弓の君
稲葉警部補が無線機で連絡する。
「こちら稲葉。聞こえるか、朝倉刑事」
『ええ、聞こえます。警部補』
「防衛隊はそろそろ来るのか」
『はい、あと五分と持たずに到着します。―――任務は遂行出来そうか』
「なに、いつもと変わらん。そっちはどうだ」
『お陰で好戦状態に戻った。有難う』
「どうも。―――あとは弓使いだけだ。奴は、もう、俺にしか興味を示していないようだ」
『ああ、奴は完全に警部補を意識している。だが、気を付けてほしい』
「了解した」
そう応答て無線を切ると、元病院内部の二階窓枠から、赤煉瓦の屋上の様子を見る。瞬間的にきた勘で身を避けた途端、水道管矢が柱の根元に突き刺さった。今度は明らかに狙われた。そして警部補は元病院から出ていく。
弓胎弓。
室町末期の頃に考案された合成弓で、いまだに弓道で活躍中。竹を縦に裂いた竹ひご、剣道に竹刀に使用する竹の形をイメージしてもらうと良い。この竹の弓胎を張り合わせて真ん中に入れ、両側に側木。更に内竹と外竹を張り付けた構成。真ん中の弓胎の数が増えれば、それだけの反発力の強化に射程距離の延長もする。弓術の発達により、江戸時代にはより遠くに飛ばす『遠矢』があるが、それがこの弓胎弓なのである。騎馬隊使用と歩兵使用があるが、この屍人が使用する弓は歩兵の、つまり、一般的な二百二〇センチを使用。有効射程距離は最大で、二五〇メートルにも及ぶ。使い手により連射可能で、動く標的にも対応する。弓使いの屍人は、瓜実顔の中に蛇の瞳を持つ色男だった。そして稲葉警部補は、これに真っ向から勝負を挑もうと決めていた。
警部補は市民会館を通り過ぎ、街路樹伝いに身を屈めながらら移動してゆく。そして目標の、全面が黒いタイル張りの建物へと移り、周りをうかがい、避難市民の安全を確認。蛇の瞳の色男は屋上から弦を引き、移動する稲葉警部補を狙い矢を放つも避けられて、これに舌打ちするが、次の水道管矢を装填して再び狙いを定めて射撃。また避けられたものの、太股の肉を抉ることができた。稲葉警部補は出血しながら、黒タイル張りの内部へと入り込んだ。その目の前の赤煉瓦の建物屋上では、蛇の目の屍人が、いったん構えた弓矢をゆっくりと下げるなりに、口の端を薄気味悪く釣り上げたのだ。
そのころ難波蝶子はというと、その赤煉瓦の建物を目指していた。