エピソード2
学校から帰った卓也は、父親の書斎で変わったものを見つけた。
ここにあるはずはないもの――スマートフォンだ。これは父親がいつも持ち歩いていているはずのものだった。
黒い板のようなそれが、ポツリと机の上に乗っている。
――持っていくのを忘れたのだろうか。
これが父親の宝物なんだと考えるうちに、手を伸ばして、ポケットに入れてしまった。
心臓がどきどきしている。そして、そのまま子供部屋へ向かった。
これまで、あの宝物のカードを父親に見せる機会はなかった。最近の父親は家に帰ってきても、すぐに仕事に出掛けてしまう。ずいぶん忙しいようで、土曜や日曜になっても、それは同じだった。
――おかげで、ぜんぜんカードゲームで遊べない。
スーパーのゲームコーナーには、集めたカードを使って遊べるゲーム機が設置されている。ゲームセンターにもこれはあるが、どちらもひとりで行くことはできない。学校で禁止されている。
たがら、みんな仕方なく親につれていってもらっている。卓也もそうだった。
「カードゲームしたいから、つれていって」
母親にそう頼むこともできるが、卓也はなるべくなら父親と行きたかった。母親は、少し遊ぶと、「遊んだぶん勉強しないとね」と言ってくる。これでは安心して遊べない。
なにより、いまの怖くなった母親とは、あまり一緒に出かけたくなかった。
父親はゲームをしていても怒ることはない。百円玉がなくなったと言えば、財布のなかから追加の百円玉を渡してくれる。休憩コーナーに座ってジュースを飲みながら、ニコニコして、卓也が遊ぶのを待っていてくれる。余計なことを言ったりはしない。
何度も繰り返しプレイしたときだけ、「連コインはダメだよ」と言って、卓也をゲーム機の前から離そうとする。そういうときは、後ろにほかの子が並んでいる。それに気づいた卓也も、ひとりじめは良くないんだなと反省する。
いまでは、そんなふうに遊びに行くこともなくなってしまった。
卓也はカードの裏面に書かれた特殊効果を眺めて、どんな組み合わせが強いのかを考えることにした。これはこれで楽しい。
単純に、レアなカードほど強いというわけではない。特殊効果の相性によって、強さも戦い方も大きく変わってくる。
しばらく考えて、いくつかの組み合わせを並べた。どの組み合わせにも、ゴッドのカードは入っている。やはり、これははずせない。
――ああ、ためしてみたいな。
自分の作ったパーティーがどれくらい強いのか、実際に遊んで確かめてみたかった。
だが、それはできない。
ひとりでゲームコーナーに行くことは禁止されている。
ガチャン。
またリビングで音がした。
確認しなくても、誰がそんな音をたてたのかはわかっている。
――ここには誰もいないみたいだ。
不意に、そんなことを思った。
母親はリビングにいる。だが、わけのわからないことをつぶやいて、叫んだりして、卓也のことを気にしている様子ではない。卓也が子供部屋にいることを忘れてしまっているのかもしれない。実際、ここ数日、母親から話しかけられた記憶はない。
――家のなかにいてもひとりきりだ。
父親は、帰ってきても、すぐに仕事に出かけてしまう。休みのはずの日曜日にも、家にはいない。遊びにつれていってくれることもない。家のなかにいるときも、卓也のことを見ているようではない。
――僕は、ひとりきりだ。
不安が押し寄せてきて、大声を出しそうになった。誰も自分を見ていない。誰も自分のことを気にしていない。この家は、卓也がひとりきりで過ごすには、広すぎる。
呼吸を整えて、落ち着こうとする。からだは動かせない。大声を出してしまう。すると、ポケットの中に、固いものが入っていることに気づいた。
――宝物だ。
父親の宝物。これがなくなったら、父親はどんな顔をするだろう。さすがに怒るかもしれない。だが、きっと自分を見てくれる。
――隠してしまおうか。
キッチンから、コンビニの白いビニール袋を手に入れる。母親がこういうものを捨てずにとっているのだ。そういうことを、卓也はちゃんと知っている。
――このなかに入れておけば、壊れない。
丁寧にくるんで、セロテープでとめた。そうすると、水も入ってこない。
――そうだ、これが見つからなければ、「じょうし」からも電話はこない。
電話がこなければ、仕事に出かけなくてもいいかもしれない。家に帰ってきて、ゆっくり時間があれば、自分のことを見てくれるかもしれない。
――宝さがしだ。
「どこに隠したんだ?」と笑う父親の顔がうかぶ。そうだ、ヒントをだそう。ヒントを出して、ふたりで宝物を探す。そんなふうに父親と遊ぶことは、しばらくなかった。きっと父親は一緒になって、遊んでくれる。「もっとヒントがないとわからないよ」と笑う。ヒントを喋らそうとして、卓也のからだをくすぐる。父親の手は大きい。あの大きな手の感触はどんなだっただろう。
考えるほど、これはいいアイデアに思えてくる。なにもかもが、うまくいくような気がする。
――隠すなら、あの空き地だ。
近くにある空き地が頭に浮かんだ。いかにも宝物が隠してありそうな、大きな空き地だ。
思わず大声を出したくなるような不安は、いつの間にかなくなっていた。
これから起きるはずのことを考えて、わくわくするような気持ちで、卓也は空き地へ向かった。
***
父親の書斎から、物音がしている。なるべく静かにしようとしているようだが、耳をすませていた卓也には、すっかり聞こえてしまっている。
こっそりと、書斎のドアを開けた。
「お父さん」
机の引き出しを開けていた父親が、背中を向けたままの姿勢で動きを止める。
「何を探してるの?」
卓也の言葉に父親は振り返った。
その顔はひどく青ざめていて、離れていてもわかるほどに、こわばっていた。