第三章 学生達
第三章 学生達
モニター上には、薄暗い森が映し出されていた。
『この先の何処かに敵がいる』
少年に与えられたのは、そんな曖昧な情報だけだった。
その敵を発見し、撃破するように少年は命令されていた。
少年は自らの乗るウォーカー〈コクレア〉を前進させる。
少年の名はシオン。親から反政府系武装組織に売り捨てられた少年兵だ。
シオンはモニターに映し出される景色の僅かな変化を、或いは決して厚くない装甲越しに聞こえる外の音を、更には堅いシートを通して伝わる振動を読みとり、敵の位置を予測する。
(……違う。これは夢だ。何度でも繰り返し現れる、僕自身の記憶の欠片だ)
しかし、それを自覚していても、シオンの行動に変化はない。
光学センサーが敵ウォーカーの姿を捕捉した。
シオンはすかさずトリガーボタンを引き、それに連動して装備していた二十ミリマシンガンと、二門の七.六二ミリ内蔵機銃が一斉に火を噴く。放たれた弾丸はシオンが狙いを定めた部分、敵ウォーカーの脚部に命中した。
断続的に響く銃声、熱を帯びる銃身、まき散らされる巨大な空薬莢。モニター上には、攻撃を受けたことで体制を崩しながらも振り返ろうとする敵の姿がある。
「まずは一機」
弾丸を放ちながらシオンは機体を前進させる。振り返ろうとした敵機がバランスを崩しながらもアサルトライフルを構えた。だが、それはあまりにも遅すぎた。
シオンが操縦する〈コクレア〉は、既にマシンガンから超硬質アックスに持ち替えていた。
そして、敵機のウォーカーが装備するアサルトライフルから弾丸が放たれるよりも早く、超硬質アックスを振り抜いた。
――鈍い金属音が響く。
その一撃は、敵機のコクピットを的確に叩き潰した。
敵機の耐久限界を迎えた両脚部は千切れ、胴体に真横一文字の斬撃を受け、背中から倒れて機能を停止した。
「次だ」
シオンは敵機の装備していた三十ミリアサルトライフルを奪いながら、油断無く周囲を見渡す。
昔も、今も、夢でも、現実でも、シオンのやることは変わらない。
壊される前に壊し、殺される前に殺す。
シオンは何も好きで戦っている訳ではない。それ以外の選択肢など無く、そうすることが最善の環境に生きているからこそ戦う。
シオンは死にたくなかった。仲間に死んでほしくなかった。そして自分には戦う力があった。
だからシオンは、躊躇い無く敵を殺せる。
そうしなければならないと、そうすることが正しいと、彼自身が強く確信し、堅く信じていた。
「――サラは言ったんだ。この世界を、今よりもマシなものに出来るって。僕はそれに協力すると誓った。だからそれが果たされるまで、僕は全てを壊して道を造る」
×××
場所はトルバラド王立第三高等学校。現在は午後の授業中であり、教室の中には先生がチョークで黒板に板書する音と、生徒がそれをノートに書き写すペンの音が静かに響いていた。
教室の真ん中よりも少し後ろの方に座る女子生徒、エリサはふとペンを走らせる手を止めた。そして彼女の前に座る男子生徒、シオンの方に視線を移した。
シオンの背中はだんだんと姿勢を低くしていき、そしていきなり肩を振るわせると再び体を起こした。
彼が居眠りから目覚めてノートを取り始めたところだということは、後ろから見ているエリサにも十分に分かることだった。
(本当に不思議な人)
シオンには独特の気配があった。
たまに眠そうにしていることもあったが、それ以外の所では授業態度が悪いというわけではない。先生に当てられれば淀みなく回答し、小テストを苦にしている様子はない。『優等生』ではないかもしれないが、先生にとっては『扱いやすい生徒』なのだろうとエリサは思った。
(正直、最初は怖い人なのかなって思ってたけど、全然そんなことないのね。ちょっと人を寄せ付けないみたいな雰囲気があるけど、でもお父さんも丁度同じような感じなのよね。あそこで生きていると、そういう風になるのかしら)
一方でエリサは数日前のグレースの言葉がよぎった。
――そうだエリサ、彼のこと任せてもいいかしら? 次の放課後の集まりには彼も連れてきてくださらない?
