手を伸ばそうとしたが、それすらも出来なかった。

 今目の前に見えているはずのシオンが、なのに何故か遠くにいるようにすら感じられた。

 シオンはエリサに背を向け歩き始めた。

 ふと、数歩進んだところでシオンが足を止めて振り向いた。そして、一人唖然としたまま立ち尽くしていたエリサに向けて言った。

「エリサ。これから先は、何が起きても不思議じゃない。もしそうなったら、自分が正しいと思うことをすればいいと思う。少なくとも僕は、今までそうやってきた。」


×××


「これで仕掛けは全部か。手間取るかと思ったが、騒ぎが大きいおかげで怪しまれずにすんだ。……なあカリム。ここに来てるんだよな、シオン」

「……そういうことになるな、ニコラス」

「つくずくこの大騒ぎの中に、アイツの顔があるところが想像できねーぜ。それに休日開けの広場の清掃、確か俺らじゃなかったか?」

「……清掃や点検は大体お前の担当だろ。やるとすれば俺じゃない。……最も、休日開けにこの集会が無事に解散していれば、だが」

 本日の仕事を終え年少組を送り届けたニコラスとカリムは、そのまま講堂前広場に来ていた。この場所でなにが起きているのか、それを実際に自分の目で確かめておきたかったというのもある。だが、第一の目的はサラからの頼みだ。その依頼を果たすために、学生達から少し離れたところにいた一団の方へと向かった。

 二人に気付いた一団は、流暢なトルバラド王国の公用語で話しかけてきた。この一団が外国に行き慣れており、その上トルバラド王国に何度も足を運んでいるだろうということについては、ニコラスもカリムもこの時点で察していた。

「やあ、こんにちは。少しお話を聞かせてもらってもいいかな?」

 彼の発言はニコラスに対して向けられていた。ニコラスは少々大袈裟な、驚いたような表情を見せた後にフランクな口調で応じた。

「ウッス、いいッスよ。あんまり見ない顔ッスけど、おじさん達は?」

 カリムは状況の推移を見守り、同時に周囲を観察した。幸いなことに、相手は話をすることに夢中のようで、ニコラスの軽い態度は気にしていないようだ。

「おじさん達は外の国のカメラマンなんだ。この国に入るのは中々難しいんだけど、どうにか知り合いの紹介で入れたんだ。カメラマンだけじゃなくて、テレビ局の人間もいるぞ」

 その言葉を受け、小型の映像機器を持った一人が話す。

「何かデカい事件が起こりそうな気がしてね。会社を無理矢理説得して最低限の機材を持ち出してきたんだ。何しろこの国の状況は外には殆ど伝わっていない。映像が撮れればかなりの価値だよ。ただ、状況によっては映像を外に持ち出すのはかなり難しくなるだろうから、最悪の場合は命がけだね」

 サラからの依頼はマスコミ関係者と接触する事だった。これはボリスに相談していないサラの独断だが、それは大した問題ではない。サラが要求していたのは「国外の気合いの入ってそうなマスコミ」との事であり、彼等は十分それに合致する。

 ニコラスは小さく「……よし」と呟く。ニコラスのそれを逃すことなく聞き取り意図を理解したカリムは口を開いた。

「外国人のカメラマンさん達ですか。分かりました。俺達でよければ力になりますよ。とりあえず、連絡先を交換しておきませんか? 何か提供出来る情報があった時は連絡します」

 その言葉を受け、この場にいた全員の外国人ジャーナリスト達は二人との連絡先の交換を行った。

 用を終えたカリムとニコラスは別れを告げてその場を立ち去り、ジャーナリスト達も取材を再会した。

 講堂前広場の喧騒は、時間を追うごとによりいっそう巨大なものとなり、日が落ちても静まることはなかった。

 ジャーナリストの男の一人は、講堂前広場の片隅に立ち少し休んでいた。腕時計が指し示す時刻は午前零時を回ったころだったが、講堂前広場の熱気が収まる気配はまったく無かった。

 彼はこの日、カメラのファインダー越しに広場の様子を見てきた。そして、大声で歌い、踊り、そして各々に主義を叫ぶ若者達の様子をカメラに記録した。

「政治的主張っていうよりは、日頃の鬱憤を晴らしたいだけにも見えるな。それも無理無い気はするだろうけど」

 何人かと話して得られた言葉と、今に至るまでの広場の様子から、彼はそのように結論づけた。

 学生達の語る主義主張は、どれも皆、判で押したような型通りのモノばかりだった。一部には信念を持って熱く語る者もいたが、それは本当にごく一部の、限られた少数のみだった。

