第80話 嘘
放課後になり、人の流れに逆らうように――とまではいかないまでも、中心を貫くように流れていく時間から、少しずれた場所を進むようにして、俺は階段上の踊り場へと向かった。
どう行動すればそうなるのかは不明だが、藤堂は当たり前のように俺より先に到着しており、さらにいえば、机につっぷしていた。一瞬、殺人事件の現場に見えて、固まってしまった。
金色の髪が、明かり取りからさしこむ太陽光を受けてきらきらと輝いている。
水死体みたいに髪が広がってるな、と表現したらぶん殴られそうだったが、そもそも耳を済ませば、遠くから――いや、遠くというのは俺の個人的な距離感における誤用であり、実際は目の前の藤堂から、寝息が聞こえてきていた。
「すー、すー」ってな感じだ。
いくらなんでも寝つきが良すぎるだろうと思う。
俺との到着の誤差なんてたった数分。
ようするにこいつは、その数分間で眠りにはいったということになる。
――まあそれだけ、疲れているとも言えるか。
藤堂が何に疲れているのかは知らないけども。
俺の話だってしてないから、俺が藤堂の話をしらないのも納得できる――ん? 何に納得だって?
よくわからなくなってきたので、頭を振って雑念を払う。
俺はしずかに椅子をひいた。ゲームになぞらえれば、リセットボタンみたいなものだ。
音がしないように座って、バッグを脇におく。
ふと思い出されるのは、数ヶ月前の出来事。
そういえば初めの頃も、こんな場面があったっけ。
いや、何が初めで、何が終わりであるのかもやっぱり俺は知らないけども。
「……頭がごちゃごちゃするな」
漆原を発端とする――と思われるショック症状から立ち直れていないのだろうか。
まるで既視感のあるゲームのオープニングを見せられているように、記憶をなぞるようにして――以前もこんなことがあったようだ、なんて他人事のように考えている自分がいる。
いや。
ようだではなく、確かにあったのだ――黒木陽よ、これはゲームじゃなくて、リアルなんだぞ。
あの時も俺は、藤堂を起こすことはできず、そばで座っていた。
そして起きた藤堂に「起こしてくれればいいのに」と睨まれた。……気がするが、どうだったか。
記憶はどこか遠く、目を凝らさないとしっかりと映らない。
それにしても、そうだな。
俺は学ぶ男だからな、うん。
目の前の美少女を、俺なりに起こしてみるか……?
決して、臆してはいないぞ。
ついでに、この前みたいに怒られて、すこしショックを受けてしまう自分が嫌なわけでもないからな。
本当だぞ。本当に。
「……おーい、藤堂。おきろー」
問いかけに反応はない。
そりゃそうだろう。
藤堂が起きないように限りなく小さい声で発言したのだから。
なんたるチキンハート。
「はぁ……」
俺は目の前で、やはり水中をただようように、ばっさーと広がる金色の髪を見ながら――ああ、金色ってだけで、こんなにも綺麗にうつるもんなんだなと、雑に広がったソレをみて考える。
まあ、女子としては、見られたくない一幕だろうけども……いや、別に、男としても同じか。まあ、うん。いいや、めんどくせえ。
「そういや、揺らせとかいってたっけ……?」
机を揺らすんだっけか。
そしたら確実に起きるだろうな。
でもなんか、つっぷしているし、机を揺らしたら、肌がこすれて赤くなりそうだ。
モデルさんのなかには、自分の「身体」に、保険をかける人がいると、テレビで見たことがある。
足だとか、指だとか、パーツに保険をかけられもするらしい。
もしも藤堂の顔に保険がかかっていたら、俺は責任がとれないぞ。
それに――そもそも、肩を揺らせと言われたんだっけ?
ふと、藤堂の華奢な肩を見る。
俺も男のなかではヒョロヒョロとしているが、藤堂はもっとこう、なんていうか、根本的に素材が違う細さだ。
飴細工みたいに細く、輝いている――つよく押したら、割れてしまいそうだ。
俺の手が揺らす?