グレースが何をしようとしているのかはエリサにも分かっていた。そして、それがとても危険なことだということをエリサ自身も理解していた。
今グレース会長が画策しているのは、校則どころかこの国の法律にすらも違反するような事だった。だが、それを理解していてもエリサはグレースに対して異を唱える事が出来ずにいた。エリサはそうすることが、人として正しい正義だと考えていた。
その一方で、今までそんな危険とは無関係だったはずの人を巻き込むことには、確かな抵抗があった。
――きっと上手くやれると信じているわ。お願いするわね。
(……やるしかないわ。それは多分、シオン君にとっても正しいことのはず。そうすればこの国はもっと良くなる。貧困に苦しむ人もいなくなる。だからこれは、シオン君いとっても正しいことなのよ)
×××
午後最初の授業が終わった休み時間。シオンが何気なく廊下の方に目を向けると、そこには見慣れた人物が立っていた。作業服に身を包んだ、長髪で『軽そう』な印象を受ける青年である。
「……ニコラス?」
彼が自分に対して合図を送っていると気が付いたシオンは、廊下に出て彼の所に向かう。対するニコラスは気さくな笑みを浮かべてシオンに応じた。
「よう、シオン。相変わらず制服が似合わねーな」
「……自覚はある。それで、どうしたの? ニコラス」
そんなシオンのぶっきらぼうな返答を、ニコラスは笑顔で受け流す。
「今日はここの清掃と外壁塗装で来てるんだが、まあ、それはいいんだ。ちょっと話がある。今、大丈夫か?」
対するシオンは頷き手招きする。
「目立たない場所に案内する」
そう言ってシオンはニコラスを、屋上へと続く階段の踊り場まで連れて行く。学生服のシオンと清掃員のニコラスの組み合わせは、多少奇妙ではあるものの、見咎めるものはいなかった。学校という空間での清掃員という存在が、生徒の目からは半ば存在しないようなものとして映る。そのことが良いように作用したのだろう。
「ここなら滅多に人が来ないはずだし、大丈夫だと思う。それで用件は?」
そう質問するシオンに対してニコラスは、周囲を油断なく見渡したあと、少し小さな声で告げる。
「ボリスからの指令だ。いよいよ本格的に学生運動の動きを探れだとさ。頼んだぜ」
シオンの表情に驚きはなかった。そもそも、シオンはそのために学生をやっているのだ。
「頼まれるのはかまわない。というか、多分それ自体はアテがある。デモには潜入する?」
「……そこについては聞いてねーんだよな。ただ、ボリスはリスクが高いって考えてるみてーだぜ。どんな情報を掴んでるのか分からねーが、かなりの確率で軍が武力行使に出るって考えてるっぽいな。そっから先は判断に任せるそーだが」
――チャイムが鳴った。
外に出ていた生徒達が教室へと、次の授業の為に戻り始めた。
「あー、そうだ。他にも伝言があったんだ」
踊り場を離れようとしたニコラスは足を止めた。
そして、そんな前置きのあと、少しからかうような表情を見せながら言った。
「サラは『せいぜい上手くやりなさい。貴方の演技力には期待してないけど』、アミナからは『あんまり無茶しないでね』だ」
何事もなかったかのように教室に戻ろうとしていたシオンもその足を止め、少し考えた後に言った。
「……分かった。努力する」
×××
「ねえシオン君。今日の放課後、少しいいかな?」
授業が終わり多くの生徒が下校のために校門を目指す中、先日と同じようなタイミングでエリサは、シオンに対してそう訊ねた。その口調は心なしか以前よりも沈んでいるようにも聞こえた。対するシオンは鞄の中に教科書をしまうと彼女の方に向き直り答える。
「いいよ。今日は大丈夫」
その答えを聞いたエリサは、シオンの手を引いて廊下に出た。
「本当? 良かった。じゃあ、ついてきて」
二人は下校する生徒達とは真逆の方に向かって歩き、階段を登って上級生のクラスや特殊教室な度がある場所に来ていた。
「……シオン君は最近、テレビとか新聞のニュース、見たりした?」
シオンは無言のまま頷く事で応じた。トルバラド王国の報道機関は、国の検閲を受けてから発進するのが原則だ。その殆どが国営であり、新聞に関して言えば、最大手である『八星日報』朝刊は無料で頒布されている。そのため、誰もが国の発信する情報を入手する事が可能となっていた。
「それでね、『アレン』って人のニュース見たことある?」
「学生運動の若きリーダー、だっけ? それなら知ってる」
『王立大学に通うアレンという学生は、現在地下に潜伏し次の行動のための準備をしているのではないか』シオンはその様に締めくくる新聞記事を記憶していた。
エリサは、ひどく深刻そうな表情をシオンの方に向けた。
