家族
朝起きてすでにクローネは公務に出かけていた。
ユーノの身支度は相変わらずのメイド三人組がこなしてくれた。
「いや、だめ、だめです!無理―!」
「ちょっとお!なんでシェールとミーアは良くってあたしだけダメなのお?」
ドレスを持って追いかけるヘレナから逃げて下着姿のままカーテンに包まる。
「だって、…だって、そんな、開いたの…無理です!」
「こんなの開いたうちに入らないわよ~!鎖骨見せるくらいいいじゃないケチ~!」
小さい時から祖母に育てられたのと、外見にあまり興味がないのもあって、ヘレナ曰く「野暮ったい」服装が好みのユーノは宮殿に入ってからずっと胸元や首が見える衣装を頑なに断っている。でもヘレナはどんどん派手な衣装をユーノに突きつけてくるのだった。
実際はユーノだけが派手だと思っていて、他の人から見ればどちらかというと地味ぐらいの衣装なのだが。今へレナが持っているのも落ち着いた臙脂色に濃い葡萄色の糸で刺繍が施されたワンピースだった。ただ胸元が開いていて、白い中着が編み上げの隙間から見えるくらいのものだった。
あまりに頑な過ぎるユーノにヘレナが少し哀れに思えたのかシェールとミーアまでもがヘレナの味方になる。
「ユーノ様。そんなことおっしゃらずに、一度だけ、着てみたらいいじゃないですか?気に入らなかったら別のものをお持ちしますよ。」
ミーアがカーテンの中に声を掛けると、ひょこりとユーノが顔を出す。密かにヘレナはユーノにみのむしというあだ名をつけた。
「そうですよ。気になるのでしたらショールをご用意しましょうか。薄い生地ならこの季節でも暑くないでしょう?」
シェールが奥から薄い銀色のショールを持ってきた。あまりの輝きにひるんだユーノを見てヘレナがダメ押しをする。
「あたし、ユーノ様が喜ぶと思って、選んだのよ…。いつもいつも、そうやって、ミーアばっかり、シェールばっかり可愛がってさ…あたしだって、ユーノ様のこと…好きなんだから…」
くすんと鼻を鳴らすとユーノは慌ててみのを脱いでヘレナに駆け寄った。
「ごめんなさい、ヘレナ。…あなたがいつもわたしの事考えてくれてるのは良く分かってるんです。…こんなに思いつめてたなんて知らなくて…。」
しゅんと俯くユーノにけろっと泣きべそを満面の笑みに変えてヘレナは自信のドレスをユーノに差し出した。
「うふん。ユーノ様なら着てくれると思ってたわ~。」
「う、うそ泣きなの?ヘレナ、ずるいです!」
「そうやって誰にでも騙されちゃ駄目よ~。これも特訓だと思って大人しく着られなさ~い。」
うきうきのヘレナに結局は負けてしまったユーノだった。
無事着替えも終わり、ミーアに髪を結ってもらったところでユーノの部屋のドアがノックされた。
「はい?」
返事をするとクローネが入ってきた。もちろん入ってきても構わない。仮とは言え婚約を交わした夫婦なのだから着替えを見られても気にしない。メイド三人もクローネを咎める素振りはない。
「ユーノ、父上とおじい様をお呼びしたよ。」
クローネは濃い灰色のジャケットを着ていた。金色の髪が良く映えている。
そうして自分がいつもと違う(と本人だけが気にしている)胸元の開いた(と本人だけが思っている)衣装を着ていることが一気に恥ずかしくなって、シェールの後ろに隠れた。
「ユーノ様?」
「…ユーノ?」
名前で呼ばれている。そりゃあそう呼んでもおかしくない仲なのだから当たり前なのだけど、どうにも動悸が止まらない。
気が付くとシェールの後ろで首やら胸元やら真っ赤になったユーノが縮こまっていた。
「みのむしの次はゆで蟹ね。」
「ヘレナ!」
シェールはヘレナを叱ったがヘレナは気にしない。
「殿下、ユーノ様のお衣装、どうですか~?」
「うん、今日もかわいいね。」
ますます真っ赤になるユーノをヘレナは確実に楽しんでいた。クローネも真っ赤になるユーノを微笑みながら見つめるばかりだった。
