第60話 過去編①
メモリーという章タイトル。
過去編を書くというだけの、単純なタイトル……。
本当にクズばかりだ、利己的なやつなんて、みんな死んじまえばいいんだ――黒木陽の頭の中に住んでいる、もう一人の俺ともいうべき人格はいつもそう考えている。
自分のことしか考えねーやつが世界を悪くする。
やつっていうか、それはもう、この中学校に通う生徒ばかりではなく、教師を含めての話だ。
ていうか、地球の話でもあるけれど。
厨二だろ?
いいさ、認めるさ。
黒木陽なんていうただの中学生が、なにを言ってもただの戯言だ。
くそみてーな世界と言ったって、くそみてーな人間だと言ったって、結局は家でゲームをして、銃で他人を撃っている少年でしかないんだろう。
そのゲームをするための家だって、電気だって、機械だってなんだって――そのクソ認定した人間が作ってるんだ。
矛盾だらけの平和主義者みたいなことを言っていることなんて、重々承知している。
だけど、やっぱりクソだらけの世界だと俺は思う。
それは間違いだろうか?
◇
夏休み明けの登校日。
楽しかった逃避行も数日前に、泡沫となって消えた。
中学最後の夏休みも、すぎてしまえばただの記憶に過ぎず、一・二年であれば変貌する奴もいるけれど、高校受験を控えている身となれば、ただの過日にしかなりえない。
今日はついてないな、と俺はぼんやりと考えていた。
なぜなら普段は目さえ合わないような教師から、授業で使用した教材の片付けを命じられたからだ。
しかもそれだけではない。
資料を片付けていたら、運悪く指を切ってしまった。
さらに。
保健室へ絆創膏をもらいにいったら運悪く教師が見当たらなかったのだが……待っている間に適当にスマホをいじっていたら、普段はやってこないような体育教師が保健室に突然入室してきた。
一大事になるところだった。
なにせ学校内でのスマホ操作は禁止されているのだ。
『いや、怪我したんで、親にちょっとした連絡を……』という思いつきでなんとか乗り切ったが、もはやここまでくると、今日はトラックにでも轢かれそうな気もしてきた。
ラノベじゃあそれで転生するはずだが、俺にそんなことは起きない。
だからこそ、はやく帰ろう、これ以上何かが起きる前に――と、人気のない昇降口に足早に近づいた。
その時だった。
その会話は聞こえてきた。
複数の女子の声。
どこか軽くて、他人を馬鹿にしているような声音。
「――やっぱり漆原、だるくね?」
「ね。夏休み中も、せっかく誘ってやったのにほとんどこねーし。顔がちょっといいから調子乗ってるタイプ? 最初は悪くないと思ったんだけどなー」
「いや、でもそういうタイプでもないんじゃね。なんつーか天然ぽいし、考えるだけこっちがバカみるでしょ。多分本人、浮いてんの気がついてねーから」
「まあそうだけどねー。なんかそういうの含めて気に入らない感じだわ」
「でた、でた。なんか気に入らないのー?っていう感じ。そこからランクアップで、攻撃でしょ。で、さらにランクアップでハブでしょ? で、その上が彼氏にお願いして追い込むんでしょ」
「それランクダウンじゃない? まあいいけど。っていうか漆原ごときに男なんて使わねーから――あ、そうそう、そういえばさ、この前、先輩が言ってたんだけど――」
少子化とはいえ、学区が統合されたせいで5クラスも存在する中学校において――というか友達などいない俺にとって、声の主を推測することなど至難の技だった。
だが大きな声で喋っていた女だけはわかる。わかってしまった。
なぜならそれは俺の在籍するクラスの女グループのボスだから。
つまるところ、今話していたのは、なんちゃって運動部として名高い軟式テニス部のグループなのだろう。
俺はバカどもの顔を見るのも嫌気がさして、足を止めていた。
結果的に盗み聞きみたいな感じになったが、あんな大声で話しているやつらが悪い。
俺だって、中一の時はグループわけを意識して頑張ったりもしたし、友達の誘いも断らずにつきあってみたりもした。
だがそこで見たのは、先ほどのような会話ばかりだ。
誰がうぜえ、とか。
誰が悪口言ってた、とか。
誰が勘違いしてる、とか。
よし、わかった。
俺が断言してやろう。
お前らが死ねば、地球は平和になる――だが、俺はそんな危険発言はせずに、黙秘を貫くことにしていた。
ついで、いろいろな勘違いを与えないように、グループから外れてもいた。
その果ての、ソロ活動。
その結果の、友達ゼロ人。
お前らのことは知らねー。
だからお前らも俺のことを知ろうとするな。