対するシオンの表情は変わらない。
エリサは少し悩んだ後、意を決して口を開いた。
「……私もね、参加しているの。彼の率いる学生運動に」
×××
学生運動とは、文字通り学生の行う社会運動のことを指す。広い意味では文化運動なども含めるが、一般的には社会的、政治的な運動のことを指し示すことが多い。
大学内における学生自治権の容認を求める運動がその始まりだと言われており、そうした文化は世界各地に波及していった。
トルバラド王国における学生運動は、民主主義、自由主義を掲げる政治的な活動が主である。その流れは学生によるモノのみに留まらず、国民全体へと広がっていった。
目まぐるしく変化する国際情勢の中で、その速度から取り残されたトルバラド王国は経済的に貧しい国となっていった。そして、その状況は時間を追うごとに深刻化していった。
ただし、問題の根本が王政という国家体制にあったわけではない。ウォーカーの補助プログラム用装置に使用されるレアメタル、即ちアテニウムを豊富に埋蔵しているトルバラド王国が、元来の国力の弱さもあり、他の国から収奪を受けていることにある。経済的に弱ったこの『宝の山』を自らの手の内に引き入れようと、多くの国が策を巡らせているのだ。
トルバラド王国を内側から支配しようと工作員を送り込み、謀略を企てようという国は多くある。そういった外からの勢力がこの国で起きた多くの事件に対して、様々な形で関与していることは明白だった。
そんな状況の中で前国王の暗殺と容疑者の公開処刑、その後、現国王ガダル=トルバラドが王座に就くという『事件』が起こった。暗殺が外国勢力によるものと発表されたことにより、外国に対する排斥はより一層強くなった。
それと同時期に、現在の国家体制、即ち中央集権的な王政こそが、国民の貧困最大の原因であるという考えが広がり始めた。
その結果、不満の捌け口を求めた国民が学生運動に合流する事となり、政府との対立構造より明確に、そしてより深刻化することとなった。
そして、反政府を掲げる、違法行為や暴力沙汰すらも大儀の名の下に容認するような、非常に危うい巨大なコミュニティーが形成されるに至る。それは最早『暴走』とすらも表現出来るようなモノだった。
×××
シオンがエリサに案内された場所は、校舎最上階の一番端にある教室だった。大きさは通常教室と同じくらいだが、閉ざされたドアの上にある表札には、学年やクラスは表記されておらず、『生徒会室』と書かれていた。
ノックの後「失礼します」と言ってドアを開けるエリサに続いて、シオンも生徒会室に入る。
中にいたのは男女合計七人の生徒だった。室内中央に置かれた長机に向かって作業をしていた彼等はその手を止める。そして、一斉にシオンとエリサの方に視線を向けた。
殆どの生徒が明らかな不審や警戒の表情を示す中、ただ一人例外的に微笑む女子生徒がいた。
シオンはその顔を記憶の中から呼び起こす。
(……グレース=ミラー。第三高校三年生にして、現生徒会会長。兄は王立大学在籍中で、学生運動の中心メンバーと深い繋がり有り、か)
シオンは念のため警戒し、室内の様子を観察する。
壁際には季節イベントで使用する装飾が大量に置かれており、教室の広さに対して少ない人数の生徒しかいないにも関わらず、決して広いと感じることは出来なかった。
室内の端の方には印刷機が置かれている。教師が使用していた物の型落ち品だが、印刷機としての機能はしっかりと果たすことが出来るようだった。その証拠のように、印刷機の近くの本棚に入れられたいくつものファイルには『生徒会発行物原本』と記されたラベルが貼られていた。
壁は通常の教室とは異なり防音仕様になっている。それに加え、全ての窓ガラスに付けられたカーテンは閉められており、室内の状況が外に伝わることの無いようになっていた。
しばらくの間誰も口を開かず、どこか気まずい沈黙が続いていた。そして、それを破ったのはグレース会長だった。
「よく連れてきてくれたわね、エリサ。信じていたわよ。……さて、初めましてシオン君。私の名前はグレース=ミラー。この学校の生徒会会長をやらせてもらっているわ」
「一年のシオンです。エリサに呼ばれて来たんですが、いったい……」
「私がエリサに、貴方を呼んでくるよう頼んだのですよ。面白そうな生徒が編入してきたというので、一度直に会ってお話ししてみたいと思いましたの」
よく見ると部屋の中には、抗議集会で使っていたと見られるチラシやポスター、旗等が置かれていた。当然印刷機も、生徒会の業務以外の目的で使われているだろうということを、シオンはすぐに推測出来た。
シオンは小さく「……学生運動、……活動家、か」と呟いた。
