北の城
ジョシュアが伝達役を買って出てくれていたので、翌日の朝には侯爵領で待機していた護衛の騎士が迎えに来てくれ、一行は一度リヒテンシュタイン城へ向かうことになった。
前日の夜、老夫婦が話していたように、馬車の窓から見えるのは倒れた木々と、岩肌が丸見えになった山裾だった。
薬草が植えられていたはずの畑も崩れてその上に先日降った雪が積もっている。
倒れている木々は背の高いものが目立ち、2年前の地すべりがあった後に行った植樹の跡が見えなかった。
地すべりの被害の跡を横に見ながら、山を少し越えた所にあるリヒテンシュタイン城の門にたどり着いた。
北の国境に築城されたので、城というよりは砦に近い堅牢なつくりの建物で、門を越えると城まで向かう跳ね橋が下りてくる。
リヒテンシュタイン城に入城すると、広間にケニスをはじめ、医師や学者たちが被災地への出発の準備を済ませていた。彼らは昨日ジョシュアが来た時にユーノが行方不明になったことを聞いていたので、無事にユーノが見つかったのを喜んでくれた。
内装の豪華な広間から伸びた階段を下りてくる人影があり、ユーノは視線を上げた。
絹のような白金の髪に少し吊り上がった大きな藍色の瞳。肌は陶器のように白く滑らかで、まるで人形のように綺麗な少女が侍女を数人伴って階段を下りて来た。
美しさに驚いているユーノの前で、少女は優雅な足取りでクローネに近づいた。
「クローネお兄様!お久しぶりね!」
喋る声も可愛らしい、クローネを兄と呼ぶのだから親族なのだろう。
「ヘンリエッタ?大きくなったね。」
「ええ、もうすぐ十六歳になりますの。建国記念式典で社交界デビューするのよ!ダンスを一緒に踊ってくださいませね!」
ヘンリエッタと呼ばれた少女はは手を差し出してつんと顎を上げたので、クローネは恭しくその手の甲にキスをした。貴族の基本的な挨拶がクローネには何故だか白々しく感じた。
「お茶を用意しているの。お城の話をゆっくり聞きたいわ。」
奥の客間へ案内しようと右腕に手をかけようとしたヘンリエッタだったが、その手をクローネに遮られる。
「お誘いはありがたいけど…。医師や学者のみんなの準備が出来ているから、すぐにでも出ないと。」
「まあ…。お急ぎですの?」
眉を顰めながらヘンリエッタが聞いた。
「わたしは叔父に頼まれて慰問に来たんだよ。医者を必要としている村の人がいるんじゃないのかい?」
幼い子に言って聞かせるようにクローネが言うとヘンリエッタは渋々ながらクローネから離れる。
ヘンリエッタが侍女たちと遠巻きながらに見ているのを気にしつつ、クローネはケニスと一緒に植物のサンプルなどを採取するための器具が入っている鞄を確認した後、離れた所でエドと話をしているユーノに声をかけた。
「ユーノ」
声をかけた後、振り向くまでにほんの少し時間があったような気がしたが、ユーノはいつものように淡い笑顔で返事をした。
「はい。殿下。なんでしょう?」
「足の具合は大丈夫?」
ブーツの靴ひもはしっかり締めているし、朝出かけるときにも包帯はほどけないように巻いたが、多少足を引きずるような仕草が見えたので無理はさせてはいけないと思ったが。
「もしも酷かったら、ここで待っているかい?」
「いいえ。大丈夫です。…昨日よく冷やしましたし、薬も塗って頂いたので。」
「そうか…。でも無理はいけないよ。」
これから山を下りながら薬草園と地滑りの被害が深刻な集落を見て回る予定だ。
「足が痛くなったら、おぶってあげるからちゃんと言うんだよ。」
「で、殿下!」
昨日のおんぶを思い出したのか、顔を赤らめたユーノにクローネは笑った。
「お兄様。その方、どなたですの?」
クローネの背後から冷たいヘンリエッタの声が聞こえた。
ユーノはクローネの方向を見ていたので、彼女の怒りに燃えた藍色の瞳を見てしまった。




