エピソード3
「どこに隠したんだ?」
父親の言葉は妙に平坦だった。怒っているのをこらえているような、無理矢理に優しくしゃべろうとしているような、そんな印象の口調だった。
――もしかしたら。
自分はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。卓也はようやくそのことに気づいた。
スマートフォンを隠したと聞いたときの顔も、意識して落ち着こうとしているような、さきほどのぎこちないしゃべり方も、卓也を置き去りにしてしまいそうな、いまの歩調も、すべて卓也の期待していたものとは違っていた。
――やっぱり、僕はとんでもないことをしたんだ。
父親は無言のまま、空き地へ急いでいる。ごめんなさいと謝ったら、許してもらえるだろうか。きっと許してくれるはずだと卓也は思った。父親は優しい。しかし、いまは追いかけるだけで精いっぱいだ。
謝っている余裕はない。
不安と緊張で、のどがからからに渇いてくる。
足に力が入らない。それでも、追いかけなければならない。
しばらくして、父親が立ち止まった。
空き地に着いたようだ。太陽が沈みかけているせいで、周囲の風景がはっきりしない。何もかもが、薄い黒に染められ、輪郭がぼやけて混ざりあっているようだ。
「どこに埋めたんだ?」
父親が言った。
卓也は空き地に目を凝らした。しかし、どれだけ一生懸命に目を凝らしても、昼間見た風景とは、まるで違うもののようだった。記憶のなかにある自分の埋めた場所は、見つからない。空き地のなかをぐるりと見回しても、映るのは記憶とまったく別の風景だ。
――どうして! どうして!
どれだけ考えても、どこに埋めたのかわからない。数時間前、この空き地に埋めたはずなのに。発作のような不安に襲われて、からだが冷たくなる。あのバツ印もなくなっている。これではどうやっても見つけることができない。
――何が間違っているんだろう。違う場所を覚えてしまったんだろうか。
わからなくて、混乱して、記憶があいまいになってくる。なんとかして本当に埋めた場所のことを思い出そうとするほど、何も思い浮かばなくなる。息が苦しくなるほど考えても、それは変わらない。
――見つけなきゃいけないのに。
このまま何も言わないままというわけにはいかない。「ごめんなさい」と言おうとして、だが卓也の口からその言葉は出てこなかった。のどがカサカサに渇いて、声が出せない。悲鳴とも呻き声ともつかないような、意味のない音しか出せない。かわりに、涙が溢れてこようとする。
「卓也、卓也!」
父親が卓也の肩をつかんで、顔をのぞきこむ。
「お父さんは怒ってるわけじゃないんだぞ? 暗くてわからないんだな? そうなんだな?」
卓也は必死にうなずいた。
「そうか……。わかった。もういいから。このことは忘れよう」
卓也の肩をさすりながら、父親が続ける。
「心配しなくていいからな。お父さんは怒ってないからな。気にしなくていいんだぞ。もう忘れような」
父親は怒らなかった。
それは間違いない。
――だけど。
卓也が思っていたのは、こういうことではなかった。父親はいつも優しかった。だがそれは、どこか無理をしているような、何かに気を使っているような優しさではない。
――まるでよその家の子供に話しかけているみたいだ。
父親は空き地をじっと見つめている。
しばらくして、ぽつりと、
「帰ろうか」
と言って、歩き出した。
来たときと同じように、急いであとを追う。
家へ向かう途中、父親は一度も卓也のほうを見なかった。意識して視線をそらそうとしているようではない。ただ、卓也のことが視界に入っていないだけのようだった。
――僕はよその家の子になったんだろうか。
ふと思い付いた自分の考えに、悲鳴をあげそうになる。卓也はそれを必死に堪えた。
父親は気にするなと言った。だから、気にしてはいけない。
父親は心配するなと言った。だから、心配してはいけない。
父親は忘れようと言った。だから、忘れなければならない。
もうこれ以上、「嫌われる」ことをしてはいけない。
大きく深呼吸をして、溢れてきそうになる涙を、なんとか押しとどめる。
玄関のドアを開けて、家の中へはいる。
最後まで、父親は卓也の顔を見ることはなかった。
***
それから父親とスマートフォンの話をすることはなかった。忘れようと言われたから、言われたとおり、卓也は忘れたように振る舞った。
父親の態度は変わらない。家に帰ってきても、すぐに仕事へ出かけていく。
だが、ふとしたときに、卓也のことを妙に気にかけているような、他人に対するような態度をとることがあった。
――よその家の子供に対するように。
それを感じるたびに、卓也は大声を出して叫びたくなる衝動にかられた。太ももをつまんでなんとかそれを押さえる。これを何度も繰り返すから、あざができてしまった。
――これってお母さんと同じだ。
と卓也は思った。
突然叫び出して、わけのわからないことをつぶやく。母親は家のなかのものを壊したりしている。自分は太ももをつねってあざを作っている。ほとんど同じようなことをしている。
――僕も普通じゃなくなったんだろうか。
周りのひとからみたら、リビングにいるときの怖くなってしまった母親のように、自分は見えているのだろうか。
わからない。
大声をだして、悲鳴をあげればいいのか、笑えばいいのかもわからない。
卓也はどうにもできないで、太ももをつねってじっとしている。
それくらいしかできなかった。
***
スマートフォンを持って、父親が子供部屋にやってきたのは数日後だった。