懊悩
その怒りの瞳がクローネに対する恋心で燃えているのだと感じた。
もしかしたら彼女が、クローネが『嘘をつきたくない人』なのかもしれない。
ユーノは急いでスカートをつまんで礼を取る。
「ご挨拶が、遅くなりました。」
目線を下げたままで続ける
「私、クローネ殿下の家庭教師を務めさせていただいております、ユーノ・ブラガと申します。」
ヘンリエッタは形のいい眉を上げる
「まあ、家庭教師?あなたが?」
驚いているようだ、無理もない。産まれてからずっとクローネにはたくさんの教師が付いている。今更ユーノのような若い娘に教えてもらうことなど何もないのだ。
ユーノの姿を上から下まで眺めてヘンリエッタは眉を顰める
「はい、殿下は私たち民の生活にとても興味をお持ちで、私は庶民の生活や、民間の大学で学んだことなどをお話しさせて頂いております。」
礼の姿勢をとったまま動かない。本来であるならば身分が上であるヘンリエッタからの許可がない限り礼を取り続けなければいけないのだ。普段城で身分の差を感じさせないおおらかな過ごし方をしているので、すっかり忘れてしまっていた。
わたしは彼らに礼を取らなければいけない身分だった。ヘンリエッタの冷たい視線を受けながら思う。
「…まあ、いいわ。お兄様はお勉強がお好きですものね?あなたも立場をわきまえて、皆様にご迷惑をかけないように。」
「はい。かしこまりました。」
立場をわきまえて、という言葉を強調していたように感じながら目を伏せてもう一度深く礼をして、馬車の積み荷の最終確認をしているケニス達を手伝うために表に出ようとすると、手を取られた。
「ユーノ。」
クローネが手首を握っていた。
まるで、捻り上げられるのではないかと思うぐらいに力を込めていて、ユーノは痛みに顔を顰める
「殿下。…離してください。」
掴まれた手首を見ながらユーノは言った。目を上げられない。
「どうして、あんなことを言ったんだ。」
クローネは言葉を絞り出した。何故、それはこちらの台詞だ。どうして彼がそんな事を言うのかユーノは分からなくなった
「だって、違わないでしょう。私は、殿下の家庭教師です。」
手首の拘束が緩んだので、ユーノは手首を庇うように引っ込めると、クローネはショックを受けたように立ちすくんでいた。
「貴方が、そう言ったんです。」
背を向けて外で待機している馬車へ逃げ込む。
掴まれた手首が灼けるようだ。
どうして貴方が苦しそうな顔をするの?
苦しいのはわたしの方なのに。
慌ただしく乗り込んだ馬車はケニスとエド、ユーノが乗ったものと、医師が乗ったものに分かれた。クローネは白馬に乗り、馬車と並走する。ケニス達とクローネはまず薬草園に寄り、視察とその後地滑りの被害が多い集落に送る薬草の調達を行う予定だ。
「こちらでございます。」
土いじりなどした事がなさそうな職員に案内された国内最大と呼ばれた薬草園だったが、広さから考えると、ずいぶん殺風景に感じられた。
生えている薬草たちの生育はまばらだしそれぞれに元気がないように見えた。ケニスの温室で育っている物の方がはるかに活き活きしている。
これも地滑りの影響と言われればそれまでなのだが、クローネはなぜか違和感を感じていた。
しばらく薬草や土のサンプルを採取すると言ったケニスを置いてユーノたちは馬車が待機している場所まで戻ることにする。
「ユーノ、足元が滑りやすいから、気を付けて。」
突き放す言い方をしたのに、彼は今までと変わらず優しくしてくれる。
『ユーノを困らせない』と決めたからなのだろう。それでも差し出された手を素直に取れなくて、ユーノはその手に気づかないふりをして先を歩いた。
「ユーノ!」
みしりという音がしたかと思った瞬間ユーノの体に衝撃が走った。