それでも俺は生きているし、なんの被害もなく、暮らしていた。
だが、そういう風にやれない奴も世の中にはたくさんいる。
断ればいいものを断らなかったせいで、勝手に仲間扱いされたあげく、気に入らないという理由で攻撃されるやつ――たとえばそれは、中途半端な時期に引っ越してきた、めちゃくちゃ可愛いけれど、まったく空気の読めない女子生徒とかだろう。
大丈夫。
お前は全力で被害者ぶっていい。
俺は転校生を支持する。
それにしても……嫌な話を聞くくらいには、運が悪いらしい。
「さっきの話……同じクラスの漆原に間違いはないよな」
なにせ珍しい名前だ。
間違うほうが難しいだろう。
漆原葵――三年で引っ越してくるのも珍しいが、転校時期はそもそも二年の終わりごろだった。
明るくないわけではないが、暗いわけでもなく、なんだか曖昧な印象のやつだ。
おどおどしているかな、と思えば鋭い発言をしたりと、いまいちよくわからない。
ただその顔は人形のように可愛らしく、きっと馬鹿女グループは、それを利用して何かしようとでもしていたんだろう。
いつだってクズはクズなのだ。
だが猿女の目論見は失敗した。
漆原は、なにか、どこか、俺からみても、色々と下手くそな奴だったからだ。
そもそもああいう奴は俺側の人間だ。
集団行動なんて向かない。
それを『天然ぽいやつ』と評価するのは簡単なことだし、空気が読めない奴、と言うのも容易いだろう。
だが、それが原因で漆原の人生に、何かが起ころうとしていることは、まったく簡単なことではない。
少なくとも、世の中が素敵であると思えるような展開には恵まれない。
そんな簡単なこと、俺にだってわかる。
「注意一瞬、怪我一生……」
いじめの始まりは唐突に。
俺の座右の銘は、何かを物語っていた。
◇
昇降口のくだらない話――いや。俺にはそれを『くだらない』と一蹴するだけの達観はなかった。
だから俺はその夜、色々と考えた。
考えてしまった。
まず、くだらねー世界を壊す妄想を何度もした。
次に学校に火を付けてみたりしたし、天災を願ってみたりもした。
愚考を、愚行であると一蹴するには短すぎる夜の時間の中で、結局たどり着いたのは、俺の主義とは真反対の答えだった。
翌朝の朝食。
向かい合って俺とご飯をたべる妹――アカネは俺の顔をちらりと見た。
「にいにって、悩みがあるとき、すぐ顔にでるよねー」
「別に悩んでなんかねーよ」
「へー、そっか、それはごめんなさい」
「……ふん」
「ふん、だって。それ、漫画の中でしか聞いたことないよ、にいに」
「……ふん」
まだまだ子供だと思っていた妹の茜に、そんなことを言われてどきりとしたのを誤魔化すように、俺はくだらない会話に乗っかった。
悩み?
まさか。
俺が悩むだって?
それも、他人のことで――それこそ馬鹿みたいだ。
人の人生が、ずれていってしまうタイミングを間近に見てしまったことは、ショックというわけではない。
どこにだってそんな話はあると思う。
第一、俺の関係のない話だ。
漆原だって、まともに話したことすらない。
そんな奴のために、なぜ俺は悩んでいるんだ?
歯磨きを終えた洗面台。その鏡にうつる自分の顔に語りかけた。
「別にいじめが始まると決まったわけじゃねーし……何かをするっても、何かをするほうが悪影響かもしれねーぞ」
そう。
何かが決まったわけではない。
「別に、俺には関係ねーことだし……」
そう。
俺に関係のある話では全くない。
「話だって、たまたま聞こえてきただけだし……」
そう。
たまたま耳に入ってきただけで、聞き出したわけではない。
「……だから、俺が悩む必要はねーんだよ」
独白が、なんだか虚しく聞こえるのはなぜだろうか。
その答えを俺は知っているような気がした。
◇
登校はスイッチとなった。
俺の心の中のフラグが成立し、あんなにうだうだ悩んでいたことが、ボス猿軍団と漆原を見た途端、一気に傾いた。
悩むことはない――俺は好き勝手に動いて、このくだらない世界を、少しは見れるものにしていた。
せめて、自分の見える範囲ぐらいは、不快なものを消毒したい。
だからこそ、俺は、誰から見ても愚かで、他人からすれば気持ち悪く、ただの自己満足としか見られないだろう――それでも止める気などまるで起きない、静かなる戦いを、一人で始め、そして終えることを決めたのだ。
よってこれは、戦いの話ということになる。
俺が漆原を一方的に哀れみ、助けるといいつつどこか見下し、それでもやっぱり防ぎたいと思った、そんな戦いの話ということだ。




