選定狼
結局もみくちゃのまま、身だしなみもあったものじゃない格好で、国王と対峙することになってしまった。
こうなると分かっていたら、大人しくメイド三人のいう事を聞いておけばよかったと後悔しても遅いのだけど。
花柄の4人掛けソファに座らされる。国王は正面。傍らにはリンデが丸くなっている。
「この…リンデを見つけてくれたそうだね?」
威厳はあるが、どこか優しくて安心感のある声だった。ほんの少しだけおじいちゃんの喋り方に似ているからそう思ったのかもしれない。
「は、はい。…公園で、一匹で歩いていたので、迷子なのかな、と思いました。」
「そうか。」
国王はふむとうなづいてリンデの頭をなでる。リンデは丸まっていた体をうーんと伸ばしてのそのそとユーノの元にやってきた。ユーノが耳の後ろを掻いてあげると気持ち良さそうに首をかしげた。
「リンデは雄なんだが、何故か女の子が苦手でなぁ。」
「そうなんですか?珍しいですね。」
思わず安心してしまったからか、国王に対する喋り方ではなくなってしまったが、国王は気にせず話をすすめた。
「我が王家には古いしきたりがあってな…。」
「はい…?」
廊下からカートが押され、紅茶のいい匂いが部屋に漂う。サービスしているのはヘレナだ。リンデはヘレナが近くを通っていくのをぐるぐると威嚇していた。
「国王の妻となるものは、狼が選ぶのだ。」
「おおかみ…。」
ユーノはリンデをじっと見た。犬…だと思っていたけど、犬より耳が小さく、首周りが逞しい。
まさか…。
「ワシの妻も、息子の妻も、彼や彼の先代が選んできた。…ただ、ワシらの時は花嫁候補を一同に会して選んでもらったのだがな。」
冗談のような話が国王の口から漏れている。
「狼に選ばれた娘を我々は『狼の妻』―ヴォルフラウ―と呼んでおる。」
リンデはじっとユーノの顔を見ていた。瞳孔が小さく、鋭さがある瞳は正に狼だ。
「お嬢さん。貴女はワシの孫、クローネの花嫁に選ばれた。」
「…え、」
聞きたくないからなのか、国王の声が低く重たかったからなのか、国王の言葉が良く聞こえなくて、ユーノはおそるおそる聞き返した。
「あなたが先日公園で出会ったリンデはヴォルフラウを選定するための狼、いままで彼が懐いたのはあなたと、クローネの母だけだよ。」
「そんな、わたしが…まさか…。」
驚愕といっていいほどの衝撃がユーノを襲った。
だって、今まで結婚なんて考えたこともなかった。
おじいちゃんの本屋を手伝って、家庭教師としてずっとあの町で、生活していくものだと思っていた。
「なにかの間違いじゃないですか?…あの、おなかが空いているみたいだったから、わたし、リンデにソーセージをあげてしまったんです。」
だからリンデに気に入られたのだといいわけめいた事を話すと国王は目を見開いた。
「そうか…。あなたの手から食べたのですか。」
「…はい。」
国王は目を細めて満足そうにうなずいた。
「そうか、そうか。あなたは本物のヴォルフラウのようだな。」
どれだけ食い下がっても国王は譲るつもりはなさそうだ。
「陛下。」
意を決して声を発したがずいぶん小さな声になり、掠れていた。
「なにかね。お嬢さん」
「ヴォルフラウのこと…よく分かりました。でも、やっぱり、私には無理です…。」
俯いたまま国王の顔を恐る恐る見上げると、国王は目を少し大きくしていた。
「どうして、そう思うのかな?」
「…わたし、産まれたときからあの町を出たこともない田舎者です。もしも…もしも、王子のお嫁さんになったって、みんな納得しません。」
国王は深く呼吸をしてソファに背を預けた。静かな時間が過ぎていく。
「きっと、陛下や王子に不愉快な思いをさせます。どうか考え直して、ちゃんと由緒のあるお嬢様を探すべきだと思います。」
「ふむ。」
国王は長い年月を重ねた皺だらけの頬を撫でながら思案しているようだった。
やがて国王は深いため息のような呼吸から急に咳き込み始めた。
「へ、陛下!」
「……、すまない。…大丈夫だ…。」
駆け寄り、背をさするユーノを静止するが、国王の眉間は赤くなるほど皺が寄り、苦しいのだと伝えていた。呼吸を沈めるように、さする動きを強くゆっくりと変える。しばらくそうしていると落ち着いたのか、ため息を吐いてソファに沈んだ。
「陛下、恐れ入りますが、肺と…背骨をを患って…?」
撫ぜた背中の骨がいびつに歪んでいる所があった。背骨と肋骨がゆがんで呼吸がし辛くなっているように見えた。ユーノは部屋にあったひざ掛けを国王に纏わせた。
「…冷えると咳が酷くなります。特に関節は冷やさないほうが…。」
毛布を掛けたその背中はおじいちゃんと同じ老いた人の背中でユーノは知らずその背中をさすり続けていた。
「…よく知っておいでだね。」
そう言ってユーノの顔を見る瞳は穏やかだった。
「おばあちゃん…わたしの祖母が長いこと、陛下と同じような症状を患っていました。家事や仕事に追われてずいぶん無理をしてしまって、わたしが学校を卒業するまで持ちませんでした。」
母はユーノを産んで早くに亡くなっていて、ユーノはおばあちゃん子だった。祖母が病に臥してからは家のことはほとんどユーノがやってきた。
「そうか…」
遠くを眺めて思案に耽る姿はおじいちゃんや死んだおばあちゃんを思い出させた。
「ワシもな…、ひ孫まで、とは言わないがな…。せめて孫の幸せな姿を見てから…と思っているのだよ…。」
そうですか、と相槌を打ったつもりだったが、声は掠れて聞こえなかった。
そこにレイブンが静かに国王の背後に来て耳うちをした。
「…お嬢さん、すまないがもう暫くここに居ていただいて良いかな?」
「…はい。」
国王はそういうとレイブンとリンデを連れて部屋を後にした。
納得してもらったのか分からない。あの様子だと国王はまだユーノを王子の伴侶にすることを諦めているとは思えなかった。
暫くここにいて―と言っていたがどれくらいになるのか。一時間とかではなさそうだ。どちらにしろ馬車を手配してもらわなければここから家に帰ることも出来ないのだ。