 海外からの情報は遮断され、国内ですらも統制されているこの国では、若者達の娯楽と呼べる物が極端に少ない。そんな中で得られた僅かな『外』の情報に、遊び盛りの若者達は心を躍らせるだろうという事は想像に難くない。そんなどうしようもない閉塞感の中で、それが打ち破られることを切望したのだろう。

「その結果としての講堂前広場占拠、か。誰かが裏で糸を引いているのは確実だが、つくづく若者のパワーはすごいものだ」

 この講堂前広場占拠がどんな結末を迎えるにせよ、そして裏に誰のどんな思惑があるにせよ、今日という日がトルバラド王国にとって重要な日になるに違いない。この男のジャーナリストとしての直感はそう告げていた。

「……ん? 誰だ、こんな時間に」

 不意に携帯端末の着信音が鳴った。表示されているのは見慣れない電話番号だったが、それが誰のモノであるか、すぐに思い出した。

「……夕方に会った、あの二人組の少年か。いったい何があったんだ?」

 電話に出ようとして、そして本能的に一瞬躊躇した。

 彼等は、『何か提供出来る情報があった時』連絡すると言っていた。非常事態宣言が出された今、彼等から提供されるべき情報とは何か?

 彼の脳裏には最悪のシナリオが浮かんだ。しかし、ここまで来た以上、引き返すことはしたくなかった。好奇心と使命感に突き動かされるまま、彼は電話に出た。

 そこから聞こえてきたのは、まだ何処かに幼さの残る、しかし確かな芯の強さを感じさせる少女の声だった。

「電話に出てくれてありがとう。私の正体、目的を明かしている時間はないわ。だから私は情報を一方的に伝える。軍は今夜、間違いなく攻撃を行うわ。すでに戦車や輸送車、それに武装したウォーカーが講堂前広場に向かっている。私の言葉を信じ、命を大切に思うのなら、今すぐその場から逃げなさい。もし貴方が生き延びたなら、歴史に名を残せるようなスクープ映像を撮るチャンスをあげるわ」


×××


 とっくに日付は変わり、既に多くの国民は眠りについていた。しかし、そんな真夜中であるにも関わらず、講堂前広場は学生達の熱気に包まれていた。そんな中、見張りの一人が声を上げた。

「軍が来たぞ!」

 講堂前広場にいた全員へ、瞬く間にして緊張が走る。

 車のエンジン音やキャタピラの音、或いはウォーカーの歩行音は確かに近付いていた。それらは、見張りの言葉が嘘ではないことを、確証を持って広場にいる全員へと伝えた。一部には動揺が広がり、次第にザワツキが大きくなっていく。そんな中、この集会の主催者であるアレンは声を上げた。

「みんな落ち着いてくれ。軍が来ることは最初から想定していただろ? 予定通り持ち場に着け! 武器とマスクを確認! バリケードを封鎖!」

 その言葉を合図にして全員が動き始めた。

 ある者はバリケードの封鎖と強化に向かった。ある者は火炎瓶や手投げ爆弾の用意を始めた。ある者は車に乗り込み、またある者はウォーカーに乗り込む。鉄パイプや角材で武装した過激派達は前進する。拡声器を持って前に出る者がいる。手頃な石を拾い集め、攻撃の準備をする者がいる。ライブは中断され、その声は接近する軍に対する罵声に変化する。

 この場にいる誰もが、思い描いていた自分たちの戦いに備え、或いは戦いを開始したのだ。

 バリケードまであと数十メートルの所で、軍の装甲車と戦車、そしてウォーカーは停止した。そして装甲車の中からは、銃火器で武装し盾を構えた兵士達が降りてきた。この部隊の現場指揮官と思われる人物が拡声器を使って呼びかける。

「直ちに解散しなさい。現在この国は非常事態宣言によって、夜間外出及び集会は、禁止されている。我々はこれに対し、武力を持って排除することも許されている。直ちに解散しなさい。今解散するならば、我々は決して手出ししないことを約束しよう。繰り返す。直ちに解散しなさい。現在この国は――」

 軍は、その言葉が嘘ではないことを示すかのように、今は誰も銃口を学生達に向けることは無かった。

 だが対する学生達は、その興奮を次第に高めていく。誰もが大声で叫び、或いは罵倒し、嘲笑し、中傷する。

 以前にも、デモの鎮圧に軍が出動した事があった。そして、その時も軍は武力を用いることはなかった。その経験があるからこそ、学生達は軍が武力行使に出ることはないと確信していた。

 学生達の行動は、次第にエスカレートしていった。

 最初に、誰か一人が石を投げた。

 それが装甲車に当たる音が響いた。

 それを合図に次々と投石が行われた。大小多くの石が地面を打ち、時には戦車や装甲車、兵士達の盾に当たる。しかし、それでも軍は一歩も引かず、拡声器による呼びかけを続けた。

