第36話 ではよい休日を
放課後。
屋上手前の階段踊り場。
『え? もう戻ってきたの? お別れから、まだ数日だよ』
こちらの気持ちを深く考えてくれる奴じゃなけりゃ、そんな言葉を投げられてしまうだろう。
だから俺はそいつが――俺と藤堂の使用する『屋上手前の階段踊り場』が、仮に擬人化したとしたら全てを抱擁してくれるようなお姉さんキャラであると、半ば強要するかのように思い込み、自分の行動を正当化することにした。
『おちついて、姉さん――俺はいつだってここに戻ってくるよ』
うん。悪くない。だから俺は逃げかえってきたわけはない。
「――ちょっと、黒木、きいてる?」
「お、」
藤堂の声で、妄想上の踊り場姉さんが消えてしまい、若干怒っているような気のする藤堂の顔が現実となる。
かたくなな心を表現するように、藤堂は腕を組んでいた。それは大きな口でかみついたときに、チョココロネからはみ出るチョコレートクリームを想像させた。それ以上の感想は、ない。
「……おう、きいてる」と俺は答えた。
嘘じゃない。本当に聞いていた。上の空でもなく真剣に。
全員が全員そうではないと思うが、配信をするゲーマーは、思考と行動を分離できるようにならないかぎり、成り立つものではないと思う。生放送をするなら必須だ。視聴者のコメントを見て、ゲーム画面を見て、口を動かしながら、手は別の動きを求められる。
だから俺だって妄想しながら、話を聞くことはできる。まあ、配信で話すのは全て、3Dモデルのアバターを使用した茜で、俺はその茜に付き従っている黒猫という立場のキャラクターとしてゲームをしているだけなのだが。
ちなみに、にゃあ、とか、にゃにゃ、とか、にゃあ!、とか、そういった類の合成音声を出すボタンがあるのは企業秘密である。茜はそれを黒猫ボタンと呼んでいる。
藤堂は俺の反応に懐疑的らしい。
腕を組んだまま、首まで傾げた。これが探偵小説ならば、俺は今、第一容疑者として読者に疑われているはずだ。
「じゃあ、何を話してたか、整理してみて」
「話を聞くことと、話をまとめることは別の能力だろうが」
「やっぱ聞いてなかったんだ」
「聞いてたから、落ち着け」
「落ち着いているよ。それとも黒木は、私の事、どうでもいいの?」
「ど、どういう意味だそれは」
「それはこちらが聞いていることだ」
「尋問か」
「質問です」
やはり若干怒っているように感じられる藤堂は、対面の机で、不満の感情を表現するように、前傾気味に頬杖をつく。すると何か、盛り上がってはいけない部分が盛り上がる。俺は静かに視線を下げて、言った。
「わかった。つまりお前の話を、まとめるとだな――」
「お前?」
「藤堂の話をまとめるとだな」
「よし」
お前は教官か。なんていうかこいつ、やっぱり感情が高ぶると、性格が変わるよな。いや、変わるというのは語弊で、こっちが本当の藤堂なのかもしれないけれど。
さて。
俺は先ほどの話を時系列順にまとめてみる。完璧と思われる藤堂ではあるが、自分の気持ちや状況を説明するときは、なんだかぐちゃぐちゃとした話になることが多い。
「まず、藤堂のお父さんは、今回の件については、とくに言及はなかった」
「そう。黒木家のパーティーに関しては何も言われなかった。夜遊びの時間ぐらい。門限について」
「たしかにかなり遅かったからな。それは当たり前だろう」
むしろ黒木家が緩すぎるんだよな。
藤堂は小さく嘆息した。
「まあ、家族にそこまで興味のない人だから、父は。仮にわたしが朝帰りをしても同じレベルの反応だと思うよ」
「……なるほどな」
補足を入れてくれるのはありがたいのだが、返しにこまるくらい情報量が多い。だが、朝帰りと聞いて動揺しているわけではないことを、ここに明記しておこう。朝帰りなんて言葉、完徹と同じだろ? 俺だって、完徹ぐらい、する。ゲームしてりゃ勝手にそうなる。だから、朝帰りなんて言葉に、なんの独自性もない。藤堂が朝帰りをする。黒木が完徹をする。ほら、同じだ。うん。
……まあいい。とりあえず話をまとめることに努めよう。
「藤堂の母親は――主張が三つ、ある」
「うん」
藤堂は斜め上に視線を向けて、指折り数え始める。
俺は藤堂が、もう一度「うん。みっつ」というのを待ってから、口を開いた。
