第86話 話したいこと
そう。
答えは降って湧いてきたように、いつのまにか俺の中に現れていた。
「藤堂は俺にとっての――」
あんなに脳内リハーサルをした流れは、すでにどこかへ飛んで行ってしまった。
今はただ、心の奥底から出てくる言葉を、汚さないように拾い上げるだけだった。
俺の脳裏には、これまで藤堂と過ごしてきた、長そうに見えて実のところまだ数ヶ月でしかない日々が蘇っていた。
それらは俺にひとつの答えを教えてくれた。
それは純然たる事実で、確かに気がついてみれば、まさにその通りの感情だった。
「う、うん……」
藤堂がどこか怖じ気ついたような表情をしていた。
まるで鬼が隠れている部屋の扉を開こうとしているかのような感じに見えるが、目の前にいるのはただの雑魚キャラだ。
そう。
俺は雑魚でMOBで陰キャの黒木陽だ。
だからこそ、胸を張って、藤堂へ伝えなければならない。
「俺はな、藤堂。気がついたんだ」
「は、はい……?」
なぜか藤堂の背筋が伸びた。
俺も身が引き締まる思いがした。
気がついてみたら、あっけないほどにそれは正しく思え、俺の気持ちを補強してくれた。
「藤堂は俺にとって――」
「わたしは……? 黒木にとって?」
「とても大事な――」
「大事……な」
「――たった一人の」
「……う、うん」
「俺のリアルゲーム仲間なんだってことに気がついたんだ」
「は?」
藤堂の気の抜けたような声。それは姿勢にまで影響するのか、あんなに綺麗だった背筋が、どこか前かがみになっていた。
「ゲーム仲間……って言った?」
「ああ、言ったぞ」
「わたしが、黒木の、ゲーム仲間?」
「だって、そうだろ。俺、気がついたんだよ。藤堂が実のところ、妹以外で、高校入って初めての――ていうか、中学時代を考えても、リアルのゲーム仲間だったんだ」
藤堂の体から力が抜けたように見えた。
「あ、はい」
「だから俺は藤堂がやっぱり世間に認められるような仕事をするのは、嬉しいんだと思うんだ。仲間が認められると、嬉しいもんだろ?」
「そうですね……」
「その敬語になるキャラはなんなんだよ」
よく遊ぶ友達が、ゲームの世界大会にでも出たりしたら、間違いなく誇らしくなるはずだ。
つまるところ俺は、藤堂という存在が世間に認められることによって、自分も嬉しくなると信じているのだろう。他力本願ながら、それでも仲間を応援したい気持ちなのだろう。
「なるほど、ね――」
藤堂は数秒前まで、人を疑うような視線をしていたが、応援したいという話をしたあたりから少しずつその表情を軟化させた。
「――それにしても、ゲーム仲間か……まあ、そうだけど、実際。なんていうか、夢がないね、黒木はさ」
「え!? ゲーム仲間だぞ!? リアルの! めっちゃ夢あるだろうが!」
娯楽にあふれているこの世界で、同じゲームを同じ熱量でプレイできることは幸せ以外のなにものでもないのだ。
それがさらに、同じ地域に住んで、同い年で――なんて数えていったら、どれくらい藤堂との出会いがすごいことなのかを実感できるってもんだろう。
しかしその感動は、藤堂に伝わらなかったようだった。
「はいはい。わかりました」
藤堂はもうこの話は終わったかのように手をひらひらさせると、わざとらしくため息をつきながら、スマホをいじり始めた。
……そのタイミングとその態度でスマホいじられると、なんか書き込まれてんじゃねーかと愚考してしまうのは、やはり俺が愚かだからだろう。
しかし、それはそれで良いタイミングかもしれない。
俺が愚かなことはもう分かりきっているのだから、今更失うものもない。
俺は、もうひとつの感情もきちんと伝えることにした。
それはやはり、事前の脳内ミーティグでは明らかにされていなかったルートを通り、しかし結果的に同じ感情にたどり着いたようなものだった。
「だから同時に、俺は寂しかったんだと思う。矛盾してるけどな……」
「わかったわかった――え? 今なんて言った」
「……だから、その、仲間においていかれるような感じは、それはそれで、別問題としてあるんだろうなってことだ。俺が愚かなだけかもしれねーけど」
「別に、変じゃないけどね……? それにしても寂しかったの……?」
「ああ、多分な……」
「へ、え……。そっか、寂しかったのか」
「悪いかよ……」
「別に、悪くないけど……」
そういう藤堂の表情は若干、おかしい。
不安と期待が入り混じったような、複雑な表情に見えた。
「まあ、そういうことだ。でも最終的には応援してるからな」
「……ありがと」
やっぱり同じものを好きになって集まったメンバーならば、次に興味が移行しようとも、その『次』は一緒のものがいいに決まっているのだ。
だから二律背反した思いを俺は抱くのだろう。
アンビバレンスなそれぞれの答えの間を、俺はいったりきたりとするのだろう。
でも、それでも――やっぱり藤堂が世間で有名になることは、ただただ誇らしい気もするのだった。
ということで。
唐突ではあるが、話は終わった。終わっていた。
まったくもって予定と同じにならなかったが、着地地点は似たようなものだった。
藤堂は視線をわずかに落として、ぽつりと言った。
「黒木、ありがとうね……うん。なんていうか、黒木を巻き込んでしまったのかと思って、色々悩んだりもしたんだけど」
「ああ……? 勉強とかなら、別にいいぞ」
「勉強もそうだけど、色々ね……あたしの色々に付き合わせちゃってるから」
「……? よくわからねーけど、まあ、気にするなよ」
「うん、ありがと、黒木。でも――」
俺はそうまでしても、リアルゲーム仲間の藤堂と一緒に遊びたいらしいからだ。
「――まあ、そういうのも込みで、色々巻き込んでしまったから。わたし、少し反省した。今日、黒木が色々話してくれたから、なおさら」
「反省? どういう話の流れだ、それ」
藤堂の持って回した言い方にどこか違和感を感じて、復唱してしまった。
それが何かをつついたのだろうか?
