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無邪気な台風

公務室にはクローネとユーノがいた。


クローネの主な公務は各地方から送られてくる報告書類のチェックとその整理である。

それぞれの地方での農作物の収穫量、納税額、などなど。乱雑に送られてくるその書類をきちんと項目や地方に分けて整理と集計をして、父王と国王に提出しなければならない。地味だが結構骨の折れる仕事だ。

しかも秋の収穫が今年は豊作だったため、貯蔵庫の建設申請の書類やらもひっきりなしに届いてきてクローネ独りでは報告書を処理しきれないところもあった。レイブンも手伝ってくれるが、最終的な確認などは王子であるクローネか王族のものがしなければならず、処理するのもたいへんだ。

ユーノは書類の整理くらいなら手伝えるからと仕事を買って出た。祖父の本屋で働いていたのでこういった書類を振り分けたり、まとめたりするのは得意だった。


クローネは秋の収穫をようやくすべて確認して書類の束をユーノに渡す。


「これでおしまいですか?」

封筒に入れた書類を箱に詰めながらユーノがクローネに尋ねると、クローネは背伸びをして首を何度か回した。


「ああ、これでひと段落ついたよ。」


「お疲れさまでした。」

最近はクローネの美しい顔がこちらを見てもあまり緊張しなくなった。とユーノは思う。微笑みながら見つめあう。


「手伝ってくれて助かったよ。ありがとうユーノ。」

「いいえ!そんな…。」

緊張しなくなったとはいってもやっぱり彼の笑顔はユーノの頬を染めるのに充分な威力だった。


「資料のまとめ方もきちんとしてるし、ほんとに助かった。ジョシュアに頼むと適当に突っ込まれるから後で開ける事があるとすごく困るんだ。」

それからクローネは細かなことまで褒めるものだからユーノはこの場から逃げ出したくなった


「そうだ、わたし、ケニス先生にお茶を貰ってきます。」

いい事を思いついたふりをして手のひらを胸の前に合わせる。この前貰ったセルヴィナの花が切れていたことは本当だし、小走りで公務室を飛び出した。


クローネは中庭を走る控えめな色のドレスを眩しそうに見て苦笑する。


「別に、恥ずかしがらせたいわけじゃないんだけどな…。」

はにかんだ顔も赤く染まった頬も嫌いじゃないけど

クローネは彼女の笑った顔がもっと見たかった。



中庭の温室に入ったユーノだったがそこにケニス先生はいなかった。

「珍しいわ。お留守なんて。」

いつもは薬草類が育てられる温室にいるはずなのだが、ケニス先生を探して奥の植物園に入る。

中に入ると、周りがガラス張りで太陽熱を上手く蓄えられるようになっていて、ずいぶん肌寒くなったこの時期でも暖かかった。ピンクや黄色のバラが花を咲かせていて、温室中に甘い香りが満ちていた。


「先生?」

一層バラが咲き誇った奥のほうに人影を見たので声をかけたが、顔を上げたのはユーノが見たことのないご夫人だった。


「あら?」

鈴が転がるような声だと思った。

「あ…ごめんなさい。先生かと。」


ご夫人は男の人が馬に乗るときのようなズボンに乗馬ブーツを履いていた。襟のある上着にチェックのスカーフを巻いている。


「ケニス?ああ、さっきわたくしが帰ってきたので慌ててみんなを呼びに行ったのよ。」

「そうなんですか?」

ケニス先生の知り合いなのだろうかと思っているとご夫人はユーノの顔をじっと近くで見ていた。


「…あの?」

「まあまあ、あなたとっても可愛い顔ねえ。」

そう言ってご夫人はユーノの顔を両手で挟んで自分の顔を近づける。

「あ、あの?奥様?」

「メイド、ではないわよねえ。その鳶色のドレス素敵よ。でもわたくしあなたにはもっと華やかな色も似合うと思うのだけれど…そうねえ。黄色と珊瑚色の小花柄のドレスがいいわねえ。」