彼は『活動家』という存在が、危険なモノであることをよく知っている。
政治的な活動に注力する活動家という存在が、危険な行動をしているという事はもちろんある。学生を含めた活動家が、世間では必ずしも受け入れられていないということもある。だがそれ以上に、彼等の置かれている立場は、非常に危うい。
今の彼等がやっていることは、言ってしまえば革命を呼びかける反政府活動だ。
そんなことを、王政という国家体制の国でやることのリスクは計り知れない。国民、国土、国家が国王の所有物である以上、国王の名の下に、それに仇為す者に死の罰が下される可能性は常に存在する。それが最高権力者の思惑ならば、止められる者などいるはずもない。
王制の国で革命を呼びかけ、或いはそれに同調することは、文字通りの自殺行為にも等しい。
シオンの呟きは、この静かな生徒会室の中では全員が聞き取ることが出来た。生徒会メンバーの一人である男子生徒が拳を握り立ち上がろうとしたが、それよりも先にグレースはシオンに対して言った。
「理解が得られていない点が多いことは、もちろん分かっているわ。でも、別に特別な事をしているなんてつもりはないのですけどね。悲しいことですけど、事実、目的意識もないまま流されるように加わる人や、ただの憂さ晴らしのために行動している人もいますわ。だけど私達は違うのよ。確固たる目的のための手段として、学生運動に参加しているのですわ」
「目的? いったい何を?」
シオンの少々礼儀を欠いたような口振りに対して、生徒会のメンバーである男子がシオンの方へ歩み寄ろうとする。
グレースはそれを手で制し、シオンの問いに対して正面から応じる。
「もう、貴方みたいな子供が生まれないためにですわ。最低限の教育機会の平等と、子供の人権の保障。先進国では当たり前のことですのよ。私達は、今のこの国をもっと安定した状態に持って行きたいと考えていますの。そのためには、反政府勢力を含めた全ての国民が、話し合いのテーブルに座り、合議による政治を行う必要がありますわ。私達は何も、今のガダル王を糾弾したい訳ではありませんわ。ただ、一度でもいいから全員が意見を交わし会える場所を作るべきだと言っていますの。私達は同じ人間なのよ。話せば、きっと分かり会えるはずですわ」
シオンは、生徒会会長グレース=ミラーが決して悪人ではないことを理解した。理想に燃える会長の瞳がとても眩しく、どこまでも遠いように感じていた。
そして今までシオンの隣に立ち沈黙を保っていたエリサが、シオンの手を強く握った。それを受けて降る向いたシオンの目をまっすぐ見据え、エリサは言った。
「シオン、私達は今度の休日から、現状に対する国民の不満を王に訴えるための、大規模集会を計画しているの。リーダーのアレンさんの呼びかけに応じたのは、この学校の生徒だけじゃない。国内にあるいくつもの組織が連携した最大規模の集会よ。もしよければ、シオンもそこに参加してもらえないかしら。その訴えは、必ずこの国を動かせるはずよ」
「……今週末から、か。……誘ってくれたことには感謝する。前向きに考えてみる」
×××
時刻は既に夕食時となった。
かつての工場にはいつもと同じように全員が揃い、賑やかに食卓を囲んでいた。
そんな中、サラが唐突に切り出した。
「そうだ。私も明日から仕事に出るから」
そんな彼女の言葉に真っ先に反応したのは、この中では最も社交性に秀でた性格のニコラスだった。
「マジか。それ、大丈夫なのかよ」
「いろんな意味が込められていそうだけど、大丈夫よ。しっかりと考えあってのことだわ。というか、ボリスからの提案よ」
「場所はどこなんだ?」
「アミナと同じ食堂よ。今日も挨拶だけ行ってきたわ。そういう訳だから、アミナ、明日からよろしくね」
それを聞いたアミナは、食べる手を止めて嬉しそうな声を上げる。
「私の所!? えへへ、サラと一緒に働けるなんて、なんだか嬉しいな。でも今日来てたんだ。全然気がつかなかったよ」
「私もマナを見つけられなかったし、多分厨房にいた時ね。私も一緒に働けるのは嬉しいわよ、アミナ。たぶん分からない事だらけだから、色々と教えてね」
次にカリムが質問した。
「送迎はどうする? 大丈夫なのか?」
「心配いらないわ。アミナや小さい子達が徒歩で向かっている場所だもの。私だけお姫様扱いする必要はないわ」
冗談混じりにそう答えたサラに対してカリムは苦笑することで応じた。
その様子を見ていたシオンが言った。
「でも、サラってそういう仕事出来るの?」
「あら珍しい。シオンにしては面白い冗談ね」
「いや、冗談とかじゃなくて。結構本気で」
シオンのそんな言葉に対して、大きく異議を唱えたのはアミナだった。