「一つ目が、お父さんと同じで、門限のこと。これはさっきと同じだ。言わないほうがおかしい」
「それは納得してる」
「二つ目が、ボイトレを休んだことに対する叱責。これもまあ、言いたい気持ちはわかるだろう? 今後なにがあっても絶対に休まないこと、という条件は過激な気もするけど」
「ありえないよね。休むときは、わたしだって休みたいんだって気が付いて欲しいよ。でも、報告はちゃんとしようと思った。ごめんなさい」
「俺に謝ってどうする」
「どうにもならないことだから、どうにもならないことを承知で黒木にいったの。神頼みと同じだよ」
「わからん」
「つづけて」
ちくしょう、なんだこいつは。まるで女王みたいにワガママだな――いや、そうだ、こいつは、そうなんだった。
俺は考えるのをやめた。
「で、三つ目が、あれだ」
「あれってなに」
「いや、ようするに、俺だ」
「もっと詳しく」
お前が一番よく知っているだろうが――なんて言葉を呑み込んで、俺は表紙に『藤堂真白の今』と書かれた本の頁をめくった。まるでそこに登場してはいけないような、キャラクターを認識しながら。
「ようするに、三つ目としては、男の家に遊びにいくなと。家族がいようとも、相手は男だろう、と――そういうことだろ」
「そうだよ、それだよ」
藤堂は机に手を叩きつけた。手のひらが痛そうな音が聞こえるが、藤堂は気にしていないようだった。次いで、甲高い金属バットの音。野球部のあげる快音は、藤堂のうった打撃音よりも、すがすがしい。
「ねえ、黒木、うちの母親おかしくない? 今の時代、性別とか、関係ある? 男の家にいくなって、そんな話ありますか」
「いや、それはあるだろ」
ゲームだって開始するときキャラクターの性別で『男』か『女』を選ぶ。どっちも、なんて選択はない。
もちろん世の中に浮かんでいる問題を無視しているわけじゃないぞ。ジェンダーだとか、男女平等だとか、広義な意味でいえば、ダイバーシティだとか――知らないわけではない。
多様化する社会は、参加者の言語と目に見えぬ概念を成長させることで、その生息域を拡大していく。その大切さを無下にあつかっているわけではない。
だが。
それは分かるのだが、どうしたって性別というものは、人の前に立ちふさがる。そもそも立ちふさがるものだからこそ、ここまで平等だのなんだのということが、議題にあがるのだ。
『酸素に敬意を払おう!』、『二酸化炭素と酸素、平等に扱おう!』なんて、議論聞いたことあるか? いや、どこかでそういった話題はあるのかもしれないが、それでも社会現象にはならないだろう。きっと。
だから藤堂の母親の言い分は正しい。
正確にはこう言われたらしいけども。
『まさか、お付き合いをしているわけじゃないわよね?――していないのなら、わざわざご自宅まで伺う必要はないでしょう。相手方にも失礼なのだから、今後は、やめなさい』
実に正論だ。
お付き合いなんて、しているわけがない。
本当に、ぐうの音もでないほどの、正論じゃないか。
だが、藤堂にとって、それは感情を高揚させるくらいには、納得のできない理論らしい。
どれくらいかといえば、俺を階段踊り場まで呼び出して、「信じられない。なぜわたしが、黒木の部屋に遊びにいってはいけないの? 意味がわからない」などと怒るくらいには、気に入らないらしい。
その主張を聞いた俺はといえば、いやちょっとまて、と考えた。
いやちょっとまて、厳密には俺の部屋に入るかどうかの話ではないだろうが――いやまあ、本人にとっては同じことなのか? 知らんけど。
いや、知らんけど、ではない。
俺は既に、藤堂真白という本の頁の最初にある、人物紹介に名を連ねてしまっている。知らないと押し通すことはできないし、その行為はむしろ状況を悪化させるだけなのだろう。ここまできたら、知っているぞ、の連鎖を作らねばならない。
「お父さんは、何も言ってないのか?」
「言わぬが花という人だからね。物言わぬ石、ともいえるかもしれない」
「何をやってる人なんだ?」
「やっている?」
「俺の父親は作家だ、という意味だ」
「あ、そうだ。お父さんの本、今度貰う約束したんだっけ。おうちいかないと」
「……もってきてやる」
どうしたことか、話題を出すたびに何かにつけて、我が家につながっていく気がする。
