2/4 ラッケン村防衛戦
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ジェイスが広場へ駆け戻って来た時、他の商隊護衛を請け負った冒険者たちは既に集合していた。馬車の近くに集まって、見なれない顔の男たちと話しをしている。腰に剣を帯び革鎧を身に纏っているということは、この村の自警団だろう。
「状況は?」
「ジェイスか。……むずかしいな」
近くにいた冒険者に尋ねると、顰めた顔で答えが返って来た。
この村からさほど遠くない位置に、鬱蒼と茂る広大な森がある。そこへ猟をしに行っていた狩人が、その帰り際に森の奥から、外へと向かって歩きくる大量の魔物たちを見つけ急ぎ知らせてくれたのだと言う。
「……何でも『黒い季節』が終わってから、こうして魔物が攻め寄せて来るのは初めてのことらしい。村人の話しでは森の外延部で魔物を見る事は、この数年殆ど無かったとか」
その言葉に、ジェイスは冒険者の男と同じ顔をした。
魔物は、人間と見れば襲いかかって来ることが殆どだ。村を襲うほどの規模でなくとも、村の猟師たちが森に分け入って見かけることすら数年もなかったなど有り得る話ではない。
だが、何事にも例外はある。
その例外の一つが、王の存在だ。
豚鬼族や邪人族、飢狼族などは元来群れや家族、あるいは集落単位で行動することで知られている。そして群れ同士集落同士で縄張り争いすることもある。
しかし、極まれに突然変異的に生まれた強力な個体が成長した時、集落や群れの垣根を越えて一帯の同種族を纏め上げ、数百から時には数千の規模で膨れ上がることがあるという。そして王の名を冠するその個体は、用心深く知恵が回るのだ。
猟師たちが滅多に見かけなかったのに、相当数の魔物が村を襲う。
つまりそれは、森の奥の奥でじっくりと力と数を溜めていたということ。そして森の外延部に至るまで統率が行き届いているという証拠である。
「……そうか。これは、王がいるな」
「ああ、十中八九間違いないな」
「魔物の種類と数は? 今、どこまで迫っている?」
「種類はゴブリン。数はざっと五百から六百ってところで、一部にオークが混じってる。さっき聞いたところでは、森と村の中間辺りまで迫っているって話だ。今、うちらの雇い主どのが村長と話をしているが……」
ジェイスは辺りを見回した。不安そうな顔をした村人たちが広場へと避難し始めている。
そこに、ジェイスの雇い主である商人と村長がやって来た。ジェイスは眉根を寄せて、二人の後ろを見た。そこには、アリアの姿があったからだ。
そう言えばアリアはアンリという偽名で、村長の家で教師の真似事をしているという話だったが。
ジェイスら冒険者たちは、商人を見た。自警団の男たちも商人の顔を見る。
通常、街や村が魔物に襲われるとなると冒険者たちに対し冒険者組合より緊急依頼が発生する。緊急依頼は近隣に位置する指定以上の階梯持ちの冒険者に参加を強制するものだ。ただし、参加強制と言っても負傷して動けない場合や考慮すべき事情がある場合はその限りではない。
だが、この村にギルド支部は存在しない。この場合村長かそれに類する役職者が、後日ギルドを通して正式に発するという名目で、緊急依頼を冒険者に要請することが出来る。
しかし、ジェイスらは現在商人に護衛として雇われている立場だ。現在受けている依頼は、基本後発の依頼に優先される。そして商隊の護衛任務である以上、商人が村を見捨てて逃げると判断した場合、ジェイスたちはそれに着いていく義務が生じる。これは緊急依頼に優先されるルールだ。
自警団や、村人たちもそのことを知っている。
自警団の数は、およそ三十人ほどだと言う。十数匹程度の群れだったら、この人数でも充分だっただろうが、その二十倍超の数に太刀打ちできるものではない。つまり、商隊護衛の冒険者たちの存在が、この村の行く末を左右するのだ。
ジェイスはもし商人が、逃げ出すことを選択した場合、違約金を支払ってでもこの村に残ることを選ぶ心算だった。
