第37話 戦いの始まり
7500文字。
長めなので、お時間があるときに、おすすめします。
副隊長に任命された日の夜。
隊長を名乗る藤堂真白からの連絡を待っていたが、なかなかそれはやってこない。何度もチャットアプリを起動して確かめながら、頭の片隅では『夜以降ということなのだから、明日の可能性だってあるんだぞ』と気を落ち着かせようとする。だが、やっぱり五分後には、スマホを持ってソワソワしている俺だった。……盗撮されていないことを願う。
ポコン♪、と着信音が鳴ったのは、夜も22時を回ったころのことだった。
消えていたスマホの画面をオンにする。
『マシロ:通知:1件』
やっとこさ指令が下るようだった。
学生や社会人ゲーマーからすればゴールデンタイムともいえるだろう時間であったが、俺からすればようやく届いた連絡。どちらが重要かは、火を見るよりも明らかだ。
それが人間だからなのか、もしくは俺だからなのかは不明だが、とにかく不思議なもので、あんなに待っていた連絡だというのに、いざ目の前にそれが現れると、どこか心が引いていく。
指先からひじに駆けて、冷たくなっていくような感じ。なのに喉の奥あたりで心臓がばくばくいってくるような感じ。そんな矛盾した感覚を覚えながら、俺はスマホ画面をタップした。
『マシロ:戦いには基地が必要だと思うから、秘密の場所の名前を、今日から、秘密基地にしようと思う。意見を求む』
……まじでどうでもよかった。
なんなんだ、これ。陽キャ特有の、どうでもいいことに盛り上がれる感じのスキルが発動しているのだろうか。
秘密の場所だろうか、秘密基地だろうが、あそこは俺にとって『屋上手前の階段踊り場』である。名称がどうなろうと、何も変わらない。
まあ、そんなことをずけずけと言えれば人生も楽なのだろうが、俺は副隊長なので、隊長の意見には真摯に向き合わねばならないのだろう。というか、副隊長である前に黒木陽である時点で、そんなことを率直に言うことなどできないのだが。
俺はしばらく考えた。
スマホの画面をオフにして、肩を楽にして、深呼吸。
こんな連絡を待っているだけで、なんだかとっても疲れてしまった。これじゃあ今後も身が持たない。
よし。
しばらく考えた後、文字を打ち込もうとしてスマホを手に持ったところで――ポコン♪、と着信音。
はかられたようなタイミングで送られたメッセージは、さらにタイミングよく実行された画面をオンにする行動との相乗効果により、俺の脳みそが身構えることのないうちに、視界と思考をジャックした。
『マシロ:既読がついても副隊長の連絡がないので、可決とします! ていうか、どちらにせよ可決されます!』
ひどい横暴だった。
「なら、最初から聞くんじゃねえよ……」
この隊長についていって、大丈夫なのだろうか――そう考えながらも、勝手に緩んでいた口元に気が付いた俺は、「ぐふっ」とむせながら、その表情をひきしめた。
おそるべきことに、その夜の指令はそれだけであったのだけども。
いや、訂正。
物事というのは常に裏で動いていくものである。俺はそれを忘れていた。それこそ俺は過信していたのだろう。俺と藤堂の行動パターンというものは把握できていると、過信していたのだろう。
◇
翌日。連休は再び顔をみせていた。
平日は顎にアッパーをくらって気絶したので、しばらくはダウンをしているだろうから、俺は休みを存分に享受できるというわけだ。
キャラがぶれぶれの藤堂真白隊長の提案は、秘密基地提案の翌日の朝九時に入ってきた。
『マシロ:相談がしたいんだけど』
『マシロ:訂正。作戦について話し合いたい。できれば直接』
俺はショボショボの目をこすりながら、その提案について、考えざるをえなかった。
『ヨウ:直接? チャットじゃダメなのか?』
『マシロ:できれば直接がいいです』
なんだか、どこか、よそよそしい気もする。
チャットアプリで済まないようなことは、ゲームをすることぐらいだろうと思っていた俺としては、わざわざ話をするために呼ばれたことの意味がわからない。
だが、秘密の場所だの秘密基地だのと提案してくる隊長である。なにか気持ち的に必要な理由はあるのだろう。
『ヨウ:場所はいつものとこでいいのか』
『マシロ:うん。11時あたり、いける?』
『ヨウ:了解』
いつものところ――ひとつしかない。学校だ。
なぜ学校なのかというと、やはりそれは俺と藤堂が一緒にいるところを見られると色々とやっかいなことになるからだろう。
母親の主張に『男の家に行くな』という点があるかぎり、一緒にいることだって似たようなものに違いない。
だからこそ、隊長と副隊長という設定にしたのかもしれないな。だって、その関係に男も女もないから。
