第55話 貸してくれ
俺とアイツは友達じゃない。
二人目の、友達じゃない、なにか。
やっと説明できた、タイトルの二つ目の意味。
ヒロインは二人? いえ、一人です。
主人公が大事なことに気がつくような、気がつかないような章。
出会いは突然に、とはアニメや漫画でも頻繁に聞く表現だが、現実にそれが起きると、あまりにも突然すぎて脳みその処理が全く追いつかないことを知った。
しかし不思議なことに、彼女の名前だけは自然と思い浮かんでいた。
慌てることなく、イメージとともに浮かぶ言葉の羅列。
――漆原葵。
日本人形の様なその姿は、日頃見慣れてしまった例の金髪美少女とは対極に位置している。
白い肌、黒いロングヘア。
和服が似合いそうな造形だが、当然、そんなものを深夜に着用しているわけはない。いや、深夜じゃなくとも着ることはないだろうけども。
近所に買い物にいく程度にしかみえない深夜のジャージ姿は、一見するとその造形にミスマッチの様にも思えるが、彼女の目の下に夜の闇よりも色濃く出ているクマが、自堕落的な印象を付け足していて、結果的に全てがすっぽりと一つのパッケージに収まっているようだった。
そんな彼女は心配そうな表情を浮かべて言った。
「あ、あの、黒木くんだよね……?」
「あ、ああ。そうだけど」
互いに探るような物言い。
客観的に見ればまるで初めてきちんと話す様な印象を受けるだろうが、事実、俺と漆原とのまっとうな会話なんて、数回しかなかったように思う。
もちろん事務的な話や必然的な話は色々としたが、こんな深夜に面と向かう間柄ではないし、友達とも呼べないだろう。
なのに、俺と漆原は、こんな深夜に面と向かい合っている。
コンビニの上につけられた青白いライトに虫がつっこんで、焼ける音がする。
遠くをヤンキーの乗ったバイクが爆走している音もする。
手にぶら下げた他のコンビニで仕入れたゲーム情報誌の入ったビニール袋が、かさりと音を立てる。
「あ、はは……ぐ、偶然だよね……?」
「え? ああ、もちろんそうだけど……」
偶然以外になにかあるのだろうか。
漆原の様子はどこかおかしかった。
おかしいというか……なんだか、落ち着きがないというか。
とはいえ俺だって似たようなものだ。
処理速度の遅いマシンでオンラインゲームをしているみたいに、様々なパーツを順々に読み込んでいく感じ。
ゆっくりとゆっくりと、自分が立つマップを意識し、コンビニと自分との距離を把握し、そして人工の明かりに照らされた元同級生の姿を、足元からゆっくりと受け入れていく。
ナウローディング、
ナウローディング、
ナウローディング……いや、読みこむのはここまで。
現在のことだけで良い。
少なくとも今はそれでいい。
もしも俺がいま漆原の関連するセーブデータを読み込んでしまったら、どうなることやら。
きっと顔を隠して叫びたくなるに違いない。
とても危険だ。勉強に手がつかなくなっちまう。
奇声をあげて、走り去るしかなくなってしまう。
「あの、えと……」
漆原の咽がごくり、と動く。
俺の無言を、否定と捉えたようだ。
「あの覚えてるかな……? わたし同じ中学校で、同じクラスだった漆原って言います……」
「いや、覚えてる。もちろん、覚えてるぞ」
「あ、うん、良かった。っていうか『もちろん覚えてる』なんだね……あんまり話したことなかったけど……」
漆原がなんだか納得したように言う。
まるで答え合わせをしているかのように確認している。
何か、失言を口にしただろうか。
システムデータを読み込んでいます。
破損したセーブデータをそれでも読み込んでいます。
ハードの電源を、今すぐ切りたい。
もちろん人間でのそれは、呼吸停止に他ならず、つまるところ不可能に決まってるんだけども。
「ああ、いや、その……。すまん、そんなに昔のことは覚えてないから、覚えてるっていうのも、曖昧というか……」
「あ、うん、もちろんそうだよね……」
嘘だ。
本当は、覚えている。
だがそれを解凍するだけの容量が俺には用意されていないのも事実だった。
目の前の少女はただただ戸惑う様に、視線を右や下や左に向けるだけだった。
目の下のクマが、そういった行動をどこか痛々しいものに見せてしまっている。
俺はそれを見て気がついた。
いや、直感として感じ取ってしまった。
こいつ、まさか、今−−とまで考えたが、すんでのところで思考は止まった。
仮にそれが正解だとしても、俺に解答権はない。
「まあ、うん、ほんと久しぶりだよな……」
「う、うん」
「元気だったか?」
「あ、うん、なんとか……たぶん」
「そうか、そりゃよかった」
