ある座敷童の一生。
誰もが、幸せであって欲しいのに。
いまはむかし。
遠野郷からすこし離れた仙台藩のとある寒村にも、座敷童の話が伝わっている。
主人が病に伏せ、幼い子供を二人も抱えたその家は、さして窮する様子もなく、行商人が来れば小玉銀で支払いを済ませたという。
訝しんだ村人たちも口に出して問いただすことは憚られ、その家の者も決してみだりに語ろうとはしない。
ただ、あるとき。
その家の息子が、母に尋ねたのだと言う。
「我が家に座敷童がいると聞いた。それは本当だろうか。」
人目もある往来でのことである。
母は返答に困ったが、それでも絞り出すように、こう言ったのだという。
「座敷童などおりません。それは悪い噂です。」
以来、買い物にはツケを使い、隣家に物を借りることも増えたそうだ。
居ないと言ったから、座敷童は居なくなってしまったのである。
その家にいた座敷童は、八戸のとある藩士の家に移り住んだのだとも聞く。
――これからする話は、祖母が母に伝え、母が私に伝えた話だ。
そう前置きしたのは私の母だった。代々、一族の女が子を孕むたびに伝えてきたのだと言う。
ある、女の子の話だった。
江戸時代のことだと言うから、大昔の話だ。テレビか教科書の世界である。
飢饉と言うほどではないけれど、ある時、女の子の住む村は続く不作に苦しんでいた。
父は無理が祟って身体を壊し、母は身重で、また幼い弟は立って歩けるようになったばかり。口減らしか身売りか、そんな選択を迫られて、母は泣く泣くその女の子を手放した。
そこまで聞けば私にも分かった。その女の子は売られたのだ。
最初は近場のご城下で身を売っていたけれど、その女の子は器量が良く、一年と待たずに江戸は花街へと売り飛ばされた。
売られた身の上だというのに、少女は細々と実家に仕送りを続け、年季明けに帰郷するのを辛抱強く待ち続ける。
時折届く家族からの文を唯一の楽しみに、客を取って。
娘を売った三両と仕送りの小玉銀で、故郷の家族はなんとか暮らしていけたそうだ。小さかった弟もすくすく育ち、その様子が書かれた文は何度も何度も読み返した。
器量が良かったおかげでもあるのだろう。年季を待たず、彼女を身請けしようという者が現れた。聞けば、八戸直政が参勤に随行した武士の一人であるという。故郷が近く、またその献身に心を打たれて、男は家財を処分し金を用意したそうだ。
とはいえ、女連れで大名行列に参列する訳にもいかず、男は女に文を持たせ、先に故郷へ帰らせることにした。
女は大層喜んだが、その足取りは重くもあった。
いつの間にか、自分は随分と違ってしまった。そんな自分を故郷は受け入れてくれるのだろうか。そもそも、故郷は変わらずにあってくれるだろうか。
村についてからも、女は村人に見つからぬよう、身を隠しながら歩く。
一歩、また一歩。
懐かしい故郷の土の匂い。
まだ桜には早いけれど、梅の香りは芳しく、柔らかな春の日差しに包まれるようだった。
私の故郷だ。私の故郷だ。私の故郷だ。
胸のしこりは溶けて消え、足取りは徐々に軽やかに。
そんな折に、女は弟の声を聴いてしまった。
「もしかして、うちにはお菊という姉がいたんじゃないのか。」
自らの名前を呼ばれて、思わず身を隠す。
「村のやつらが言ってたんだ。ウチは娘を売って、その金で生きていけるんだって。本当なのか。」
知らぬとはいえ、あまりにも酷な問いだった。
母の口から言えるものだろうか。自らの娘を、たった三両で売り払ったことなど。
膨らんだ腹をさすり、女は少しだけ、母の気持ちを理解した気がした。
さんざ逡巡した末に、母はおずおずと口を開く。
その言葉を聞かなければ、少女はなんら気兼ねもせず、帰ることが出来ただろうに。
「――そんな娘はおりません。」
噂など忘れておしまいと。母の言葉を、少女は確かに聞いていた。
女はそれ以降、故郷に近づくことすらなかったという。
仕送りが止み、暮らし向きは少し悪くなったけれど、女の家族はその後も平穏に暮らしたそうだ。
美しい嫁御を取った侍はその後奮起し、大層出世したそうである。
女は決して過去を語らず、その正体を隠し続けた。
けれど晩年のある日、同じくらいに年老いた男が会いに来て、こう問いかけたそうだ。
「もしかして、あなたは――我が家にいた、座敷童ではありませんか」
どう答えたかは、伝えられていない。
そこで母の話は終わりだった。
座敷童が住む家には幸福が訪れると言う。
ならばせめて、かつて座敷童だった彼女も、幸福であって欲しい。
遠い昔の出来事だろうと、そう願わずにはいられなかった。
同人ゲーム版もあります。
いろいろ加筆済み。
https://novelgame.jp/games/show/951