脆くも美しい素材で出来た肩を?
そんなバカな話があるか。
でも俺は気づいている。
俺は人間だし、藤堂も人間だし。
ゲームはお互いに好きなようだし、そのための時間も平等に用意されている。
だから――だから俺は、藤堂に触れたって、いいのかもしれない。その権利は、平等にあるのかもしれない。
「……それこそバカをいえ。つりあわねーよ、人間レベルが」
手を伸ばせば簡単に届く距離のはずなのに、俺にはどの道のりよりも長く感じられた。
◇
藤堂が寝ているのを確認してから、19分が経ったころだった。
「ふえ……あう……」
藤堂が宇宙語を口にした。
それから、のっそりと起き上がり、どこか散らばっている印象の髪の毛を両手の手ぐしで一房にまとめながら、おそらくだがぼやけている視界が安定してきた頃――藤堂は全てを悟ったらしい。
「いっ」
と、その美しいピンク色の唇を横に伸ばして、驚きを表現していた。
それからすぐに、眉をひそめていった。
「そばにいたんだったら、起こしてよ」
「いや、随分気持ち良さそうだったからな……」
嘘ではない。
実際、本当に気持ち良さそうに寝ていたので、起こすのをためらったのは本当だからな。
俺の迷いをしるやつは、俺しかいねーんだから、それでいいのだ。
とはいえそんなことを言っても、反論をくらって撃沈するだけなので、俺は何もいわない。そういうことに慣れてきたのか、藤堂も、必要以上に言葉を重ねることはなかった。
「あー、もう、やだなぁ……」
藤堂は髪をくしけずりながら、自分の口元に手の甲をあてて、ヨダレをさりげなく確認。
もちろん何かが漏れている様子はないので、それ以上の何かはない。
完璧な人間は、不意打ちをくらっても完璧に寝るということらしい。
ちなみに俺が寝たらまず間違いなく寝癖ができる。
「黒木はさあー、ほんと黒木だよね」
「いや、気持ち良さそうに寝てたし、それでいいと思ったからさ」
「そんなに寝顔まじまじ見ないでよ」
「み、みてねーよ!」
「……写真とってないよね」
「半分確定みたいな疑いの目をやめろ!」
「まあ、自分で見るだけなら許してあげるよ……」
「撮った前提で話すな」
「流出してお嫁いけなくなったら責任とってよね」
「だから撮ってねーよ!」
「……ま、いいけど」
それから無言が生まれた。
意味もなく生まれた気がするし、そこに意味があるような気もした。
一つわかるのは、急に、何かに耐えられなくなって、思わず先を急いでしまったことだ。
全部俺の責任だ。
「……で、話ってなんだ?」
「あ、うん」
――わたしから話すから。
藤堂はそう言っていたのに、愚かな俺は、愚かにもそんなことを自分から聞いてしまった。
触れたら壊れる飴細工。
太陽光を受けても溶けずに輝いている。
でも。
噛んだらどうなるのか、俺は知っていたろ?
「ああ、うん」
藤堂は、サラサラの髪にわざわざ指を通した。
それはサンキャッチャーのように、美しくも眩しく見えた。
「あのね、わたし――短期間なんだけど、学校、これない曜日とか、あるかも。仕事で。ちょっとした大きな仕事がはいって……、だから、うん。なにがってわけじゃないんだけど、そういう話なんだよね。もちろん勉強、頑張ろうね、って話もしたいんだけど……黒木? 聞いてる?」
「あ、ああ、うん」
え?
意味がわからない。
いや、意味は分かる。
驚いただけなんだ――あれ、今、声を出してるか、俺は。
モデルの仕事が増えたということだよな。それはめでたいことだよな。才能が認められてるってことだろ。
俺はそんなやつとゲームしてんだぞ、すげーじゃねえか。
でも、なんで急に?
