第24話 それにしても、なんだろ、この感じ
まったく集中できなかった午後の授業を経て、俺は逃げることなく、放課後の階段踊り場にたどり着いていた。
藤堂が来たのは、それから数分後のことだった。
アサシンスキルを持たない藤堂の足音は、かなり手前から俺の耳に入っていた。なんで足音で藤堂かどうかが分かるのかは不明だが、なんとなくそう感じたのだ。
階段のほうへ視線をやっていると、まず、藤堂の頭頂部が見えた。すぐにおでこがみえて、それから整った顔があらわれる。
どんなバランスだよ、と感心してしまうくらいの黄金比でついている二つの目が、俺の姿を捉えると、どこか――『藤堂にしては』だが、それでも、どこか恥ずかしそうに、「やっほ」と片手をあげた。
さすがに俺がそれを真似することはできないので、「……おう」と答えるだけに留まる
『いきなり、ごめんね』とか『いいよ、気にしなくても』とか、そういったあたり触りのない会話を交わしながら、両者はいつも通りに向き合って座る。
ゲーム画面を見て前傾姿勢になっていない分、なんだか二人の距離が遠く感じた。
とはいえ、リア充の放つ不可視の圧力はすごい。
どぎまぎしてしまう俺を慮ることなく、藤堂は唐突に尋ねてきた。
「でさ、あの写真なんだけど……なんか変だって思わない?」
ふたたびドキリとした。
その言葉が何を指しているのかは、現時点では不明だが、まるで俺が藤堂に抱いている印象の全てを見破られているかのような気恥ずかしさも覚えた。
俺は動揺を悟られないように、まずは聞き取りから始める。
悩み、といっていた。
相談、ともいっていた。
話を聞かねば始まらないだろう。
「変って……どういうことだ?」
「まあ、その。それこそ変なことを聞くんだけどさ。ひかないでよね」
「……わかった。ひかないと思う、多分」
「多分じゃ、やだ。絶対って言って」
「ぜ、絶対」
脅迫まがいのセリフじゃないだろうか。でも俺は心のなかで、絶対、と繰り返した。じゃないと意志薄弱な俺は裏切ってしまうかもしれないから。先日の別れのような気まずさは、もうゴメンだ。
だが同時に、俺は何度でも間違うのだろうな、という確信もある。自分を信じていないわけではない。むしろ信じているからこそ、弱点がわかる。マイナスの確信が前向きなのかは分からないが、だからこそ俺は三度目の『絶対』を心の中で呟いた。
「じつは、他の人にはすでに相談してるんだけどね、解決しなくて」と藤堂が前置きを口にする。
ああ、なんだ――俺はちょっとだけではあるが、肩の荷が下りるのを自覚していた。
俺だけに相談をされているなんて、意味のわからない状況ではないと分かるだけで、俺は俺としての立場を保てるからだ。
だって、そうだろう。
もしその相談が、相手にとって、人生を左右するものであれば――そして二者択一の決め手を、もう、他人にゆだねようとでも思っていたとしたら。
俺の言葉一つが、その人の人生を決めることになってしまう。
そんな重大なこと、安易に受けることはできない。
だが、そんなことにはならないようで安心した。
ヒエラルキー通り、藤堂は、上から順番に質問をしてきたに違いない。上層に聞き、中層に確かめ、そしてそれでも解決しないから、下層である俺に尋ねにきたのだ。なんだ、よかったよかった――待て。良くない。
解決していないといったか?
待て待て待て。
上層で解決できないことが、下層の俺に解決できるわけがないだろうが。
アルバイトの俺に、社員が理不尽な責任を押し付けてきた――そんな気持ちが心に生まれるのを感じながら、それでも嘘偽りなく、こう言ってしまう自分がいるのも確かだった。
「まあ……、俺に分かることなら、きちんと考えてみる。だからまずは、話してくれ」
なんだか偉そうなセリフだ。
自分の立場ってものを分かっていない。
だが、ほんの少しだけ、口を開いた藤堂が、
「……うん。ありがと、黒木」
と言葉を紡ぐのを見るだけで、俺はどこか誇らしい気持ちになる。
それは、シューティングゲームで激戦区に降り立った時、早々にダウンしていく仲間を庇いながら、全チームキルを達成し、安全の中で味方を起こしにいくときの気持ちに似ていた。
この説明、分かりにくいだろうか。
でも、本当に、そんなふうに誇らしくなったのだ。ダウンする仲間を責める気持ちなんて起きないぐらいに、俺は別の何かに夢中なのかもしれない。
◇
そうして、藤堂の話は始まった。
端的にいえば、それはこんな悩みだった。
『うまく、笑えない気がするの』
藤堂の悩みは、実にモデルらしい悩みだった。
俺なんて、いつもうまく笑えないけど――なんて茶化したら失礼なくらい、プロ意識に立脚した悩みだった。
「なるほど……」
俺はそんなことを口にしたが、なにも納得なんてしていなかった。その相談に対して、すぐに回答できるくらいの、うまい言葉を持ち合わせてはいなかっただけだ。
ああすればいいよ。
