第61話 なんて話せば
ふと記憶の海から顔を出す。
「ねえ、黒木。大丈夫?」
下駄箱から靴も出さずに固まっている俺に、藤堂はさすがに怪訝そうな視線を――向けていなかった。
俺の錯覚でなければ、ものすごく心配そうな表情を藤堂は浮かべていた。
意外だ。
ストレートな感情表現。
まっすぐな視線に偽りはなく、美術品のように整った表情が俺だけのために浮かべられていた。
俺の思考はぼうっとした。
ぼうっとした脳内に、直感的な印象だけが残る。
『あなたのアカウント大丈夫? セキュリティパスは忘れずにね』
みたいな言葉が添えてあるポスターみたいな奴だな、とぼんやり考える。
やはりモデルだ。
いちいち様になる。
けれども、こういう表情はあまりしてほしくないな、とも思う。
藤堂にはもっと明るい表情が似合う。
自信に満ちていて、力強い。いじめが発生したとしても、こいつがそこに現れるだけで、さっと安寧がおとずれるようなそんな表情が、こいつにはある――って、いや、なんでそんなことを考え始めてるんだ。
自分の情けない過去の戦いを思い出した結果だろうか。
当時の話の主人公が藤堂であれば一ページで終わるところを、俺のせいで、数倍になっている。
ああ、情けないぜ……。
「黒木? ほんとに平気?」
「大丈夫だ。セキュリティに関しての意識は高いはずだ」
「……はあ?」
さすがのさすがに藤堂も怪訝な表情を浮かべた。浮かべてくれた。
怪訝から、胡散臭そうな、どこかバカにするような表情へと移ろっていく。
笑顔ではないけれど、やっぱりこいつには、こういう表情のほうが似合うと思った。生命力に溢れていると思う。
「黒木は、もうさー」
藤堂は靴を履き終えると、バッグを肩にかけて、腰に手を当てた。
まるでモデルみたいなポーズをするやつだと思ったが、こいつはモデルで間違いがなかった。
やけに短いスカートの端があがって、太ももに引っかかる。
あれ、ていうか、こいつこんなにスカート短かったか……?
いやもちろん、そんなこと聞いたらぶん殴られるだろうから、黙っているけれども。
昼間に見た時と、放課後の時とスカートの長さって変わるんだろうか。
まあいいけど……。
藤堂は茶化すように言った。
「あーあ、モテる男は違うなー」
「だからそういう話じゃないって言っただろ……」
いつまでも突っかかってくる藤堂は、結局、俺の言葉を理解してくれなかったようだ。
何度も言うが、俺も理解していないからそれは仕方ないだろうけども。
「はやく言えー?」
「言えることは、言ったって……」
「……言えること?」
「いや、なんでもない」
「おい、黒木」
「こええよ!」
結局、帰路が分かれるまで、俺は藤堂に絡まれることになった。
俺に友達が一人増えるだけで、藤堂も大げさだ。
……と、人ごとのように考えている自分は、もちろん気がついている。
これがそんな単純な話じゃないってことぐらいは、もちろん気がついている。
◇
風呂に入って天井を見る。
それからスマホを手に取った。
防水防塵のスマートフォンは本当に便利で、こいつがなければ俺の風呂タイムなんて数分で終わる自信がある。
「送信……」
スマホの画面には、チャットアプリが表示されている。
相手は『Aoi』。
ようするに漆原だ。
「送信ボタン……」
言葉に反して、俺の指は動かない。
スマホの入力欄には、さきほどから大したことのない一文が表示されていた。
『付き合うって、何に付き合えばいいんだ?』
一見すると質問しているようにも見えるが、穿ってみれば、自問自答しているようにも見えるだろう。
正直なところ、これは俺の本心だった。
藤堂に放課後、話をしていて、心の整理がついたともいえるが――実のところ、付き合うというのは、聞き間違い……という点は薄いが、それにしても漆原の真意は不明だ。
付き合うって、何に?
付き合うって、どういうこと?