いや、実際に藤堂がどう考えているかなんて、俺は知らない。いちいちそんなことを確認していたら、それこそ人間関係なんて続けられない。
だから、推測するしかない。
奴ならこうする、こう考える――想像の連続で、相手の分身を自分の心のなかに複製していくしかないのだ。
実のところ、俺はこういう経験は、初めてではない。
それは男とか女とかの話ではなくオンラインゲームでの仲間との経験だ。
オンラインゲームを一緒にプレイする相手との交流が深まってくると、顔も本名も知らないのにまるで全てを知っているかのように、付き合い方が簡略化されることがある。
たとえばレベル上げに必要な敵を倒しにいった後の別れの挨拶。
『また明日。今日の反省で』
『おう、了解』
みたいな別れ方をするだけなのに、頭のなかには『また明日も、ここで20時から始めないか? 装備は別の特化武器を試そう』とか『たしかに今日の感じだとそれがいいかもな、異論はない。また明日も来れるから、同じ時間に待ってる』などと、勝手に頭にチャットが流れていく。そして当たり前のように、次の日もレベル上げが行われる。
さらにそれが極まると、常に省略した会話になっていき、チャットもしくはボイチャだけの付き合いであるのに、『それ・これ・あれ』なんて語彙だけで、やりとりを行うことも可能となる。
だが、もちろんそれに乗っかり過ぎて痛い目を見ることもある。それはオンラインゲームの特色……とは言い切れないだろう。
オンラインゲームは結局のところ人間との付き合い。現実世界と同じような対人的問題は発生しうる。逆もしかりで、オンラインゲームで起こりうる人間関係のトラブルは現実世界でも認められる。
つまるところ、対人関係において過信は禁物なのだ。
分かり合えているという過剰な自信はいつしか傲慢さを生み、相手の心を無視することがある。それは家族でも仲間でも同じだろう。
だから俺は、そもそも勘違いすら発生しないようにと、人と距離を置いていたというわけだが――藤堂真白相手だけはそうはいかないようだ。
これだけ言えばわかるだろう?
どんなに俺が、発生しうる問題のために構えていても、どんなに俺が相手のことを分かったつもりにならないようにしていても、起こるものは起こる。備えているだけでは、地震雷火事の発生をゼロにすることはできないのだ。
よって、藤堂真白は俺をここに呼んだ意味を、俺は重要なことであると認識しながらも、それ以上のなにかとは捉えなかった。秘密の場所が秘密基地になったように。自分と藤堂の関係の方程式上を外さなかった。
1+1は2程度の解答だけで、防衛体制は万全だと過信していたのだ。
だが何度でも言うように、相手は藤堂真白だった。
俺の身構えている状況を全て無視するように、いつだって予測を超えるヒエラルキートップの女王は、スゴロクでふりだしに戻ってしまったような、そんな錯覚を覚えさせる方針――いや、命令を口にした。
◇
俺は諦めて起床した。
いつも通りに着替えて、コンビニのお世話になり、お菓子を少しだけ購入して階段をのぼった。
藤堂は秘密基地に満足しているかのように、悠々と椅子に座っていた。
階段踊り場のお姉さんは『またきたの?』なんて聞いてくることはないし、卒業した先輩が懐かしさにひきずられて現れることもない。
二人だけの間で通用する暗号のような会話が、実に自然に交わされた結果、約束は実行されていた。
屋上手前の階段踊り場――もしくは、秘密の場所、もしくは秘密基地。
名称などどうでもよいが、その場所で何時から待っていたのか不明である藤堂は、俺の着席が待てないかのようにに、早々に口を開いた。議題すら提示されていないが、それは『悟れ』ということなのだろう。過信は禁物だが。
「ようするにね、黒木」と藤堂。
「おう?」と俺は答える。
「わたしは、結局親に養ってもらっている事実は変わらないんだよ」
俺はバックをおろしながら、特になにを考えるでもなく答えた。
「そうはいっても、それは親の義務という話だろ……?」
「でも、だからこそ子の義務が発生して、わたしはモデルをしなきゃいけないという話でしょ?」
「それは家庭環境によるだろ」
「うちの家庭環境はそうなの――だから、モデルは続けないといけないし、ゲームは禁止だし、父は不干渉だし、母は過干渉なの」「まあ、そうかもしれないけど」
ようやく俺の居場所が落ち着いたところで、藤堂はそれを待っていたかのように宣言した。
「だからわたしは戦うことに決めました」
「だから、どうやって?」
「自分の立場を理解して、違反せずに戦います。隙をつくように」
「隙……?」
なんだか、気になる言葉だ。
隙をつく――それは誰にとっての隙なのだ?
