5話
出航の時が来た。コウノトリ級輸送艦1隻を旗艦とし、フレイリー級軽巡洋艦1、ハヤテ級駆逐艦5によって構成された小規模輸送船団が『駅』のブラックキャット商会所有のドッグより順繰りにその姿を見せる。
『それではよろしく頼む』
「はい。頂く報酬の分は働かせていただきます」
常時開放されている通信帯域にて暗号化された電波による通信が行われ、その証としてスクリーンに立ち上がりっぱなしの半透明のウィンドウに厳めしい中年のナイスミドルの顔が映る。テッセンさんだ。緊急時の迅速な情報伝達のために常時通信をつなげているが、実際のところ航海が順調である限りはその必要性はほとんどない。そして調べた内容からすれば、そこまで危険なことも起こり得ないだろうと推測が立つ。
それぞれの船が十分な距離を取ったところで、亜光速航行に入るためヘッドセットを装着し、通信を待つ。複数の船で亜光速航行を行う場合、当然ながら秒速3000kmという超高速のなかそれぞれの船の位置関係をきちんと取らなければならず、連携が非常に難しい。そして一番衝突、あるいはそうまでいかなくとも陣形が乱れやすいのは始めの加速、終わりの減速である。
巡航速度への加速では、慣性緩和により搭乗員含む船体の運動質量を100分の1程度に落とすことで加速度による慣性力を軽減し、約1km毎秒毎秒の加速を行い亜光速域に入る。そして気を付けるべきはここで加速の開始が1ミリ秒遅れただけで巡航速度に達した時には3km遅れてしまうこと、そして逆もまた然り。もちろん慣性緩和のタイミングも1ミリ秒で済まない程度にはずれるので如何に加速のタイミングを合わせるか、そして加速中に如何にそのずれを修正するかが腕の見せ所である。
『そろそろ慣性緩和に入って加速を始めてくれ。こちらはそちらに合わせる』
「分かりました。加速5秒前、3、2、1」
《慣性緩和始めます》
《よろしく》
「ゼロ」
《加速開始、加速度5k》
ヴェルヌがコールに合わせ船体を加速させる。即座に後ろの船団も加速に入っている。此方に合わせやや加速度を上げているのか、最初多少引き離してしまったが即座に距離を合わせている。慣性緩和状態での加速度の微調整はかなり難しいのだが、彼らは当然のようにそれをこなしているようだ。このまま50分間待てば特に問題なく亜光速域に突入できるだろう。
「あの人たちは随分と練度が高そうじゃないか?正直なところエースの人たちと遜色ないような気もするんだが」
《エース舐めてるんですか。ただ練度を上げたところで100年たってもエースには叶いませんよ、エースとそうでない人の間にはもっと絶対的な差があるんです。凡人の杓子定規に毎回毎回決められたことを繰り返す能力とエースに求められる局面打破能力には絶対的な違いがあるんですよ》
「いや、言ってみただけだから」
《いえ、この際ですからあなたの認識を改めてもらいます。エースの領域に片足を踏み入れている人間がその認識なのは問題です。あなたが今後相手にするかもしれないエースという存在は他の軍艦乗りとは存在自体が違います》
どういうことだろうか?操縦が上手いからこそエースであると理解していたのだが。
しかしヴェルヌはエースという存在にかなりの思い入れがあるのだろう、彼らの腕と乗っている船の不釣り合いについて聞くつもりだったがそんな空気でもなくなってしまった。
《あなたの記憶にあるエースたちの初陣、落ち着いて見直してください。彼らは戦場を初めて経験したわけですが、ベテランの一般兵に負けていましたか?相手はまあ何年も戦場を生き延びた兵士、いくら才能が有ろうと操縦の腕はよくて互角だったでしょう》
「そうだな……」
新兵であった頃の記憶を脳に刻み付けていたエースはそう居なかったのだろう、それらしく該当したのは2人だけだった。1人はロナルド・レイモンド、普通に徴兵を受け調練で才覚を表し、初陣となった小競り合いでは彼の居た部隊が10隻撃墜の戦果を挙げていた。尊敬していたらしい部隊長の指示に従い、真っ当に戦っていたという記憶がある。U.S.O.F所属のエースで数少ない良識派である彼は、当時から真っ当な人間だったようだ。ちなみに彼、やはりエースには珍しく35の若さで惜しまれながらも退役し、結婚してその後は平穏に過ごしたとか。
