花びら
目を覚ますともう日が昇っていた。
たしかソファに横になっていたはずなのに、ベッドの真ん中に寝ていた。
「…?」
「ユーノ様、起きられましたか?」
シェールがワゴンを押しながらやってきた。焼きたてのパンの匂いがユーノの空腹を知らせる。そういえば夕食をとらずに眠っていた。
「腫れが引きましたね。よかったです。」
「ありがとう、シェール。」
お礼を言うとシェールは首をかしげる。
「シェールじゃないの?昨日、これを水に濡らしてくれたでしょう?」
シェールは苦笑した。それからヘレナみたいにちょっとイジワルな顔をして言った。
「夫婦でお休みになってるところに無闇に入るわけないじゃありませんか?寝室に入れるのはユーノ様以外にはお一人だけだと思いますけど?」
「…」
考えれば分かることなのに考えなかった。というかそうじゃないと思いたかったからなのか、またも首まで真っ赤になる。
「…ゆで蟹…。」
思わずヘレナ命名のあだ名をつぶやいてシェールは我慢し切れなくて噴き出した。
「…シェール!」
恥ずかしすぎてシェールを叱ってみてもその様がまた可愛く見えたようでシェールは腹を抱える。
「もう…知りません…!」
「…すみません、起こらないで下さいな。あんまり可愛らしかったものでつい。」
そっぽを向いたユーノに朝食を差し出してシェールはご機嫌を取った。
「可愛らしいって…。もう。」
同い年のシェールに言われるとなんだか自分がとても子供じみているみたいでいたたまれない。
シェールはくすくす笑ってユーノに紅茶を淹れた。
仮にであれクローネの妻であると王宮の者たちに認識されて、ユーノは一層忙しい生活を送っていた。
クローネや父王、国王と共に公務の手伝いや付き添いをしたり、空いた時間はケニス先生やレイブンの指導の下政治・歴史・薬学・医学などの勉学をこなした。
「ユーノさま。」
「エド、久しぶり!」
ヴォルフヴァルトに狼の生態調査に出かけていたエドが戻ってきた。ユーノは嬉しくなってエドを抱きしめた。
「わ、ユーノさま?」
「怪我はなかった?狼は増えたの?」
伐採と数年前の大雨の影響で地すべりが続き、ここ何年かは狼の数が減少傾向にある。国を挙げて森に住む狼を保護しているここでは、毎年森に入り具体的な群れや個体数の確認を行っている。
「怪我は、大丈夫です。擦り傷くらいですよ。狼はまだ現状維持ですね。でも大人の雌も増えてきたから再来年からは増えるんじゃないかって…。」
「そう、良かったわ。薬を塗る?」
まだ体を気にするユーノに赤くなってエドは遠慮する。
「いえ、いいです。あの、ケニス先生のところに行きますから、ついでに薬を分けてもらいます。」
ユーノは無邪気に笑った。
「丁度良かった。わたしも先生のところへ行くの。一緒に行きましょう。」
笑いかけられて、エドは断りきれないままユーノと温室へ向かった。
「ケニス先生。」
今日もビーカーに入れた植物を凝視している先生に声をかけると、先生は飛び上がってこちらにやってきた。
「やあ、ユーノ様。今日も一段と美しい。講義を始める前にまずお茶でも飲もうかな。今日はね珍しい花のお茶を用意してみたんだ。セルヴィナという花を乾燥させたものなんだけどね、まず不思議なのが咲いている花は白いのに乾燥させると赤くなるというのが謎だね。きっと乾燥に強い色素が花に残るからだと思うんだけど、これには古い御伽噺があってね、この花の妖精が人間の男に恋をしてその命を戦で恋しい人に捧げたから枯れると赤くなるという悲しいお話があるそうなんだよ。いい話だよね。でも効能は肩こりや眼精疲労に効くって言うんだからなんだか面白い話だよね。どうぞ召し上がれ、ああ、砂糖を入れても美味しいよ。やあエド帰ってきたんだね、君も飲むかい?」
「…貰おうかな。」
怒る気も失せたエドにくすくす笑いながらユーノはお茶を飲んだ。少し酸味があって香りもいい。
「美味しいです。先生。」
「そうかい?良かったら部屋に持って帰ったらいいよ、君も旦那様も公務や勉強ばかりで疲れているだろうからね。」
ばたばたとその辺りにある瓶に赤い花びらを入れる。
「ありがとうございます、先生。飲み終わったらまた頂いても構いませんか?」
にっこりと笑って瓶を受け取るユーノにケニス先生は頬を染め、張り切って講義を始めた。
終始喋りっぱなしのケニス先生の話をユーノはメモを取りながら正確に聞き取っていく。時々(いやほとんど)脱線する話もにこにこ笑いながら聞くものだからケニス先生はそれはもう調子に乗って喋りまくる。
エドは5分も経たないうちにうんざりして温室を後にしたが、ケニス先生の抗議はそのあと3時間にも及んだ。