 学生達の中にいた、過激派グループの一人が火炎瓶を手に取った。空き瓶の中に可燃性の液体燃料が注がれ、栓として詰められた布に火を灯された簡易式の焼夷弾であるそれは、力強く投げ込まれた。落下し瓶が割れ、液体燃料へと着火すると同時に、勢いよく燃え広がる。

 学生達の中から雄叫びがあがった。

 投石と、火炎瓶による攻撃が、より一層激しさを増した。

 夜の講堂に現れた、紅く燃える光と、炎によって揺らめく陰は、一層の興奮を高めていった。

 火炎瓶が、兵士に命中した。

 急いで消化と救助を行おうとしたことにより、軍の隊列が徐々に乱れ始める。

 マスクを着け、武器を持ち、スクラムを組んだ学生達は、手製のバリケードの最前列でひたすらに威嚇と挑発を繰り返す。

 ――突如、一発の銃声が鳴り響いた。

 現場指揮官と思われる男が威嚇射撃として、拳銃を抜き、上空へと向けて一発だけ撃ったのだ。

 しかし、学生達の騒ぎがこれによって静まることはなかった。逆に、より一層興奮を増し、さらに大きな声で、さらに多くの石と火炎瓶を用いて、軍に対する攻撃は激しさを増していった。

 そんな中、エリサはバリケードから少し離れた所から、冷静さを保ちながらこの状況を眺めていた。

「今の銃声、軍の威嚇射撃かしら。止まる気配は全くないけど」

 エリサ自身、最初は自分も、あの最前列に加わるつもりだった。

 しかし今はバリケードから距離を置き、後ろの方から学生達を眺めていた。

「私、何のためにここにいるんだろう」

 最初は、国を相手に請願を行うという、ただそれだけを目的にしていたはずだった。国民の声に国が耳を傾けてくれるようになれば、それが国をよりよい方向に導ける最初の一歩になると信じていた。

(……なのに、今ここにあるモノは、客観的に見れば若者の暴力によるストレスの発散でしかないわ。こんな風に暴力に訴えるやり方は、私たちが批判してきた横暴で一方的なやり方その物じゃない。だとしたら、こんなモノが受け入れられるはずもないわ)

 ふと冷静にそう考えたエリサは、その瞬間からデモの戦列に加わる意欲を失っていた。

 そして、そんな暴徒化した若者達とは対照的に、一発の威嚇射撃の後は沈黙を保ち続ける軍から、エリサは嫌な予感を拭うことが出来なかった。

 不意にバリケードの付近から白い煙が上がった。そして、離れたところにいるエリサにも、風に乗って鼻を突く臭いと僅かな目の痛みを感じることが出来た。

 どうやら、軍が鎮圧の為の催涙ガスを使ったようだ。

 こうした軍の行動は最初から予想しており、殆どの学生が対策を立てていた。

 エリサも念のためゴーグルで目を隠し、バンダナで鼻と口を覆う。

 催涙ガスの使用は予想の範囲内であり、だからこそ学生の行動はこの程度では止まらない。

 エリサの冷静な脳裏には、どうしようもなくいやな予感が広がっていた。それは理論でも理屈でもなく、単なる直感にすぎなかった。

 だがエリサはその直感を信じてみることにした。そして、軍と学生達が衝突するバリケードに背を向け、講堂前広場から抜け出せる場所を目指して走り始めた。

 その直後だった。

 軍の車両とウォーカーが、一斉に前進を開始した。それと同時に、今までは催涙弾の投擲のみに留まっていた兵士が、機関銃を正面に構え、そして一斉に引き金を引いた。

 次の瞬間から、講堂前広場は地獄と化した。

 学生達の悲鳴と、エンジン音、断続的な破裂音、そして弾丸が側をかすめる音が、エリサの背後から容赦なく迫ってきた。

 戦車と装甲車は、容赦なくバリケードを突き破りテントを踏み潰して進行を開始した。学生達の作った手製のバリケードは、軍の侵攻を止めるためには何の役にも立たなかった。

 軍のウォーカーの対人兵装が容赦ない唸り声を上げた。辺り一面には鉄と火薬の臭いが立ちこめる。学生達も車やウォーカーに乗って抵抗したが、それには何の意味もなかった。ただの乗用車や工事車両が軍の装甲車や戦車に太刀打ちできるはずもなかった。