というか、なぜ先程から敬語なんだ。
まるで課金したはずのアカウントの残高が増えていなかったような、奇妙な、理解が出来そうで出来ない、若干不安にもなるような感覚がやってきた。
藤堂はそれっぽく、腕を組むと、何度か頷いた。
「うん、隙をつきます。つまり、あの作戦を発動するときが、とうとうきたってことです、黒木ふく……黒木」
「あの作戦?」
嫌な予感は増すばかりだ。
副隊長と言おうとして、なぜかそれを言い直した藤堂の言葉も気になるが、それ以上になにか、藤堂の体から発せられる雰囲気が、大きな不安となって襲ってきた。
いつだって自信満々な感じでいるべき存在の藤堂が、なんだかフワフワソワソワとした感じの雰囲気を発し始めている。顔も若干、緊張が見え、頬が紅潮している気もする。
藤堂は組んだ腕を一度ほどいてから、太ももあたりに下げたあと、また腕をくんだ。
たしか心理学で、腕を組むのは、なんか、心理的に、あれな時だと聞いたことがあるが――いやな予感のせいでなにも思い出せない。
だが一つ確信した。
この光景を俺は知っていた。
随分前のようにも感じるが、実際は一か月前のことだ。
はじめて藤堂と、この場所で向かい合ったとき――あのときと同じ表情を藤堂はしていた。
それはつまり――。
「あれ、だよ。うん」
「おい、藤堂。お前、なにを考えてる」
ちょっと待て――いや、思考は待ってはくれない。
全てのピースがつながっていき、まるで答えのないクロスワードパズルみたいに交差していく。
――藤堂真白。ゲームがしたい。家はゲーム禁止。モデルは続ける。男の友達の家に行くな。黒木陽は男。黒木陽の家族。一名の妹。年の差はたったの数歳。友達に年齢は関係……ないが、親を説得するにはある。男の家には遊びにいくな。では、俺の妹は?――友達になりうるゲームが趣味の女だ。
藤堂はとても言いにくい言葉を口の中で転がしているようにしていたが、じきに諦めたのか、別の行動をとった。
自分のスマホを俺に向けて差し出してきたのだ。どこぞの将軍のように、これを見ろ、といわんばかりに。
それはチャットアプリの画面だった。どうやらご丁寧に、俺が読みやすいように、スクショをとって、時系列順に並べているらしい。俺にスライドしろとばかりに、差し出してきたようだ。
俺は震える手で――いや、実際のところ震えてほしかっただけで、なにかを諦めたように震えることすらしない手で、絶対に予測できないはずの天災級の存在の行動を、あたかも予測できているかのような確信を持ちながら、画面をスライドしていった。
『アカネ:えー? でもにいにはダメっていうと思うよ? あと、副隊長なんだから、なおさらダメじゃん?』
『マシロ:うーん、じゃあ、黒木には衛生兵になってもらうから、アカネちゃん副隊長で!』
『アカネ:おお。にいにに、命令していい?』
『マシロ:どうだろう。黒木、怒らないかな。怒らせたくは……ないかな』
『アカネ:スタンプ(そこだけマジメか!)』
『マシロ:あ。それあたしももってる!』
『マシロ:スタンプ(そこだけマジメか!)』
『アカネ:おお! 同士だ! この作者大好きなんだ!』
『マシロ:かわいいよね! ちょっとネガティブな感じが!』
『アカネ:うんうん、そう! にいには分かってくれないんだよなー! 趣味が似てる人はいいね!』
『アカネ:わかった! わたし、副隊長するよ!』
『アカネ:スタンプ(やる気はちょっとだけ)』
『マシロ:ほんと!?』
『アカネ:うん。まあ、パソコンもあるし。ただ何か起きてもにいにに投げるからね! そこはよろしくー。わたしは乙女。傷は終えません』
『アカネ:スタンプ(乙女ちゃんねる)』
『マシロ:うん! もちろん迷惑はかけないようにするし、黒木家のお父さんとお母さんにも、おりをみて、なんとか話してみるから!』
『マシロ:スタンプ(かたじけねえ)』
俺は視線をあげた。
藤堂は、なにか、とてつもなくいけない悪戯が見つかった子供のような顔で、俺の反応を待っていた。つまり、怒られるのは確定。あとはどれくらいの怒りをかってしまうのか、という段階を待つ子供のうかべる表情だ。
俺はスクショを何枚かスライドして、重要な会話が抜けていることに気が付く。
