#5
「ああ、良かった……」
男は掘り出したビニール袋の中身を確認して、安堵の表情を浮かべた。
「ありましたか? 良かったですね」
「ええ、ありがとうございます。これが見つからないと、本当に困ってしまうので」
「へえ、それほど大切なものだったんですね。どうしてそこまで大事なんでしょう。たとえば重要なデータが入っているとか?」
「……いや、そういうわけでは」
男は探るような目付きで私たちを見回し、ビニール袋を抱きしめた。
「まあ、大切なものなんだなということは、あなたの格好を見ればすぐにわかりましたが」
言われて、男は自分の姿を確認する。スーツのうえにジャージを着込み、園芸用のスコップを片手にしている。こんな格好は、よほど慌てている人間でないとしないだろう。
おかしな格好をしているということに、自分でも気がついたようだ。苦笑いを浮かべていた。
「こうして無事に見つかったわけですし、お子さんのことは怒らないであげてください。今回のことはこう考えてはどうでしょう」
と櫻井先輩は教会を指し示す。
「あなたに与えられた試練だと。なにものかの意思だと。これは何かを指し示しているのかもしれない。それが指し示す意味は、いまはわからないかもしれません。しかし、やらなければならない試練だった。そして、あなたはそれを乗り越えたのです」
――こういうことを言うひとなんだ……?
いままで櫻井先輩から、宗教のにおいを感じたことはなかったので、その口から出てきた台詞に私は驚いた。
男のほうも唐突な演説には戸惑っているようだったが、ちいさくうなずいて、
「ええ、もともと怒る気はなかったですし、ちゃんと見つかりましたからね。そうですね。そんなふうに考えたほうがいいかもしれませんね」
と答えた。
「それではこれで……」
いそいそとブルーシートを畳み始めた男の背中に、櫻井先輩が声をかけた。
「ところで、どうしてブルーシートなんかを被っていたんです? まるでなにかから、隠れるみたいに」
男の手が止まった。こちらを振り向かない。背中を向けたまま、
「……近所迷惑になるかと思って」
と短く答えた。
あれからすぐに、男は逃げるようにして帰っていき、私たちも空き地を離れて食事に向かうことになった。
結局スライムはいなかったわけだから、私の気分は良かった。わけのわからない男がいただけだ。それもいなくなった。
一方、チカちゃんは何か気になることがあるようで、しばらく黙っていたが、こう口を開いた。
「櫻井先輩、どうしてあそこにスマホがあったの?」
えっ、と私は思った。影の落ちた場所を計算して、その場所を掘ったのだ。バツ印の場所だ。だからスマホが見つかった。何の不思議もないはずだ。
櫻井先輩が振り返り、答えようとしたところで動きが止まった。私の顔を見ている。
「……うん、あの計算では太陽の方角も高さも出せないからね。間違った計算で出した場所に、スマホがあるわけはないよね」
その言葉に、私はますます混乱した。どこかで間違っていたのだろうか。でも、太陽の動きは一時間あたり15度で、どこにも間違いはないように思える。
私がそう言うと、
「えーとね、太陽の円周運動は、大雑把に言って、だいたい一時間あたり15度でいいとしても、太陽が昇る位置は真東ではないよね。地軸が傾いたまま公転をしているから、ずれがある。さらに12時間でぴったり太陽が沈むわけでもない。
そもそも円の動きをしている太陽が通る平面と、方角を表すときの平面は別のものでしょう? 球体の表面に書かれた円を無理やり押し潰して平面にすると考えてごらん。きれいな円にはならないよね。つまり、15度ずつの動きにもならない。
角度にしてもそう――」
「ええ? ……はい?」
いったい何を言っているのかよくわからなかった。また少し、櫻井先輩は止まって、それから、
「じゃあ、一番シンプルな形で考えてみよう。いま僕らは赤道直下にいるとする。ここでは太陽は真東から昇り、まっすぐ頭上を越えて、真西へ沈むとする」
と言った。
「ああ、はい」
たぶん赤道付近はそうなるんだろうな、と思う。
「そのとき、太陽の方角はどうなるか。太陽が東から昇ってくるとき、その方角は当然東だ。そして正午に近づくにつれて、頭上に近づいていく。方角は東のままだ。太陽がちょうど頭上にきたときに、影は足元でほとんど見えなくなる。そして、頭上を越えた瞬間、今度は太陽の方角は西になる」
