暴君となる定めの王子様と婚約したので、精一杯お力になろうと思います!
「私は暴君となる定めなのだ! 放っておいてくれ!」
わたくしがオリヴァー殿下と初めて会ったのは、王宮の庭園でだった。
秋も深まってきた時期だったから、地面には落ち葉が散っていた。
オリヴァー殿下は、常緑樹でできた生垣の裏にしゃがみ込み、こちらを睨みつけていた。
亡き前王妃が生んだ、呪われし予言を背負った第一王子殿下。
金髪には枯れ葉が絡んでいて、青い瞳は昏く濁っていた。
痩せ細った身体を包むのは、まるで寝間着のような簡素な綿の服。薄汚れた灰色で、シャツは袖口が解れていたし、トラウザーズは丈が足りない。
わたくしの方はというと、王子様と婚約できると聞いていたから、ピンクのフリフリのドレスを着ていた。頭にも大きなピンクのリボンを着けて、地味な茶色の髪と瞳の女の子なりに、精一杯のお洒落をしていた。
お互い、六歳だった。
「暴君とは、なんでしょうか……?」
「私もよく知らないが……、どうやら悪者であるらしい」
「まあ……、悪者……」
わたくしは王命により、オリヴァー殿下の婚約者になった。
両親と寄り親であるアルトゥス侯爵夫妻からは、「オリヴァー殿下のお力になるように」と言われていた。
あの頃のわたくしは、幼くて、純粋で、素直で……。
大人たちの思惑を察するような、利口な子供でもなくて……。
だから……。
「ウォロ子爵家のエリーゼ、オリヴァー殿下が立派な悪者となれるよう、お手伝いいたします!」
わたくしは、その場でひざまずいた。自分なりに、全力でやるつもりだったのよ。
「悪者を相手に、なにをしているのだ!?」
オリヴァー殿下はひどく慌てて、わたくしの両腕を支えて立たせてくれた。
あの頃から、強くて、やさしい方だった。
ひどく虐げられていたのだから、心が歪んでいたって、少しもおかしくなかったのに……。
「わたくしはオリヴァー殿下の婚約者ですから、お力になりますわ!」
両親とアルトゥス侯爵夫妻の命令には、従わないといけないわよね!
わたくしはすごく張り切って、オリヴァー殿下に笑いかけた。
「お力、とは……?」
「オリヴァー殿下が暴君となる定めなら、お役目を果たせるよう、わたくしがお助けいたします!」
わたくしはオリヴァー殿下の両手を握った。
オリヴァー殿下は、とても驚いた顔をしていた。
王子様の手を勝手に握るなんて、いけなかったかしら……?
わたくしは急いで手を放した。
「使用人ですら、私を『飢えた狼』などと呼んで避けるのだぞ……」
そう言った声には、まるで元気がなかった。
王族は敬意を込めて『翼獅子』と呼んだりする。そう習ったはずなのだけど……。なんで『飢えた狼』なのかしら……?
「悪者だからですか……?」
わたくしは絵本の中の悪者を思い浮かべた。オリヴァー殿下とは、だいぶ違うわ……。オリヴァー殿下の方が、だいぶ痩せているもの。
ああ、だから、『飢えた狼』なのね!
「そうだ。私は呪われた定めを生きている。私に近寄るな!」
オリヴァー殿下が急に怒鳴ってきて、今度はわたくしが驚いてしまった。
悪者には手下が大勢いるものよ。オリヴァー殿下には立派な悪者になってもらうのだから、『近寄るな』なんて滅茶苦茶なことを言うのは止めてもらいたいわ!
「悪者なのに、女の一人も侍らせないのですか……?」
「……なに?」
「わたくしがお母様に読んでもらった絵本だと、悪者は立派な椅子に座って、女の人の腰を片腕で抱いていました。そんな様子を『女を侍らせる』と言うみたいです」
わたくしは一生懸命に説明した。オリヴァー殿下には、まず悪者について知ってもらうことが必要よ。
「なるほど……。だが、使用人たちですら、私を嘲笑い、立ち去っていくのだぞ……」
「それはいけませんね」
わたくしは、こましゃくれた口調で言った。
「だが、そうなのだ……」
オリヴァー殿下は震えながらうつむいた。
元気がないにも程があるわ……。
「そういう時には、使用人の背中に向かって、悪者らしく『貴様、覚えていろよ!』と怒鳴れば良いのです! きっと悪者らしさが足りていないのですわ!」
わたくしは絵本に出てきた悪者の姿を思い出しながら、拳を握りしめ、地面を踏み鳴らした。だいたいこんな感じだったはずよ。
オリヴァー殿下が、やってみせてくれた。最初は勢いが足りなかったけれど、何度かやったら悪者らしい感じになってきた。
「悪者らしさか……」
「はい! それっぽさは必要だと思います!」
わたくしは王子様の婚約者になれると聞いて、すごくうれしかったの。だけど、会ってみたら、オリヴァー殿下は、まったく王子様らしくなかった。だいぶガッカリしたわ。
絵本で見た王子様は、金の冠を頭に載せて、水色の長い上着に白いタイツ、茶色のブーツを履いていたのよ。それでね、プレゼントをくれたり、ダンスに誘ってくれたりするの。
オリヴァー殿下を悪者だと思っている方たちも、きっと同じよ。悪者らしくなくて期待外れだったのよ!
