追憶3
夕菜ちゃんのカップが明らかになるこの話
果たして夕菜ちゃんのカップは何カップなのか!?
そこには口をへの字に曲げていかにも不機嫌そうな様子で、夕菜が仁王立ちしていた。
しかし、俺が言葉を失ったのはそれが理由ではない。
──……そう、その夕菜が下着姿だったのだ。
上下花柄のそれは彼女の秘部を優しく包み隠している。
というものの、上の方はその機能を完全に果たせているわけではなく、男にはない確かな膨らみがその存在を誇張していた。
「えーえっとぉ……それを俺に見てほしかったのか? そ、それのデザインについてはよく分からないけど、とても似合っている……と思うぞ」
このまま正視してると色々まずいので、とりあえずそこから目を逸らして、思いつくことを言う。
しかしそれが気に食わなかったのか、夕菜は眉間にシワを寄せた。
無言の重圧──それが一層、彼女の不機嫌さをかきたたせているように思える。
「……とりあえず、早く服着てくれよ……。目のやり場に困るだろ……」
すると、それを聞いた夕菜の顔から先ほどまでの表現がすっ、と消えた。
それからゆっくりと下に視線を落とし──一喝。
「連くんのばかぁああああああ!!」
一瞬にして顔を真っ赤に染め上げ、勢いよくカーテンを閉める。
その声に反応してか、店内にいる何人かが憐れみの視線を俺の方に向けていた。
しばしの間、静寂がその場の空気を支配する。
やがて、興味をなくしたのか俺に向けられた視線は消え、再び辺りは喧騒に活気づき始めた。
「君、苦労してるわね」
「ええ、まあ」
突如声をかけられて、俺はそちらの方を向く。
そこには二十代くらいの女性が立っていた。黒髪のショートカット。またキチンと化粧をされており、端正な顔立ちである。
……女子大学生だろうか?
ふとそんな疑問を抱くが、 その女性に「篠川」と書かれたネームプレートが付いていることが分かると、なんだこの店の従業員の人か、と心の中で解決した。
「女の私が言うのもなんだけど彼氏ともなると、苦労がたえないでしょ?」
「……もう一度言ってもらっていいですか?」
「だから女の私が言うのもなんだけど彼氏ともなると、苦労がたえないでしょ?」
「あのー、一つ誤解が生じてるようなんですが」
「誤解? どこに」
「その、俺……彼氏じゃありません」
「えっ、彼氏じゃないんだ。じゃあ、あれ? 友達以上恋人未満って関係?」
「それも違うと思います。僕達、ただの幼馴染ですから」
「はい。っていうかそんなに食いつくところですか?」
「もちろんよ! 幼馴染なのにカレカノでもない、友達以上恋人未満でもない……。けど、さっきのあれを見るに……」
「ちょ、何を見てたんですか」「それを言わせるのー? 全く大胆な人ね。分かってるくせに」
「ならいいです」
「あっさり流さないでよ! 分かってるなんて馴れ馴れしいすぎますね、とか言ってくれたっていいじゃない」
「分かってるなんて馴れ馴れしい人ですね」
「冗談よ。言ってあげるわよー」
そして、篠川という女性は俺の近くまで来て耳元で囁く。
「君が彼女の下着姿を見ちゃったところ」
途端、先ほどの光景が鮮明にフラッシュバックし、何とも言えない気恥ずかしさを感じた。
「からかわないで下さい!」
「ごめんごめん。いやー君みたいな人を見るとついいじりたくなっちゃうのよねー。今みたいに仕事中でもね」
「それは店員としてどうかと思いますが」
「そう? こういう店員いた方がおもしろいと思うけど」
「絶対ないと思います」
「絶対は言いすぎよー。きっといるはずだわ、私のような店員を求めている客が」
「白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるみたいな言い方ですね……」
「あら、案外マセたことも言えるのね。言えないと思ってた」
篠川という女性は微笑混じりに驚きの声を上げる。
そして、一息置いて──
「にしても彼女、なかなかいい胸してたねー。ありゃCカップぐらいはあるはずだわ。私は……」と言い、彼女は自分の胸元に手を置く。
こんなことを口にしてしまったら確実にあれなんだが、膨らみはないに等しかった。
もしこれに効果音をつけるとしたら、パフッかチーンのどちらかである。