俺は適当に相槌を打ちながら、決意した。
――とにかく家に帰ろう。
それが良いに決まっているのだ。
漆原を見るが、彼女もなんだか居心地が悪そうだ。
なら話しかけてこなきゃよかったのに……、と思ってしまうのが俺のダメなところなんだろう。
そういう自分の落ち度に嫌でも気がついてしまうようになったのは、言わずもがな、藤堂のせいで−−いや、おかげである。
「まあ、じゃあ、夜も遅いし、気をつけてな」
何を気をつければいいのかなんてわからねーが、とにかく俺は、彼女の横をすっと通り抜けた。そして通り抜けてしまったら、今日のことは忘れようと決めた。
過去に色々と考えさせられた相手だが、今の俺には関係がない。ない、はずだ。
だから深夜に夢を見たことにして、明日の朝には忘れてしまえばいい。
そして勉強をして、元のルートに戻るのだ。
「あ、の」
だが、世の中思う様になんていかない。
いくわけがない。
いくのならば、俺は勉強なんてしていないのだから。
「あの、黒木くん! あの!」
「な、なんだよ」
横を通り抜けた途端、言葉で呼び止められる。
それもどこか焦ったような声音で。
RPGならイベントの一つでも起きそうな展開。
だがこのゲームの主人公は俺だ。
つまりはただのMOB。
イベントなんて起きるわけがなく、開発者からしたって起こしようもないはずだ。
だいたい今、何時だと思ってんだ、いい子は早く帰って寝ろよ――だが漆原に時間の制約はないようだった。
そして彼女には、黒木陽は脇役である、という認識もないようだった。
「あの、ね」
漆原は手にぶら下げたビニール袋をがさりと鳴らして、つかみ直すと、サイズのあっていないようなぶかぶかのジャージの裾をぎゅっと掴んだ。
「わ、わたし、決めてたの」
視線を下げながら、漆原は口元をぎゅっと引き締めた。
「決めてた……って、何を?」
「そう。決めてたんだ、ほんと、あの、後付けみたいに聞こえるかもしれないけれど、本当に、決めてたの。それがまさか、今日だなんて、思ってもなくて、だから、自分でもびっくりしてます」
「だから、なんの話だ……?」
「あの」
漆原はサッと顔を上げた。
先ほどとは変わらないようにも見えるが、瞳がらんらんと輝いている……ように見えた。
追い越したはずの漆原を振り返る様にしていた俺だったが、いつの間にか再び面と向かいあっていた。
「あのね……!」
漆原が意を決した様に声をあげた。
そのときだ。
見知らぬ大学生ぐらいの男がコンビニから出てきて、俺たちの横を通った。
どう見えているのかは知らないが、じろじろとこちらに視線を向けてくる。
何かを疑っているか、もしくはイベント発生を期待しているのか――どうにせよこちらにとっちゃ嬉しい視線じゃない。
間違っても呟きアプリに投稿すんじゃねーぞ、という根暗な心理攻撃を一人でしかけておく。そういう発想をしちゃうほうが怖いよ、という藤堂の幻聴は幻聴のまま放っておいた。
「うう……」
先ほどまでの勢いはどこへやら。
漆原は顔を赤くさせて、下を向いていた。
うなって、体を小さく丸めている。
無言のまま、男が去っていくのを待つ。
なんだよこの時間は――とツッコンでやりたかったが、漆原に声をかけるのもはばかられた。
しばらくして男が立ち去ると、漆原は何事もなかったかのように、再び顔をあげた。
「――わたし、決めてたの!」
「そこから、やり直すのか……」
「ご、ごめんなさい」
「あ、いや、すまん。心の声が漏れ出ただけだ」
「うう……」
うなだれる漆原の姿は、どうも昔の印象とは少しずれている気もしたし、漆原らしいともいえた。
何かが変わってしまったのだろうか。
だが、俺にはもう関係のないことじゃないか。
だが、心のどこかで、なにかの感情がつまった風船がふくらんでいくのを感じている。
ぷうと、膨らむ。
それをデフォルメされた小さな藤堂が片っ端から針で割っていく。
なんだこのイメージはと思うが、それは起きながら見る夢のように、脳内で勝手に再生されていく。
『こらー、くろきー』
小さい藤堂が不安の風船を――ぱんっ。
『べんきょーしなきゃ、だめでしょー』
小さい藤堂が疑念の風船を――ぱんっ。
疲れているのだろうか。いや、どう考えても疲れているのだろう。
俺は、小さい藤堂を隅に追いやった。
「あ、あのね」
漆原はもじもじとして、話が先に進まない。
埒が明かない。
ふう、と息を吐いて、言う。
「とりあえず俺に、なんか話があるんだよな?」
「あ、う、うん」
偶然会った相手になんの話があるのかは不明だが、あるというのだから、あるのだろう。
ならばと俺は、提案した。
「ならよーく考えておいてくれ。これから俺も買い物してくるから」