怖いのだが、いつしか、俺が帰宅したら、藤堂があたりまえのようにリビングでゲームをしている気もする。
俺は恐るべき妄想を振り払うように、話を進めた。
「で、どうなんだ」
「お父さんは弁護士をしている。離婚調停などの男女関係が専門」
「……なるほど」
なるほど。
俺はもう一度、繰り返した。
さらにもう一度繰り返そうとしたが、やめた。
「弁護士なら、寡黙そうには思えないけどな。なにかと指摘がありそうだ」
一時期弁護士のゲームが流行った時、俺も弁護士に憧れたことがある。こういう経験、誰もがないだろうか。よく考えてみると、登場人物とその職業の全てが関連づけられているわけではないのに、その作品を好きになったがゆえに、主人公の持つ属性に憧れてしまうということ。
俺はその後、司法試験の難易度を見て、そっち側へ立つことを二秒で諦めたが、藤堂のお父さんはそっち側に立っている人間だということだ。それだけで俺は何も言えなくなる。
「ああ、寡黙じゃないよ。そりゃ弁護士だもん。口は動くよ。でも、うちの事に関してはね、ずうっと外側をぐるぐる回っているような感じなんだよ。玉ねぎの皮をずっと剥いている感じ。男女関係が専門のくせにさ。あれなのかな、料理人が、かならずしも家庭では調理を担当しないようなものなのかな」
「まあ、プロだからこそ、ってのもあるとは思うけど。仕事と生活は別だろ」
プロゲーマーだってそういう側面はある。好きなゲームと、得意なゲームと、職業として取り組むゲームは別だ。
だが藤堂は懐疑的だった。
「その道のプロだからこそ、内実共にすべきなんじゃないの? オンオフで人格変えるなんて、なんかおかしい」
「まあ、わからないけどさ……ていうか、俺はそこに関しては何もいえねえし」
「なんで?」
藤堂はポカンとしたが、俺の顔をみて、いろいろと思い出したらしい。話している相手が、黒木陽であるということを。
そして同時に、自分の行動を少しだけ省みることもしたようだ。
「まあ……、生活において、色々な面があるのは、認めるにしても――でも、なんか、これはイヤなの」
などと、曖昧な言葉で主張をぼかした。どうも藤堂らしくないが、家族相手だと人というのは変わるものだろうと思う。
それにしても藤堂のお父さん、外車に乗って弁護士、そして家には興味がない――よくわからないが、ようするに一歩引いている感じなのだろうか。ドラマとかで見るような、家のことは妻に任せる……みたいな。
藤堂は嫌気がさしたように眉をひそめた。
「そのくせに、私には帰りの時間とかはうるさい。ついでになんの影響か、銃で人を撃つようなゲームは青少年の教育に悪いと思っている。信じ込んでいる。そして、妻の教育論には口をださない。それが六法全書に書いてあるかのように、その姿勢を守り続けている」
藤堂の家の食卓をイメージしようとしたが、俺にはなかなか難しかった。どうやら現実は、ドラマのように視聴者に分かりやすく作られてはいないようだった。
俺は藤堂の父親の理解を諦めて、今度は母親のほうへ移った。
「お母さんは専業主婦ってやつか?」
「そうだね。お父さんと同じ大学の同じ学部だったらしいけど。弁護士ではない。むしろ劇団員だったみたい」
「劇団員?」
「女優でもいいかも。売れない、元、女優ね。きょーみないから、詳しくは聞いてないけど」
母親は女優――なんだかそれがとてもしっくりきてしまったのは、藤堂に対して俺がそういうイメージを持っているからだろうか。
それにしても俺にだってわかるが、母親の人生経験が、藤堂真白という存在の時間の使い方を決めているような気がするのだが、それに対して『興味がない』とは、藤堂は母親の『人生そのもの』に否定的なのだろうか。たとえば、ここは好きだけど、ここは嫌い――そんな風な家族関係だってあるとは思う。
だが話を聞く限り、藤堂は、母親という存在に、もう、なにか、諦めを感じているように見えた。
それにしても――。
「女優か。俺からしたら非現実的だ」
「売れない、元、女優ね」
「売れない、元、女優か」
「そう。大事。黒木みたいなゲーム好きの人間、茜ちゃんみたいなゲーム好きの人間――これくらい大事な情報」
めちゃくちゃ大事だった。