 学生の一人が、持っていた手投げ弾を軍の方へと投擲した。それが炸裂し、数人の兵士を吹き飛ばしたが、そんなささやかな抵抗は大局から見れば何の意味も持たなかった。

 いくつものテントが、その中を確認されることもなく挽き潰された。その音だけを背後から聞きながら走るエリサの足を、一発の弾丸が掠った。

「――痛ッ!」

 転倒し、膝を擦りむく。

 足が痛い。

 鼓膜がおかしくなりそうだ。

 血が出ている。

 背後からは、殺意を持った冷酷な暴力が迫ってくる。

「……どうしてこんな事に、……イヤだ、こんなところで、訳も分からずに死にたくなんて無い!」

 起き上がり、講堂前広場からの逃走を再会する。

 突然、背後から強烈な熱を感じた。

 思わず振り返ったエリサは、その地獄のような光景に絶句した。

 軍が焼夷弾と火炎放射器を使用したのだ。火炎瓶のそれとは比較にならないような、圧倒的な炎の暴力が講堂前広場を包み込む。そして、その背後からウォーカーの姿が、まるで神話に記された悪魔のように揺らめき迫っていた。

 大勢の学生が車輪にひき殺された。

 凶弾に撃ち殺された。

 燃え盛る炎に焼き殺された。

 エリサは必死に、そうならないように逃げていた。

 王国軍のウォーカー〈ウルス〉が、エリサを含めた抵抗から逃走に転じ始めた学生たちに向けて、対人用装備として搭載されている十二.七ミリ内蔵機銃二門の照準を合わせる。冷徹な駆動音と無機質な光学センサーが、轟音と共に血の惨劇の火ぶたを切ろうとした、まさにその直前だった。

 ――一機の五メートル級作業用ウォーカー〈トロル〉が、〈ウルス〉に対して突撃を仕掛けた。

 完璧なタイミングで行われた体当たりにより、機関砲を撃とうとしていた〈ウルス〉が横転する。

 炎に焼かれ、悲鳴と怒号の飛び交う講堂に、突如として巨大な金属同士の衝突音が響き渡った。

「何!? いったい何が起こっているの!?」

 自分が死ぬかもしれないとすら考え始めていた、エリサを含めた多くの学生達の間には、助かったという安心感よりも先に、想定外の事態が発生したことに対する混乱があった。しかし、そんな混乱などまったく意にも介さずに〈トロル〉は、陣形を組んで対人用装備である火炎放射器を構える〈ウルス〉へと立ち向かっていく。

 〈トロル〉は火炎放射器を装備している〈ウルス〉に対して攻撃を開始した。脚部ローラーを用いて一気に間合いを詰め、無骨な三つ爪型のマニピュレーターを腰まで引き攻撃の構えを作る。対する〈ウルス〉は装備していた火炎放射器を〈トロル〉の方に向けて使用した。

 しかし〈トロル〉は止まらない。危険地帯での作業を想定し、鉱山の坑道内や、マイナーチェンジ機の中には災害救助用の機体すら存在する〈トロル〉にとっては、対人兵器としての火炎放射器による攻撃など何の意味もなさない。

 〈トロル〉は接近の勢いを殺すことなく、三つ爪のマニピュレーターを〈ウルス〉の頭部に向けて振り上げ気味に突き立てた。

 強烈な衝突音が鳴り響く。

 〈トロル〉のマニピュレーターが折れ曲がる。

 しかし、対する〈ウルス〉の受けたダメージは極めて深刻だった。頭部のゴーグル型複合光学センサーが完全に破壊され、操縦者が『目』を奪われたことによって〈ウルス〉はその戦闘能力を消失することになった。

 この一連の戦闘、あまりにも手慣れたこの戦いを実行したのは誰なのか?

 まず、ただの学生ではありえない。

 正規の兵士であったとしても、民間の作業用ウォーカーである〈トロル〉で、第二世代最優とすら呼ばれるトルバラド王国軍正式採用機〈ウルス〉に対して勝利するなど並大抵のことではない。

「右腕部マニピュレーター損傷、一部センサーと脚部衝撃吸収装置に不調、……かな? この操作感覚だと」

 操縦者はシオンだった。そしてもう一人、後部にあるサブシート兼荷物置き場に座る少女の姿がある。

「ここまでは予定通りね。シオン、あと何分ぐらいなら持たせられる?」

「サラが時間稼ぎをやってほしいなら、結構な時間出来ると思う。でも」

「ええ、やってほしいのは時間稼ぎじゃない。奴等の目を、出来るだけこっちに引き付けて。あとは、カリムとニコラスが仕掛けを作った場所まで誘導してくれればいいわ」

 サブシートに座る少女の名はサラ。金色の長髪と整った顔立ち、そしてどこか育ちの良さを感じさせる空気が特徴的な、シオン達と共に暮らす少女である。

 サラの言葉を受けたシオンは短く「了解」とだけ応じ、戦闘を再開した。

 シオンは急加速での体当たりと、まだ無事な左腕のマニピュレーターで拾った鉄パイプを武器にしての立ち回りにより、王国軍の〈ウルス〉を翻弄する。

 本来〈トロル〉は〈ウルス〉よりも性能面では圧倒的に劣っている。足回り一つとっても〈ウルス〉の最高移動速度が脚部ローラーを用いた場合で時速八二キロメートル、二足歩行で時速三五キロメートルなのに対し、〈トロル〉は脚部ローラーを用いて時速五五キロメートル、二足歩行時が時速二〇キロメートルである。

