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エピローグ2

 あれからしばらくたって、私たちはまた油そばを食べに行くことになった。授業の関係で盛田さんは来られないらしい。ひどく残念そうな顔で、しつこくいろいろとまくしたてていたが、誰も相手にしていなかった。それ以外は、前回のメンバーだ。

 

 ――あの奇妙な食べ物をもう一度食べたい。


 と思っていたのだけど、油そばの店というのは、女性がひとりで行くような雰囲気の店ではない。かといって、自分から誘うのもなんだか気が引ける。そういうわけで、私は誰かが油そばの話題を口にするのを、ずっと待ち構えていた。

 都合よくもう一度食べに行くという話になったとき、当然私もこの話に加わって、うまく同行する約束を取り付けることができた。これは自然な流れだったと思う。


 と、ここまでは思い通りにことが運んで、私は上機嫌だった。しかし、油そばの店へ向かう道を歩くうち、あの空き地のことを思いだしてしまった。スライムがいたという空き地だ。


 ――スライムがいたというのは、見間違いだったんだから。


 それはわかっているのだけど、頭のなかにこびりついた不気味なイメージをぬぐいさることはできない。


 結局、なるべく遠くを歩くようにして、私は空き地の前の道をやり過ごすことになった。男性陣を盾にするようなかたちだ。

 するといきなり、隣にいたチカちゃんが、「あっ」と声をあげた。

 視線の先をたどると、道の向こうから、あのときの男が歩いてくる。子供と奥さんらしき女性と一緒だ。

 向こうも私たちに気づいたようだった。すこし動揺した様子で、軽く頭を下げてすれちがった。


 すこしして、チカちゃんがちいさくため息を溢した。そのなかに押し殺した苛立ちを感じて、私もため息をつきそうになった。



   ***



「ところで、あの後どうなったんだろうね」


 と櫻井先輩が言った。


「あの後って、何のことですか?」


 誰も口を開かない様子だったので、私が質問をすることになった。チカちゃんは不機嫌に黙りこんでいるし、星野さんはどこか遠くを見ている。


「あの男がスマートフォンを見つけたあとのことだよ。

 何もなければ、探していたものが見つかってそれで終わり。いままでと同じ。元通り、となるんだろうけど――」


 櫻井先輩が眉をあげて続けた。得意そうな顔にも見える。


「スマートフォンのデータが消えていたらどうなるんだろうね」


 その言い方でピンときてしまった。


 ――このひと、データを消したんだ。


 普通、知らないひとのスマートフォンを触ったりはしない。まして、データを消すなんて、考えられない。常識とか、マナーとか、そういった言葉を知っていれば、まずできない行動だ。


 ――だけど。


 このひとならやりかねない、と私は思った。

 いつもの平然とした顔で、微笑を浮かべながら手際よくデータを消していく様子が目に浮かぶ。何を考えているのかはわからない。面白半分でやったのかもしれない。無茶苦茶だ。やっていいことと悪いことの区別がつかないのだろうか。


「データが消えているのを知ったとき、彼は何を思ったんだろうね」


「何って、それは……」 


 ――「どうして?」、いや、「誰が?」だろうか。


「もちろん、たまたまデータが消えたと思うかもしれない。でも、誰かが故意に消したのかもしれない、とも考えるだろうね」


 それはそうだろうと思う。しかし、このひとは、自分でやっておいてよくこんなことを言える。あきれてしまう。


「もしもデータを奥さんに見られていたら、これは不倫の決定的な証拠になる。

 奥さんがどこかにデータを保存していて、それをつきつけられたら、言いなりになるしかない。離婚することになるかもしれないし、裁判をすれば負けるだろう。慰謝料を払うことになるかもしれない、と彼は考える」


 ――いったいどんなデータがあったのだろう。

 

