#3
金曜日の授業が終わり、チカちゃんとカラオケに行って店を出ると、もうすっかり日がくれていた。8時を過ぎたくらいだ。スライムを探しにいくのは9時からということだったから、「部室」でちょっとゆっくりすると、ちょうどいい時間になってしまう。
はっきりと断る機会がこれまでなかったから、当然私もスライム探しへ行くものとして、チカちゃんは行動している。
本当は、私はスライムを探しになど、行きたくなかった。ほかのメンバーは、ただのひまつぶしのつもりで、軽い気持ちでいるのかもしれない。だからこそ、余計に断りづらい。不安に思っているのは、私だけなのだ。
断る理由も特にない。思いつく理由は時間が遅いから、ということくらいだろうか。だが私は、大学生にもなって門限の決まっているようなお嬢さまではない。そもそも独り暮らしだ。
こういうとき、私ははっきりした態度をとれない性格だ。それでずいぶん損をしていると思う。チカちゃんは私とは逆で、いつもはっきりきっぱりしていて、判断がはやくて、やると決めたらてきぱきと片付けてしまう。
――別にお腹を空かせる必要はないし。私は行かないし。
と考えながら、ささやかな主張をこめてコンビニでポテトと飲み物を買う。それをぶら下げて、チカちゃんと一緒に「部室」へ向かった。すると、長椅子に盛田さんが座っていた。
「あ、モリタだ」
とチカちゃんが言う。
この盛田さんもサークルの先輩で、私たちと歳は近い。ひとつかふたつ年上だから、20歳前後のはずだ。だが、見た目は50代のおじさんで、その中身もおじさんだった。
ねっとりとしたしゃべりかたで、いつもつまらないことをひとりで言っては、「ガハハ」と笑っている。
「スライムを探しに行くんだってえ?」
盛田さんの質問に、チカちゃんが「うん、そうそう」と短く返事をする。年上のひとへの対応としては、かなり雑だ。これはチカちゃんに限らない。盛田さんはみんなから雑に扱われている。
気にする様子もなく、
「そんなの探しに行ったら、こっちがスライムに捕まって、食べられちゃうんじゃないのおー」
と言って、ガハハと笑っていた。
このひとに言われると、なんとなく反論したくなるけれど、心の中では私も同じことを考えていた。
――本当にスライムがいて、みんな食べられてしまうかもしれない。そしたら、どうしよう。
そんなことがあるわけはないのだが、もしもと考えて、不安になってしまう。いないこともないと、チカちやんが言っていたではないか。
ふと、チカちやんが私を見つめていた。大きな瞳でのぞきこんで、
「えっ? アユミ、やっぱり怖いの?」
と言ってくる。
すかさず続けて、
「アユミちゃん、怖がりなんだねえ」
盛田さんがガハハと笑っていた。
これにはさすがにイラッとした。
「怖くないよ。いるわけがないんだし」
きっぱりと答える。答えてしまった。
「だよね。櫻井先輩、なに考えてるんだろ」
と私の言葉にチカちゃんがうなずいていて、これでもう、私も行くことが確定してしまった。
櫻井先輩と星野さんが合流して、暇そうな盛田さんもついてくることになった。盛田さんがいれば、怪奇現象が起きるような雰囲気にはならないから、これは私にとってはありがたいことだった。
「えっ、あそこの店に行くの? 油そば? まあ、うまいけどねえ」
と盛田さんが言う。チカちゃんのリクエストで、今日行くお店は決まっていたらしい。油そばを食べるのだという。
「アユミちゃんは、油そば食べたことあるのお?」
と聞かれて首を振る。
「いえ、食べたことないです」
「そうなの! あそこの油そばはね、うまいよおー」
と大声で笑う。
盛田さんにそう言われると、とても美味しそうには聞こえないが、チカちゃんが行きたいと言うのなら、食べる価値のある店なのだろうと思う。
その後もチカちゃんと、
「なんで油そば? 油そば好きなのお?」