どうやら最初の一枚を、藤堂が飛ばして俺に提示してしまったようだ。藤堂が掲げているスマホを、何度かスライドして、最初に戻る。
ヒエラルキートップをスマホスタンドにするという、よく分からない構図だが、今はそんなこと、気にしている場合ではない。
藤堂が黙り続ける中、俺は最初の一枚に到達した。
『マシロ:アカネちゃん。わたし、アカネちゃんが言ってたあの話、本当に実行していい?』
『アカネ:んあー? こんばんは、マシロちゃん。ちな、その話、なんだっけ?』
『マシロ:スタンプ(こんばんは!)』
『マシロ:えっと、あれだよ。今度、パソコンゲーム教えてくれるっていってたじゃない? お部屋にパソコン二台あるからって。お父さんの誕生日パーティーのときに』
――今度、パソコンゲームを教える。
――部屋にパソコンが二台ある。
――遊びにいって、いいかな。
そうだ。黒木は俺だけじゃない。そんなことわかっていた。
家族だって過信してはいけない。なぜかってわかり合っていることばかりではないから。そんなことも分かっていた。
だから、そもそも、こんな未来、予測できたはずなのだ。地震雷火事じゃない。これはただの親父――家族における問題。四つ目の事象はコントロールできたはず……いや、それこそ過信だ。ああ、だめだ、思考が定まらない。
俺は静かに視線をあげた。
あいもかわらず、判決を待っている子供がいた。
そう、子供だ。
ヒエラルキートップの女王は今、無邪気で悪意のなさそうな、まっすぐな欲望だけに従った子供のような存在に変貌していた。
いや……女王だからこそ、こうなのかもしれないが、とにかくその姿は、どこか幼く見えた。
気まずそうに、しかしワクワクしたその気持ちを隠しきれないように、ないまぜの表情を浮かべた藤堂は、スマートフォンをそっと引いた。
バカみたいに差し出された俺の人差し指だけが、そこに残る。
「えっと……つまり、そういうこと、です。衛生兵さん」
隊長は言った、
とっても気まずそうに。
しかし嬉しそうに。
映画館の暗い室内で、映画が始まる前の数分間の予告中の時間のように、期待と怠惰と静寂が混ざったようなそんな空気を出しながら、藤堂は秘密基地で、俺に降格を宣言をした。
そして同時に友達とみなした妹と遊ぶことを、兄に直接伝えたということだ。
さらにきっと――いや、間違いなく、このあとの家族への説明は俺が担うに違いない。
なぜかって、このままいけば何かに傷がつく藤堂のこの行動。傷の修復は衛生兵の管轄だろうから。俺はそれこそ傷すらつかないように、藤堂をサポートしていかねばならないのだろう。
これがシナリオゲームならば、俺の人生には選択肢がくっきりとはっきりと、ご丁寧にウインドウに囲まれた上で、眼前に示されるに違いない。
『断りますか?』
『→はい/いいえ』
だが藤堂からの協力要請は半ば強要に近いものだった。選択肢なんて現れるでもなく、仮に現れたとしてもその選択肢はすべてが『はい』に違いない。もしくは『いいえ』を選んでも、物語はループし、再び同じ質問をぶつけられるかのどちらかだろう。
だからこれは、そういう話なのだ。
俺はそう思って、諦めることにした。
つまり――藤堂側に立って戦うことを必然としたわけである。
訂正。
衛生兵の義務だ仕方がないと、思い込むことにするしかねーと、諦めたのである。
「……黒木。怒ってる?」
うかがうような、下から向けられる藤堂の視線。
怒ったらこちらが罪悪感を持ってしまいそうなほどの愛嬌に満ちている。なんだからズルい気もしたが、もはや何も言うまい。
「……はぁ。まあ、別にいいけどさ」
「わ、よかった!」
「で、いつくるんだよ?」
「今日のお昼過ぎの約束」
「今日かよ!?」
なんでもありだな、こいつ!
それにしても、いつか出てくるかと思っていた悪癖の舌打ちは、まだ現れることはない。それがどういう意味を持つのかを、俺は深く考えないことにした。
結論。
藤堂は、俺の家にやってくる。それも今から。
男の俺を訪ねてではなく、女の妹を訪ねて――それは地味で、地道で、過信の隙を縫うような、静かな戦いの始まりだった。




