別室にて
何度か新聞で見たことのある王子。
ヴォルフヴァルトの貴公子なんて見出しを付けられるほどの美丈夫だ。比べて自分は田舎出身のただの家庭教師。身なりに気をつけているつもりだが、洗練されていることは決して無い。釣り合うはずがない。
貴族や、他の国に王子と結婚したい美しいお姫様がたくさんいるだろうに。いくらしきたりとは言え、なぜ国王はあんなにも頑なになるのだろうか。
「…。」
知らずため息を漏らすと、ヘレナがそっと紅茶のおかわりを注いでくれた。
「ありがとうございます。」
ヘレナは下がった目尻をもっと下げて、不敵な笑みを漏らした。
「んふ。」
そしてユーノをちょいちょいと手招きして立ち上がらせ、音を立てないように部屋のドアを開けた。
「どこ、行くんですか?」
そうっと歩くので掛ける声も自然と小さくなる。
薄暗い廊下を歩いて大きな黒いドアの前にたどり着いた。ヘレナは不敵な笑みを浮かべたまま口に人差し指を当てて静かにするように示してからドアをほんの少しだけ開ける。
扉の向こう側には落ち着いた雰囲気の応接間が広がっており、そこで会話する国王が見えた。扉のすぐ傍にレイブンの背中があり、あまり詳しくは見て取れなかったが、耳をすませると国王とその相手の会話が少しずつ聞き取れる。
国王は孫―クローネを自分の傍まで呼んだ。クローネは姿勢良く国王の傍に控えると真っ直ぐに進言した。
「陛下。以前にも申し上げましたが、わたしには今、結婚をする意思はありません。陛下や父がたとえどんな方を連れてこようとも、私の意志は変わりません。」
金色と灰色が混じった長い髪を一つに束ね、瑠璃色の膝まである上着を纏った体はすらりとしていて、お伽話の王子様とは正に彼のことを言うのだろうとユーノは思ってしまった。
「彼女は貴族出身ではないのでしょう?いくらリンデに選ばれたと言っても、彼女の生活や精神に負担をかけさせてしまうのではないですか?」
「それならば、一時の猶予を授けようじゃないか。彼女にはこの王宮でヴォルフラウ、王家の妻となるにふさわしい教育を受けてもらう。そしてその後もう一度、他の諸外国の姫君と共にリンデに改めて選んでもらえばよい。」
「陛下…。」
クローネはなんとか引き下がろうとしたが無駄に終わった。
「しかしお前の二十二の誕生日までには婚約の儀をせねばな。」
「…もうすぐじゃないですか!」
非難の声を上げるクローネに国王はついに張り詰めた表情を崩し、弱気な老人のその顔に変わってしまう。
「ひ孫の顔を見るまで…は無謀かもしれないがな、せめて、お前が妻を娶って、幸せにしているところを見たいんだよ…。」
「…陛下…?」
寂しげな顔で国王は自分の膝を撫でる。
「陛下、何故言ってくださらなかったのですか。」
感慨深げに毛布を撫でる国王にクローネが辛そうに呟く。
「…クローネ、この老いぼれの最後の願いと思って、聞いてはくれないか。もしも、リンデが彼女以外の女性を選んだのなら、…そのときはお前の好きにすれば良いから…。」
王子はくっと歯を食いしばっていた。
「分かりました。では、私からも条件です。」
「その方と婚約の儀は行います。陛下のお望みのように。ですが一年です。…彼女も望む結婚ではないでしょう。一年後、選定の時に選ばれなければ何事もなかったように彼女が自分の町に戻れるように、この婚約の儀は内密に行うことにしていただきます。それで構いませんね?」
「分かった。そのようにしよう。」
「一年たったら、私の好きにさせてもらいますよ。」