だが、お母さんだって売れないことを望んで女優になったわけじゃないだろうから、藤堂の言い方は少し、粗暴だとも思う。俺が、友達を作らぬことを決めて生まれてきたのではないように、そこには似ているようで、似つかない経緯というものが存在するに決まっている。
だが藤堂には関係がないようだった。家族とは往々にしてそういうものかもしれない。自宅という物理的な壁に囲まれた領域で共生しているというのに、大事なことに限っては外側からは良く見えて、内側からは見えないのだ。
「あーあ。なんでこう、わたしの人生にはレールが敷かれているのだろうか。気がつかないようにしていたけど、そろそろ限界だったのかな」
俺は藤堂を調べたときの情報を思い返した――幼少時より、親の影響で、モデル等を始める。
俺だってそういう文言はある――幼少時より、親の影響で、ゲーム等を始める。
結果は、こうも違うらしい。
背もたれに体重をかけて、伸びをする藤堂。なんだか、色々なものが透けていたが、藤堂の思考は透けるようには見えてこない。
「レールを、少しだけでも、はずれてみるとか……」
提案してみて、すぐに気が付く。
藤堂も同じようだった。
「少しはずれただけで、こうなったんじゃないの?」
「そ、そうかもしれない」
聞いた所、お父さんの方針で――もしくは母親も、かもしれないが――銃で撃ちあうようなゲームは禁止らしい。とはいえパーティーのとき、家庭用ゲーム機の種類も曖昧だった藤堂だったので、ゲームという文化に接点のない家庭なのだろう。
そう考えると、スマートフォンと動画配信サービスというのは、ゲーム人口を爆発的に増やすために大きな貢献をした気がする。
でなきゃ、俺と藤堂のラインは交差しなかったはずだ。
様々な偶然と必然が、俺の頭のなかで交錯しはじめた。俺は、思考に深く潜っていった。
あんなにどや顔で『ゲーマーは行動と思考を切り離せる』なんてのたまっていた俺だが、少しの間であるが、藤堂との会話の反応がおろそかになっていた。
だが、藤堂も藤堂で、同じような状況だったらしい。おそらく自分の気持ちを吐き出すことに努めたその会話は、その言葉を持って収束した。
「私、決めた」
だから藤堂がそう断言したとき、俺は二歩ほど遅れて、ついていかざるをえなかった。
まるで勇者の後を追う、パーティメンバーのごとく、数歩後を、付き従うことしか、俺の選択肢は用意されていなかった。
「わたし、戦おうと思う。少しぐらい、いいよね。だって、いままで、なんだって言うこと聞いて、頑張ってきたんだから。これぐらい、許されてもいいと思う」
「お、おう」
俺は後れを取り戻そうと必死に歩みを速めた。
だが、システム上、絶対に許されない行為であるように、この力関係も、話のスピードも、なにも入れ替わることはなかった。
「うん。黒木と話してて、確信したよ。わたしは、このままじゃいられない」
「はあ……?」
「戦いには、同士が必要だ」
「はあ?」
「黒木を副隊長に任命する」
「はあ!?」
「黒木って『はあ』しか言えないの?」
「そ、そんなことはない」
「『あ』のつぎは、『い』だよ、黒木。はあ、だよ。あを、いに、変えるんだ。これは重要な問題だよ」
「は、あ?」
「じゃあ、よろしくね、副隊長さん。作戦に関しては夜以降、連絡をいれる」
藤堂は俺の言葉を待たずに立った。
俺は藤堂の出した、なんのひねりもない言葉遊びを解いた。
『あ』の次は『い』。
『あ』は、『は』の後ろにある。
『はあ』の『あ』を『い』に変えると――つまり、答えは。
「は……い?」
「よし、正解」
眼前につきつけられる、よし、を強調させる人差し指。
もう少し前にいったら、藤堂の指と俺の口が接触してしまいそうなほどに、近い。
「は、はい」
動揺を隠す暇はない。俺ははやくツッコミをいれなければならない。
お前は教官か、いや、俺が副隊長だといっていたから、お前は隊長か――いや、お前ではない、藤堂だ。藤堂は、俺のなんなんだ? いや、ていうか、まて、なんだ、戦いって。その戦いに、俺も巻き込まれるのか?
さて、ここで突然だが、俺からも質問だ
問題。
ツッコミが追い付かないと、どうなるか?
解答例、その1。
ツッコミの機会を失う。
「じゃね、黒木。本当はゲームをしたいところだけど、わたしは色々と考えたいから帰るね――ではよい休日を」
解答例、その2.
藤堂真白は、すでに階段の向こうに消えていた。