「ふふ、ははは。あの小娘のなんか早く絞んでしまえ」
殺気に満ちた声で、嘲笑するように吐き捨てる。
おそらくこれがこの人の本性なんだろうな、と思った。
少しして自分が本性を漏らしていることに気づいたのか、はっとして居直り、慌てて話題を切り替える。
「で、どうなのよ。君はそれを見て興奮したんでしょ? 興奮したのよね」
「そりゃあ、あんなの見たら興奮しますよ……」
『あらまだ思い出せないの?』
突然、篠川という女性の声音が変わった。先ほどよりさらに冷たく、重みのある声。
もし、その声に飲まれでもしたら確実に屈する。
目を瞑り、一度心を落ち着かせてから瞼をゆっくりと上げる。
──だが、その選択が間違いだった。
景色は、辺りから色が消え、モノクロになっている。
また、先ほどの静けさとは違う異様な空気が張りつめていた。
拳を握りしめると、俺の手は汗で滲んでいるらしい。
目の前に立っていたのは篠川という女性ではなく──仮面舞踏会で被るような仮面を纏った女性的であり、かつ男性的であるような中性的な人物が立っていた。
俺は、ゆっくりと口を開ける。
「…………何をだ?」
『惚けても無駄よ。あなたは知っているはず。私が言っている意味が。けど、あなたは敢えてそれから目を逸らそうとする』
そこで一旦間をとって、更に続ける。
『ここがいつのことか分かるかしら? あなたはその日、古谷夕菜と一緒に出かけた。一般世間で言われているデートってやつね。そう、あなたが今しているデートと全く同じのをあなたは一度経験している。所々で思い当たる節はなかったの?』
「…………」
俺は下唇を噛み締めた。
こいつの言っていることは正論だ。
これが夢である以上、俺と何らかの関係があることは間違いない。ましてやこんなリアルな夢であるならば……。
『しらを切るか。まあ、いい。私から言おう、ここは一年前の七月よ』
「一年前だと……」
記憶を探るが、何も思い当たる節がなかった。
しかも、そうしようとすると頭に凄まじいまでの痛みが走る。まるで思い出そうとすることを拒むかのように──。
「だめだ。思い出せない……」
『そうか。じゃあこれから彼女と映画を見るということも?』「映画……?」
『ええ』
「その映画に何か俺と関係でもあるのか」
『直接的には関係しないわ。ただ、トリガーになるだけ』
トリガーって何のだよ、と言おうとするが、声が出なかった。
途端に瞼が重くなってくる。 ここで終わりなのか、何も知らないでこの夢が終わってしまうのか……。ふざけるなよ。あまりにもヒドい終わらせ方すぎるだろ。
ああ、そうか。夢の起承転結の転はいつだって唐突で、理不尽にも強引に結へと持っていく。
本当に夢という脚本は最高の駄作だ。
終わり……何も知らないで夢が終わる。そして始まる夕菜のいない日々。
あまりにも残酷な形で俺の日常は崩壊してしまった。
そんな中身のない日々に変わるくらいなら俺は望まない、いらない。
だったら今までの日常でよかったじゃないか!
その時、脳裏であの声が再生される。
『あなたは選ばれた人です。あなたには力があります。とてつもない大きな力が……。そう、それは…………』
俺は「選ばれた人」、「力がある」、その二言を反芻した。
どことなくそれだけで晴れ晴れとした心持ちになる。
そして、そんな俺の気持ちを後押しするかのように両肩にポンと手が置かれた。それと同時に、暗転しかけていた俺の視界は一気に色彩に満ち溢れたものへと変貌する。
背後を振り返ると、そこには今度はちゃんと試着した夕菜が立っていた。 上は白の半袖ワイシャツに薄緑のサマーニットを羽織っており、下は黒を基調とした白の水玉が入ったスカート──それらによって夕菜の可愛さが一層引き立つ。
俺はその姿にしばし目を奪われていた。
ちなみにサマーニットに関して、俺はその存在も名前すら知らなかったのが、こうして見ると悪くない。
「……どう?」
俺から目を逸らしながら、ほのかに頬を赤らめて聞いてくる。試着した姿を見せるのは俺であっても恥ずかしいのだろう。
「うん、とっても似合ってる」
そう感想を述べてやると、パァーっと夕菜の顔が明るくなる。
「嬉しい……。ありがと」
お礼を言って、夕菜はまた試着室へと戻って行った。