「シオン、流石に失礼だよ! サラって私よりも料理が上手なんだよ! シオンは何か作れるの?」
どこかムキになったような口調のアミナの言葉を受け、サラが笑みを浮かべる。
「ありがとうアミナ。確かに、シオンからそんなことを言われるのは冗談みたいなものね。シオン、少なくとも炊事や接客に関しては、貴方よりだいぶ得意よ。そんな風に硬い表情をしていると、お客さんが逃げちゃうわ」
「……否定はしないでおくよ、悪かった。そうだボリス、これってやっぱり」
シオンの問いに対してボリスが答える。
「ああ、計画の段階を前に進める必要が出てきた。これは、そのための仕込みだ。サラが生きていると分かれば連中は必ず行動を起こすし、決断はより速まる。そうなれば奴等がとるであろう次の行動は限られてくるようになり、予測が容易になるということだ。確かに状況は悪い方向に動いている。ならばせめて、悪い状況をこちらでコントロールできるようにしたい」
×××
場所は中央都市から遠く離れた、鉱脈を掘り尽くしたかつてのアテニウム採掘場。
国の委託を受けた警備会社が管理しているはずだったが、実体は異なる。
王国の目が物理的にも心理的にも届きにくいこの場所は、国内にいくつも潜伏している反政府武装組織の一つ『革命武装同胞団』にとっての重要な拠点となっていた。
決して広くない坑道の中には、装甲車や爆弾、銃火器の他にも何機かのウォーカーが待機していた。
その中でも特に数が多いのが第二世代ウォーカー、〈コクレア〉である。
ヴォルク共和国と同盟関係にあったフェルベチアが共同開発で生み出したこのウォーカーは、フェルベチアの国境防衛線に投入され『攻撃兵器としてのウォーカーが持つ有用性』を証明した偉大な機体でもある。後に各国でライセンス生産や模倣品の製造が行われたことにより、丸みを帯びた装甲と、巨大なモノアイが特徴的なこの機体は、正規、非正規軍を問わず現在最も多く運用されるウォーカーの代名詞的な存在となっていた。
確かにカタログスペック上では第二世代最良と呼ばれる〈ウルス〉に後れを取る。だが、比較的シンプルな機体であるため、整備性の高さや頑強さという点では〈ウルス〉を遥かに凌駕する。それ故に今も尚、多くの将兵から高い評価を得ている。
待機状態の〈コクレア〉を眺める一人の男がいた。そして、その男のところへと駆けてきた人物が言った。
「ヘイダルさん、学生達と王国軍の両方に動きがありました。各地の活動家連中が、週末の講堂前広場の占拠に参加するみたいですし、軍も本気で鎮圧するものと思われます」
「やはりそうなったか。我々革命武装同胞団が動くのは『大義』が生まれてからだ。状況は十分に利用させてもらおう。各所にもそう伝えてくれ」
ヘイダルの言葉を受けた人物は、「了解です」と短く答え、それを伝えるために去っていった。
再び一人となったヘイダルは思案する。
(しかし、ガキというものは単純故に扱いやすい。容易く思惑通りに動いてくれる。ましてや金持ちはプライドや正義感が強いから、簡単に動き始める。貧民街のガキを直接使うのもいいが、これはこれで面白い)
反政府勢力はいくつかのグループが存在し、最終目標のために協力体制をとっている。このヘイダルという男が率いる革命武装同胞団も、そうした組織の一つだ。
彼等はかつて少年兵の『徴用』を行っており、一度王国軍の奇襲を受けたものの何とか逃げ延びた残党達だった。
「……そういえば、昔シオンとかいうガキを飼っていたな。あれは中々使い勝手が良かった。もうとっくに死んでいるだろうが、全く、惜しいことをした。猟犬として、あれほどの逸材は中々いない」
×××
「いらっしゃいませ。こちらのお席にどうぞ」
時間はちょうど昼時。中央都市の、比較的貧民街に近い場所にある食堂に、良く通る、そして聞き慣れない声が響いていた。
その様子を厨房から、食堂を取り仕切る店主の女性が見ていた。トルバラド王国では貧民街の人間に対する差別的な偏見を持つ者が多くいる。そんな中でアミナやサラのことを雇っているこの女性は、トルバラド王国では稀有な存在の『いい人』だった。
「アミナちゃん、あの子がサラちゃんだっけ? 中々覚えが良くて手際がいいわね。今まで何処か他のお店で働いてたのかい?」
「いいえ、働きに出るのは、今回が初めてだと思いますよ」
「あら、そうなのかい? 全然そんな感じには見えないけど」
数日前からアミナと一緒にここで働き始めたサラだったが、仕事を覚えるのはとても早かった。接客が上手く客からの評判も良いので、店主としても嬉しいのだろう。そして、そんなサラがこうした仕事をやるのが初めてだということを意外と感じるのも、当然といえば当然のことだった。
