第47話 パンケーキ
約束を交わした夜。
藤堂からの連絡によると、俺が生き恥をさらす可能性のある食事会というのは、週末の日曜日の昼に決まったらしい。
親父の誕生日パーティーが夜だったせいか、無意識のうちに、夕食に招待されるとばかり思っていたので、意味もなく動揺してしまった。
藤堂の家は間違いなく豪邸というやつだろう。
金持ちの昼食……意味もなくハリウッドスターが、プールのある家でピザを食べているシーンが頭に浮かんだ。
さて、突然だが、俺はどうなっても、どうなろうとも、黒木陽である。
よって、動揺ついでに、茜に助けを求めることを忘れなかった。習性といってもいいし、日課といってもいい。
『普通の兄』像というものを俺は知らないが、すくなくとも妹にこんなに相談をする兄を、俺は俺以外に知らない。
俺達はゲームをするときを含めて、普通の話も、チャットアプリで行うことが多い。お互い作業をしていることが多いので、配慮の上の行動だ。それは同じ階に居ようとも同様である。
俺は長々とこれまでの経緯を打ち込んだあと、茜に一つの質問を重ねていた。
『ヨウ:――というわけで、週末に藤堂の家に飯を食いにいくんだが……手土産っているよな? なにがいいかな』
茜の反応は早かった。
『アカネ:え? ちょっとまって? いきなりの長文チャットに面食らってるし、そもそも状況がわかんない』
『ヨウ:説明文は書いたから、読んでくれ』
既読。
しばらく、沈黙。
そしてリプライ。
『アカネ:は? マシロちゃんちで、ゴハン? しかもご両親も同席? え? にいにが? それ我々の実の父様と、母様はしってらっしゃるの?』
驚きすぎてキャラ変わってねーだろうか。
いや、その気持ちも分からないでもないんだが。
『ヨウ:父さんと母さんには言ったけど』
『アカネ:なんて言っていた?』
『ヨウ:母さんはまた電話するって言ってた。父さんは小説持って行ってくれっていってたな』
藤堂にデビュー作を渡すっていってたんだよな。たしか藤堂もそんなこと言っていたから問題はないだろう。
ただ、サイン書くとかいってたんだけど、それはやめてくれないだろうか……、大分はずかしいんだよな……。
『アカネ:それだけ?』
『ヨウ:そうだけど』
『アカネ:にいに……恥ずかしい思いをするよ?』
『ヨウ:だよな……。サインは止めるか』
『アカネ:は?』
『ヨウ:ん?』
互いにチャットの手が止まったかのような空白時間。
先に復帰したのは茜だった。
『アカネ:にいには、まさか、悩んでいないの?』
『ヨウ:悩む? 手土産のことか?』
『アカネ:あかん。ちょっと待って』
『ヨウ:なにが?』
なんで関西弁なんだろうか。
あと、何を待てばいいのだろうか――なんて考えている最中も、開きっぱなしのチャットアプリに既読がつかない。
その代わり、ドタドタと廊下を茜が駆ける音が聞こえたかと思うと、ノックもなくドアがいきなり開かれた。
「にいに!」
「うお!?」
「本当に、窮地におちいってないわけ?」
「はあ? だから、手土産を……」
「手土産なんて、どうでもいいーっ!……あ、いや、よくはないんだけど、もっと大事なことあるでしょ!」
「お、落ち着けよ、茜……」
「にいには、落ち着き過ぎなの! わかってる? 相手はあの超絶美少女だよ? しかも、マシロちゃん家、トイレ三つあるらしいんだよ! 豪邸だよ!」
トイレも三つあるのかよ……。
どんな環境なんだ……。
「とにかく、にいには、もっと焦りなさい!」
ベッドに寝転んでいた俺の元に立った茜は、クローゼットのほうへ足を向けた。 まったく意味がわからない。
「いったい、なんなんだよ……」
スマホ片手に半身を持ち上げた俺に、茜はびしっと指を突き刺した。
「それはこっちのセリフ! にいには、なにもわかってない! まるでラスボス前のくせに、まだエンディングはさきだろうなあ、とか鼻ほじってる小学生並み!」
「は、はあ?」
たとえが独特すぎて、わからないんだが。
小学生ディスってんだろうか。
「にいに。服」
ふっと、茜の顔から全ての表情が消えた。
まるで無の境地に至った哲学者みたいな顔をしていた。
「服?」
「ええ、服です。兄様、服って知ってますか」
「バカにするんじゃない」
「現実を見なさい」
開け放たれたクローゼットを茜は顎で示した。
そこには俺がいままで着古してきた、歴代の服がハンガーに掛かっていた。ちなみにまだ殿堂入りはしておらず、その全てが現役である。
「にいにの服! 全部、古くて、汚くて、ばっちいでしょ!」
「ば、ばっち……?」
「こんなので、マシロちゃんのおうち行ってごらん? 黒木家が疑われるよ! 黒木家が恥さらしものになっちゃうよ!」
「は、はじ……?」
「マシロちゃんだって、とっても悲しむよ!」
「え? それはわからん。なんでだ」
「マシロちゃん、かわいそうに……。兄が鈍感ゆえに、美少女が味わう必要のない苦痛を感じている……」
「おい、まて、なぜ泣く真似をする必要があるんだ。まじでわからねえ」
本当になんなんだ。
まさか、これはあれか? 反抗期ってやつなのか? 茜にとうとう、反抗期がきたのか?
