相沢と菜々子
絵に描いた餅。
その色彩、
その筆致。
団子のない花見。
その光、
その味わい。
そして、何となく想う。
◯
日曜の昼下がり、
喫茶店とアパートの部屋。
喫茶店では、
相沢の友人が、相沢と、
アパートの部屋では、
菜々子の友人が、菜々子と、
それぞれ、会話をしている。
相沢の恋人、菜々子について。
菜々子の恋人、相沢について。
外では、そよ風が舞っている。
◆
「……というわけで、俺の菜々子との日々は、もう三年になるわけだ。あ、あいつと初めて見た桜の話をしたっけ? いや、してないよな。これは、他人には話さないって決めてることだから」
相沢は言う。
そして、いかにも自慢げな、というより、もはや自慢げな自分をさえ誇っているのだ、という眼をこちらへ向けてくる。彼は、こういった人間だ。
そんな彼に対して、こちらは、極々真面目な疑問を極々茶化した調子でぶつけてみる。
「菜々子ちゃんは、お前のどこに惚れたんだろうな」
◇
「あの人のいいところ? 性格面で?」
菜々子はポテトに手を伸ばす。
考えているのか、考えているふりをしているのか ―― あるいは、考えているふりをしながら、私の表情を観察しているのか ――、とにかく彼女は、答える前に間を空ける。
そして、さも当然のことのように答える。
「思いつかないんだけど」
彼女の屈託ない苦笑い ―― という逆接 ―― には、できるだけ似たような表情で応えるしかない。
◯
それぞれの友人は、自覚している以上に興味津々。
食えない男女は、それをすぐに見破る。
◆
「知りたいか?」
こちらには、否定する理由などあるはずもないので、素直に頷く。
「お生憎様だな」
そう言う彼の手口はわかっている。ひけらかしたいという感情を隠すこともせずに、例の勿体ぶった態度でこちらを見るのだ。
「話してやってもいいけどな、お前が期待してたのより、真面目くさった話になるぜ」
果たして、彼は語り始める。
◇
「あ、不思議に思ってるの? 私が彼と付き合ってること」
菜々子は無邪気にも、得意そうな微笑み ―― 言い換えれば、愚鈍な友人を弄ぶような微笑み ―― を浮かべた。
「まあ……」
曖昧に頷く私を、菜々子の二つの瞳が見つめる。僅かにすぼめた半開きの唇は、作為的なものとも、自然にできあがったものとも思える。
唇が乾いたのか、その間に舌を挟む。そして、菜々子は肩をすくめて見せた。
「わかってもらえるかなあ……」
すぐにも語り出すかと思いきや、菜々子はおもむろにポテトへと手を伸ばし、口に運ぶかと思いきや、光にかざし、目を細めて言った。
「黄色い……」
◆
「あいつはさ、顔しか見てないんだよ」
相沢は、ティーカップに口をつけ、少量のハーブティーを口のなかへと転がす。
「……え?」
「わからないかい?」
彼は、眼の脇に微かな皺を作り、勿体ぶった様子でこちらを見つめてくる。彼自身、自分のその表情をわかっていて、わざとこちらへ向けてくるのだから、こちらは面倒くさくても、そう言えない。
「面食いなんだよ、菜々子は。だから、顔だけ良けりゃ、性格なんて問題ないわけさ。よっぽどでなきゃな」
「よっぽど……」
◇
「性格で選べって言う人が多いけど、それってなんか嫌じゃない?」
「何で……?」
「性格で切り捨てちゃうなんて、心が狭いっていうか……、よっぽどじゃなきゃね」
「でも、いいところが思いつかないって」
「いいところなんて、必要?」
時々、菜々子の瞳には、人をぎょっとさせるような色が浮かぶ。そして、後には必ず、屈託ない苦笑いやら肩をすくめる仕草やら ―― 磨き抜かれた瑪瑙のような滑らかさ ―― が、緊張した空気を緩める。
「アフロディーテーとアレースってさ、いつもイチャイチャしてるでしょ。でもあれは、アレースが司る武力を、アフロディーテーの愛の力で骨抜きにできるっていう寓意とも取れるんだって。まあ、アレースっていうのは乱暴者の神様だから、いいとこなんてないんだよ、大してね。でも、そういう寓意っていうのはさ、そう考えることもできるよね、って感じのもので……」
菜々子は、思い出したように、ポテトを一つ手に取った。
「アレースっていうのは、相当な美男子だったらしいよ」
◆
「要するに、陳腐な言葉を使ってしまえばな、あいつは寛容な女なんだよ」
「寛容……」
「ネットのコラムとかで、よくあるだろう。『こんな男とは付き合えない』とか、『男が無理と思ってしまう女の言動』とか。確かに、そういう傾向があるってのはわかるんだけどな、それを助長してどうするんだよ、って」
「ああ……」
食えない男だ。熱弁の最中でさえ、こちらの顔色を窺う冷静さを忘れていない。
「菜々子の場合はな、拒絶するでもなく、矯正するでもなく……」
相沢の微笑み。なぜだろう、癇に障るはずの計算ずくの表情に、春、透き通る鶯の声を聴いたような清々しさを感じてしまうのは……。
◯
喫茶店の一隅に、心地のよい沈黙が流れる。
アパートの外では、豆腐売りの笛が、素朴な音を鳴らす。
◆◇
「こういう俺をわかったうえで、放っといてくれるんだ」
と、相沢。
「彼も、私のそういうとこをわかってくれてるしね」
と、菜々子。
「俺たちは、お互い……」
「相手の性格なんて気にしない」
「でも、それってさ……」
「ん?」
「お互いに……」
外では、そよ風が舞っている。
「そういうところに惚れてるってことじゃない?」
相沢の友人と、
菜々子の友人は、
ぽかんとする相手の前に、
穏やかな、
そして、勝ち誇ったような笑みを突きつけた。