何かのボタンとなっていたのだろうか?
藤堂は「ちょっとさ……」と話を蒸し返してきた。
「ひとつ質問させてよ、黒木」
「なら二つ目だろ」
「細かいこと言わないの」
「理不尽すぎる……」
机の下からガシガシとすねを蹴られた。
なんだかやっぱり最近、藤堂はどこか幼い感じがする。
行動にそれが出ているかと言われると微妙なところだが……何かに波及していなきゃいいんだが。
「ねえ、黒木。その夜に会ってた……漆原さん? とは、どれくらいの時間を過ごしたの?」
「漆原? 時間ってのは、話してた時間ってことか」
「そう。早く答えてね。勉強する時間が数秒減っちゃうんだから」
「予定が秒単位すぎる……」
けれどできるやつっていうのは、本当に秒単位で動いているのかもしれない。
さて、俺は思考を無意識のうちに動かして、藤堂の質問に真面目に答えようと準備をした。
「……話したりしてたのは、全部で五時間くらいだとおもうけどな」
「五時間か……」
「多分だけど」
「五時間だと、十三時に集まっても十八時には解散って感じだね」
「なんの話だ……?」
まるで勝手に旅行計画を立てるかのように、藤堂は何かを指折り数えては、考えている。
「藤堂?」
「黒木さ」
「な、なんだよ」
「五時間、つきあってよ」
「……は?」
「は、じゃなくて。わたしの買い物に、付き合ってってこと」
「それは、また、なんで?」
物事には適材適所ってものがあるだろう。
さすがに俺も自分の苦手分野はわかっている。
だから拒否したかったのだが……逃げられなかった。
「理由なんて、ないから。ただ漆原さんって子に五時間使ったなら、わたしにも使いなさいってこと」
「いや、だからなんでだよ」
「しらない」
「なわけあるか」
といいつつも、俺も俺の気持ちがよくわからないのだから、藤堂がちょっとした矛盾を押し付けてきても、文句は言えないだろう。
藤堂はなんだかやっぱりよくわからない表情のまま、こんな行き当たりばったりの話し合いを終わらせてきた。
――同時に別の、何かの、スタートボタンを押した。
「黒木。こんどの土曜。ちょっと買い物でも付き合ってよ。とりあえず原宿は行きたいから」
「……は?」
それってあの人がめちゃくちゃ多い、原宿ですか。
いきなり何を交渉してきてるんだ、お前は。
「無理だろ。俺だぞ?」
「ふーん。他の女の子には深夜でも会うくせに、日中の原宿には付き合えないんだ?」
「いや、わけがちがうだろ……」
「わけなんてあったの? 深夜に会いに行くわけが」
「そりゃもちろん――」
漆原とのわけを考えてみる。
が、電話でもまあ、済んだはずのことかもしれない。
もちろん色々な思いもあったが、それを言語化するには、時間が足りないようだった。
「――いや、ないかもしれない」
「じゃ、あたしに五時間ちょうだい。それだって意味がないけど、わたしはそうしてほしいの――それに」
「それに?」
藤堂はまたしても深呼吸をした。
それから少しも動じている様子のない、冷静な声音を使い、こう言ったのだった。
「あたし、黒木に話したいこと、出来ちゃったんだ」
茶化すような言い方だったが、その表情をみれば、ふざけた言葉には聞こえなかった。
話したいこと?
この俺ごときに?
話しておきたいこと?
……それって一体なんだろうか?




