5.ただわかること
怒り狂っているかの如く獣の怒号が響く。
その怒号に怯むことなく相対するは容姿端麗な女剣士。
自身の数倍にも及ぶであろうその巨躯を前にしても、眉1つ動かさず剣を構えている。
咆哮に微動だにしない様に、獣も間合いを詰めるのを躊躇っているのか、一人と一体の距離は一定を保っていた。
「ふぁ〜あ。なぁミリア〜本当にいいのか?」
その女剣士の背後から、聞こえてきた間延びした声。
地面に胡座をかいて欠伸をしている銀髪の男は、仲間の女剣士の背を見つめながら、全く心配しているようには聞こえない口ぶりで呼び掛けた。
「構わん。貴様はそこで黙って見てろ、ロック。目当ての魔獣でないただの獣を、殺すつもりもない」
「えぇぇぇぇぇぇ!? マジすかミリアたん!? それ晩飯じゃねぇの?」
ロックと呼ばれた銀髪の男は、久しぶりに豪奢な肉にありつけると期待していたのか、ミリアの返答に愕然とした。
「食い切れんだろうが。残りの肉を腐らすぐらいなら、逃してやるべきだ」
目の前の巨大な獣に喰われる未来などミリアとロックには見えていない。
自分達の力量が、目の前の獣を上回っているという確固たる自信がそこにはあった。
「あーあ…やっと川魚じゃなく肉が食えると思ったのになぁー」
「こいつが魔獣だったらよかったな――」
そう言うや否や、ミリアは瞬時に獣との距離を詰める。
近づいたミリアに向かって、鋭利に尖った爪が煌めく獣の豪腕が振り下ろされるも、難なくそれをかいくぐるとミリアは鼻先を軽く斬りつける。その一瞬で勝負はついた。
勝てないと悟った獣は、即座に踵を返すと脱兎の如く駆けて行った。
「あ〜俺の肉がぁぁぁぁ……」
ミリアの背からロックの情けない声が響く。
「諦めの悪い男は嫌われるぞ」
「えぇ……でもまぁ俺はミリアたんに嫌われなければそれでいいかな」
「私がいつ貴様を嫌いじゃないなどと言った?」
「またまたぁ〜ミリアたんのイケズぅ〜」
「全く――」
相変わらず軽薄なロックの様子に溜め息を漏らしかけたその時、獣が逃げて行った方向に紫電が走る。
瞳を貫く閃光。
頭が割れるかの如く響く轟音。
そして――
二人の手の甲が疼き、刻まれた呪印が光り出す。
二人には記憶がない。
互いのことさえも、自身の過去さえも。
手の甲に光る呪印を認めてからの記憶しかないのだ。
その記憶を取り戻すため、唯一の手掛かりである呪印。
その呪印が今、疼き、発光した。
「ロック!!」
「わかってる!! 先に行くぞ!」
疼きを認めるや否や軽快に木に跳び乗り、枝と枝をまるでサーカス団員のように移動していくロック。
ミリアも颯爽と追いかけるも軽々と木々を跳び渡るロックに多少遅れる形となった。
ミリアが追いついた時には、紫紺のオーラを纏った先ほどの獣が、ロックの籠手から飛び出した刃にその喉元を貫かれていた。
「魔獣化しただと……?」
「魔獣化よりも、まずは俺の心配じゃねぇの?」
「貴様は魔獣程度にやられんだろう」
ロックの強さをミリアは知っている。
素早く、力強く。
軽薄なことを除けばどこぞの国で成り上がることなど余裕だ。但し、騎士ではなく、どちらかと言えば密偵としてというのが濃厚だろうが。
「……ったく、褒められてんのに複雑な気分だぜ」
ミリアに認められていることが嬉しいのか、ロックは鼻先をポリポリとかきながら魔獣の喉元から刃を抜き取ると、返り血を拭いながらミリアの元へと歩を進める。
しかし、魔獣が息絶え大きな音を立てて横倒しになっても、二人の呪印は未だ発光し続ける。
「この魔獣が原因ではないということか……」
ミリアの声が混迷に染まるも、同時に緊張感が辺りを包む。
今までに呪印が発光したのは、ロックとミリアがそれぞれ離れようとした時だけだ。
互いに距離的にも近くにいるこの状況で光ることはなかった。
「ミリア!」
「あぁ、わかっている。まだ、いる」
二人を包む緊張感。
そして、距離としては三十歩程だろうか。
二人の正面の一際目立つ背の高い樹木、その天辺にそれはいた。
「?!」
「……ガキ?」
あろうことか、そこにいたのは人の形、それも子供の姿をしたものだった。
白髪のそれは、ロックが倒した魔獣を見やると、溜め息をついたように見えた。
『せっかく、イイ玩具が見つかったと思ったのに、まさかすぐに壊されるなんてツイてないや』
聞こえるはずもない距離。
しかし、その音は明確に脳内に響く。
顔を見合わせるロックとミリア。
しかし互いの顔は同じ結論であることを物語っていた。
樹上にいる少年の風貌の者から、その声は放たれたであろうということ。
そして再び樹上に視線を移した二人だが、そこに、その者の姿はなかった――。
『あれ? お兄ちゃん達、久しぶりだね』
「「ッ!!!」」
その少年は、目の前にいた。
人離れしたその言動に、二人に危機感が走る。