「はい。でも、私なんかよりも、ずっとすごいんですよ」
客からの注文を聞くサラの様子を見ながらアミナがそう言った。その表情、その声からは、嫌みや僻みではなく、ただ純粋にサラのことを尊敬していると分かった。
戻ってきたサラが、受けた注文を読み上げようとした。
「オーダー入ります、……どうしたの、アミナ。ずいぶんと嬉しそうだけど」
サラの怪訝そうな言葉に対して、アミナは笑顔のまま答える。
「何でもない、って訳じゃないけど、うん、気にしないで。何でもないから」
アミナにとっては、サラと同じ場所に立てるということが、ただそれだけで嬉しかった。
同じ年頃の少女でありながらも、あまりにも遠く、どうやっても勝てない相手。アミナはサラのことをそう定義していた。今この店でサラが働いていることも『計画』の一端に過ぎない事は、アミナも十分に理解している。だが、例えそうだったとしても、サラと同じ場所に立ち、同じ景色を見られることが嬉しかった。
昼時の客が捌け、片づけや夕方に向けての準備をしていたサラ達は、テレビから聞こえてきた言葉を受けて手を止めた。
「――番組の途中ですが、緊急のニュースをお伝えします」
「おや、いったい何だい?」
「さあ、何かしら」
「何だろうね」
トルバラド王国で放送されているテレビ番組は、その全てが国営放送である。ラジオにおいても同様であり、国の緊急発表の第一報はそこから伝えられるようになっていた。
サラ達が注目する中、テレビに映るニュースキャスターが告げた。
「先ほどガダル=トルバラド国王陛下より、非常事態宣言が布告されました。これは、昨今の不安定な国内事情を鑑みてのことであり、善良なる国民の生命と財産を守るためのやむを得ない決断であるとのことです。これにより、デモ行進の禁止、請願の禁止、集会の禁止、夜九時以降の外出の禁止が決定されました。また、これらの違反者に対しては、軍が武力を伴う排除行動を行えると定められました。繰り返します。先ほど――」
テレビから流れる何処か無機質なニュースを、サラ達はしばらくの間無言のまま見ていた。
最初に口を開いたのは、この店を仕切る店主の女性だった。
「最近物騒だと思ったけど、まさかこんな事になるなんてねえ。これだと、しばらくは閉店時間を早めないとだ。アミナちゃん達も、準備は大丈夫だから早くあがりな。夜も早く閉めなきゃだから、私一人で十分だよ」
「はい、そうします。シオン達も大丈夫かな……」
突然のニュースに困惑するアミナとは対照的にサラの反応は、まるでこうなることを予見していたかのように冷静だった。
「……非常事態宣言って言っても、せいぜい軍隊の権限を引き上げる、程度の意味しかないわね。だけど、これで一応の大義が出来た、ということなのかしら」
×××
シオン達の暮らすかつての工場の地下室には、組み上がった真新しいウォーカーの姿があった。全長六.七メートル、第三世代相当の性能を想定されているヴォルク共和国の試作型ウォーカー、〈スヴァログ〉である。
最初は白を基調とした装甲に、様々な試作パーツを組み合わせたせいでカラフルな外見になっていた。しかし途中で『もっと格好良くしたい』という意見が上がり、仕事用の塗料を用いて白に塗装し直して、アクセントとして所々赤のラインを引いた後、ステッカーがいくつか貼られることとなった。
結果として目立つことこの上ない機体となったが、元々シオンがこの機体を使って行うであろう作戦は隠密性を必要としないモノだった。
その〈スヴァログ〉に、一人の少年が搭乗していた。
「シオン、聞こえているか?」
「うん、問題ないよ」
「では、まずディスクを入れてシミュレーションモードを起動しろ」
「了解」
〈スヴァログ〉に搭乗する少年、シオンはボリスからの指示に従い機体を操作する。ディスクを入れると同時に、ヘッドセットのゴーグル型ディスプレイへと『シミュレーションモード』の文字が表示される。
〈スヴァログ〉は頭部のゴーグルの奥にあるモノアイ型光学センサーから収集した外部情報を、ヘッドセット型のディスプレイに投影する方式を採用している。ただし、今は外部映像ではなく、シミュレーション用の三次元コンピューターグラフィックスで作られた中央都市周辺の映像が映し出されている。映像そのものはいささかチープではあるが、訓練に用いるにはそれでも十分だった。
