ライバルは飼い犬。①
イケメンなはずの藤村君が飼い犬に嫉妬して悩んでいます。
俺は藤村晴人。
高校2年。
現在、俺は大いに悩んでいる。
まず、状況を説明しよう。
俺は犬を飼っている。
名前は「コタロウ」
12歳になる柴犬だ。
このコタロウが悩みの種・・・いや、ちょっと違うか。
悩みの種は隣の家に住んでいる同級生、幼馴染の鈴村ひなただ。
ひなたと俺は小さいころから隣同士で、俺の兄、陸人とひなたの弟、駆と4人で兄弟のように育った。
小さいころは楽天的な性格で、毎日楽しいことばかりだ!と思っていたのだが、絶望的な不幸がやってきた。
大好きだった母ちゃんが病気で死んでしまったのだ。俺はまだ5歳だった。
母ちゃんの死は圧倒的な絶望で、それから俺は後ろ向きで、用心深い性格になっていった。
そんな時、親父が、子犬を連れてきた。
俺の家は代々続く開業医で、親父は、その病院の院長だ。
そんな親父を今は尊敬しているが、兄貴の記憶によると、母ちゃんが死んだ時、
「とうちゃん、おいしゃさんなのに、なんでかあちゃん、しんじゃうんだよ!」
と俺は責めたらしい。ひどい子供だ。親父が一番ショックだったろうに。
母ちゃんの死後も、親父は忙しく、家にはあまりいなかった。母ちゃんの思い出が多い家にいられなかったのかもしれない。祖父母も遠くないところに住んではいたが、当時院長として現役だった祖父も忙しく、祖母も仕事をしていたので、俺たち兄弟の世話をしてくれる家政婦さんが通いで来てくれるようになった。
母ちゃんよりも年上で祖母よりも年下だと思われる女の人で、今も朝7時から夜7時までいてくれて、温かいご飯を食べさせてくれる。頭のてっぺんで髪の毛をぐるぐると巻いたおだんごヘアの「リツコさん」という名前の家政婦さんは元気で世話好きで料理上手で、寂しかった俺たち兄弟は、すぐになついた。
「リツコさん」は、親父が仕事で帰ってこれない時に幼い二人を置いて帰るのがしのびないと言って、色々考えた結果、親父に番犬を兼ねて犬を飼ったらどうですか?と進言したらしい。
ある土曜日の朝、親父の作ったこげた目玉焼きのにおいで起きてきた俺たちに、
「犬、飼いたいか?」
と聞いた。
「飼いたい。俺、柴犬がいい。」
と兄貴は即答したらしいが、すっかり後ろ向きな性格になっていた俺は
「しんじゃうからいやだ。ぼくはいぬなんてかいたくない。」
と言い、親父は「そうか」と言ったまま考え込んでいたらしい。
その日の午後、いつものようにお隣のひなたと駆が遊びに来て、犬の話になった。
「とうちゃんがいぬかいたいかってきいてきたんだけど、ぼくはいやだっていったんだ。」
「えー!?そうなの?いいなあ!わたし、いぬとあそびたいなあ。」とひなたが言った。
その日の夕方、カレーのにおいのしている台所で俺は、似合わないエプロンをした親父に
「いぬ、かってもいいよ。」と何度も言った。らしい。
親父が子犬を連れてきたのは次の日だった。既に目星をつけてあったんだろう。
茶色い柴犬は「コタロウ」と名付けられた。
勢いにまかせて書きました。
誤字脱字、表現の間違い等ございましたらご容赦ください。