同時に聞き逃すことの出来ない言葉に、ロックは少年に問い掛け、ミリアは黙って剣の柄に手を伸ばしながら、ジリジリと少年の背後へと回り込む。
「おいガキ。俺達のこと知ってんのか?」
『なーんだ。結局まだなんだね――」
「答えろ」
『そんな怖い顔しないでよ。そして偶然に感謝してね。ちゃんと答えてあげるからさ……知っているよ。そしてお兄ちゃん達も、僕のことを知っている。でも今は知らない』
今は。
その言葉で、ロックとミリアは1つの真実に辿り着く。
「私達の記憶の在り処を教えてもらおうか。返答次第では、痛い想いをさせることになる」
『残念だけど教えられないな。それは契約違反だよ』
「契約だと? 私達と貴様は、どういう契約をした?」
『それも言えない。でも……そうだね。大サービスだよ? お姉ちゃん達の希望の光は、不本意だけど今も、着実に輝きを増している』
「ウゼぇっ!!」
謎かけのような遠回しな言い方がロックの我慢の限界を超えた。
言を発すると同時に、手甲から伸びる刃を少年の喉へと突き出した。あまりの速度に、周囲に風が巻き起こる。
「――ッ!!」
が、その刃は少年の喉元でピタリと止まる。
『ふぅ……怖い怖い。相変わらずの強さだけど、お兄ちゃん達はまだ、僕に何も出来ない。だから残念だけど、僕もお兄ちゃん達に何も出来ない』
「それも契約か?」
『そうだね。その証がその印さ。はい、ここまで。これ以上は本当に何も話すつもりはないから、僕は行くよ』
そう言って再び樹上へと跳び上がる少年。
「待ちやがれっ!!」
『せいぜい頑張ってよ。僕の準備は万端なんだから。早く、お兄ちゃん達と遊ばせてほしいな』
無邪気に響く笑い声だけを残し、少年の姿は樹上からかき消えた。
「くそっ!!」
歯痒さのあまり、樹木へと蹴りを飛ばし八つ当たりをするロック。
少年が現れたその樹木は、メキメキと音を立てて倒れた。
その様子をじっと見つめていたミリアは、ポツリと呟く。
「悔しさは私も同じだ……だが――」
「得たものはデカい、だろ?」
「そういうことだ」
記憶もなく、何の情報もなく、ただ旅をしていた日々。
そこに唐突に大きなヒントが現れた。
記憶喪失には契約が絡んでいる。
記憶を取り戻すこと自体に、あの少年は絡んでいない。
記憶を取り戻した後に、あの少年が関係してくる。
「わからねぇのは――」
「私達の希望の光。それもきっと、記憶を取り戻せばわかるのだろう。今後の旅の方向性だが、魔獣絡みの依頼探しと、白髪の少年の情報探しで問題ないか?」
「全く問題ねぇよ。俺もそう言おうとしたところだ。それよりこれだけお互いの考えが一致しちゃうってすごくねぇ? リアたんやっぱり俺達赤い糸で結ばれて――」
「死ね」
「かぶせてくるぅっ!」
いつになく真面目なロックだったが、あっという間にいつものロックだ。
ミリアの即答に打ちのめされて膝をついて項垂れている。
揺るがないその軽薄さに呆れながらも、その軽々しさに重苦しかった気が確かに紛れた自分をミリアは感じていた。
「はぁ……とりあえず、あの魔獣でも焼いたらどうだ?」
「お! そうだった!! 晩飯だ! 今日は色々ラッキーだな!!」
さっきまで怒りと悔しさで叫んでいた者とは思えない明るさにミリアも口元が緩む。
「貴様の存在をありがたいと思う日が来るとはな……」
倒した魔獣の元へと歩きながらポツリと呟くと、前を行くロックの首が光速でミリアへと向き直る。
「求愛の言葉が聞こえた気が――」
「3回死ね」
「かぶせてくるぅっ!!」
軽薄な笑い声と、慈しみに満ちた溜め息が山林の涼やかな空気に染み渡る。
二人の旅は、ようやくスタートラインに立った。
目覚めた頃から、少しばかり互いの距離を縮めて。
その距離がこれからも縮まっていくのかどうか。
それは二人に刻まれた呪印にもわからない。
ただわかることは、品行方正な女騎士と軽佻浮薄の戦士の旅は、まだまだ続くということだけだ。
実生活で大きな変化があったこともあり、だいぶ間があいてしまいましたが、これにて完結とさせていただきます。
この間、色々と脳内を駆け巡る妄想を形にしたいと思うものの、途中となっているものがある中で執筆を進めることが出来ず、自身の整理をしたいと思った次第です。
短い作品でしたが、本心を言えばもっとロックとミリアを書きたかったなぁと。記憶を取り戻したあとの、最後の最後まで書きたかったなぁと。
ただ、それはそれ、これはこれ(どれ笑。
この作品はここで終わりとなりますが、もし楽しんでいただけましたら、評価・感想等、入れていただけますと今後の励みとなります。
よろしくお願いします。
(完結なの?先が読みたい!なんて言うお言葉があったりなんかしちゃったらもう発狂しちゃいますわ笑)
後書き長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
ここまで読んで下さった読者の貴方様に、またお会いできる日を楽しみにしています。