第42話 最前線に行かねば
『きちんと話したほうがいい』
茜の言葉が頭にこびりついたまま足を踏み入れる教室は、なんだか体に空気が張り付いてくるような、なんだか粘着質な空間に顔をツッコむような、若干、気持ちのわるい感じがした。同時に、ああスライムに負ける冒険者ってこんな嫌な感覚なのかも、なんて思う。
というか、そういう風に自分の思考をずらしていかないと、俺の思考こそスライムのようにドロドロになってしまいそうだったので、これは自己防衛の思考である。
実際に俺が冒険者なら、スライムとも戦わず最初の村で畑をたがやす。
幸運だったのは意図せず遅刻寸前だったため、教室に教師が入るのと、後ろの引き戸を俺が開けるのとが一緒だったことだ。
教室内の視線は大半が前へと向いていた。大半だ。
だが、手榴弾でも投げなければ、すべての気を引くことは難しいようで、担任教師のデコイ程度では完璧とはいかなかった。よって、いくつかの視線を感じるのは仕方がないだろう。
なにかをごまかしたかったのだろうか。
よくわからないが、俺は何かを意識することなく、藤堂の背なかを探した。探していた。
それはもはや日課となってしまっていたかもしれない行動――しかし連休明けのため、どこか久しぶりの感覚でもあった。
意味はないのだろう。だが、意味はないながらも、藤堂はそこに当たり前のようにいた。
いつものように、当然のことのように、民に守られる女王のように、教室の丁度真ん中の席に座っていた。
連休前と変わらぬ教室。
連休前と変わらぬ背中。
そして連休前とどこか変わってしまった教室の空気。
そして、もう一つの変化。
連休前には一度もなかったこと――朝、俺と藤堂の視線が交錯すること。
俺は藤堂を見ていた。
藤堂はなぜか俺を見ていた。
もちろん俺と同じで理由なんてないのだろうが、それでも交わった視線は無かったことにはできない。
「……」
「……」
藤堂の二つの瞳。茶色い瞳。カラーコンタクト、度付きのやつ。ここからではそこまで細部は分からないが、あのシャボン玉のような青色がなければ、結局のところ、そういうことになる。
それは、数秒のことだった。
視線の糸は両端が結ばれるより先に、風にたなびくように、ほどけた。
とはいえ、残留思念のようなものは、互いに深く根付いていた。
俺も。
藤堂も。
きっと、相手に何かを言いたそうな視線を向けていたに違いないから。
◇
当たり前のように放課後がやってきて、当たり前のように秘密……基地とまだ呼ぶべきだろう場所に俺達は集まっている。
藤堂と俺は、面と向かい合いながらまだ、まともな会話をしていない。
どちらから何かを言い出せば、何かが決定的になってしまう。それを恐れているのか、藤堂は話さない。俺はと言えば、残念ながら、元から話せるタイプではないので話さない。どちらが情けないのか、というディベートをする気はない。
静寂の水がコップになみなみとつがれていき、窒息し、『なんだよこれ、つんでんじゃねえか』とコントローラーを投げたくなったところで、藤堂が口を開いた。
「えっと……聞いてるかもしれないけど、茜ちゃんに、ふられました」
「ああ……」
ああ、と俺はもう一度つぶやいた。
ふられているわけではないと思うのだが、それをどう説明すればよいのかが分からない。もしくはもう、天を仰ぎたいから『ああ……』と言っているだけなのかもしれない。
「ああ、えっと」と俺は駄目押しをしてから、言った。
「それは少し違うと思うぞ」
「違うって、なにが」
「つまり、ふられたということに関してだけど」
「でも、ふられたんだよ。『マシロちゃんのことは好きだけど、好きだからといってずっと一緒にいられるわけでもないんだよ』って言われた。まるで初恋の人に、ふられるときみたいに、あっけなくふられたよ」
「……あ、そう」
初恋の人、いるのか?――そんなこと、聞いていいわけがないことを俺は知っている。
それにしても茜め。
絶対に、なんか、どこかマジメじゃない観点から言葉を選んでいる気がするぞ。
兄妹だからこそわかるブラックジョーク的な見地からの発言だが、それも意外とまじめな藤堂からすると『まじめな別れの言葉』になるらしい。
別れというか、ふられというか……まあ俺は、ふられたことすらないから、分からないのだが。藤堂はあるのだろうか……まさかな。聞けるわけがないという前に、こいつがフラれるわけがない。フル専門だろう、間違いなく。
俺は少しずつ調子を取り戻している自分を自覚した。
「まあ、そういってもだな、茜も朝、言ってたんだけどな」
「うん?」
「ようするに……副隊長をやめたといわれた。あとはよろしく頼むと」
「そう。部隊崩壊です」
崩壊って。
部隊、二人しかいねえのかよ――つっこもうとして、すぐに別の言葉が出てきた。
「いや、まだ俺がいるだろ」
「あ、ハイ、ソウデス」
変にかしこまる藤堂。どこか棒読み。まるで大根役者。
なんだか俺も、その反応を見て、変なことを言ってしまった気になってしまう。
あたし、ふられちゃって――まだ、俺がいるだろ。
過剰な演出の昼ドラ的な恥ずかしい台詞に聞こえなくもない。いや、聞こえない。絶対に。