もう一人はガーナ・ティオルス、雌ゴリラだ。もうこいつは例外扱いしたい規格外なのだが、ニューセントラルでのオリンピックへ向かう途中で宙賊に襲われ、脱出ポッドで護衛の駆逐艦に乗り込み指揮を執りそのまま3対10で戦って勝っている。ちなみにそのあとのオリンピックで自由格闘技100キロ超級で優勝した後電撃引退、『面白そうだから』とそのまま宙軍に志願したとかなんとか。身長2メートル5センチ体重112キログラムの巨大な筋肉の塊はやることなすこと豪快だった。そして彼女まさかの既婚者である。旦那はやはりゴリラ……ではなく線の細い芸術家の優男だ。あまり大成することはなく、彼の存在は芸術家としてではなく美男と野獣の男の方とか、あの雌ゴリラと結婚した猛者とかそういった理由で有名。
……ちなみに薄毛疑惑を書いた記者を病院送りにした雌ゴリラとはこいつのことだ。
「レイモンドさんは真っ当に戦ってたな、ガーナは……ガーナだった」
《あぁ……。でもエースの初陣なんてミスタ・レイモンドの方が例外ですよ。ミズ・ティオルスの方がエースとしては真っ当です。テクニックとかじゃなかったでしょう?》
雌ゴリラはヴェルヌにすら呆れのため息をつかせる規格外だったようだ。まあサー・ウェリントンの記憶にもがっつり残っている。なんでも一度酔い潰されて連れ込み宿に連れていかれそうになったとか。童貞は趣味じゃないということで助かったらしく、己が童貞であったことにあの時だけは感謝したとか新兵に語っていた。ちなみにこのときの航海の際に例のトイレ事件が起こっている、踏んだり蹴ったりの航海と言えそうだ。糞だけに。
《エースの本質は卓越した情報処理能力です。彼らは直感だのなんだの言ってますが、戦場の情報を持ち前の情報処理能力で処理しきって相手を撃墜するまでの最適な道が見えちゃうんですよ。エースの予測を超えられない一般兵では逆立ちしても敵いません。それこそ同士討ち覚悟で密集して逃げ場のない砲の雨を降らせるくらいしか》
「なるほど……」
宇宙空間は広い、おまけに宇宙での機動戦闘はとにかく速い。だから彼らエースが活躍していた時代は戦争でも船と船の間を広く取っていたのだが、それが災いしてエースの乗る船を捕らえられなかったのだという。だからこそ所属エースの数と質でU.S.O.Fが優勢であったし、対策として今日の密集陣形による物量戦が発達したのだから。
そういう意味では俺に施されたのが戦場指揮官向けの教育ではなく、時代遅れのエース育成の教育であるのがいささか疑問を感じる所である。U.S.O.Fはかつての栄光が忘れられなかったのだろうか。
その後は気楽に雑談を交わし、特に問題もなく巡航速度に乗せることが出来た。陣形の乱れもなし、5隻の護衛艦は旗艦を中心として五芒星を描くような配置で、旗艦からの距離を約3kmに保ちぴったりと寄り添っている。
『此方テッセン。亜光速航行に入ったが、そちらは問題ないか?』
待機状態だったスクリーンが再び人影を映し、音声が耳に入る。わざわざこちらに確認をとる細やかな気遣いが部隊の練度の秘訣だろうか?せっかくだから護衛艦について聞いてみようかと思う。
「こちらネモ、問題ありません。そちらも問題なさそうで何よりです」
『ありがとう。以降1時間おきに定時連絡を行う、睡眠をとる時は事前に伝えてくれ。また、こちらでも索敵は怠るつもりはないが、些細なことでも良いから気になったことがあれば此方に伝えるように。私が休憩している時は此方のヒューズが指揮を執るので此奴に』
「分かりました」
『よろしく頼んますぜ、少年』
テッセンさんの後ろから茶色の頭が顔を出す。少年呼ばわりに少しむっとしたが、客観的に見て少年以外の何物でもないので訂正を求めるのはやめておく。
「ヒューズさんもだいぶ若いようですが」
『はっは、少年には負けるよ』
『こう見えてもこいつは指揮に関しては俺と大差がない、信用してもらって大丈夫だ』
「……指揮に関してはってことは、操船に関しては?」
『俺は指揮専門なんでね!こう見えても幹部候補生ってやつさ』
「にしては威厳というか、風格というか……。あと、後ろの護衛船の皆さんの腕はどうですか?練度は高そうですが」
テッセンさんの頬がわずかに動いた、気がする。なにかあるのだろうか?