茜は「はぁ……」と大きな大きなため息をついた。
「いいよ。理由はもういいから、とにかく服は重要なんだよ」
「服、ねえ?」
「『ああ、あの新作ゲームねえ?』みたいな言い方しないで」
「す、すみません」
「ずばり言うけど、着ていく服、ないでしょ? それともまさか、こんなテロテロの服を着て、藤堂家に乗り込むつもり? そんなことしたら、にいに、爆発しちゃうよ?」
「そんな、大げさな」
呆れてみせた俺ではあるが……、だが、たしかに、俺だって、なんとなく、茜の言わんとしていることは分かってしまっていた。
なにせ俺の持っている服は、金持ちの昼食なんていうパワーワードに耐えきれる耐久地など持っていないからだ。
俺の服が耐えられる攻撃なんてのは、『近くのコンビニ』だとか『近くのゴミ捨て場』だとか『近くの電柱』ぐらいなものだ。
だが、落ち着いて欲しい。
俺だって気が付かなかった訳じゃない。脳内で何度シミュレーションを繰り返したと思っているのだ。だから俺ごときが、手土産なんて高度な技に気が付くことだってできたのだ。
そのうえで言う。服装の問題はクリアしているのだ。
驚くなかれ、学生には〈学生服〉というスペシャル装備が存在する。これは冠婚葬祭、どこでも万能に着用できるすばらしい装備である。いわゆるゲーム初心者救済アイテムのようなものだ。
だから俺は大丈夫なのだ。服装に気をつかう必要はないのである。
そんな簡単な事実に気が付かないのか、茜は依然として厳しい顔をしたままである。まだまだ茜もお子様というところだろう。反抗期も甘んじて受け入れてやろうと思う。
「にいに。週末に、マシロちゃんち行くってチャットしてたけど、それ、いつ? まさか、土曜じゃないよね」
「日曜だけど……」
「さすがマシロちゃん……、慈悲が透けてみえるよ……、土曜に準備しろということなのね……」
茜は、目をつむったまま両手を組むと、天を仰いだ。
意味がわからん。
「あたしは、駅前にあたらしくできたパンケーキ屋さんでいいよ」
「は?」
茜は、腕を組んで、眉をひそめた。あきらかに『は? なにいってんの?』みたいな顔だった。RPGでいうところの、絶対に今の段階では通してくれない門の番人みたいな、威厳にみちた顔をしていた。
威厳――そうだ。俺は今、妹からいいしれない威圧感を感じていた。学生服という解決策があるにもかかわらず。
「だから、さ。茜ちゃんが土曜日、服を選んであげるから。その代わりに駅前のパンケーキを食べさせなさい。それで手をうちます」
「いや、俺は、手土産があればいいんだが……」
「じゃあ、服は、どれを着ていくつもりなの?」
「そんなもの――」
MMORPGにおいて、初心者が上級狩場に行くのをたしなめるように、茜は言った。装備持ってるの? レベル足りてるの?――だが、先ほどの通り、俺には特別な救済装備があるのだ。問題など何もないだろう。
制服――俺が口を開く前に、茜は言った。
「まさか『制服』とか、ふざけたこと言わないよね? 絶交だよ、そんなの」
「……、……」
な、なんだと……?
俺の口は『せ』のまま、固まっていた。
茜の鋭い視線が痛い。絶交だよ、とか言っているが、兄妹は絶交などできないことを知っているのだろうか。まさか、知っていてなお絶交したくなるぐらい、最悪な選択肢だったというのだろうか。
俺の無言を、どう捉えたのか。
茜は、「まさか、制服なんて、いわないですよね? おにいさま?」と繰り返して、にっこりと笑った。
なんだか、藤堂を思い出す凄みのある笑みだった。
俺の予定は全て狂っていた。
立っていた土台が崩れていくのを感じる。
『せ』のまま、氷漬けのように固まっていた俺の口は、茜の威圧感に耐え切れず、熱を持ち、氷解した。
つまるところ――白旗を上げるしかなかったのだ。
「せ……せっかくだから、選んでもらおうかな……? 服」
「パンケーキ」
「はい」
「よろしい」
「あの……手土産も……」
「パンケーキ、トッピング追加」
「ありがとうございます……」
「まかせなさい」
俺はなぜか、ベッドの上でいつのまにか、正座をしていたが、それを疑問に思う余裕など消え失せていた。
――というわけで、俺の土曜日の予定は埋まってしまったようだ。
それもかなりの散財が予想される形で。