 固定装備の有無やセンサーの優秀さなどにおいても、カタログスペック上〈トロル〉が〈ウルス〉に勝る点など何一つとして存在しない。

 しかし、戦闘において優劣を決するのは書類上の数字の優劣ではない。

 現在講堂前広場で一列横隊の陣形を組んでいる〈ウルス〉は行動範囲が極めて限定されている。そうでなくても、ウォーカーという兵器の戦場としては決して広くない講堂前広場では、優位性を持つ足回りの性能を生かし切ることが出来ない。その上コンクリートで舗装された整地であれば、〈ウルス〉に比べて機体重量が軽く、乗用車と大差ない脚部ローラーを採用する〈トロル〉の方が、瞬発力という点で見れば有利とすら言えるだろう。

 装甲厚に関しても、危険地帯で操縦者の安全を確保出来るように設計されている〈トロル〉の装甲は、小銃程度では貫通することが出来ない。そのことから歩兵の装備をすべて無力化しており、結局ウォーカーに有効打を与えられるのはウォーカーの装備だけであるという本来の図式が維持されることになる。

 一機の〈ウルス〉が近接戦闘用装備である超硬質ブレードを装備し、シオン達の乗る〈トロル〉に切りかかった。対する〈トロル〉は紙一重でこれを回避。同時に装備していた鉄パイプで超硬質ブレードを払う。〈ウルス〉のハンドマニピュレーターの握りが僅かに弱くなる、その絶妙なタイミングで仕掛けられた攻撃により〈ウルス〉が超硬質ブレードを取り落す。

 それを見逃さなかったシオンは、左手に装備していた鉄パイプを接近してきた他の〈ウルス〉に対して投げつけることで牽制し、即座に超硬質ブレードを拾い上げる。

「シオン、最初にも言ったけど、王国軍の兵士を殺さない立ち回りで頼むわよ」

「分かってる」

 シオンはそう答えて頷きながら、拾った超硬質ブレードで相手の〈ウルス〉の脚部を切りつけた。切断には至らなかったものの、衝撃でバランスを崩した〈ウルス〉は横転し、僅かな時間ではあるが戦闘能力を喪失する。その隙に〈トロル〉は後退し、接近する他の〈ウルス〉との戦いに備える。

 索敵装置など存在しない〈トロル〉は当然操縦者の目視に頼る必要があり、死角からの攻撃には何よりも注意する必要がある。そのことを十分に理解しているサラは、シオンの死角を補うために周囲に目を凝らしながら通信端末を手にした。

「こちらチームシエラ。準備は完了したわ。アルファーは状況の報告を。どうぞ」

 その呼びかけに応じたのは、講堂前広場から数キロ離れた場所にあるビルの屋上から、双眼鏡を使って周辺状況の把握を行っていたアミナだった。彼女は緊張混じりの声でサラの通信に応答する。