『む、巡洋艦位なら1対1でも勝てるだろう。そう心配する必要はない』
『そうっすそうっす、おっちゃんたちマジでつえーんですよ。もう怖いのなんの……』
『なるほど、貴様の言葉は伝えておこう』
『ちょ、テッセンさん!?』
『……さて、用がなければこれで切るが』
「はい、また」
『うむ、1時間後に』
『あの、テッセンさん?おーい』
そうして通信が切れた。話をそらされたような、そうでもないような。もし意図的に話をそらしたのだとすれば、ヒューズという人物もまた一筋縄ではいかない類の人物でありそうだ。
《調べますか?ちょうど今はオープンな回線があるのでサクッと侵入できますが》
「そうだな、ばれないように探ってもらうべきか?ちょっとヴェルヌから見て俺の腹芸の程の評価を」
《といわれましてもね。嘘をつく、そらとぼける、はぐらかすとかそういった技能は実際に使っているところを見ないと何とも言えませんからね。……ただ何となくで良ければ、あなたは面の皮が厚そうに感じますよ》
「褒められてるんだか褒められてないんだか……。わかった、ばれない範囲で探って欲しい、ついでにヤバそうな情報はそっちで止めてくれると嬉しいなって」
《……なんて自己中心的な、訂正しましょうあなたは間違いなく面の皮が厚いです》
「お褒めの言葉をありがとう。……本当に気を付けてな?」
《私をだれだと思ってるんですか、彼のサー・ウェリントンの無二の相棒なんですよ?》
「一回浮気されたけどね」
《黙りなさい》
でも事実じゃん?
◆◆◆◆◆◆◆◆
共同航海5日目。変り映えのしない航路を行く日々は、成行きの同行者たちとの絆を深める結果となっていた。
『っしゃあ!どうだこの華麗なスピン!』
「はっはぁまだまだ!せめてこのくらいはな!」
『馬鹿な、パルティナサイクルだと!?』
事務的な通信だったはずの定時連絡に唐突にハヤテ級から横入りのちょっかいが入った時だろうか。それとも退屈しのぎに遊び心半分訓練半分でサイドシフトの練習を始めた時だろうか。
とにかく、気が付けば航海は俺とハヤテ級5隻の操縦者による戦闘機動の腕比べとなっていた。おかげで連携訓練もばっちり、ヴェルヌとの戦闘中の意思伝達もスムーズに行くようになってこちらの負担が一気に減少した。特にヴェルヌの経路追従の癖が把握できたおかげで此方は経路生成だけで済むようになったのはありがたい。もはやドライブとオペレートは丸投げだ。
今競っている相手は3番艦、操縦者はクリストフ。ここまで7戦全勝中である、というか5番艦まで全部合わせても35勝1敗、その唯一の敗北は1番艦相手なので他相手には無敗である。
《フェイントから廻りこむよ》
《分かりました、前から崩します》
クリストフやや前の横並びで向き合って砲塔を突きつけあう状態から此方が加速のそぶりを見せると、クリストフ操るハヤテ級駆逐艦が後部スラスターを前に向け最大加速度で減速、副産物のモーメントで機体を前に向けながら軽く弧を描き後ろに回り込もうとしてくる。
『よし、後ろ取った、っ!?』
「甘い、残像だ」
いや、残像なんてないけれどもね。
此方の対処は右スラスターと後部スラスターを噴射し少しの前方加速度を得ると同時にターン、全力で制動を掛けてさらに後ろに回り込みながら細かにスラスターと機体の向きを調整、弧を描く彼の後ろをやや大回りで取った。相手にフェイントをかけ即座にターンして逆から相手を追い詰めるこの機動はサー・ウェリントンの十八番であり、ヴェルヌもさすが彼の長年の相棒だけあって簡潔な指示でも完璧にこなして見せる。
『畜生、またか!俺の負けだ負け!お前本当に強いなあ、しかも戦うたびに腕上げてるし。……やっぱり年齢詐称してね?』
「いえいえ、機体性能と優秀な管制AIのおかげですよ。あとあれですね、さっきの動きはちょっと安直でしたよ?」
『あー、つってもなあ、うちのAIは軍用じゃねえしなあ……。撃墜王の乗船のAIってんだから機動予測を上回られるのもしゃあないし、どうしたもんかねえ』
