第54話 笑顔が一番似合う(Chapter3 END)
藤堂のメリットは親との交渉。
では、俺のメリットは?――それは、藤堂の口から提示された。
「もしも、黒木が期末で50位に入れたらさ」
「お、おう?」
ごくり、と喉が動く。
スマホゲームのガチャを回すまえみたいな、期待と不安がいりまじった時間。
藤堂は、ふざけているような口調で何かを中和するような雰囲気を作りながら、事実、過激でおかしなことを口にした。
「わたしにできることならなんでも、なにか一つ、願いを叶えてあげましょう」
「な、なんでも?」
「なんでも」
「それは……」
「なんでもいいよ」
にやり、と笑う藤堂。
なんていうか、見下されているわけではないんだが……、バカにされている気はする。
その通りというわけではないのだろうが、藤堂は似たような言葉を重ねた。
「黒木の考えることなら、大抵、叶えられると思うからね!」
「あ、そうですか……」
童貞、乙――そんな感じだろうよ……。
はいはい、知ってますよ。
俺だって、美少女に『なんでもかなえてあげる』といわれたとき、頭が真っ白になるだけで、望みなんて浮かばなかった。壊れてしまったテレビを見ているみたいに、いつまでたっても、なんにも映らなかった。
……いや、それは嘘だった。
気持ちをごまかすように、天井近くの明り取りから、青い空を見た途端、俺の心の中に一つの映像が浮かび上がった。
窓にかたどられた青い空。
その突発的な欲望に、自分自身が驚いてしまっている。
こんなこと頼んだとして、認められるのだろうか?
変態!、とか言われて、絶交されるんじゃないだろうか。
うん……、ちょっと、黙っていようかな……。
「で、どう? おーけー?」
藤堂は、俺の動揺に触れることはない。
俺も動揺を悟らせることのないよう、一瞬で浮かんだ妄想を、一瞬で胸の奥にしまい込んだ。
「もうどうでもいいよ……」
「じゃあ、50位になってから、考えようか」
「それでいいです……」
「なんだか、つれないなあ。こんな美少女がなんでもしてあげるっていってるのにね?」
「はいはい。光栄の極みでございます」
やっぱりニヤニヤ顔の藤堂は、何かを気が付いているようだが、大事な何かを見落としてもいる。
まあよい。
正直、50位になれる見込みもないのだ。
なのに、自分の欲求だけ見せびらかして、互いの関係に変化を与える必要もないだろうしな。
変態とかいわれたら、まじで一生もんの傷だ……。
さて。
気分一新。
とにかく、勉強をせねばならないのだろう。
「さあ、藤堂。俺の勉強計画ってやつを教えてくれ」
ここで二人であっているのは、もはやゲームのためではない。
もちろん目的地にゲームはあるはずなのだが、その過程にあるのは、勉強という名の苦行である。
いまや俺の人生のルートは、めちゃくちゃになっちまったんだ。藤堂よ、せめて中間、期末と、俺の攻略サイトになってくれ――そういう気持ちで、俺はここにいる。
ただできることなら……、藤堂にとって、よりよい未来をつかみたいとも思っているのも事実なのだが。
藤堂は、これから始まるだろう長い戦いの説明をはじめ――ることはなく、机におかれた用紙のうえに、持っていたペンを投げ捨てた。
それは不快な感じの行動ではなくて、ただただ、ふっと、気持ちが入れ替わったような、そんな自然な行動だった。
「いやあ、それにしても、人生って一瞬で変わっていくんだね」
「ん?」
「なんか、万華鏡みたいだなあって思って」
「詩人か」
「詩人にもなりたくなるよ、ほんと」
藤堂は、先ほどのニヤニヤとはまた一つ違った笑顔を見せた。
それはなんの色も付いていない、真っ白な笑顔。
藤堂真白の名にふさわしい、心が透き通って見えるような、素直な表情だった。
「……お、おう」
俺は、見惚れている自分に気が付いた。
美術館で、まったく思いもしないタイミングで、目に入った作品にひとめぼれをしてしまったようなそんな感覚。
いや、ひとめぼれなんて、してねえし、藤堂なんて、何度見てるかわからねーけども。