「はい、こちらアルファー。軍の増援、装甲車が、えーっと一、二、……五くらいかな? ルート七から接近中だよ。脱出の推奨ルートはプラン十二。どうぞ!」

「こちらシエラ、了解。プラン十二への誘導を開始するわ。キロノーベンバーはプラン十二への対応を開始。どうぞ」

 これに対して最初に応じたのはカリムだった。

キロ了解。ルート七を避けつつ救護用車両を移動。五分以内で可能だ。移動後は待機。どうぞ」

 次に通信人出たのはニコラスだった。

ノーベンバー了解ッス。プラン十二の為の偽装封鎖解除を開始。こっちも五分以内ッスね。どうぞ」

シエラ了解。誘導は五分後に開始。全員、作戦開始!」

 その声を合図に、カリムとニコラスが行動を開始した。シオンも戦闘の目的を時間稼ぎから陽動に変更する。

 王国軍ウォーカー部隊は〈トロル〉を排除するため、陣形を変更し始めた。歩兵達は安全を確保するために装甲車のところまで後退し、学生運動に対する銃撃が止んだ。

「シオン! 十時の方向、三十ミリアサルトライフル装備の機体が射撃姿勢、来るわ!」

「時間は?」

「そろそろ始めて大丈夫よ」

 こちらが足を止めれば、次の瞬間には射撃が来る。そのことは確実だった。

「じゃあ脱出だ。一発受けたら攪乱開始。誘導は任せた」

「スモークは私のタイミングでやる。上手くやりなさいよ、失敗したら死ぬわ」

 サラの言葉に対してシオンは頷く。それと同時に、今まで派手に動き回っていた〈トロル〉が足を止めた。

 三十ミリアサルトライフルを装備した〈ウルス〉を操縦する王国軍の兵士は、その隙を逃さなかった。迷うことなくトリガーボタンを引き、それに連動して弾丸が放たれる。

 王国軍の兵士は一切の躊躇無く〈トロル〉のコックピットに狙いを定めて撃った。だが、この狙いの正確さはシオンにとって幸運だった。シオンは、こちらが足を止めたことに敵の兵士が気付いてトリガーボタンを引くであろうギリギリのタイミングを見極め、トリガーボタンが引かれるのに合わせてさらに半歩、機体を横に移動させた。同時にコックピットハッチの開閉ボタンを押し、それとほぼ同じタイミングで、既に狙いを定めていた三十ミリアサルトライフルの弾丸が狙いをわずかに逸れて〈トロル〉の左肩を直撃する。

 〈トロル〉がバランスを崩してよろける。

 だが、こうなることを正確に予測していたシオンとサラは、完全に開放された〈トロル〉のコックピットから飛び降りた。

「サラ!」

「大丈夫、走るわよ!」

 そう答えるサラは手にしていた二つのスイッチを同時に押す。

 一つは〈トロル〉の中に仕掛けた爆弾の起爆装置。それ自体に大した威力はないが、〈トロル〉の動力用燃料に引火することで大爆発を引き起こし機体を内側から粉砕した。

 もう一つのスイッチは煙幕を機動させるためのものだった。これはカリムとニコラスが夕方に講堂前広場を訪れた際に仕掛けたものである。

 〈トロル〉の爆発と、同時に起こった煙幕の発生により、王国軍の兵士達は僅かな間ではあるが講堂前広場の様子を把握できなくなった。

 混乱は王国軍だけでなく学生達の間にも広がったが、そんな中『プラン十二』実行のために走るシオンとサラは叫んだ。

「こんなところで死ぬ必要はないわ! 生き延びたい者は、私の後に続きなさい!」

「走れ! 考えるのは生き延びた後だ!」

 講堂前広場に広がる喧騒の中にあってその声を聞くことが出来た者は限られているし、そこにいた全員の学生がこの声に従ったわけではない。

 しかし声を聞いた一人の少女、エリサはその声の主に心当たりがあった。

(あの女の子の声、昔どこかで聞いたことがある。それにもう一人は、もしかしてシオン? じゃあ、さっきのウォーカーはシオンが動かしてたってこと? どうやってあんな風に、それにどうしてそんなことを?)

 当然の疑問がエリサの脳裏をいくつも駆けめぐる。それと同時に、別れ際にシオンの言った言葉を思い出した。

『――これから先は、何が起きても不思議じゃない。もしそうなったら、自分が正しいと思うことをすればいいと思う。少なくとも僕は、今までそうやってきた』

 迷いは断ち切られた。

 考えるのなんて後でも出来る。

 死んでしまったら、何にもならない!

 考えるのは後だ。今はただ、生きてここを脱出する!

エリサは周囲を見渡す。そして呆然と立ち尽くしている生徒会のメンバーを見つけだし、声を張り上げた。

「会長達! こっちです、急いでください! さっきのウォーカーとか、何で軍が攻撃してきたんだとか、そんなことは後で考えればいいんです!」

 口を閉ざしたままのグレース会長の手を強引に引き、エリサは煙幕の張られた講堂前広場を、シオン達の示した方角に向けてガムシャラに走った。

 途中、すれ違った誰かと肩がぶつかった。このパニックと言ってもいい状況では珍しいことではない。それでも謝ろうとその人物の方に視線を移したが、その人物、少年と少女の二人組は既にどこかへと消えていた。

 もしかしたらあれはシオンと、そして彼と一緒にウォーカーに乗っていた少女だったのかもしれない。

 エリサの脳裏にはそんな考えがよぎったが、今はそんなことを考えるよりも講堂前広場を脱出する方が優先だった。示された抜け道を通り、無我夢中で誰かの背中を追い、狭い路地を抜け、気が付いた時には講堂前広場から随分と離れたところまで着ていた。