正直、あちらの管制AIの癖がなんとなくわかってしまっているから面白いようにフェイントに掛けられてしまう。これがヴェルヌなら先のフェイントも読み切った機動予測を出してくるだろう、そうなればまだ勝負はわからなかった。そもそもヴェルヌが載せることを許す船長が機動予測に頼ることを許すかどうかは分からないが。
「予測時間をもう少し短くしたらどうです?ちょっと予測に振り回されているような」
『んー、まああれだな、お前みたいなやばい奴と当ったときはそうするわ』
「やばい奴って……」
まあ確かに機動予測無しでリアルタイムで操縦している此方に対しては不利になるのも確かだし、機動予測どころかフルオートで戦闘機動もAI任せが主流な今日の戦闘ではあれで十分なのかもしれない。
「予測時間は0.5秒先ですよね?ちょっと癖が読みやすいです。うちみたいな老獪なAIの船とぶつかるときはもっと短くしないとひっかけられますよ?」
『つってもこいつも40年ものだぜ?そこそこの経験は積んでるはずなんだがな……』
《積んでる戦場の経験が違うんですよ。AI任せの戦闘じゃ生きた機動の経験が積めないんですから、50年前を境目にAIの機動戦闘での予測能力は段違いに落ちるんです。格が違うんですよ》
「だってさ」
『そういやうちの1番も55年物のAIつんでたな……』
あちらの1番艦は操縦も優れていたが、何よりも機動予測を切っていたのではないかと錯覚するほどに判断に隙が無かった。そのせいで初っ端の対戦でやられたし、そのあと散々ヴェルヌに説教された訳なのだが。なるほど50年以上前から現役のAIは皆あれほどの実力があるのか、恐ろしい。
《いくら55年ものと言ったってこっちは80年の大ベテランなんです、あなたがしっかりしていれば勝てたはずなんですよ。分かりますか?他6戦はすべて勝っているのに初戦だけ負けているのは、油断してかかったあなたの心の隙です。これが戦争なら2回目なんてないんですからね?》
「悪かったよ……」
蒸し返された。もちろん反省しているのだが、それはそれとして気分がいいものではない。
……ババアであることを誇りにするのは女性人格としてどうなのよ?なんてくだらないことを考えて心を落ち着ける。睨まれた。
《私は伝えましたよね?ミズ・ヤマトはご自分で船を乗り回して黒点を探索していると。箱入りのお嬢様じゃないことくらい想像がつくでしょう?》
「いや、そうだけれども……」
調子に乗っていたのだ、高い練度を見せるブラックキャット商会護衛船の面々を手玉に取ったことで。そして商会重役であるヤマトさんが旗艦ではなく護衛艦に乗っている驚きに気を取られ、集中せずに挑んだ結果があれだ。
「分かってる、もう決して油断しない」
《ええ、ぜひお願いしますよ》
意識を持ち直す。ヴェルヌに他の船を探ってもらう作業はヤマトさんの所在を明らかにした程度で切り上げ、あれ以降はずっと索敵に専念してもらっている。機動戦闘の訓練がてら遊んでいる今であっても、決して気を抜いたりはしていない。
《ではその言葉通り、あれをちゃっちゃとやってしまいましょう。通信開きますよ》
「おう。……索敵感あり総数12!距離1000km方位は進路右に10度2分の3!構成は巡洋艦級3駆逐艦級9です!」
どう見ても敵だろう、識別信号を一切出していない。この距離で艦影が捕らえられたのは僥倖以外の何物でもないだろう。もちろんヴェルヌの高い能力に軍用軽巡の高性能なレーダーのおかげでもあるだろうが。この距離で小惑星や彗星から船を見分けられる分解能はさすがの一言に尽きる。
「心当たりは!?」
『……ない!敵である前提で動く、警告はするが射程距離に入ったら即座に撃て!』
『『「了解!」』』
航海中のじゃれあいで護衛艦の腕の程ははっきりと分かっている、実力に文句はない。そして皆気の良い人々だった、背中を預けるのに差し支え無し!
『そこの所属不明艦、識別信号を出したまえ、さもなくば所属と名を名乗れ!10秒以内に応答がなければ敵と見做す!』
5秒、10秒。テッセンさんの号令がかかる。
『総員、戦闘用意!』