「そういうものだろうか?」
「はい!」
「私も悪者らしさについて考えてみるとするか……」
オリヴァー殿下は、なんだか困惑しているように見えた。
「その意気です!」
わたくしはオリヴァー殿下をたくさん励ました。
この調子で、ちゃんとオリヴァー殿下のお力にならなくちゃ!
◇
あの日は、わたくしとオリヴァー殿下の『顔合わせ』をする予定だったらしいの。だけど、わたくしは、こっそり庭園の東屋を抜け出した。大人たちが「オリヴァー殿下がいないぞ!」とか「突っ立っていないで、さっさと探しに行け!」とか「全員だ! お前も行け!」なんて騒いでいるから、退屈になってしまったの。後で、すごく怒られたわ。
東屋には、両親とアルトゥス侯爵夫妻が残っていた。大人が四人もいたの。それなのに、わたくし一人すら、きちんと見ていられなかったのよ。わたくしも悪かったけれど、大人たちの方にも問題があったわよね……。
わたくしは王宮内で迷子になった末に、自力で東屋に戻った。けれど、オリヴァー殿下の方は、使用人たちがいくら探しても見つからなかったらしいわ。両親とアルトゥス侯爵夫妻が、そう言っていた。
それで、結局『顔合わせ』はできなかった。段取りが悪すぎよね……。
わたくしは「オリヴァー殿下となら、もう会ったわ」と教えてあげた。だけど、『顔合わせ』というのは、二人で会って話すだけではダメだったみたい。別の日に改めてやることになったの。
「お父様、お母様、暴君とはなんですか?」
わたくしは帰りの馬車の中で訊いてみた。
「どこでそんな言葉を覚えてきたのだ!」
お父様が、また怒り始めた。怒るようなことなの?
「子供が、止めなさい!」
お母様の言うことは、いつもなんとなく、どうしたら良いのかわからない。子供だと、なんなの? なにをどう止めたらいいの……?
わたくしは、仕方ないから黙ることにした。
「だから嫌だったのよ!」
お母様は、今度はお父様に文句を言い始めた。なにが嫌だったのだろう……? 『だから』は、どこから出てきたの?
「仕方ないだろう! 寄り親の命令なのだから!」
ああ、わたくしを悪者のオリヴァー殿下と婚約させたくなかった、という話なのね……。
「だからって!」
「私にどうしろと言うのだ!」
「アルトゥス侯爵夫妻にも同い年の娘がいるのだから、そちらと婚約させてくれたら良かったのよ!」
「そんなことを私に言うな!」
お母様とお父様は、激しく言い争いを始めてしまった。
わたくしも「余計なことを言うな!」とすごく怒られた。
暴君に詳しくなれたら、もっとオリヴァー殿下のお力になれると思ったのに……。
どうしたらいいの……?
なんとかしなくちゃ……。
◇
それから十日ほどして、わたくしとオリヴァー殿下は、また『顔合わせ』をすることになった。
アルトゥス侯爵家からの命令で、わたくしはオリヴァー殿下に贈り物を持っていくことになった。
わたくしの言ったものを、アルトゥス侯爵家で用意してくれるのですって。
……うーん、やっぱり悪者に必要なものが良いわよね!