「有名なお店だし。でもひとりじゃ油そばのお店行けないし」
と会話を続けていた。
盛田さんはよくしゃべるひとだ。
――これなら、スライムもうるさくて出てこないかもしれない。
と私は思った。もちろん、スライムは幽霊やお化けとは違うのだろう。しかし、何かえたいの知れないものが出てくる雰囲気は、完全になくなっている。
そうして歩いていると、盛田さんが、
「ご飯食べたらどうするのお? チカちゃん、暇だったら飲みに行こうよお」
とチカちゃんをしつこく誘いだした。
「暇じゃない。行かない。行きたくない」
うんざりしたチカちゃんに、きっぱり断られると、さすがの盛田さんも黙ってしまった。
少しして、
「ああ、あの角を曲がったところ」
星野さんが言う。
スライムを見た空き地の近くに来たらしい。タイミング悪く、盛田さんが黙っているから、静かだ。
――シャリ、シャリ……。
音が聞こえている気がする。
「……何か、聞こえませんか?」
私が言うと、
「聞こえるね」
平然と櫻井先輩が答える。
――空耳じゃないんだ……。
もう歩きたくないと思ったけれど、誰も立ち止まろうとしない。櫻井先輩を先頭に空き地を目指して進んでいる。夜道にひとり置いていかれるのは嫌だから、私は一番後ろで、いつでも逃げられるように距離をおいて、隠れながらついていくことにした。
申し訳ていどに整地された空き地が見えた。
街灯も付近の住宅からの明かりも、ちょうど届いていなくて、すっぽりと暗闇に包まれている。
その暗闇のなかに、子供の背丈くらいに伸びてしまった草のシルエットが、ポツリポツリと浮かびあがっていた。
空き地の奥には奇妙なものがあった。
ぼんやりとした青い光。
目を凝らさないと気づかない程度の明るさだ。
その光る何かは、地面に広がって、へばりついているように見える。
シャリシャリという音はそこから聞こえていたようだ。そして、それはわずかに動いている。
――本当に、いたんだ。
私が震えていると、チカちゃんが、
「やっぱり見間違いだった」
と言った。
「えっ?」
という私の言葉に、櫻井先輩が青い光を指さして、
「あれ、ブルーシートだよ」
と言った。
落ち着いて観察すると、青い光の正体が私にもわかった。
男がブルーシートを被っていて、そのなかで地面を照らしているのだ。
周囲に明かりがないせいで、ぼんやり青く輝いているように見える。シートの端から、足がはみ出しているのもわかる。あれを星野さんは、食べられたと言っていたのだろう。
男は地面に張り付くようにして、その上からブルーシートを被っているようだった。たしかにお皿をひっくり返したように、平たく盛り上がっている。
わかってしまえば、それはブルーシートにしか見えなかった。
さきほどまでは思い込みと、あれがなんなのか理解が追い付いていなかったから、奇妙なものに見えていたのだろう。
暗闇のなか、空き地でブルーシートを被って地面を照らしているひとがいるなんて、普通思わない。
――でも、こんなところで何してるんだろう。それにこの音。
シャリ……シャリ……とちいさな音は続いている。
「地面を掘っているんだね」
櫻井先輩が小声で言う。さらに星野さんに向かって、
「こういうこと、わかった?」
と尋ねる。
星野さんは「ああ、そうなんだ」と溜め息のような声を出してうなずいた。残念がっているようにも見える。この反応はどうかしている。
――もうわかったから、ここを離れよう。
と私は思った。
こんな時間に、ブルーシートを被って地面を掘っている。これは絶対に関わらないほうがいい人物だ。よく考えると、スライムなんかよりもこちらのほうが怖いかもしれない。
――何を埋めているんだろう。よほどひとに見られたくないものなんだろうか……。やっぱり、急いで逃げたほうがいいかも……。
私がそう思っていると、
「やあ、何をしているんですか」
櫻井先輩が男に声をかけてしまった。