 どこの誰の物なのかは分からないが、治療セットの積まれた車まで止められており、医療の心得があると見られる人から応急手当を受けている者もいた。

 生徒会メンバーもどうやら全員無事のようだった。

 一息付いたエリサは、ポケットの中に何かが入っているのに気が付いた。

 それは一枚のメモ用紙だった。

(……いつのまにこんな物が)

 エリサにはおよその見当がついていた。入れたのはシオンで、タイミングはおそらく、逃げている途中でぶつかった時だろう。

 エリサはメモを開き確認する。

 そこには次のように書かれていた。

『この国には、もうすぐ新しい王が立つ。彼女なら、必ず理想を成し遂げる』


×××


「こちらブラボーシエラ聞こえるか? どうぞ」

 そう言ってサラ達に呼びかけてきたのはボリスだった。サラはこれに対してすぐに応じる。

「こちらシエラ、聞こえているわ、どうぞ」

「こんな無茶な作戦に出た理由は後でたっぷり聞かせてもらう。……だが好機なのも事実だ。チームシエラは、ポイントJ三十二地点に急行。ネズミ取りをやるぞ、どうぞ」

「こちらシエラ了解。至急J三十二地点に向かうわ。懐かしいわ、お説教なんて久しぶりよ」

 そう答えたサラはシオンと共に、ボリスによって指定された場所への移動を開始した。

 同じ頃、講堂前広場の喧騒から離れた暗闇の中を、貧民外の方に向かって一人の男が歩いていた。

 彼はガダル王の命令で動く工作員の一人である。

 彼は以前から学生運動の中に紛れて行動していた。学生達を煽り、必要な時に、必要な規模の事件を起こすためだ。彼は今、次なる計画へ備えるために講堂前広場から脱出していた。

(概ね計画通りだが、やはり想定外の事態は起こったか。あの時乱入してきたウォーカーについては調べる必要がある。恐らくはこちらが把握していない組織によるものだろうが、意図を探る必要があるな。あの乱入のせいでかなりの人数の学生が生き残っている。おかげで口封じと世論誘導には随分な手間がかかりそうだ。――っ!?)

 工作員の男は足を止めた。

 理由はその視線の先にあった。

 深夜の町を二人組の少年少女が歩いていた。その内の一人、少女の姿に工作員の男は心当たりがあった。

(あの少女、……やはり似ている。……しかし、あり得ない話ではない。遺体は発見されたが、判別が困難なまで損傷していた。場を納めるためには死んだと断定する他になかったし、ガダル王も万が一の生き残りを警戒していた。無論、断定できない以上、今報告は出来ない。だが調査の必要はある)

 工作員の男は、特に少女の方を注視しながら二人を尾行した。少女は身なりこそボロボロに薄汚れてはいるが、その行動にはこの貧民街に似つかわしくないような気品が感じられた。

 少年の方はというと、こちらも油断できなかった。何しろ常に周囲を警戒しているのだ。普段から治安が悪いこの場所を歩いているということは、相応の危険回避能力があるのだろう。

 工作員の男はそんな二人に悟られないよう、いつも以上に警戒を強める。常に一定以上の距離を離しながら尾行を続けた。

 突然、二人が足を止めた。そして、少女が振り返り静かに微笑んだ。

 それはまるで、工作員の男の尾行に気が付いていることを示すかのようだった。

「まさか――」

 次の瞬間、彼は首筋に痛みを感じた。

 それが、注射針によるモノだということには、一歩遅れて気が付いた。

 振り返り、それをやったのが見知らぬ男だということを知った。

 そして急激に力が抜け、意識が遠くなり始めると同時に、麻酔薬を注射されたのだということを理解した。

    

 ×××

 

「ねえボリス。彼、このまま眠ったままなんてことは無いわよね?」

「大丈夫だ。薬の量は調整した。もっとも、こいつにとっては眠ったままでいた方が幾分か幸せではあっただろうがな。……どうやらお目覚めのようだぞ」

 王国側の工作員の男が目を覚ました場所は見知らぬ部屋の中だった。そして、この場所が地下にある下水処理施設の一角であり、外部からの救援など望めないことも理解した。

 シオンとサラのことを尾行していた工作員の男だが、ボリスによって麻酔薬を打ち込まれ、薄暗く息苦しいこの場所に拉致拘束監禁されたというのが事の顛末だった。

 ボリスは工作員の男の正面に立ち問いつめる。

「さて、こちらの質問に対して一方的に答えてもらおうか。返答次第では長生きできるぞ。では一つ目だ。何のために二人を尾行していた?」

 拘束され、一切の身動きがとれない工作員の男が、静かに返答する。

「……私が、それに答えると思うのか?」

「答えないだろうな。少なくとも、素直に答えることはないだろう。優秀な工作員というのはそういうものだ。だが、質問は続ける。これを命じたのは誰だ?」

「……ガダル王だ」

「だろうな。それ以外にいるはずがない。全く無意味な質問だった。しかしこの重要な情報を、忠誠を誓う王様の所へ、一体どうやって持ち帰る? 抵抗したり、脱出を試みたり、連絡をとることはしないのかね?」

