掌
翌日の早朝、クローネは数人の護衛の騎士、薬草園の視察にケニス、そしてリンデとエドを供に付けて出発の準備をしていた。
先日降っていた雪が止んでから気温は上がっている。しばらく雪は降りそうにはないが雪が溶けるとまた地すべりの被害が拡大するかもしれない。
ケニスと他数名の医師は馬車に乗り、クローネはしばらく愛馬にまたがって旅をする。旅慣れていないケニス達のことを考えて二日がかりで侯爵領に入る予定だ。
馬上のクローネをユーノは遠くから見ていた。
彼のヴォルフラウだと言われているが、一時的なものだと、こうして出発する彼をどういう気持ちで送り出してあげればいいのかユーノは迷っていた。
自分の部屋で待っていようかと思ったが、仮にも彼の妻が見送りに行かないなんて、と部屋を飛び出したが彼の周りを囲む見送りの人の輪には入れずそっと見ていることしかできなかった。
馬上のクローネは父王と話をした後馬車の御者に命令を下し、馬車と護衛の騎士を先に出発させた。背筋を伸ばしたまま手綱を捌く。そして周りの見送りに挨拶をした後でユーノをまっすぐに見た
「!」
「ユーノ!」
迷いなくこちらに馬を進めるクローネに、ユーノも思わず一歩前へ出て彼を迎えた
「殿下…。」
差し出されたクローネの掌にユーノがおずおずと手を置くとゆっくりとした動作で握られて鼓動が跳ねる。
「ユーノ、昨日の言葉をもう一度言ってくれないか。」
昨日の言葉
「…お帰りを、待っています。」
「うん、…行ってきます。」
彼の掌がユーノの指先をなぞる様に離れていった。
わずかに残った手の感触を胸に抱くようにしてユーノは彼の背中を見送った。
「お気をつけて…殿下。」
あと数か月もすれば傍にいることはできなくなる人なのだ。
ほんの数日離れるのでもこんなに寂しいと思っていては、その日がやってきた時自分はどうなってしまうのか。
彼の後姿がかすんで見えなくなってしまうまでユーノはそこに立ち続けていた。
王子が侯爵領へ出発して二日目。そろそろリヒテンシュタインの城に着いた頃だろうか。ユーノは侯爵領の地図や前回起きた地すべりの報告書などをずっと眺めている。
地すべりは侯爵領城の西側に集中している。
山脈から続く岩の台地が森の木々の根が伸びるのを阻んでしまいなかなか深くまで根付くことができていなかったようだ。
薬草園を営む集落の近くであることが心配だ。だからこそ落ち込む集落の人々への慰問として王子が赴くことになったのだが。
「ユーノ様、その辺で休憩なさってはいかがです?」
ヘレナがユーノの前に紅茶を差し出し、シェールは手元に置いてある資料をさっと片づける。
「ありがとう、もう、こんな時間なのね…。」
気付けば昼を少し過ぎているようだった。思わずため息が出る。
「なんだか、静かですわね。」
「…そうね。」
来客を知らせるノックがあっても、彼ではないのがわかっているから、気持ちは思った以上に沈んでいた。