そう言って傍らのピンクのバラを摘んでユーノの髪に挿した。


「髪の毛ももっと巻いてみたらどうかしら。」

「…奥様?」

ヘレナより強引に衣装を決められている気がして慌てて止める。

「まあ。奥様だなんて。わたくしのことはミセス・ローゼリアでいいわよ。」

「は、はい…。ミセス・ローゼリア。」

ためらいがちに笑うとミセス・ローゼリアは満足そうに満面の笑みをこぼした。


「それで?あなたはなんというお名前なのかしら…?」

「はい、ユーノ・ブラガと申します。」

膝を曲げて軽くお辞儀をするとミセス・ローゼリアは考え事をするようにあごに手を添える。


「ユーノ。…ユーノね。とってもいい名前だわ。かわいらしくって。…でもそうねえ、もっと可憐で神秘的な名前も捨てがたいわね。クラウディアとかどうかしら?」

「ええと…?」

「ああ、そうなったら善は急げね。」

そういってミセス・ローゼリアはユーノの手を取って王宮の中をずんずん歩いていった。



ミセス・ローゼリアに引きずられてやってきたのは広い部屋。

天井には見事なシャンデリアが並んで、壁も大理石と金の装飾に天使のフレスコ画が描かれた豪奢な舞踏会をするときに使われる部屋だった。


今は昼間だし、背の高い窓も薄いレースのカーテンが引かれており、煌びやかというよりは落ち着いた明るさが部屋を満たしていた。

いつものメイド3人組とは違う年嵩のいったメイドに無理やり着替えさせられ、ユーノは舞踏会の間に置いていかれた。


「こっちよ、ユーノさん。」

ミセス・ローゼリアが窓辺に置かれていたピアノに腰掛けていた。ユーノが深く開いた襟ぐりを気にしながら近づくとぐるぐる周りを回りながら眺めてうんうんうなずいた。


ミセス・ローゼリアの宣言どおりに、黄色と珊瑚色のバラや沈丁花がプリントされた小花柄のドレスを身に纏った。袖はかわいらしくバルーンになっているがユーノには信じられないほど襟が開いていて、鎖骨はもちろん、肩や胸元まで見えるほどだった。首に珊瑚のチャームがついたリボンを結んでいたが、あまりに細いリボンで胸元を隠す機能はない。髪も注文どおりに巻き髪を作って高い位置で留めバラの花で飾り立ててある。


促されるままにピアノに向かって座ると

「まあ素敵!理想どおりだわ!」

とミセス・ローゼリアは拍手をしてはしゃいだ。


「ねえ、ユーノ。ピアノは弾けるかしら?」

まるで少女のように瞳を輝かせて聞いてくるのでユーノも家庭教師の生徒に対するような気持ちになった。


「はい。簡単なものなら弾けますよ。」

「弾いてみてくれないかしら?わたくし、ピアノはとっても好きなのだけどまったく上手じゃないのよ。」

傍らに肘をついて眺めるミセス・ローゼリアを微笑ましく思いながら、「子猫のワルツ」を弾いた。

「だめよ、もっと…そうね、『風のエチュード』とかは?」

「…思い出しながらなら…。」



ゆっくりとしたリズムの趣のあるメロディがピアノから流れる。


秋の季節に枯葉が落ちるようにはらはらと触れては離れる恋心を歌った曲だ。

一音ずつ思いだしながら弾くと何故かクローネを思い浮かべていた。

枯葉の落ちる木の下で初めて話をして、二人でどんぐりを拾った。

婚約の儀、長い赤絨毯と白い衣装の彼。

花のお茶を飲んでほっとしたり

彼の優しさが風に舞い落ちる落ち葉のようにユーノの心に降り積もっていく。


曲はクライマックスへ向かう。

作者の心は恋慕で満ち溢れて、愛しい女性の下へ流れていく。

女性は落ち葉の積もる約束の場所で待っていて、作者の心は喜びで輝く。



最後の音を鳴らすと、ユーノはほっとため息をついた。



こんなに感情を込めてピアノを弾いたことがなくて、恥ずかしくて頬に手を当てると少し熱かった。

気付くとミセス・ローゼリアがいなかった。夢中で弾いている内に何処かへ行ってしまったのだろうか。誰も居なくなった広間でユーノは辺りを見回す。たった一人だったのかと思うと余計に恥ずかしくなる。

しかし、見渡した広いフロアの真ん中にクローネがいた。


彼にしては珍しくぼんやりとユーノを見たまま佇んでいる。

「殿下…。」


立ち上がってみたものの、露出した肌が急に恥ずかしくなってお互いに距離をおいたまま見つめ合っているしかなかった


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