わたくしは一生懸命に考えて、黒猫をお願いすることにした。
「子猫だなんて、子供らしいわね」
アルトゥス侯爵夫人から褒めてもらえた。わたくしが頼んだのは、子猫ではなくて、黒猫だったのだけど……。
両親は「生き物なんて……」と文句を言っていた。
わたくしは王宮に連れて行ってもらって、東屋でオリヴァー殿下にご挨拶をして、バスケットに入れた子猫を献上した。白猫だったけれど、もう猫ならなんでも良いと思うことにした。
それからすぐに、両親とアルトゥス侯爵夫妻は、わたくしたちに「二人で遊んできなさい」と言い残して、国王陛下と王妃殿下のところに行ってしまった。
「私に友を連れてきてくれたのか……」
オリヴァー殿下は、二人きりになると、真っ白な愛らしい子猫を抱いて泣き出してしまった。子猫はおとなしく、されるがままになっていた。
「えっと、そうではなくて、悪者はだいたい黒猫を膝に載せているのです。その猫は白いですけど……」
わたくしはオリヴァー殿下に、悪者は立派な椅子に座って女の腰を抱き、黒猫を撫でたり、太い葉巻を吸ったりしているようだと伝えた。
子供は葉巻を吸うことができないから、猫を連れてきたのよ。白猫になってしまったけれど……。
「そういうものなのか?」
「はい! 絵本で見ました!」
わたくしは持ってきた『悪の親玉の人助け』という絵本を見せた。オリヴァー殿下も、これでだいぶイメージをつかみやすくなると思うの。
「なるほどな」
なんて、何度もうなずいていたわ。
「この悪者ですが、オリヴァー殿下よりだいぶ太っています」
わたくしは絵本の中の男を指さした。この男は、お父様より年上みたいで、髪に白髪が混じっているの。
オリヴァー殿下は、まだ若いから、白髪は無理よね。
だけど、でっぷりしたお腹なら、なんとかなると思うの!
「オリヴァー殿下も、もっとたくさん食べて、太らなければ!」
わたくしは侍女に持たせていた包みを、オリヴァー殿下に渡した。
オリヴァー殿下が東屋のテーブルの上で包みを開くと、パウンドケーキが一本。食べやすいように、一切れずつに切ってある。
わたくしが、日持ちがして、食べると太りやすいお菓子を料理人に作ってもらったの。
子供向けだから、お酒に漬けたドライフルーツは入っていないのよ。悪者は、お酒もたくさん飲むみたいだけどね。
「オリヴァー殿下、食事の量を増やしてもらって、おやつも食べるようにしてくださいませ! 痩せすぎでございます!」
立派な悪者への道は、なかなか厳しいようだわ……。
こんな木の枝みたいに痩せっぽちでは、人に襲いかかったりする体力だってないと思うの。
「そうだな。使用人に命じるとしよう」
「使用人とは話せるようになったのですか?」
「ああ! 『貴様、覚えていろよ!』は、かなり効いたぞ! 使用人たちは震えあがっていた!」
「お役に立てて良かったですわ! やはり悪者らしさが足りていなかったのですね!」
「ああ、そのようだな!」
オリヴァー殿下はパウンドケーキを一切れ手に取った。
表面は綺麗な茶色に焼けていて、中はやさしい卵とバターの色よ。
オリヴァー殿下は端の方を遠慮がちに齧った。どうやらお口に合ったみたいで、オリヴァー殿下の青い瞳が輝く。
「こんなに美味しいものは初めて食べた!」
「そうなのですか! 次は他のお菓子も持ってきますわ! どんどん食べて、樽のようなお腹になれるよう、頑張っていきましょう!」
「さっきの絵本に出てきた男のようにか。そうすると、服もこれではいけないな」
悪者は『お高い三つ揃え』という黒いベスト付きの茶色いスーツを着て、指には大きな宝石の付いた金の指輪をいくつも着けていたわ。外出する時には、茶色い中折れ帽を被るのよ。
「そうですわね。服もなんとかしないと……」
わたくしの方も『露出度の高い真っ赤なドレス』を用意しないといけないわね。
「また使用人に命じて、必要ならば『貴様、覚えていろよ!』と言おう」
オリヴァー殿下はこれまでどこか自信なさげに立っていたのだけれど、今はお腹を突き出すようにして、偉そうに立っている。少しは悪者らしい感じになってきたわ!
「オリヴァー殿下、わたくし、暴君について、両親に教えてもらおうとしたのですが……、上手くいかなくて……」
わたくしはうつむいた。悪者の配下として、これでは力不足よね……。
悪者の一番の手下は、『右腕』なんて呼ばれているの。わたくしも、まずはオリヴァー殿下の『右腕』を目指していたのだけれど……。
「私が使用人たちに改めて詳しく聞いた話によると、暴君というのは悪い王で、私は『悪い王になる』と予言されているようなのだ」
「まあ! オリヴァー殿下は悪者ではなく、王様になる定めなのですか!? それでは、わたくしは大人になったら、『悪者の情婦』ではなくて、王妃様になるのですか!?」
なんということなの! 悪者と王様では、だいぶ違うわ!
使用人たちも、王様になる方から『貴様、覚えていろよ!』なんて凄まれたら、処刑される未来しか見えないわよ!