極めて高度な情報処理技術を要求するこうしたシミュレーターの開発をはじめとする各種軍事関連の科学技術は、世界各地で断続的に行われる戦闘に対して万全の備えをするべきであるという全世界的な意識から、極めて急速に発展を遂げた。その一方で、継続される緊張状態は経済的な成長や国家間の交流、或いは文化面における発展を著しく阻害し、その結果として国家間はもとより、国内における経済格差の拡大と、抑圧的で閉塞感の強い社会というものが、程度の差こそあれど、世界全体の直面する共通の問題と言うことが出来た。
ある意味では、そうした世界全体の問題を象徴するような存在の一つとも言える、元少年兵であり今でも戦いの中に身を置くシオンは、ヘッドセットディスプレイに表示される映像を確認しボリスの言葉に応じる。
「大丈夫、ちゃんと表示されてる」
「では始めるぞ。まずは操作感に慣れるところからだ」
ボリスの言葉と同時に街の中に『敵』のウォーカー、三〇ミリアサルトライフルを装備した〈コクレア〉が出現した。
〈コクレア〉がアサルトライフルを構えた。対するシオンは、半ば反射的に射線を避けるための横移動を織り交ぜながら機体を前進させる。それと同時に腰にマウントされていた超硬質ブレードを装備した。〈コクレア〉が僅かに後退しながらアサルトライフルを撃つ。だが、シオンの反射神経と〈スヴァログ〉の運動性能によってその全てが回避された。そしてシオンは、敵の懐に入ると同時にコックピットへ向けて超硬質ブレードを突き立てた。
「――よし」
撃破判定を受けた敵機が消滅する。
その直後、複数の敵機の姿が映し出された。
「腕試しだ。全て撃破しろ。実戦は待ってくれんぞ」
シオンはフットペダルを踏み込み、一番近くの反応の方に向けて機体を前進させることでボリスの言葉に応じる。
目視で敵の姿を捕らえる。
シオンはマウントされている二〇ミリマシンガンを装備する。そして、右手に銃、左手に近接装備という、生身と同じ戦闘スタイルに素早く切り替える。
それと同時に躊躇い無くトリガーボタンを押し攻撃を開始した。放たれた銃弾により、相手が攻撃態勢を整えるより先に撃破される。
「次だ」
目視の死角から超硬質アックスを装備した敵機が迫っていた。
シオンは即座に降り向きながら、超硬質ブレードを横凪に振り抜く。
直後、敵機の腕が切り裂かれて吹き飛び、攻撃は空を切った。そのことを確認するよりも先に、マシンガンの銃口を敵機のコックピットに押しつけ容赦なくトリガーボタンを引く。
撃破。
だがシオンは足を止めない。
脚部ローラーを用いて機体を前進させる。
敵機からロックオンされ、警告が鳴るのを構わず、整地であれば時速九五キロを誇る機動性を発揮させ、一気に間合いを詰める。
敵の弾丸による被弾音が幾度と無く響く。だが、シオンは致命傷を避けるように動く事により、撃墜判定を受けることなく接近。その勢いのまま超硬質ブレードを突き立て撃破する。
敵機はまだ無数にいる。
近くに複数の反応を検知した。
遮蔽物に身を隠し、マシンガンをフルオートで撃ち放つ。
一機撃破。しかしその直後、残弾表示がゼロになった。
「まだだ」
シオンは足下に転がる撃破した敵機の装備していたアサルトライフルを拾い、再び攻撃を開始する。
ウォーカーの世代区分に厳密な定義は存在しない。だが、一般的に後方任務へ投入され始めた当初の物を第一世代、戦闘用として投入された物を第二世代と呼んでいる。そして、第二世代を上回る性能を追求した第三世代となっている。とはいえ、第三世代に相当するであろう革新的な新技術は現在確立されておらず、故に『第三世代相当』という言葉が用いられている。
ともかく、シオンが操縦する〈スヴァログ〉は第三世代相当の性能を間違いなく持っている。それに対して、シミュレーターで登場する敵機は第二世代の、その中でも運用数こそ多いが性能的には型落ち気味の〈コクレア〉だ。カタログスペック上では〈スヴァログ〉が圧倒的に上回っている。そこにシオンの操縦技術が加わるのであれば、例えシオンが機体に慣れていないのだとしても、圧勝することは確実だった。
(恐らくシオンには例の『新たな才能』が備わっている。シミュレーターとはいえ、初めて乗る機体をああも見事に乗りこなせるなら、それは確実と言えるだろう)
ウォーカーというマシーンの登場は近年のことだ。その新しい概念の誕生によって、新しく見出された才能がある。その『新たな才能』の持ち主は、理屈抜きでウォーカーというマシーンの本質を正しく理解し、まるで命を吹き込むかのように操ることが出来ると言われている。
その才能の正体の一つとされているのは、アテニウムを用いて構成されたウォーカーの動作制御および補助を行う装置に深く関係していると言われている