「え?」
「コンビニの前に立ってたら腹、減ってきたしな。ちょっと時間をもらうから、その間に、漆原も考えを整理しといてくれってことだ」
「あ、うん、ごめんなさい……」
「なんで謝るんだよ。まあいいや。じゃあちょっと行ってくるから」
「あ、はい、いってらっしゃい……」
俺は先輩風を吹かせる様にコンビニの入り口をくぐった。
先輩風、というのはつまるところ、対人間に対する付き合いかたみたいなものに対しての表現だ。
だってそうだろ。
なんだか今の会話、俺と藤堂の会話みたいだった。
でも立場は逆だ。
俺が藤堂役。
漆原が俺役。
少し前の俺がこの状況にぶちあたっていたら、適当な言葉を一方的に並べ立てて、走って逃げていただろう。
小走りに。相手の顔も見ずに。
横を通り抜けた時点で、エンディングだと思っていただろう。
だが、今の俺は少しだけ違うらしい。
自分で気が付けるほどには違うようだ。
藤堂との出会いによって少しはレベルが上がったのかもしれない。
だから、こうして相手の話を聞くまでの流れをセットすることだって出来るようだった。
正直なところ、すげえな俺、とさえ思っている。
疲れているのだろうか。うん、間違いなく疲れているのだろう。
だが本当に、人生の先輩のようにエスコートしているのかもしれない、とも思う。リア充のように、何かを能動的に進められているのかもしれない、とすら思う。
といっても、漆原が何を話したいのかなんて、俺にはまったくわからないけれど。
「決めていたこと、か」
一体、なんだろうな。
あいつと会うのは、卒業式以来だ。
卒業式というのは中学のときのだ。
もちろん在学中だって、友達の様に接したことなんてない。
もちろん友達のように話さなかっただけで、無関係だったのかと聞かれればそうではない。
俺はドリンクの並ぶ棚から炭酸飲料水をとってから、菓子パンコーナーで物色をする。悩んだ結果、小倉マーガリンコッペパンを手に取った。
なんで俺はいつもこう、代わり映えがしないんだろうか。
いや、代わり映えはしているか。
さっきから言っているように、昔の俺なら、漆原と話をするために立ち止まることはなかった。
「勉強の時間はそがれるけど……数分で終わるだろ、多分」
勉強の時間、と口にした途端、金髪美少女が腕を組んで、こちらを睨んでいる姿が頭に浮かんだ。
『くーろーきー?』
「うっ……」
思わず息を止めて、いそいそとレジへ急ぐ。
最近、なにかおかしいのだ。
藤堂と会っていない時も、頭の中で藤堂が俺に物申してくる。まるで脳内に藤堂が巣食っているかのようだった。
「くそ……あいつはことごとく、俺の権利を侵害してくるな……!」
何かを誤魔化すように、目についた肉まんを頼むが、まだ温め中なので買えないと断られた。変にあせってしまい、目についたアンマンを頼んだ。
アンコだらけである。
『347円でーす』と眠そうなバイトの店員声。
それでもめちゃくちゃ手際よく袋詰めを終えるのを横目に、財布を開いた。
「……げっ」
俺は再び息を止めた。
店員に手を差し出してから、急いで漆原の元へと戻る。
ゆっくりと開く自動ドアがもどかしい。
「あ、黒木くん……」
スマホをいじることもなく、暇そうに地面を眺めていたジャージ姿の漆原が顔をあげた。
その表情を目にして、やはりこいつは、なにか大事なことを俺に伝えたいのだろうな、と悟る。
だが、申し訳ない。
それはもう少しだけ先にしてほしい。
「漆原、すまん」
「え? なに?」
俺は成長したと思う。
今までの俺ならば、こんな展開に頭をつっこむことはなかった。
口ごもる漆原の言葉を待ち、エスコートするかのようにタイミングをはかることはなかっただろう。
だから、漆原。
許してください。
「お金、貸してくれないだろうか……」
「……え?」
「申し訳ないんだけど、財布に金が、入ってなかった。いや、少しだけ入ってたんだけど、さっき雑誌かっちまって……」
「あ、う、うん。わかった……500円でいいかな、今、出すね……」
「本当に悪い……、すみません……ごめんなさい……」
「え、そ、そんな、いいよ、別に……」
大型連休の明けた、五月。
夏と呼ぶにはまだ早すぎる夜風の中で。
俺は自分の成長を感じながら。
勉強のためにバイトができないからといって、千円だけを財布に入れて節約の癖をつけようとした結果。
久しぶりにあった元クラスメイトの女子に、話を聞く前に、まず金を借りた……。
『……黒木、さすがに笑えないんだけど』
俺の脳の一角に住み着いた金髪美少女の呆れたな声がしたが、俺は聞こえないふりをした。




