#4
「探しものですか?」
櫻井先輩が声をかけると、カチリと音がして、明かりが消えた。ブルーシートが動かなくなる。ふくらみは残ったままだ。なかに誰かがいる気配はしている。
「何を探してるんですか? 手伝いますよ」
と櫻井先輩が続けた。
すると、しぶしぶという様子で、ブルーシートのなかから男が出てきて立ち上がった。
男は奇妙な格好をしていた。スーツのうえからジャージを着込んでいる。袖がしぼられていて、かっちりと全身をおおうタイプのものだ。スーツを汚さないために着ているのだろうか。
たしかにこれならスーツが土で汚れたりはしないだろうけど、そもそもスーツを着替えた方がはやいと思う。
手には園芸用のちいさなスコップが握られていて、これで地面を掘っていたらしい。
集まった私たちを見回して、戸惑ったように、
「いや、あの……」
とつぶやいていた。
いきなり大学生5人に囲まれれば、戸惑ってしまうのもわかる。だがそれはこちらも同じことだ。なぜか私以外はいつもと変わらない態度だったが、私は戸惑っていた。様子をうかがいながら、いつでも逃げだせるように身構えていた。
「こんなに暗いと探し物は大変でしょう。僕らが手伝いますよ」
と櫻井先輩が重ねて言う。
私は手伝うとは言っていない。勝手に話を進めないで欲しいと思うが、かといって、謎の男の前でそんなことを言って刺激する気にはなれなかった。男はおとなしそうだが、スコップを持っている。たとえ園芸用のちいさなものでも、これは凶器にもなりうる。
男は軽くうなずきかけて、首を振った。
「いや、あの……どこに埋めてあるかわからないんです。だから手伝ってもらおうにも……どうしようもないんです」
「埋めた? 何が埋まってるんです?」
「あの、私のスマホです」
男は苦笑いのようなものを浮かべた。
「スマホ? なんでまた、スマホなんかがこんなところに埋まってるんです?」
――なんか、わざとらしいような……。
大きく手を広げた櫻井先輩は、いつにもまして芝居がかったしぐさをしているように思えた。からだが大きいから、舞台に立つ俳優のようにも見える。
男は気にする様子もなく、
「いや、子供が埋めちゃったんですよ。家ではスマホを手放さないようにしていたんですが、たまたま忘れていった日に子供が見つけてしまって……。宝探しでも、するつもりだったんでしょうかね……はは」
「じゃあ、どこに埋めたか聞けばいいんじゃないですか?」
「いや、それが、わからなくなったらしくて。まだ小学校にあがったばかりなものですから……」
櫻井先輩は空き地を見回して、手のひらで指し示した。
「しかし、この空き地を見つかるまで掘って回るというのは、ちょっと無理があるでしょう。なにか目印とか、ないんですか?」
「ああ、バツ印のところとか言っていたんですが、どうもその印がもう消えちゃったらしくて、どこにも見当たらないんです……。けっこう探しているんですが……」
子供が目印として、地面にバツを書いたのだろう。当然、そんなものはすぐに消えてしまう。幼い子供だから、そういうところまでは頭がまわらない。
そして、目印だけを覚えていたのなら、どこに埋めたのかはわからなくなってしまう。
「なるほど」
櫻井先輩が振り返って、建物を指さした。
「バツ印の正体は、あれでしょうね」
暗闇のなかにそびえたっているのは教会だった。十字のシルエットが屋根のうえに浮かんでいる。たしかにバツ印だ。
男も暗闇のなかで、
「ああ……」
とうなずいていた。そして、
「じゃあ、あそこに……」
つぶやき、歩きだそうとする。
「ちょっと待ってください。お子さんは教会に埋めたと言っていたんですか?」
「いや、空き地に埋めたって……」
「それなら、空き地に埋めたんでしょう」
「えっ、でもバツ印があそこに……」
「あれは十字です。バツ印と言ったら、斜めの線でしょう」
と櫻井先輩が言った。
――それはそうだけど……。
私は思った。
ついさっき、あれがバツ印の正体だと言ったのは櫻井先輩だ。それを自分で否定する。このひとはこういう話し方をする。ひとのことをバカにしているのではないかと思う。
「そのまま見たのでは十字ですが――」
と今度は地面を指し示す。
「影ならどうでしょう」
「ああ……そうか」