商人が、雇った護衛冒険者たちを見回す。
「……諸君らには申し訳ないが、違約金を支払おう」
「……?」
ジェイスは内心で首を傾げた。護衛を抜けてこの村に残るつもりの者が違約金を支払うのならば判るが、その逆はこの場合有り得ない。
「諸君らの知っての通り、現在この村に危急の難事が迫っている。よって、私は現時点で護衛任務をこの場で以て一方的に破棄とさせていただく。その違約金として、予定通りの額を諸君らに払おう」
その言葉を継いで、村長が声を張り上げた。
「そして村長権限として、この場に居る冒険者諸君には緊急依頼を発令させていただく。依頼内容は言わずもがな、村の防衛任務である!」
ジェイスと、隣にいた冒険者の男は顔を見合わせた。雇い主の商人は良くも悪くも商いの人で、基本的に利にならないことはしない。てっきりこの場から、荷物を抱えて逃げ出すものだとばかり思っていたのだが。
だが、この展開はジェイスにとって好都合だった。
そこに、カァン! と硬い音が響き渡った。
全員の注目を集めたその音は、アリアが手にした背丈を超える純白の杖が、足元に埋まっている石を突いた音だった。
あの民家で柔らかく微笑んでいたアリアと同一人物だとは思えないほど、強烈な空気を纏った彼女が叫ぶ。
「魔物の群れは待ってはくれません――さぁ、急いで!!」
その言葉こそ、ラッケン村防衛戦の開始を告げる合図だった。
†
「……来た」
西に僅かばかりの残照を残す、黄昏時。夜の帳が辺りに降りるなか誰かがポツリと呟いた。
ジェイスは夜闇の向こうに、無数の松明が揺れるのを見た。僅かにラッケン村が高い位置にあるため、その分広く見渡せる。松明の灯りに照らし出されるゴブリンの歪んだ顔は、まるで獲物を前に舌舐めずりするかのように醜悪で――
「キングはいるか?」
「待て……ああ、いた。正面奥だ。一際でかい個体がいる」
柵の上に立った弓術師の言葉にジェイスは頷いた。
僅かな猶予の中で、アリアが中心となって立てた作戦は簡潔なものだった。
ジェイスを含む冒険者たち十五人が攻撃。ラッケン村自警団及び戦える村人たちが防御と支援。
村の外周には畑を護る為の柵が立てられている。それの内外で配置し、完全に役割を分担したのだ。つまり、冒険者たちはたった十五人で六百の軍勢に突撃しなければならない。
一見冒険者たちを見殺しにするかの様な作戦であり、実際自警団の方から、この作戦を立案したアリアに対して避難が上がった。だが、当の冒険者たちは苦笑いながらもこの作戦が現状取り得る中で最善かつ、最も『依頼の達成確率が高い』であろうことを理解していた。
今回受けた緊急依頼は、ラッケン村の防衛である。
仮に籠城を選択したとして、最寄りの街から援軍が来るまで早くて三日。それまでこのお粗末な柵を頼りに立て籠もるなど、無謀とすら言えない愚策だ。村を護りたければ、最初からゴブリンの大軍を追い返さなければならないのである。
それでも食い下がる自警団の男に、商隊護衛のリーダーであったボンクという剣士が肩を叩いて笑って言った。
「俺たちの為に怒ってくれてありがとよ。だが緊急依頼なんて大概こんなもんさ。一人でドラゴンを退治しろと言われないだけまだマシかも知れん」
緊急依頼は今回のように、村や街単位での危険に対して発令されることが多い。そしてその解決のために冒険者の命は勘定に入っている。
つまり、戦って死ねというわけだ。
だから緊急依頼の成功報酬は高額となる。領主や王国の、治安維持費として税によって賄われるからであり、今回もまたその例に漏れる事は無い。そしてその高額の報酬のために、命の危険を冒すのが冒険者という生き方なのだ。
「……申し訳ございません、冒険者の方々。あなた方に、この村の命運を託します」
策の向こうから、アリアが沈痛な面持ちで呟いた。
チラリとその姿を見たジェイスは、おや? と思った。いつの間にか、アリアは腰に武骨な、飾り気のない一本の剣を帯びていたからだ。