「いま、五月でしょ? で、黒木にここで、脅されたのが、四月。まだ1ヶ月しか経ってないんだね」
「脅してなんかねーだろ。誰かに聞かれたらどうすんだ」
「べつに、ゲームしてるわけじゃないし、誰かに聞かれてもよくない?」
「俺の人生に関わるんだよ」
「でも、誰に聞かれてるわけでもないのに、ただ一人のわたしに関わったせいで……、たった一か月で、黒木の人生、かわっちゃってるじゃん――大多数に話を聞かれなくても、わたし一人に関わったせいで、ゲームができない人生になっちゃった。なんか、それって、どうなんだろうね」
「……いや、俺が好きで、言ったことだし。気にすんなよ」
「茜ちゃんにも、迷惑かけたりさ」
「あいつは、そんなこと思ってないと思うぞ」
「わかってるよ。わかってるけど、ほんと、三か月前の自分に、今を見せても信じないだろうなあって思うんだ」
それは俺だって、そう思う。
三か月どころか、数日前の俺に見せたって、毎日のことが信じられないことの連続だった。
だが人生とは、そういったものなのだと、最近はとくにそう思う。
注意一瞬、怪我一生――人生は、数秒で変化する。
格ゲーだって、数秒間、画面から目を離せば、その間に何百フレームも経過してしまう。
勝負だって、人生だって、いつだって気が抜けないということだ。それぐらい、めまぐるしく、様々な情報が変化していくのだ。
それにしても、なんだろうか、この会話は。
俺はてっきり、チャプターごとにわけられたシナリオゲームのように、『勉強をする』と選択肢を選んでしまったプレイヤーの責任として、ただただ勉強をして、イベントをこなしていくだけだと思っていた。
だからこれからの話は、『俺がゲームをやめて、勉強に集中する』だけで、良いと思っていた。
なのに、会話は変な方向に向かいはじめた。
残念ながら、俺に、それを修正するだけの語彙力はない。
「黒木はさ、いま、幸せ?」
「は?」
なんだ、その、核心的なようでいて、じつにぼやけた質問は。
「わたしと関わって、良かった?」
「良かったっていうか……」
「教えて」
「……、……」
藤堂の表情は柔らかい。険しいものではない。
だが、その言葉には、逃げ道が用意されていなかった。
詰問には聞こえない柔和な語感なのに、それはただの、詰問にしか聞こえない。
さて、そうはいっても、さすが俺だ。
藤堂の言葉に追い詰められて、何かを白状できるほど、心に隙間がある人間性ではなかった。
藤堂の言葉にただただ、返す言葉を失っているだけ。
結局、藤堂が話し始めるまで、バグったブラウザみたいに、延々と読み込みを続けて、固まっていた。
「最近なんだけど……、わたし、たまに、不安になるんだ」
「……不安?」
前途がこんなにも明るい人間が、何を不安に思うのか。
「黒木に、無理させてるんじゃないかなーって」
「いや、それは、無理して、ついっていってるところはある。無茶いうな」
「それはしってるよ」
藤堂は笑った。
「そうじゃなくて、なんかこう、もっと心の奥深くの話」
「……抽象的だな」
「心に具体的な形なんてあるの?」
藤堂はふっと笑った
それから矢継ぎ早に、いくつかの質問を重ねた――。
「黒木はいま、幸せ?」
「多分な……」
「黒木は自分の意思で、わたしを助けてくれてるんだよね」
「そりゃそうだ。むしろ、俺の言葉の暴走の結果だろ」
藤堂は、視線を少しだけ下げた。
長いまつげが、数回動く。
青い瞳は、カラコンの奥で、どうなっているのだろうか。
藤堂は、呟くように、言った。
「じゃあ……、なんで、黒木は……どうして、わたしのこと、助けてくれるの……?」
「なんで、って……」
藤堂の言葉は、どこか苦し気だった。
胸の奥そこから、細い糸で言葉をつりあげているように、むだな呼吸さえ許されないような緊張感が感じられた。
顔がかわいいからとでも、茶化せば、こいつはわらうのだろうか?
それとも、有名人だから、友達になっておけば鼻が高いとでもいっておくか?
単純に、偶然に偶然が重なっただけだと、斜に構えておくのもいいかもしれないぞ?