「……お前の考えるほど、王は甘くない」

 その返答に対し、ボリスは笑みを浮かべた。

「そうかもしれないな。しかしなかなかよく出来た発信器だ。それにレコーダー、盗聴器、通信機、それから小型カメラか。ワシの国ほどではないがよく研究してある。正直感心したぞ」

 そう言うと同時に、ボリスは工作員の男が意識を失っている間に奪った発信器や盗聴器などを見せつけた。

 彼の表情が変わった。それらが全て無力化されているという事は、救援が望め無いどころか、何一つとして情報を届けられないということだ。

「どうする? これでもまだ義理立てするか?」

「……それでも、ガダル王に対する忠誠は裏切れない。それは、私自身の覚悟だ」

 それを聞いたサラは、今までの沈黙を破った。

「大した忠誠心ね。それはつまり、王族に対してでもなく、国に対してでもなく、ただ彼に対して忠誠を誓うという事かしら」

「……お前の生存は、驚きこそしたが想定の範囲内だ。今更何も出来まい。今この国にはガダル王の存在が必要だ。確かに内部に反発する者はいる。だが、今のやり方でしか国を維持することは出来ない」

 サラは小さく、そして冷たい笑みを浮かべた。

「それが彼の限界よ。自己保身の為にしか動けない哀れな男の限界。でも、私が戻れば変えられるわ」

「大層な自信だ」

 工作員の男はそう言いながら、少年、シオンの方へと視線を向けた。シオンは沈黙を貫いていた。だが彼は余りにも冷静なこの少年から、何かただならぬモノを感じ取っていた。

「……意志と覚悟、そして力か。どちらにしろ、私を生かして帰すつもりはないんだろ? 尋問も、拷問も、意味は無いと思え。工作員となったその日に命は捨てた。私が舌を噛み切って自分で終わるか、お前達が勝手に終わらせるか、ただそれだけだ」

 それに応えたのはボリスだった。

「勝手に終わらせるさ。だがその前に一つ質問がある。城の守りは万全か? 噂によれば秘密の抜け道などもあるそうだが」

 工作員の男は小さく笑った。

 それは、まるで自分達の勝利を確信したかのようだった。

「城の守りは万全だ。ネズミ一匹通さないさ。暗殺は諦めることだな。正面突破など以ての外だ」

「……そうか」

 ボリスはホルスターから拳銃を抜いた。

 スライドを引き初弾を装填。安全装置を解除すると同時に、拘束され動けない工作員の男の眉間へと狙いを定め、引き金に人差し指をかける。

 ボリスの後ろに立つサラとシオンは、その様子を静かに見つめていた。

 この後何が起こるのか、二人はそれを理解している。

 そして、理解しているからこそ二人はただ静かにこの状況を見つめ続けていた。その光景を目に焼き付けることが、自分たちの責任だと考えていた。

 ――引き金が引かれ、銃声が鳴り響いた。

 刹那の後に放たれた弾丸は工作員の男の眉間を撃ち抜き、彼を絶命させた。そのことを確認したボリスはサラの方を向く。そして、少々語気を強めながら言った。

「……サラ、シオン、お前達がリスクを犯してまで最前線に出た理由は何だ? 軍の行動に介入するだけなら、シオン一人で十分だったはずだ。それに、あんなことをしても今のこの国の流れを変えることは出来ない。ワシの計画に狂いが出ないのなら、お前達が何をするも勝手だが、今回はいささか危険すぎた」

「貴方にとっての目的はこの国の現体制を崩すことでしょ? だけど、私達にとってそれは、単なる通過点に過ぎない。私には正義が必要なの。例え偽善と言われようとも、私自身が確かな正義を行ったことを、誰かに知らしめる必要があるのよ。貴方にもそれぐらい分かるでしょ?」

 そう答えるサラは、ボリスに対して一歩たりとも引く気配はなかった。

 とても十代の少女とは思えないほどの強靱な精神力と、それによって生み出される冷静さ。そんなモノを要求するような世界に生きるということは、それだけで一つの悲劇なのかもしれない。

 それでもサラは、そんな悲劇に酔うこともなく、ひたすらに強くあり続けた。

「……そうか。……では、行くか」

「うん」

「ええ、行きましょう」

 ボリスの言葉に対してシオンとサラは、いつもとまるで変わらない様子でそう応じた。地下室にはただ一人の銃殺死体だけが残された。


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