地面に落ちた影なら、見る方向によっては斜めの線になる。
――これが正解だ。
と思った。
これなら男がどれだけ探しても、印は見つからない。印は地面に書かれていなかった。影だった。すると時間がたてば移動するし、夜には消えてしまう。
「しかし、困ったなあ……。それじゃあ、やっぱり手当たり次第に掘るしかないですね」
と男はスコップを持ち直した。
まだ掘るつもりらしい。
「いや、影の位置ならわかるかもしれません」
「ええ?」
「空き地にスマホを埋めた時間はわかりますか?」
「いや、はっきりとは……」
「では、その日のお子さんの下校時刻、これはわかりますか?」
「ええと、3時過ぎだと思います」
「なるほど、では家に帰って、スマホを埋める。これはだいたい4時くらいと考えてみましょう」
「ああ、たぶん、そのくらいです」
「まずは太陽の動きについて確認しましょう。見た目のうえでは、太陽は地球の周りを回っていますね。ぐるりと一周するのに24時間。一周するというのは、円の運動ですから、角度でいうと360度です。1時間あたりの動きを角度であらわすと、360÷24で15度です」
――15度。聞いたことがある数字だ。
と私は思った。数学が苦手だったから、はっきりとは覚えていない。だが、このようなことを習った気はする。
「影が落ちた場所を割り出すには、太陽の位置がわからないといけません。必要なのは、方角と高さの角度です。順番に考えてみましょう。太陽は東から昇って――」
とどこかを指さした。このひとはコンパスもないのにどちらが東かわかるらしい。
「あちらの、西へ沈みます。12時にちょうど真ん中、南の方角を通ります。これを南中といいますね」
それも聞いたことがある言葉だ。男もうなずいていた。
「一時間に15度ずつ移動するわけですから、4時間で、60度。南から60度西に進むことになります。つまり、そのときの太陽の方角は、あちらになります」
と指し示したのは、ちょうど教会のある方向だ。
「次に高さですが、これも同じです。円の運動をしているわけですから、1時間に15度。4時間で60度移動して、ちょうど地面から30度の高さに太陽があります」
と腕を斜めに持ち上げた。その角度はきっと30度なのだろう。このひとにはコンパスも分度器も要らないようだ。
「これで太陽の位置がわかりました。ようやくこれで、影の落ちる場所を特定することができますね。まず、方角は太陽のある方向とは逆です」
くるりと櫻井先輩が振り返る。ちょうど私と向き合うことになった。
「あとは、影の長さですね。教会の十字の先とその真下の位置、そして影の先を結んでできる三角形について考えます。これは直角三角形になりますね。太陽の高さは30度。これはこの三角形の影側の角の角度でもあります。そうすると……影の長さはわかる?」
いきなり私に振られてしまって悲鳴をあげそうになった。そんなもの、わかるわけがない。だがそういう公式があったような記憶は、微かにある。
「えっと……sin30ひく……足す……斜辺の二乗と底辺の二乗で……いや、ルートに入れる?」
「アユミ、30度、60度、90度の直角三角形の辺の比だよ」
とチカちゃんが小声で言った。
急にそんなことを言われても、頭が真っ白になって、どうすればいいのかわからない。
「……そう、この場合は特別な三角形になります。辺の比が分かりやすい数字になってますね。この三角形の辺の比は、1:2:ルート3です。1に対応するのは十字の先までの高さ。だいたい10メートルといったところでしょうか。そうすると、影の長さは10×ルート3で、17メートルと少し……」
と櫻井先輩が歩き出した。
「だいたいこの辺りになるでしょうね。さあ、掘ってみてください」
櫻井先輩が立ち止まったのは、先程男が掘っていたところとは、まるで違う場所だった。言われるままに男が掘りはじめると、すぐに、
「あっ!」
と大声を出した。
「あった。ありました。本当だ!」
地面のなかから顔を出した白いビニール袋を見て、男は穴を広げて、慎重に取り出そうとしていた。考古学の発掘現場を思わせる光景だ。
「ふーん?」
チカちゃんが私の隣でちいさな声を出した。男がビニール袋を拾い上げる姿を、首をかしげながら見つめていた。