エピローグⅠ
油そばを食べているあいだもずっと、チカちゃんの表情は晴れなかった。ときおり手を止めて、何かを考えこんでいるようだった。口数も少ない。
ちなみに、油そばは私が想像していた以上においしかった。見た目は汚いが、食べる価値はあったと思う。
――こんな食べ物もあるのか。
と感心していると、横から盛田さんが、
「どう? おいしい? ねえねえ? おいしい?」
と話しかけてくる。
チカちゃんに相手にされないから、私に話しかけることにしたらしい。
「あ、はい。おいしいですね」
「でしょー。うまいよねえ。あっ、じゃあさあ、このあと飲みに行かない?」
――この男は……。
と私は思った。
なにが「じゃあさあ」なのかわからないし、さっきチカちゃんを誘って、次は私という行動にイラッとした。順番が問題なわけではなく、誰でもいいというような振るまいが問題なのだ。もちろん、行くつもりなどない。
だいたい、「飲みに行かない?」と言われても、私とチカちゃんは未成年だ。
どう断ったらこの男が黙るだろうかと考えていると、チカちゃんが口を開いた。
「モリタ、黙れ」
この一言で、盛田さんはしゅんとして黙ってしまった。
食事のあとは、結局、男性三人でどこかへ出かけることになったようだ。しつこく誘う盛田さんに、櫻井先輩たちも、さすがに断りきれないという様子だった。
最寄の駅まで送ってもらい、そこから、乗り換えのためのターミナル駅へ向かう。ふたり並んで電車に揺られていると、隣に座るチカちゃんが、ぽつりと口を開いた。ため息が混じったような、ちいさな声だった。
「男の人って、うそつくんだよね」
「えっ?」
「ほかに好きな人ができたなら、ちゃんと言えばいいと思う。でも言わない。うそついて、ごまかすばっかり」
チカちゃんの言葉には、ただの感想ではない重みが――実感のようなものがこもっていて、私はうまく言葉をかけることができなかった。正直なところ、私にはそんな経験はない。
――チカちゃんには、あるのだろうか。
チカちゃんの横顔を見つめる。
いま、そのことを聞きだすような雰囲気ではなかった。何を言えばいいのかもわからない。こんなとき、自分の経験の少なさに、やりきれない思いになる。友達がこんな顔をしていても、何もしてあげられない。わかってあげられない。「そうだね」とつぶやいて、チカちゃんの手を握るくらいしかできなかった。
「……本当、無責任」
チカちゃんの言葉を聞いて、何も言えずに黙ったまま、「無責任」という単語を心のなかでかみしめているうちに、私の胸のなかでも、世の中の無責任な男どもへの憎しみの炎が燃え上がってきた。無責任な男どもを裁く十字軍が行進を始めている。その炎のなかで、真っ先に十字にかけられているのは、盛田さんだ。
「……ね、カラオケ行こうか。今日は徹夜しよ」
「うん!」
私も同じことを考えていたから、大きくうなずいた。こんな表情のまま、大事な友達を帰したくはない。
私たちは手を取り合い、ターミナル駅を抜け出した。ネオンの明かりが、街をいつもとは違う風景に見せている。
まるで見知らぬ場所のような景色に、しかし私たちは迷うことも立ち止まることはなかった。
まっすぐにカラオケ屋に向かう。
隣には、チカちゃんがいる。肩が触れあうほどの距離で歩く私たちを、人ごみのほうが避けていくようだった。
「ああ、アユミがいてよかった」
とチカちゃんが言った。夜の暗闇のなかで様々な色のネオンに照らされているせいで、その表情がどんなものなのか、はっきりとない。
だが、少し、明るい口調になっているようだった。
「うん」
と私は大きくうなずいて、その手を強く握り締めた。
――これくらいのことしかできないのなら。
と私は思う。
せめて、できることはしておこう。
手のひらからチカちゃんの体温を感じながら、そんなことを考えていた。