応接間のドアを開けると着慣れないスーツを着た父ジミーと蝶ネクタイをした祖父ジョナサンが同時に立ち上がった。およそ二ヵ月ぶりの再会だった。
「ユーノ!」
感極まってユーノはジミーに抱きついた。
「パパ!元気だった?風邪は引いていない?」
ジミーはぎゅうぎゅうとユーノを抱きしめる。
「元気さ。寂しくて死にそうだったけど、でもユーノが元気そうで良かった…!」
「ユーノ。」
「おじいちゃん、馬車で来るのは大変だったでしょう?平気だった?」
そっと腕に触れてきたジョナサンにユーノは安堵で涙が滲んだ。
「ああ、大丈夫だったよ。あんなクッションの最高な馬車には初めて乗ったね。」
「…連絡できなくてごめんなさい…。毎日パパとおじいちゃんの事心配していたわ。」
たった三人しかいない家族の再会をクローネは少しはなれたところで見ていた。
「結婚したんだね。ユーノ、おめでとう…。」
ジョナサンは静かに言った。ジミーは俯いて何も言わなかった。
「いえ、あの…まだ婚約なのだけれど…知っているの?」
「ユーノが出かけた次の日にあの銀髪の使者の人がやってきて、…「彼女がヴォルフラウに選ばれた」と言われたよ。」
ユーノはヴォルフラウについては知らなかったがジョナサンは歴史に詳しかったので聞き及んでいたようだった。
「その後また手紙が来たんだ、君と王子が結婚するって。正式な発表はまだだから、町の人はユーノは都会の学校に臨時教諭で呼ばれたって言ってるよ。」
ジミーはそう言って家庭教師をしていた子供たちから預かった手紙をユーノに渡した。
まだ読み書きの上手じゃない三つ子ちゃんは花と女の子の絵を描いていた。セラム夫人の坊ちゃんからはまるで見本のような就職祝いの文章を貰ってユーノはぽろりと涙をこぼしながら微笑んだ。
「ありがとうパパ。…殿下、お返事を書いても構わないですか?」
振り向くと涙がまたこぼれた。クローネははっと我に返ったように答える。
「ああ…もちろん、構わないよ。」
ユーノは笑って手紙を抱いた。
「ありがとうございます…。」
ジミーとジョナサンは後ろに控えていたクローネに頭を下げる。
「父上殿、おじい様、なんの前触れもなくこのような事態になってしまって、申し訳ないと思っています。」
クローネも二人に頭を下げる。ジミーは慌てたが、ジョナサンは穏やかに首を振った。
「謝ることはございません。殿下。すでにご存知とは思いますが、わたしも息子も早くに伴侶を亡くし、長いことこの子に頼って生きてきました。」
「おじいちゃん…?」
いつも椅子に座って新聞を読んでいる背中と違って見えた。大きな背中だった。
「男所帯で、甲斐性もなくて、女の子らしいことなんてさせてあげられなかった。…それでも大事に育ててきた孫がこんなに綺麗な花嫁になって。」
ジミーがユーノの肩に手を置く。
「昨日のユーノはまるで妖精みたいにきれいだったよ。…僕だって、悔しいけど愛娘にはうんと、誰よりも幸せになって欲しいってずっと思っていたんだ。」
「パパ…。」
涙が堰を切って止まらなくなり、ジミーがそっとユーノを抱き寄せる。こんなに泣いたのは祖母が亡くなった時以来だ。
「振って湧いた縁ですが、孫を…ユーノをよろしくお願いします。」
ジョナサンは今一度クローネに頭を下げた。
「どうか、…母や妻のように辛い思いはさせないでやって下さい。僕たちの願いはユーノが幸せになることだけです…。」
ジミーの胸の中でユーノは泣きじゃくることしか出来なかった。
だって、結婚したわけじゃないから。この人は、わたしと結婚するつもりはないから。一年経ったら、わたしはこの王宮をでる事になるから。でも、そんなことを二人には言えない。
この結婚は形だけのものだなんて二人には決して言えなかった。ユーノは二人が帰るまで泣き続けて祖父や父を困らせた。