勇者シンと旅を共にしていたのだから、アリアがそれなりに剣を使えたとしても不思議ではないが――手にしている純白の杖が帯びる魔力を見れば、それが精霊魔術師であるらしい彼女の主武器であったのだろうと想像がつく。となれば、今度は逆に、何の魔力も感じられない剣の違和感が際立つようにジェイスには思えた。不釣り合いだし、不要ではないか、と。
刃物としてならばともかく、魔力を帯びた魔杖ならば強度的にも近接武器として、そこらの鈍らよりよっぽど頼りになる。そして後衛とは言えアリアのような出自の者が、杖術の心得がないとは考えにくいのだ。
そんなジェイス疑問を余所に隣にいたボンクが、アリアの言葉を鼻で笑った。
「えーっと、アンリとか言ったっけアンタ。まぁ、気にスンな。あんたは作戦を立てた。俺たちはそれに乗った。でもって支援魔法も掛けてもらえる。充分だろ、それで」
「ですが……」
「それでも気にするってんなら、あんた、あとでおっぱい揉ませてくれ」
「なっ!?」
突然のセクハラ発言に、アリアは顔を真っ赤にした。
身を掻き抱いて後ろに下がったアリアに男は笑いかける。
「俺ゃアンタくらいの歳のオンナが好みなんだ。ダンナさんにゃだまっておくから、な? ちょっとだけ、な? たのむ! 揉むだけ、揉むだけだから!」
手を合わせて頭を下げるその様子に、周りの冒険者たちが笑った。ジェイスも釣られて苦笑する。どこかで聞いたことのある言葉――死地に置いてこそ笑え、それで生を拾える。ボンクの滑稽な冗談は、皆の肩の力を抜く役に立っていた。
「はいはい、冗談はそこまで! そろそろ始めるよ!」
アリアの隣にいた女性魔術師が、手を叩いて言った。それで、空気が引き締まる。
そして彼女とアリアがそれぞれ呪文の詠唱を始める。ジェイスもまた、深呼吸とともに剣を抜き放ち、いつでも動ける体勢となる。
ゴブリンを魔物の階梯で当てはめた時、一匹ならば下から三番目ほどの危険度だ。ある程度戦闘訓練を受けた初心者冒険者なら充分に戦える程度の。そして、居並ぶ冒険者たちは熟練である。それでも、六百の軍勢に十五人というのは些か以上に無謀な賭けではあった。
だから、攻撃組の作戦は、更に攻撃的な策を選ぶことになった。
六百の軍勢を、まともに相手しては勝てる筈もない。だから、軍を群に――烏合の衆にする必要がある。
まず、魔術師の彼女が爆撃系の上級魔術によって広範囲を攻撃する。同時にアリア――皆の前では元冒険者のアンリと名乗った彼女が、ジェイスと他二人に防御と攻撃の支援効果がある精霊魔術を可能な限り重ね掛けする。
そして遠距離攻撃のできる魔術師と弓術師たちが、部隊を率いているゴブリンリーダーや魔術を扱えるゴブリンメイジを中心に狙撃。残った十二人は爆撃で浮足立った敵軍正面から突撃。敵軍内部を蹂躙しつつ撹乱し、本命であるジェイスたち三人がキングを殺る。
軍は、一つの意思の元に結束しているからこそ恐ろしく、強大だ。
だがその意思であるキングを屠りさえすれば、そこにいるのは六百のゴブリンの軍勢ではなく、ゴブリン一体、それが六百、という形になる。それでも脅威であることには違いないが、危険度は大きく下がるのだ。
柵の向こうで、二人の呪文詠唱が終わり――閃光が夜闇を切り裂いた。
先頭を駆けていたゴブリンの頭を消し飛ばしたそれは、さらに奥へと数体のゴブリンの胴体を貫いて地面に着弾する。
着弾して、爆ぜた。
術者の全魔力を限界まで凝縮して放たれた魔術は、轟音と爆炎を撒き散らしその周辺に存在する全てを破壊し蹂躙する。何の備えも無いただのゴブリンに耐える事など不可能だ。
その一撃で、百を超えるゴブリンの命がこの世から消し飛んでいた。
そしてジェイスたちの身に、緑と黄色、そして赤の燐光が宿る。
アンリの精霊魔術によって、大地と風、そして炎の精霊の加護が一時的に齎されたのだ。
「いくぞぉぉぉぉッッ!!」
ボンクが叫ぶ。
雄叫びで応える十二の冒険者たちが、ゴブリンの軍へと突撃する。
次回 辺境の騎士 3/4 ゴプリンの王