藤堂はしゃべらない。
俺はしゃべれない。
なんだろうか、この雰囲気。
いきなり変化する人間関係。
オンラインゲームでも、よく巻き込まれることはある。
昨日までなんともなかったゲーム攻略仲間が、よそよそしくなっていく空気。きっかけは一つの言葉の間違いだったりするのだが、そのボタンの掛け違いは、一生治らぬまま、つくりあげてきた関係性は壊れていく。
それも十人中、二人が喧嘩をするだけで、全てが崩壊したりするのだ。
もちろんそういう経験に巻き込まれたことは多々あるが、俺自身が、渦中の人物になったことはない。
だからこそ、俺の中の経験則が警鐘をならしていた。
ここで、茶化してはいけない。
ここで、ごまかしてはいけない。
ここで、今までの俺で、居続けてはいけない――。
「俺、は」
「おれは?」
ようやく出てきた言葉は、井戸を掘るような気持ちで、自分の心の奥底から、ひっぱりあげてきた言葉だった。
「俺が、お前を助けるのは……」
「うん」
言った後に、『お前』という単語に気が付くが、藤堂は指摘をしない。
その意図は不明。
考える余裕もない。
だって俺の脳裏にうつるのは、これまで見てきた藤堂の姿だけだった。他にはなにもうつらなかった。
その記録に俺はいない。
だって、俺が、そこに映りはじめるのは、たった一か月前からのことだから。それまでの藤堂の横には、俺みたいな存在なんていなくて、俺じゃないだれかの感情だけが、ひしめいていた。
どこにいたって目立っていた藤堂は、一年のころから、全ての人間の視線をジャックしていた。
人を避けていた俺ですら、どうしたって、一度は視認してから、隠れるように視線を外す日々だった。
笑う藤堂。
笑う藤堂。
笑う藤堂。
いつだって藤堂は笑っていて、その笑顔は人を幸福にさせているようだった。
だが、人目を気にして、隠れるようにゲームをしている藤堂は、いつだって自分を中心にことを進めていた。
笑って、
怒って、
悔しがって――人に迷惑をかける藤堂。
きっと家族しかしらないのだろうな、という表情の数々が、いままで笑顔しか見てこなかった俺の網膜に、うつった。
甘いだけの味つけだとおもっていた料理を口にしたとたん、辛くてすっぱくて、苦くて――でも、やっぱりうまいと感じる。そんな体験をさせられた。
恋愛感情?――そんな話じゃない。
ゲーム仲間?――それにしちゃ入れ込んでる。
学友?――なら、隠れるように会う必要なんてないだろう。
だから、俺が藤堂を助ける理由は一つしかない。
藤堂はいまだに、しゃべらない。
俺は――ようやく、しゃべりはじめた。
「俺はきっと、楽しいんだと思う。藤堂と、一緒に、いろいろと挑戦するのが、ただ楽しい。ただ……、それだけなんだ」
そう。
きっとそれだけの話なのだ。
友達とか、仲間とか、恋人とか――そういう枠組みでは考えられない。
爽快なアクションゲームも、泣けるテキストゲームも、ゾンビがでてくる激ムズ死にゲーも――ただそれは、楽しいから、続けられる。ゲームというものを細分化して、楽しさの度合いを定めているわけではない。
きっと、俺にとって藤堂との時間はそういうことなのだ。
ゲームをする仲間とか、学校だけの友達とか、そういう枠組みではない。
ゲームをしようが、話をしようが、そして嫌いなはずの勉強をしようが、俺は藤堂と何かをすることそのものが、楽しくてしょうがないのだ。
だから、嫌いな勉強だって、なんだか、藤堂に従ってついていけば、どこかで素敵な体験ができるのだと、信じているのだろう。
藤堂という大船のおかげで、俺はこれまでとは全く違った世界への切符を手に入れられるのだ。
「そっか。黒木は、そうなんだね」
藤堂は、なんだか、よくわからない表情を浮かべた。
喜んでいるのか、そうでないのか、本当によく分からないが、ただ、すくなくともマイナスの感情が芽生えているようには見えなかった。
「なるほど、黒木がそうなら、それで、いこう」
「なんだ、その反応は」
「別に? やっぱり、黒木君は、嘘をつかない顔だなと、あらためて思っていただけでございます」
「意味がわからん……」
そんな返しをしてから、思う。
そうはいっても、俺の気持ちだって意味がわからんよな、と。
藤堂とゲームをはじめることになり、藤堂の家族と会うことになり、藤堂と勉強をすることになり。
それに満足して、楽しんでさえいる自分を感じている。
家族――Family。
俺にとっての安寧は、家族の周囲に漂っているものだった。
それは自宅に存在し、自室にのみ確約されていた。
だが、今、俺の人生は、少しだけ変わったようだ。
目の前の少女がにこりと笑う。
「じゃあ、気持ちも固まったことだし、勉強の計画確認といこー!」
「急に元気になるんじゃねえよ……」
「じめじめしてるなあ、黒木は」
あはは、と笑う藤堂の顔をみて、ああ、こいつはやっぱり笑顔が一番似合うよなあなんて感じてしまう。