まさか俺の勉強が間に合わないからか?
いや、そうじゃない。それはまだ先の挑戦だ。
家の方針か?
いやだから、勉強してんだろ。
なら、あれか。
俺とゲームをするかわりに、オーディションをOKにするとかなんとかいってたから、その結果なのか?
なら俺の勉強は、意味があるのか?
いや、点数をとれば、二人でゲームしていいはずだから、嘘じゃないだろ。
ただ、変化が先に来ただけだ。
欲しい装備が、欲しいときに手にはいるなんて、嘘だ。
バランスが緻密に設計されたRPGじゃなきゃ、実際には、必要なものが、必要なときに手にはいるわけじゃない。
それに、落ち着けよ、なにも変わらないだろ。
退学するわけじゃねーんだから。
短期間って、藤堂も言ってるんだから。
そうだよ、なにを俺は焦ってんだよ――でも、なんだか、藤堂が、別の世界への第一歩を踏み出しているような、そんな気がしてないか?
でも、それは確定事項だったはずだ。
俺は分かっていたはずだ。
だって、藤堂はもともと特別な――。
「よ、」
俺は、一気に焼けついた喉から、しぼりだすように声を出した。
「よくわからねーけど、なんかすごいことっぽいな」
「あ、うん。結構、仕事としては、大きいみたいで、だから迷ってたんだけど――」
藤堂がなにかを言う前に、俺は言葉を重ねた。
――わたしから、話すから。
飴細工はバキバキに折れている。いや、折れているんじゃない。
俺の、
弱さが、
折ったのだ。
「まあ、良かったな、才能、認められてさ。きっと茜も、喜ぶぞ。有名人と友達だーとかいってさ。親父はいわずもがな、母さんも以外とミーハーだし、まわりに自慢しまくると思う。黒木家がさわがしくなるな――つっても、仕事の内容は知らねーけど、でも、広告されるんだろ?」
「そう、だね。詳しくはまた話すけど――えっと、じゃあ黒木も誇らしいとか、思ってくれるの?」
「え?」
俺はいま、どんな顔をしている?
時間はいま、動いているか?
「え、じゃなくて。黒木家って、黒木だって、入ってるよね」
「あ、ああ、そりゃ、そうだな。捨て子じゃなきゃな」
「うん」
「まあ、戸籍上の確認はすんでるから、俺は黒木家の人間だ」
「で、どうなの?」
「黒木家の、総意だろ?」
「黒木の話だよ」
「なるほど。俺の気持ちか」
笑えよ。
冗談だぞ。
誰が笑えって?――お前だろうが、黒木陽。
ペラペラ喋って、気持ちが悪いんだよ。
だから、お前は、一人なんだよ。
不思議なことに、いままでの記憶が甦る。
藤堂との時間が、手放したくないものへと、変わっていくのを感じた。
俺はどんな風に生きていたっけ。
俺はなにを思って生きていたっけ。
『ゲーマーの俺には友達はいない。
別に寂しくはない。むしろ気が楽だ。
嘘ばっかり。うわっつらだけで笑う。それがつまらなくても笑う。
だったら一人でゲームをしてたほうがどれほど楽しいことか!
だから俺は今日も一人で弁当を食って、
今日も一人で授業をだらだら受けて、
今日も一人で下校するはず――だった
死ぬまで話すことになんてならないだろうと思っていた藤堂真白に出会うまでは――』
「そりゃ、もちろん。俺も嬉しいさ。才能あるやつは、認められるべきってのが持論だからな」
なあ、おい、お前。
黒木陽。
まさかお前、嘘なんて、ついてないよな?
すごい、せいしゅん、してる、かんじが、します(白目)
黒木がんばれ!
まさかの、芸能界編がはじまるんだぞ!!!
漆原に相談する未来がみえみえだけど、教えてもらえるのは、自分の行動パターンと、ストーキングの仕方だけだぞ!!