「えっ? あれ? 南にいかない?」
本当だ、と私は思った。15度ずつではなくて、太陽が頭上を越えた瞬間に、方角が180度変わっている。
「高さもそうだね。これは北極のことを考えればいい。白夜、という現象があるね。このとき、太陽の高さはどうなっているだろう」
「白夜……一日中太陽が沈まないから……」
――高さも変わらない。少なくとも15度ずつの動きではないはずだ。
どういうわけか、そうなってしまう。
「だから、あんな単純な計算では、高さも方角も決まらないんだ。きちんとした計算では、特定の時刻の天球上の太陽の位置を出して、それとは別に地表にいる観測者の位置を出して、地軸を基準にしてふたつの位置を重ね合わせる。そうやって太陽の位置を計算する。地球の公転速度は一定ではないし、南中時刻も正午とは限らないし、かなり複雑な計算になるね。だからさっきの計算は、嘘だよ」
それを聞いて、また「えっ」と思った。さきほどは櫻井先輩の言ったとおりの場所で、スマホが見つかったのだ。
「じゃあ、なんであそこにスマホが埋まっていたんですか?」
と私は尋ねた。口に出してから、これはチカちゃんの言ったことと同じだ、と気づく。チカちゃんはこのことを尋ねていたのだ。
櫻井先輩は軽くうなずいて、こともなげにこう答えた。
「うん、だからね、僕が埋めたんだ」
唖然としている私に向かって、こう続ける。
「星野くんの話のなかで、見間違いではない、確実な部分というのは、光が見えたということと、男がいたということだ。
つまり、夜中に男が地面を照らしていた。となると、これは何かを探していたんだろうと思って、次の日に確認してみたんだ。場所も聞いておいたからね。
空き地に来てみると、地面を掘り返したあとがある。星野くんは『シャリ、シャリ』という音も聞いていたから、そういう可能性もあると思ってスコップを用意していた。そこで、僕が代わりに掘り返して見つけておいたわけ。で、また埋めておいた」
「でも、あの男のひとは見つけられなかったのに、なんで……」
「僕が探したのは昼間だからね。そりゃあ見つけやすいよ」
「じゃああの男も昼間探せば……」
「スーツを着てたでしょう。彼はサラリーマンだよ。昼間探しには来られない。まあ、スーツを見なくても、わざわざ夜に地面を照らして、なんてまわりくどいことをやっている時点で、昼に自由な時間のないひとだということは予想はついたけどね。
だから最初話を聞いたとき、土曜日には、もう『スライム』はいなくなっている可能性があった。土曜は休日かもしれないし、休日を利用して、昼のあいだに探しものをみつけてしまうかもしれないからね」
「でも、埋めたものがそんなに簡単に見つかるものなんですか?」
――櫻井先輩には、目印はなかったはずなのに。
と私は思う。
「うん、掘り返そうとした跡と、埋めようとした跡は違うからね。注意深く観察すれば、土と一緒に掘り出した雑草の乾き具合も違う。
そもそも探しているものは、それほど深く埋められたようではなかった。お皿をひっくり返したような平たいシルエット。それにシャリ、シャリという音。どちらも、腰を落として地面を深く掘ろうとする様子ではなくて、寝そべった姿勢で注意深く、浅い地面を掘ろうとしている様子だね。浅い部分に埋まっているなら、気になる場所に竹串を刺していけばいい。すぐに見つかったよ」
「ああ、竹串……」
コンビニで買ってきた軽食を食べて、その竹串を地面にプスプスと刺している櫻井先輩の姿を想像した。いつもの平然とした態度だ。それはそれで、奇妙な光景かもしれない。なんとなく、おかしくなってしまう。
「で、見つけたスマホをわかりやすいところに埋め直したから、あの男に掘り返してもらおうと思ったんだけど、バツ印とか言い始めるからね。とりあえず話を合わせて、太陽の位置をでっちあげたわけ」
――それで、計算は嘘だったのに、スマホは見つかったんだ。
ようやくここで、最初の疑問が解決することになった。
チカちゃんもうなずいている。だが、疑問はそれだけではなかったようで、こう続けた。
「それはわかったけど、やっぱりあの男のひと、行動がおかしいよね」
うむむ、何度か見直しましたが、説明に微妙なところがありました……。
理科は苦手だったので、なかなか難しいです……。
何か気がついたところがあれば、教えてくださいませ……!