 裁判になって、慰謝料を払う。そこまでひどい裏切りをした人間には、やはり同情する気持ちにはなれない。たとえ勝手にデータを消されていてもだ。


「そして、おかしなことに、わざわざデータを消すなんてことをする人間が思い付かないんだ。そんなことをする理由がない。あえて言うなら、やっぱり奥さんくらいだ」


 たしかに面白半分でデータを消すなんてひどいことは、普通のひとはしない。

 空き地に埋められたスマートフォンを探して掘り出して、そのうえでデータを消す。そんな手間のかかることを、見ず知らずの大学生がやったなんて、考えもしないだろう。


「となると、秘密を奥さんが知ったかもしれない。証拠を握られているかもしれない。その可能性は充分にある、と彼は考えるわけだ。

 これは奥さんに確かめるわけにもいかない。当然だ。もし、奥さんが何も知らなかったら、薮蛇だからね。

 仮に奥さんがやったことだとして、果たしてデータを消して、そのあと何をするつもりなのか、彼には予想がつかない。これから何が起きるのか、不安を感じながら待っているしかない。

 データが消えていることが何を意味するのか、この状況が何を指し示しているのか、彼は必死に考えるだろうね」


 ふと、櫻井先輩の口にした言葉が引っ掛かった。『何を指し示しているのか』という台詞は、どこかで聞いたことがある。


「と、ここまでは、まあ想像できる。だいたいこんなところだろう

 そこから何があったのかは、もうわからない。やはりバレていなかったんだと思って、不倫を続けたのかもしれない。だが見たところ、そうじゃなかったみたいだね」


 あのとき、スマートフォンを掘り出したときの櫻井先輩の言葉を思い出そうとした。


 ――たしか、このひとは。


「与えられた試練を乗り越える……」


 チカちゃんがつぶやいた。


「何もわからず、ただ不安だけを感じて、状況を確かめることすらできない。まさに、あの男にとっては『試練』だったかもしれないね」


 ――そのために、わざわざデータを消したんだろうか。


 やっぱりこのひとは性格が悪い。あらためて、そう思った。


「別にデータを奥さんに送りつけてもよかったんだ。そうすればあの男はなんらかの報いを受けるんだろうね。それでも構わなかった。

 だけど――」


 と道の奥を見つめる。ずいぶん離れてしまったが、そこには、並んで歩く家族の姿があった。


「スマートフォンの中身から、子供がいるらしいということがわかった。そうすると、奥さんにデータを送りつけるというのは、あまりうまいやり方じゃない。離婚を煽ることが、子供にとっていいことなのかどうかわからない。

 知らないふりで、放っておいてもいいんだけど、中身を見て、ある程度確認してしまったからね。だから、ひとまずデータを消した」


 櫻井先輩が最後に、「まあ、いい選択だったみたいだね」とちいさく付け加えた。


 ――言っていることはわかったけど……。


 このひとのやっていることは、やっぱり無茶苦茶だと思う。特に、最後の台詞にはあきれてしまう。思わず口を開いていた。


「いい選択って……データを消したことがですか……」


「いや、違うね」


 と首を振った。


「あの男の選んだ行動が、だよ。

 もちろん、ほかの『道』を選んでいたら、データを送りつける用意はしてあったんだけどね」


 櫻井先輩の言葉に、チカちゃんが「ふふっ」と気の抜けた笑い声をあげた。それからちょっと唇を尖らせて、道の奥を見つめて、「ふーん。そう」とつぶやいた。

 その声の響きからは、もうあの男に対する苛立ちは感じとれなかった。



   ***



 一番右に、背の高い男性のシルエット。

 左には、少し背の低い女性のシルエット。

 真ん中のシルエットは、右側の男性の腰の高さほどだ。


 この子供のシルエットは、落ち着かなく動きまわり、男性の足にまとわりつこうとしている。

 歩きにくいのだろう。男性が立ち止まる。

 そして、手を伸ばして、子供を捕まえようとする。だがもうすこしのところで、するりと男性の手をすり抜けてしまう。もう手の届かないところまで離れてしまった。


 男性があきらめて歩き始めると、また子供がまとわりつく。それが数回繰り返されただろうか。子供が男性のことをからかっているようにも見える。

 やがて、男性は子供を捕まえることもあきらめてしまった。なすがままで、子供を足にしがみつかせたまま、不自然な動きで歩こうとしている。


 左側の女性はときおり立ち止まって、ふたりの様子を眺めているようだ。


 三人は急ぐことはなく、ゆっくりゆっくりと並んで歩いていった。


 遠く離れたそのシルエットからは、ここまで聞こえるはずのない、笑い声が聞こえてくるようだった。

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