メインシステム復帰中の俺の言葉を待てなかったのか、藤堂は連休中の事に言及しはじめた。
「いやあしかし、それでも、連休中は茜ちゃんに感謝だよ。ずっと拘束してたし。こんどお礼しないとね」
「まあ、たしかに、ずっと二人きりだったもんな、お前ら」
「お前?」
「お二人様」
「よろしい――しかし、へえ? 茜ちゃんが言ってた通りだ。ふうん」
「な、なんだよ」
藤堂はいきなり肘をつき、アゴを手にのせて、余裕をみせるように目を細めてこちらを見た。
「黒木、さみしかったんだ?」
「……よし俺は帰るぞ」
垂直に立ちあがる俺。ぼっちスキル発動。バックは一瞬で肩にかけた。
「ああ! まって! まって! うそ! うそじゃないけど、うそ!」
藤堂が焦って、俺を引き留めようと手を伸ばす。立ち上がりざまにバックを引っ張られるかたちとなり、俺はなさけないことに後ろによろめいた。そのまま定位置にすとんと戻る。
おさまりはいいが、居心地が悪い。
藤堂は何か困ったように、いじけているように、いいにくそうに――実に複雑な味の料理を食レポしなきゃいけない新人アナウンサーのような顔で言い訳をした。
「いや、わたしも、反省したんだよ」
「……なにが」
「茜ちゃんとずっと一緒にいたのに、別の男の話ばかりしてしまってね。いやあ、なさけない。これはふられて当然だ。目の前の仲間ではなく、他の仲間の話ばかり聞かされたら、茜ちゃんもイヤになるでしょ」
男、という単語にどきりとする。
そこに対して深く考えようとする自分を、俺は必死に抑え込んだ。ウイルス対策ソフトがOSの動作を阻害してどうするんだ、という話。
「茜に、そう言われたのか」
「まあ、それに似たような事は言われた。必ずしも正しいかどうかは不明だけどね。でも、言いたいことはとてもわかるし、正論だから……やっぱり茜ちゃんには今度、きちんとお礼しないと」
「まあ、あいつは、あいつが付き合える時にしか付き合わないだろうからな。そこらへんは、大丈夫だと思うぞ」
それは間違いがない。
猫のような人間なので、飽きたらすぐに他へ行く。かと思えば戻ってくる。面倒くさい妹だ。親の顔が見てみたい。
「まあ、そりゃ、茜ちゃんもね、わたしだけの為に時間は割けないよ。当たり前なんだ」
「それは確かにそうだ」
「いつも付き合ってくれる黒木が異常なんだよね」
「言い方」
「兄妹そろって異常者じゃまずいもん。むしろ良かったんだよね、これで」
「言い方」
「そういうわけで、この作戦は終了。次の作戦にうつります」
藤堂は人の話をまったく聞く気なく――いや、もしかしたらそれは、俺が気が付かない、何かをごまかすためかもしれないのだが、とにかく話を先に先に進めた。
「次の作戦?」
「そう、次の作戦」
藤堂は自信満々に言った。
「なにか良い案、ある?」
◇
チーム戦にはかならずリーダーが必要だ。そこから下される指示がチームの方向性を定め、勝利を手にするための行動が生まれる。
逆に言えば、どんなに強い人間が集まっていても、チームリーダーが不在、もしくは機能していなければ、圧倒的なチームワークの前には敗北する可能性が高い。
1+1が3にも4にもなるのが、チームの良いところだろう。
藤堂の宣言はそう考えると、リーダーとして『下の者にも意見を聞く』という一見すると部下に理解のある上司のような動きに見えなくもないが、ここまでの流れを考える限り、すでに万事休すという状態なのだろう。
戦うと宣言して、たった一週間程度。ゴールデンウィークの期間内の作戦。
それで、それだけで、我が部隊は壊滅状態。指針となる作戦すら失ってしまったらしい。
だが、それはちょうどよかったのかもしれない。
藤堂は、スナイパーライフルを持って、じっと敵を待つことを好みながらも、積極的な戦いを求めるタイプ。激戦区は嫌いだが人を倒したいというアンバランスな趣味の持ち主だ。
これは今回の事にも言えている。
ゴールデンウィークの茜の部屋へ通う行動。
戦っているように見えて、待ちの姿勢に近い。だが逃げているわけではない――そんな変な状況になっている。
普段からオンラインゲームをしている三人。俺と、茜と、A。
茜はとてもバランスが良い。
Aはとても好戦的で、ソロ思考。
俺は一歩引いて、周囲をみながら二人に指示を出すことが多い。
ゴールデンウィークだけの副隊長、黒木茜。
作戦は上記の通り隊長の発案であるが、今考えてみると、これは藤堂と俺の部隊と見せかけて――本当は、Aが不在の茜とのチームワークを発揮する場面だったのかもしれない。
もしくはそれが発揮されているのかもしれない。
バランサーの茜。
その発言。
『もっと話したほうがいいよ』
それは誰と話せばいいのか。
あいつがいうことは、きっと正しい。
後ろに引いて指示を出す俺と。
スナイパーライフルでじっと待つ藤堂の――似てはいないが、立ち位置だけはどこか似てしまっている二人に対する茜の言葉こそ、この作戦の収穫だったのではないか。
「あのな、藤堂」
「……ん?」
そうして俺は、朝から放課後にかけて、授業すら頭に入ってこないほどに、考え続けていた気持ちを、ぶつけた。
衛生兵だって、最前線に行かねば、サポートはできないのだから。