そんな自分を、数か月前の俺がみたら、洗脳でもされたと危惧してショットガンでヘッドを撃つに違いないだろうな――そんなことを考えつつも、俺は、藤堂の勉強計画を見て、こう思うのだった。
「毎日の勉強時間が、えぐすぎるぞ……」
「急に、やる気、なくさないでよ」
人生だってやる気だって、家族との関係だって――やっぱり一瞬で変わるもんである。
だって、きっと、それが――人間ってもんなのだろうから。
◇
Chapter3〈Family〉
END
◇
さて、こうして俺の人生は、家族から始まり、家族に終わり――そして、家族以外のものへとつながった。
だが、それはまた一つ違う、新たな局面に差し掛かっただけだった。
自分が変われば、世界が変わる?――まさか。そんな魔法みたいなことは、現実世界では起こりえない。
俺ごときの、内面が変化したところで、世界は変わらず、いつものように動き始める。
そう、世界は変わらずに動く――だが、俺という歯車が、一瞬で、別の場所にうつったとき、世界の構造は変わらずとも、その動きに変化はでてくることだろう。
藤堂の勉強計画にげんなりしつつも、なにか、得体のしれないやる気が湧いてきた平日、そして週末。
深夜まで勉強をしていた俺は、普段では考えられないほどゆったりとした気持ちで、コンビニエンスストアからの帰り道に、少しだけ、遠回りをした。
実際、コンビニ袋をさげていれば、警察官に話しかけられることも少ない。
ゲームをしていた時には考えられないような、気分転換方法――夜の散歩。
ちょっとした、心の変化が、俺の人生をまた一つ、大きくかえることになる。
深夜にしては、やけに明るく感じるコンビニ前。
自動ドアからでてきた人間と、進行方向がぶつかり、気まずい感じで道をゆずりあうことになった時のことだった。
視線をさげたまま、やりすごそうとした俺に、か細い、しかしとても澄んだ音色の声が、かけられた。
「……あ、あの、もしかして、黒木、くん? 黒木、陽くん? 欅中学だった……」
「え?」
思わず相手の顔を確認してしまう。
コンビニの明かりに横顔を照らされているのは、一人の少女。
藤堂が豪華な西洋人形だと形容するならば、眼の前の彼女は清楚な日本人形であるだろう。
黒い髪、黒い瞳、そして闇夜に浮き上がるような真っ白な肌。
全てのパーツが小さくて、全てのパーツが整っている。なのに瞳はとても大きくて、まつげも長い。しかしその服装は、パジャマにもみえる、サイズちがいの、ぶかぶかのジャージ。
なんだかおかしな感じだ。よくみれば、目の下にクマみたいなもんも、ある気がする。
せっかくの高級食材を、おおざっぱなB級グルメにかえちまっているような、そんな違和感。
――いや、違和感の原因はそれだけじゃあない。
違和感の根本的な原因は、記憶の中の彼女と、いまの彼女の印象が、ずれてしまっているからだろう。
そう。
俺はこいつを、知っている。
イヤというほど、知っていた。
注意一瞬、怪我一生――俺の人生は、このとき、また違う方向に進み始めていたらしい。
中学時代の俺の独り相撲。
誰も知らない一人の戦争。
密かなる戦友――漆原 葵の登場によって、俺の人生は、ふたたび変化していくことになる。
◇
Next Chapter〈Memory〉
START
◇
【あとがき】
というわけで、Chapter3終了です。
予定していたより、一万文字ほど少なくなってしまい(Chapter4の一部に加算)、折り返しがずれてしまいました。なんだかChapter3は、色々と予定通りにいかないことが多く、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
Chapter1,2でも繰り返しお話しましたが、チャプターはあくまで、〈テーマの変更〉でありますので、〈物語が完結したわけではありません〉。
あくまで、〈話の一区切り〉となりますので、ご注意ください。
Chapter3は〈Family〉
家族周りに焦点を当てました。
とはいえ、「え? 黒木家の両親でてこないよね、あんまり」と思ったことでしょう。
その補足だけして、終わりにします。
当作品は、〈黒木と藤堂の対比〉を意識しています。
互いが近づいているようで、対比しているというのを目的としています。
よって、今回のテーマ。ファミリー。
これは、藤堂にとっては〈家族と向き合う〉ということ。
そして黒木にとっては〈家族から独り立ちする〉ということになります。
よって、話の流れでは、藤堂家がでてきて、黒木家がでてこないということになります。
多分。
そしてChapter4は、〈Memory〉。
黒木は、過去の記憶を見つめなおすようですが、その対比となると、藤堂は何を見るのか……という、ところを見せていきたいのですが、成功するか失敗するかは不明であります。
ここまで23万文字。
きままな文章を、最後まで読んでくださる方がいらっしゃるだけで、それは、もう、作者として、ただただ幸せであります。
ありがとうございました。




