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遠吠えと月

「!」


急に気配が刺さるような空気に変わった。


息を潜めてもたれていた木に隠れると、泉をはさんだ向こう岸に光るものが見えた。


やがてかすかに聞こえる葉が擦れる音と共に光は何倍にも増え、野生の狼の群れが現れた。


「…。」


ヴォルフラウと呼ばれてはいるものの、野生の狼にまで心を許してもらえるなどと楽観視は出来ない。現に呻る声は大きさを増すばかりだ。もしかして縄張りを荒らそうとしていると思われているのかもしれない。


この足では逃げることは難しい。どうにか諦めてもらうようにユーノはそこから一歩も動かないように努めた。


狼たちは動かないユーノを観察するようにぐるぐると呻りながらその場にいた。

先頭にいる狼は銀色。その一匹だけはこちらを怒りの表情で見ていた。



銀狼と対峙したままの長い時間は別の場所から聞こえた狼の遠吠えで終わりを告

げた。


群れの先頭にいた銀狼がその遠吠えに呼応した。

やがて群れ全体が遠吠えに答えたあと、一匹、一匹と森を後にした。


銀狼は遠吠えをした後も最後までユーノを見つめていたが、先ほどまで見せていた怒りの表情は消えていた。狼の怒りの理由もそれが無くなった訳も分からないまま狼は踵を返してユーノの前から去っていった。



(助かった…のかしら…?)


張り詰めた空気が溶けて、ユーノはため息と共にまた木にもたれかかった。

早くこの森を出なくてはいけないのに緊張が緩むと腰が抜けていることに気付いてしまった。


すでに日は落ちて周りは暗闇。痛む足を庇い立ち木に縋りながらなんとか立ち上がる。


「!」


また狼の遠吠えが聞こえた。今度はすごく近くで。


泉の対岸でなく、ユーノがいる側から聞こえた。もしかしたら先ほどの群れが回り道をしてこちらにやってきたのかもしれない。


ユーノは震える腕でそばに落ちていた枝を拾い、がさがさと今度は大きな音を立てながらやってくる狼たちを追い払おうと枝を握る手に力を入れた。


がさっ!


「!」


森の木々を縫って現れたのはユーノが見たことのある黒い色。

かわいらしい目のつやつやな毛並み。


「あ…、」

「ユーノっ!」


その狼の名を呼ぶ前にユーノは強く抱きしめられた。


周りは暗くて何も見えないけど、誰だか分かった。


たった数日離れただけでこんなにも焦がれていた腕と匂い。


「…っ。」


名前を呼びたかったけど、抱きしめる力が強くて、声が出せなかった。喉が熱くて視界がぼやけた。


「ごめん、来るのが…遅くなった。」

ユーノは首を横に振るが涙が堰を切って溢れ出した。


「ジョシュアが来た…城に戻って捜索隊を出すよりこちらのほうが近いだろうからと。」


とはいっても早馬で数時間はかかったとクローネは言った。同行するリンデの鼻のおかげで発見が早かったのだろう。


「こ、こわ、怖かっ…た。」


「…うん、」


しゃくりあげながら話すユーノの頬にクローネの吐息が落ちる。

「る、留守を…。待っていてって…。」

「うん。」


「暗くて、独りで…だ、誰も助け、に、来てくれない…って、」

目尻を流れる涙を袖口で拭い取られる。


「うん。」

「だって…だっ、て…おじいちゃんも、パパも…いないから」


涙がぽろぽろ零れてユーノが目を閉じるとクローネは彼女の頭を胸に抱きこみ痙攣する背中をそっと撫ぜてくれる。


「わたしがいるよ、ユーノ。」

背中をさすっていた手はまた強くユーノを抱いた。


「…でんか…?」

クローネは強くユーノの体を抱きしめたまま深く呼吸をした。


「無事で、よかった…」


心配をかけてしまったのか、抱かれたまま目を閉じると彼の震えと早鐘を打つ鼓動が聞こえる。


「ごめんなさい…。」


小さな声で謝ると、抱いた腕に力が入る。こめかみに押し当てられた温もりの正体は未だ溢れる涙でぼやけた視界では分からなかった。



傷めた足はショールをきつく巻いて固定した。リンデがこちらを気にしながら森を抜ける道を歩いている。


「怪我をさせてしまったね。…本当にごめん。」

「…いえ、それは、」

王子が言葉の続きを聞こうと振り向くと、鼻がくっつくほど近かった。


ユーノは必死で断ったのだがこれ以上足の怪我を悪化させてはいけないと強く言われ、クローネの背中にその身を預けていた。


「じゃ、じゃあ…あの遠吠えはリンデだったのね…。」


恥ずかしさをごまかすように話題を変えた。これ以上王子の顔が至近距離にあると分かったら卒倒してしまうと思ったので前を行くリンデに視線を移す。


森は徐々に林になり、下草をかき分けると山脈を望む草原に出た。馬が暴走した場所よりも山脈が近く見えるのでずいぶん北に進んでいたようだ。


森を出た所は小さな花々が群れた花畑のようだった。花畑の真ん中にはクローネの乗る白馬が草を食みながら待っていた。


星が瞬く夜でなければ、もっとはっきりと見えるのだろうが、花は一様に白く映った。それでも空には満天の星、足元にも白く小さな花が瞬くように咲いているのを見ると、ユーノは思わずその風景に見とれた。


「セルヴィナだ…。」

「きれい…。」


感嘆のため息をもらすと、王子が振り返る。

「今度は、昼に見に来よう。…わたしが案内するよ。」

「…はい。」

頬が赤くなったのは暗いから分からないはず。とはにかんで笑う。


「心配だからユーノは私の馬に乗るんだよ。今後は乗馬も禁止。」

「そんな…大げさです!」


「ダメ。」

小言めいたことを言いながらもユーノを見るクローネはどこか満足そうだった。


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