こうすればいいよ。
これが正解なんだよ。
世間に溢れているエゴの押し付け。まるで自分が中心であるかのような言葉の数々。俺はそれをなるべくそういった言動を避けたいと思っている。
だが――思っていたはずなのに、いつの間にか、それらが無理なことに気が付いて、自分のことを守るために、似たような手段を取っている自分を知っている。だからうかつに口を開くことが怖い。
言い訳するわけではないが、俺の心の中の罵詈雑言は、きっと、防衛手段の一つなのだと思う。……茜に相談して、そうかな、と思ったぐらいなんだけども。
さて。
藤堂の話はまとめると、さきほどの言葉になるが、実際にはもう少し、ごちゃごちゃとした意見だった。まるで藤堂が階段踊り場で広げる手荷物のように、一か所に即時にまとめるには、難しい感じだった。そりゃ悩みなんだから、当たり前なのだけど。
「この前の日曜日、気が付いたんだ。あれ、わたし、こうやって笑ってたんだっけ?、って。そう思っちゃったら、笑い方、忘れちゃったみたいにぐちゃぐちゃ。でも周りの人に聞いても、だーれもそんなこと感じてない。『なにも変わらないよ』って、そういうだけ」
藤堂は俺の相槌を待たなかった。
「カメラさんに聞いても、メイクさんに聞いても……さっき昼休みに、画像データを友達に見せてみたけど、みんな褒めるばっかりで、答えを教えてなんてくれない。だから、もう、聞ける人、黒木しかいないんだ』
よし、いいぞ、藤堂。
色々な悩みに対するアプローチを俺が持っているかは別として、その最後というのはいい。背負うものが何もない感じが良い。……だが、すぐに気が付く。
この国には、『最後の砦』という表現が存在する。
見方を変えればそれは、もはやその問題に取り組む生命体は、この地球上で俺だけしかいないということになる。
最初に行うのと、最後に行うのと、どちらが重いかなんてこと、俺には分からなかった。
「あーあ……ほんと、イヤ。ただでさえ、好きでやってることじゃないのに。それでも、方法をしってたから、淡々とできたのに。苦痛になったら、ほんと、苦痛だよ」
AはAであるみたいな、藤堂がよく口にする表現が終わった後、俺は尋ねることにした。
もちろん安易な発言にならないように、頭の中で何度もシミュレーションを重ねた。たった数文字なのに。
「藤堂は、モデルの仕事、嫌いなのか?」
「まあ、ねえ。どうなんだろ? 小さいころからやってるし、正直、わかんないかも。好きではないってのは分かるけど」
「じゃあ、そういう気持ちが原因とか」
「いや、それはないと思うよ。だってそういう気持ちを乗り越えるために、いろいろとわたしは積み重ねてきたんだから。その積み重ねてきた方法を、壊すなら、もっと本気で壊すよ」
なんだか物騒なセリフがでてきたので、俺は質問を止めた。
とはいえ藤堂の口調は、いたって普通。
それこそ教室でギャル集団の一員として話をしているときと同じように、気楽な印象を受ける話ぶりだ。
ゲームをしているときとは、また何か違う印象を受けるのは、ゲームを介さないと俺が藤堂と同じ舞台に立てないからなのだろうか。
『――有名人なんかじゃ、ない』
脳裏に、苦しそうな藤堂の姿が映る。
そして、仮面をかぶった美少女の笑顔により撤回される事故。
まるで中間地点を省いた漫画のコマみたいにころころと変わる事態に、はたして俺はついていけているのだろうか。
高速道路などでは、スピードを出さな過ぎることも、事故につながる原因となる。出し過ぎず、出さな過ぎず、適正速度というものを維持するからこそ、互いに事故なく走らせることができる。
まさか、とは思う。
まさか、とは思うのだが、先日のやりとりが、藤堂の心の何かを傷つけてしまったならそれは俺の責任なのではないか。俺のせいで藤堂が笑えなくなっているというのなら、どうすればいいのだろうか
だが、それは藤堂本人によって、あっけなく否定された。
「あ、先に言っておくけど、この前のことは……まあ、関係ないから」
「そ――っく」
なんだこいつ、エスパーかよ。
息を呑むのと吐くのを同時にしそうになって、むせる。
「大丈夫? うけるね、黒木」
「う、うけねえ……俺はいつでも真面目だ」
「あ、それも面白い」
真顔でうんうん、と頷く藤堂に悲壮感は見られない。
まるでファーストフード店で協力ゲームをしている高校生が、倒せないボスを前にした程度の深刻さで、「それにしても、なんだろ、この感じ」と呟いていた。
「ねえ、黒木。それで、なんでだと思う? へんだよね、この写真の私」
「写真が変なのかは……すまん、わからない」
「そっか……」
「そもそも、申し訳ないんだが、俺は、おま――藤堂の、写真を見るの、初めてなんだ」
「ああ、そっか。比較しようにも、できないのか」
「おう……悪い」
「じゃ、これ、前々回の写真」
藤堂がスマホをいじりはじめた。直に俺のスマホが、ポコン♪、と鳴動した。