わたしと、付き合ってくださいだっけか。
わたしに、付き合ってくださいじゃなかったか。
あまりにも唐突に、当たり前のように言われた。
『友達なんだから、ゲームソフト貸してくれよな』ぐらいの話だったが……よくよく考えれば、『付き合う』にしたっていろいろな意味がある。
漫画やラノベなら、これはただの聞き間違いという展開になる。
これもきっと、そういうオチなのだと思った。
あこがれのヒロインに誘われて、一人で舞い上がっている主人公が、デートの待ち合わせ場所に行ったら、クラスメイトがたくさんいた感じ。
そういうオチ。
付き合うという言葉に、俺は過剰に反応しているけれど――もしかしたら、違う意味なのかもしれない。
そう。
そうだよな。
俺は一人で納得した。
「だいたい、久しぶりに、それも偶然会った元同級生に、告白まがいのセリフはねえだろ。しかも相手、俺だぞ」
ブツブツと呟く言葉は、風呂場の天井にぶつかっては頭上に跳ね返ってくるようだった。
そうだよな。
藤堂だって焦るぐらいにおかしな話なのだ。
おかしな話ということは、おかしくない解釈のほうが正解なのだ。
藤堂は邪推していたけれど……そんな深く考えずとも、バカみたいなオチが待っているに違いないのだ。
そう。
そうだ。
そういうことにしよう。
「よし。そうと決まれば……」
俺は楽になりたい。
さっさと『あ、そういうことだったのか! いやいや、こっちの話!』的な心境になって、全てを忘れ去りたい。
こんな立場の隠キャが、まさか、深夜に告白まがいのセリフをぶつけられて、舞い上がるとは……恥ずべき勘違いである。
「送信するぞ――よし」
俺は自分の勘違い火種にして、勇気の行動を起こした。
『付き合うって、実際、なんの話なんだ?』という文章に変えて送った、俺の一撃。
RPGであれば、イベントの末に手に入れたラスボスの弱点魔法みたいなものを使う気持ちで、俺は送信ボタンを押した。
少し待てばきっと、『あ、ごめん、それはね――』みたいな連絡が来て、俺の馬鹿さ加減が判明することだろう。
――ぽこん♪
思ったよりも早く戻ってきた返信を俺はさっと見た。
『Aoi:連絡ありがとう! あと、ごめん、いきなりで、きっと意味がわからなかったよね。それはね』
ほらきた!
変なところで文章が切れてはいるが、予想通りの展開だ。
俺はまるで予知能力者にでもなったような気持ちで、画面を見る。
見る。
見る――ぽこん♪
『Aoi:具体的に言うと、付き合ってっていうのは……よくわからないんだけど、いまより仲良くなることじゃないかな……?』
『Aoi:スタンプ(あせあせ)』
「……いや、まじで、なんなんだよ……、心から意味わからねーよ……ていうか、ぶっちゃけ、少しこええよ……」
俺はスマホを持ったまま、湯船に潜りたくなった。
背筋が寒くなったが……、いや悪意はないだろうから、警戒はしないけどさ……。
でも、疑問は尽きない。
なぜ俺はこんなことに巻き込まれているんだ?
勉強の息抜きに雑誌を買いに行って、遠回りして帰宅しただけだぞ。
たしかに漆原は空気の読めない奴だった。
当時の言葉でいえば、KYというやつだった。
だけど、嘘をついたり軽口を言ったりするような、軽薄なやつではなかった。
「なのになんだ、このアホみたいな話は……」
水滴が落ちてきて、頭に当たる。
スイッチが押されたように、藤堂の姿が浮かんだ。
短いスカートを翻して、振り返った顔は――どこか不満顔だ。
「ああ、藤堂になんて話せばいいんだ……」
そんなことを呟いた瞬間、俺は思ったのだった。
ハッとなるくらい、当たり前でいて、しかし驚きを伴う気が付きだった。
――いや、別に報告義務なんてねーだろ、と。
――藤堂と俺は、そこまでの関係にないだろ、と。
脳内に住んでいる金髪美少女から『ふふん』と鼻で笑われた気がした。
それがどういった意味の『ふふん』かはわからなかった。
俺の価値観はズタボロになってしまったようだった。
それもこれも、漆原葵のせいだ。
こんな状態だと、勉強だってうまくいかない。
いくら無関係だとしても、勉強の件は、藤堂と交わした約束だ。
こんなことで未達成になっては、さすがに合わせる顔がない――藤堂の両親に。
「とにかく漆原にもう一度会って、きちんと話をしねーとダメだ……、このままじゃ、わからないことだらけで、気味が悪い……」
まるで、意味がわからないストーリーのまま進むRPGの、意味のわからないエンディングを見せられているみたいだ。
「……ああ」
その時ふと思い出した。
そういや昔も、こうして風呂に入りながら、漆原に関わる決意をしたことがあったっけ――。