その才能の持ち主は、自身の操作が補助プログラムによってどのように変化するのかを正しく知覚し、同時に、相手の動きがどの程度操縦者の意識によるものなのか、どの程度が補正され、或いは自動化された動きなのかを、正確に、そして理屈ではなく直感的に理解することが出来た。それは相手のわずかな動きから、次の動作を完璧に予測し、自身の動きの無駄を最小限に抑えることが出来るということに他ならない。
読みの正確さと一切の無駄のない動きを可能にする『新たな才能』は、それの有無によってウォーカー同士の戦闘における絶対的な優劣を決定すると言っても過言ではなかった。
(……シオンと〈スヴァログ〉の潜在能力を考慮するなら、初めてにしては上出来だ、と言うべきだろうな。しかしまあ、手放しに誉めるというのも成長に繋がらないか)
×××
「お疲れさま。はい、どうぞ」
「ありがとう、サラ」
時間は既に夜。シミュレーターによる訓練を終えたシオンの下に、サラは差し入れを持ってきていた。
「どんな感じだった?」
「悪くないかな。細かい所には後で目を通すけど、うん、クセが掴めればかなりやれると思う」
「そう。それは、期待していいってことなのね」
「まあね。そういえばアミナは?」
「「シオンのことは任せた」って言って、年少組の相手をしに行ったわ。仕事場でトランプをもらったとかで、ゲームの相手をせがまれていたわよ」
サラの言葉に対して、シオンは怪訝そうに聞き返した。
「……トランプ?」
「知らないの? 数字とマークの描いてあるカードよ。賭博場で見たことあるでしょ? アレよ」
「ああ、アレか」
「あまり興味なさそうね。まあ、それもそうか。貴方はそういう性格だものね」
〈スヴァログ〉から降りて床にもたれながら地べたに座るシオンの隣に、サラは適当な工具入れを見つけてくるとそれに腰掛けた。
地下室には埃と錆と油の臭いが充満している。本来ならこの場所には、サラのような少女の姿はあまり似合わない。いや、最初こそそうだったが、今となっては彼女もすっかり『こちら側』が似合うようになっていた。
「私は仕事場のテレビで見たのだけど、シオンは非常事態宣言のこと、聞いた?」
「学校のスピーカーから聞こえた」
話していた二人のところへ、ボリスがやってきた。
「ガダル王も覚悟を決めたようだな」
「あら、ボリスもお疲れさま。さっきのシオンのシミュレーション、どうだった?」
現れたボリスは、壁にもたれ掛かりながら答える。
「可もなく不可もなく、と言ったところか。操縦データが揃えば動きも安定してくるはずだ。明日からはお前達の持ってきてくれた中央都市周辺のデータを使った市街地戦の訓練を本格化させる。併せて機体のマニュアルには目を通しておけよ。何しろ特殊な仕様の多い機体だ」
「それは分かってるけど、『あれ』って本当に使う機会あるの? 僕もそこまで沢山の戦闘の経験があるわけじゃないけど、ビーム兵器なんてほとんど見たことないよ」
〈スヴァログ〉には、先進的な技術を用いたある特殊な防御装置が搭載されている。シオンはそれのことを指して言ったのだ。
対するボリスは、やや厳しい表情で応じる。
「サラの証言、お前達の集めたデータ、それにワシ自身が掴んでいる情報。それらを総合的に見るなら、かなりの高確率で使うと思っておけ」
座ったままボリスのことを上目遣いに見上げるサラは、「私の方からも少しいいかしら?」と前置きしてから質問する。
「ガダル王の非常事態宣言、あれにはどんな意図があると考えているのかしら? プロの意見が聞きたいわ」
「そのためには、まず最近の学生運動の高まりから話す必要があるな。あれらは、そもそも王国側が意図して煽っている節がある。もちろんこの国の情勢を不安定化させ、隙を付いて奪おうとしているいくつかの外国勢力の工作員もいるだろうがな」
「……王国側が? 意外ね。いったい何故?」
「デモを誘発させ、そしてその失敗を決定的なものとして印象づけることで反発の意志を奪うためだろう。それと同時に、国内の反乱分子を発見して粛清したいのだろうな。要するに色分けだ。これに同調するか否かで国に対する忠誠を計ろうというのだろう。非常事態宣言はそのための大義だ。あれが出された以上、今の王国側は、国民に対して銃を向けられる正当な理由が出来たというわけだ。……もっとも、潜伏している武装組織は、それを分かった上で動くだろうがな。それよりもサラ」
ボリスはそう言うとサラの方にあらためて向き直った。
「ワシの口からこんなことを言うのも変な話ではあるが、本当にいいんだな? 本当にお前は自分の――」
「かまわないわ」
サラはボリスの言葉を途中で遮りながら答える。
「私自身の手によるガダル王の暗殺。その成功こそが私の望む結果よ。それが果たされることが、ガダル王を排除したいという貴方の思惑に協力するための条件それが変わることはいわ」