表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

エピソード1

 卓也は子供部屋のフローリングの床に、カードを広げていた。

 べたりと座りこんで、


 ――これはすごい。


 と目を輝かせている。

 床に並んでいるのは、先日まで大人気だったカードゲームのキャラクターカードだった。それが百枚以上はある。


 いまは妖怪のカードゲームが流行っていて、みんなそちらで遊ぶようになった。もう誰も、昔のカードには見向きもしない。だが、卓也は、人気のなくなったこちらのカードのほうが好きだった。

 このカードに描かれているのは、アニメにもなっていて、父親も知っている有名なマンガのキャラクターだ。アニメだけではなく、映画にまでなっている。ずっと昔から雑誌に連載されていて、人気があったらしい。

 だから、卓也はこのカードゲームもまた人気になるんじゃないかと考えている。いままでに集めたカードも、そのときのために大事にとってある。


 新しいもの好きの友人がそんな卓也に、「もう飽きたからいらない」と集めたカードを全てくれた。それがいま、フローリングに広げているカードだった。


 ――これ、ゴッドだ。


 最新の映画で出てきた最強のキャラクターが、カードになっていた。表面がキラキラと光り、複雑な輝きを放っていて、相当なレアカードの雰囲気を漂わせている。間違いなく、めったに手に入らないカードのはずだ。


 ――これだけは、別にしておこう。あとは……これも。


 そんなふうに、一枚ずつ、卓也はカードを確認していった。大好きなキャラクターたちだから、これは楽しい。眺めているだけでも嬉しくなる。時間を忘れて、いつまでも同じことを繰り返してしまう。

 そうして熱心にカードを仕分けしていると、リビングでガタンという大きな音がした。何かが倒れたようだ。


 ――どうしよう。


 誰がその音をたてたのかは知っている。だが、どうしてこんなに大きな音をたてるのかは、わからない。

 そっと足を忍ばせて、リビングへ向かう廊下を歩く。リビングのドアは僅かに開いていて、そこから中を見ることができた。


 部屋のなかでは、母親がソファーに座っていた。

 空中を見上げて、ぶつぶつと何かをつぶやいている。こちらを向いていないから、表情はわからない。


 一学期の授業参観では「えー、卓也くんのお母さんきれいー。うちのお母さんみたいなオバサンじゃないー」とみんなから羨ましがられた記憶がある。卓也は得意になって、みせびらかすように、母親の手を引いてつれ回った。

 このときだけではない。いつでも母親は目立っていた。綺麗で、少し厳しいところはあるが、本当は優しくて――卓也としても自慢の母親だった。


 だが、いまの母親は違う。

 髪の毛はぼさぼさで、何十歳も年をとったように見える。行動もおかしくて、ときおり叫んだり、いまのように何かをつぶやいている。

 なにより不思議なことに、これは父親が仕事に行っているあいだだけのことで、家に帰ってくると、いつの間にか普段どおりの母親に戻っているのだ。


 ――いまは、静かに。我慢しないと。これは誰にも言ってはいけないことなんだ。


 卓也はそう考えていた。だから父親にも、このことを話さない。こういうときの母親に声をかけることもなかった。何も知らないふりで、息を潜めて時間が過ぎるのを待つだけだ。そうすると、もとの母親に戻っている。

 だけど、


 ――こわい。


 まるで別人のようになってしまった母親の姿は、いつ見ても恐ろしかった。卓也には、どうしてこんなことが起きているのかわからない。

 声を出してしまわないように口を押さえて、来たときよりも慎重な足どりで、子供部屋に戻った。


 ――そうだ、カード。カードの整理をしよう。


 先程きれいに並べ変えたはずのカードを取り出して、また最初から並べ直し始めた。

 同じ作業なのにだんだんと夢中になって、時間がたつのも、リビングの物音も、気にならなくなっていった。



   ***



「ご飯よー」


 と呼ばれてリビングに向かうと、そこにいるのはいつもの母親だった。父親も帰ってきている。それにも気づかないほど、卓也はカードの整理に夢中になっていたようだった。

 テーブルのうえには夕食が並んでいる。ごく普通の食卓だ。なにもかもが、いつもと同じだった。さきほど見たものは夢だったのではないかとさえ思えてくる。


 食事も終わりかけたころ、「あっ」と声をだして、父親が薄い板のようなものを取り出した。

 これは父親の宝物だ。スマートフォンというらしい。とても大事なもののようだ。

 卓也に触らせることはないし、母親にも触らせない。いつも持ち歩いていて、何やらいじって、嬉しそうにしている。電話にもなるし、ゲームもできるらしい。


 ――僕にも宝物はあるんだよ。


 と卓也は思った。

 一番新しい宝物は、今日伸也くんからもらったカードだ。キラキラのゴッドのカード。あのすごさが父親にもわかるだろうか。一緒に映画を見に行ったから、覚えているかもしれない。


 ――いや、きっと覚えている。


 父親は、こういうことをちゃんと覚えていてくれる。カードを見せたら一緒に喜んでくれるに違いない、と卓也は思った。


 父親は立ち上がり、


「あっ、また仕事の呼び出しだ」


 と言った。


「あら、こんな時間に大変ね」


 と母親が唇を尖らせる。


「本当にな。勘弁してほしいよな。でも仕方ない」


 と言いながら、父親が出かける準備をする。スーツを着たままだったから、靴下を履いて、カバンを用意するだけで、すぐに準備は終わった。

 

「じゃあ、行ってくるから」


「気をつけて、いってらっしゃい」


 母親が玄関まで送っていく。

 最近はこういうことがよくある。だから、卓也はこれからどうなるのかも知っている。


「ごちそうさま」


 と声をかけて、卓也も子供部屋に戻った。父親にゴッドのカードを見せるタイミングはなかった。


 ――これはまた今度にしよう。


 と卓也は考えていた。



   *** 



 しばらくすると、ガチャンと何かが割れる音がした。叫び声も聞こえた。


「わからないとでも、思ってるの!」


 母親の声だ。家のなかにはほかに誰もいないはずだ。


 ――わからない。わからないよ。


 どうしてこんなことになるのかわからない。何が起きているのかわからない。どうすればいいのかわからない。

 自分も叫びだしそうで、慌てて卓也は口を押さえた。


 ――そうだ、カード。


 カードを並べよう。

 そうすれば、時間が過ぎていく。

 いつの間にか、きっと母親ももとに戻っている。

 だから、カードを並べよう。


 その日、何度目かのカード整理を始めると、同じことを繰り返しているのに、やはり夢中になってしまう。

 最初はカードのことだけを考えようと自分に言い聞かせていたが、途中からはその必要はなくなった。


 ふと、卓也の脳裏に何かがひらめいた。カードを並べる手を止める。


 ――仕事が忙しいのは、「じょうし」のせいだ。


 どこかで、そんな言葉を聞いた気がする。

「じょうし」というのは、家に帰った父親を呼び出すひとだ。いつもスマートフォンで呼び出している。

 そのひとのせいで、父親は夜も仕事に出かけなければならない。


 ――そうだ、最近は休みの日も遊びにつれていってくれなくなった。このカードゲームで遊びたいのに。


 もしかすると、母親の様子がおかしいのも、「じょうし」のせいかもしれない。


 卓也は、そのひとの声を聞いたことがある。

 父親がスマートフォンで話しているのを聞いてしまったのだ。



「じょうし」は女のひとだった。女のひとの声をしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