1話
この作品においてはところどころ物理・数学に踏み込んだ表現が出てきます。物理アレルギーの方、数学アレルギーの方は場合によってはご不快に感じられるかもしれません。
また、作者の知識の限界を超えるため相対論的考証・量子論的考証はほぼ行われていません。理論物理学をがっつりと理解しているという方はやはりご不快に感じられるかもしれません。
さらに、いくつか現実にはあり得ない架空の物理現象を前提として用いています。そうしたものがリアリティを損なっていると感じる方はやはりご不快に感じられるかもしれません。
また、作中設定では現代より3000年以上未来を取り扱っているというのに基礎的な文明レベルがあまり向上していませんが、作者の想像力の限界によるものですのでご容赦ください。
以上の注意点をご承知の上、まだこの作品を読んでやろうという寛大な方のみこの先にお進みください。
人類という種の寿命が近づいていると噂され続けて早120年、あのもっとも植民活動に熱心だったU.S.O.Fがついに人類領域の拡大の終焉を宣言し、大航宙時代と言われた際限なき発展は終わりを告げた。
黒点航法の限界、ではない。この航法はかつて一定規模以上の大質量をもつ恒星が存在し、かつ超新星爆発の際にその質量を10万分の1以下に減少させた際に発生する重力特異点、黒点を用いた跳躍航法である。実用化に至らなかった他の跳躍航法と比べはるかに高頻度で存在する跳躍可能特異点により、今日亜光速航法との併用で人類領域の端から端まで移動するにも数年で事足りるだろう航路網を築き上げた。その数と分布密度の不足への危惧をよそに充分に多数発見された黒点により、移動速度による人類領域の上限はまだまだ遠く先にある。
情報伝達速度、でもない。対素粒子スピンの性質による情報転移の実用化は一度完全に断絶すらした3つの星間国家の間の情報交換ですら可能にしたし、それ以前から同一系列の星域内であれば微小特異点経由のガンマ線パルス情報網により実用上十分な速度でやり取りが可能だった。
人類の限界を決めたのは、人口増加の停止であった。
3つの独立した巨大星間国家の間に交流が生まれたことは、すなわち国家対国家の戦争の幕開けでもあった。対等に近い力を持つ外敵との戦争は結婚適齢期の男性をすさまじい数呑み込み、ブラックホールの如く喰らいつくす。教育、福祉、医学の進歩、そのどれも出生の減少の歯止めとはならず、各国3.0~5.0で推移していた合計特殊出生率は星暦2900年代に入るとすべての国で3.0を割り込み、そして2966年の神星バビロニア皇国を皮切りに2971年共星国家アテナイ、2973年U.S.O.Fと3か国ともに2.0を割り込んだ。もはや辺境惑星の過疎化を無視して植民と新規居住可能惑星の探索を行う余裕はすべての国家において存在しないのである。
『ようこそ人類3000年の大航海の終点へ』。
ケラスト系列E黒点域第7構成銀河恒星系番号22番第1惑星、この通名さえ無い辺境の星の移民碑の一行目に刻まれている文章だ。どうせ人が来ることなどまずありえないのに、皮肉を込めて刻まれている。
辺境惑星の例にもれず人口の少ないこの惑星は、U.S.O.F最後の植民が行われた星だ。最寄りの住惑星まで航路距離で250航時、中央星域まで移動するとなれば1航年の孤立した場所にある。人口の減少による植民の必要性の低下を認められなかった国家航宙省の無理押しとして、国家機密指定される研究の舞台という形で植民が行われたこの星は、孤立していることこそ求められるのだ。
そして、いつの時代であれ国家が機密指定する研究の代表は、軍事に関するものである。それも、大気組成の影響でガンマ線透過率が極めて低い、言い換えるなら情報伝達を拒絶する極めて機密性の高いこの惑星で研究されている内容はすなわち表ざたにされると非常に好ましくない内容であるという事だ。
脳、ひいては精神の改良。なぜか遺伝子や肉体を弄ることは大衆に広く受け入れられているのに、これには未だに民衆が拒絶反応を示す。特に表向きには自由を、特に精神の自由を国是と謳うU.S.O.Fにおいてこれを政府が行えば、直ちに野党に弾劾され首脳陣の首が飛ぶだろう。しかしバビロニアの神兵、アテナイの尖兵の挙げる戦果を見れば、戦場でのその有効性は自明なことである。
さて前置きが長くなったが。こうして語る一人称視点、その語り部たるこの俺は。
お察しかもしれないが、現状投射装置とやらで脳にひたすら情報をぶち込まれている改造人間だ。日々拷問と紛う調練により戦闘機動時の加速度に耐える肉体を作り、志願して参加したことになっているらしい撃墜王数人の脳みそから吸い出した情報を叩き込まれる、哀れな被検体だ。同期の被検体は俺を残して皆情報の過負荷で脳死したらしい、つまり唯一の成功者ということになるらしい。この名無しの惑星という牢獄にあって、半月に一回ほど行える戦艦を乗り回す戦闘訓練だけを楽しみにする寂しい男でもある。
「あ、おわった」
頭の中をいじくりまわされる不快感をいつものことだと耐えきって、体を起こす。即座に天井へと非接触電極が巻き上げられ、無機質なアナウンスが本日の調練は終わりであることを告げる。ケチったのであろう、歌手なりアイドルなりの声を使えとは言わないが、今時ちょっとネットをあされば肉声の音声データもすぐ見つかるだろうに。せめて合成音声でももうちょっと、こう……。
ドアを抜け、隔壁をくぐり、研究所の外に出る。人差し指の先位の大きさの太陽星は、間もなく沈もうとしている。即ち、夕暮れだ。見上げればうっすらと青みがかった空にはいくつかの星が輝いている。
「……いや、違う」
星に見えた光の1つはゆっくりと、しかし明らかに動き続けている。更に今瞬いたそれは、おそらく宇宙船の信号灯だろう。しかし成果確認はまだ9日ほど先の話、今こちらにやってくるはずはない。そして今や無人となったこの惑星にそれ以外の理由で近づく宇宙船など思いつかない。
研究所のアラームが鳴る、恐らく警告でも送っているのだろう。直ぐにシェルターへと入るようにとの命令が脳裏に浮かびあがる。この程度の情報量なら改造人間たるこの俺には脳内に埋め込まれたマイクロチップを通じた電波通信で十分だ。
「さて……」
賭けに出るべきだろうか。研究所に入れば安全ではあろうが隔壁に閉じ込められ動けない。だが、このままあの船を奪えば、宇宙に出られる。今まで従順に従ってきたが、正直なところ研究者連中には恨み骨髄である。復讐すべしとは思わずとも、ろくでもない調練から逃げ出すのは実に当然のことだと思うのだ。そりゃあ確かに精神を1からあちらの思うように作られていたらこうした感情も抱くことはなかっただろうが、俺のかつてあったもう一つの人生はそれを良しとする価値観を生み出さなかった。
つまるところ、俺にはいわゆる前世の記憶がある。それも局部銀河群天の川銀河オリオン腕所属太陽系第三惑星地球という、今やその在処を誰一人として知らない人類発祥の星に生きた記憶を持つ、転生者なのだ。