「悪い王になると予言されている……。なるほど、私は王になるのか……」
オリヴァー殿下も、ご自分の勘違いに気づいたようね。しっかりしてほしいわ! わたくしたち、間違った方向に進むところだった!
「わたくしたち、悪者ではなく、王様を目指すのですね!」
「そのようだな」
「悪い王様だったとしても、王様としての基本的なことは、できないと不味いですわよね?」
「王として、か……。考えてみよう」
こうして、オリヴァー殿下とわたくしは、王様と王妃様になるための努力をすることにしたのだった。
◇
わたくしとオリヴァー殿下は、婚約者として定期的に会えるようになった。王宮の庭園の東屋でお茶会をしながら、情報交換ができるようになったの。
「使用人たちによると、王様になるためには、帝王学というものを勉強しないといけないらしい」
オリヴァー殿下は紅茶の入ったカップを置くと、わたくしが持ってきたアップルパイを食べた。こんがり焼けたツヤツヤのパイ生地に、黄金色のとろりとした林檎ジャムが入っているの。
テーブルの隅では、ルネと名付けられた白猫が寝そべっている。
「帝王学なんて、すごくそれっぽい名前ですわね!」
「ああ。それで、どうやらヘルムートは帝王学を学んでいるようなのだ」
「第二王子殿下がですか? 王となる定めだと予言されているのは、オリヴァー殿下なのに?」
わたくしは納得がいかなかった。予言で王になるのはオリヴァー殿下だとわかっているのに、なんでなの? 予言の意味がないではないの!
「ヘルムートは……、王妃殿下の実の子だからな……」
「オリヴァー殿下は亡き前王妃殿下のお子様ですわね。ということは、つまり……、今の王妃殿下は、オリヴァー殿下の継母……?」
わたくしは、はっとしてオリヴァー殿下を見つめた。オリヴァー殿下も力強い眼差しで、わたくしにうなずいてくれた。
「そうだ。私は『継子いじめ』にあっていたのだ」
「そのようですわね! ああ、なんということなの!」
「王となる者に対して、許しがたいことだ」
オリヴァー殿下は、紅茶を一口飲んだ。カップを持つ手が怒りで震えていた。
「そんなことで負けてはいられません! 帝王学は自力で勉強していきましょう!」
わたくしはオリヴァー殿下の両手をカップごと包んだ。
「ああ、そうだな!」
オリヴァー殿下は、元気に応えてくれた。
「家庭教師は付けられているのですよね?」
「ああ」
「良かった! では、読み書き計算は問題ないですよね! 図書室は自由に使えますか?」
「使える。王となるのに必要そうな本は、片っ端から読んで覚えることにするよ」
「わたくしも立派な王妃としてオリヴァー殿下をお支えできるよう、家にある本を片っ端から読んで覚えますわ!」
「お互い、がんばろう!」
「はい!」
わたくしたちだって、ヘルムート殿下に負けないくらい、帝王学に詳しくなってやるわ!
◇
それから三年ほど、わたくしたちは本を読み漁って、様々な知識を蓄えた。
その過程で、暴君というものについても、きちんと調べてみたわ。
「暴君というのは、悪い王とも言い切れないようですわ」
わたくしは庭園の東屋で、オリヴァー殿下の前に数冊の歴史書を置いた。
オリヴァー殿下は本を一冊手に取り、ページを素早くめくる。
「わたくしが調べた限りでは、貧民窟の出身で王になった者、民のために街道や水路を整備したのに、なぜか暴君と呼ばれている者、外敵を防ぐ巨大防壁を作ったのに、暴君と呼ばれている者……。必ずしも悪いとは言えない者も、暴君と呼ばれていましたわ」
「この者は私も知っている。かつての草原の覇者であり、近隣諸国を平定して戦乱を終わらせたのだったと思うが……」
オリヴァー殿下が人物画のページを見せてくれた。海賊の船長みたいな黒い帽子を被り、詰襟の服を着て、大きな黒い馬に乗っているわ。
わたくしは、草原のことも調べておこうと思った。オリヴァー殿下が立派な暴君になったら、草原を統べることだって、あるかもしれないもの。草原で暮らす人々の文化や習慣などを知っていたら、オリヴァー殿下の統治のお手伝いができるわ。
白猫のルネが遊んでほしいみたいで、そのページの上にごろんと横になった。長い尻尾が、優雅に揺れている。
わたくしとオリヴァー殿下は、ルネの愛らしい姿に笑ってしまった。
ルネは、いずれ王様の愛猫になるのよ。絵本や物語に出てくる王様は、真っ赤な衣装に金の冠。白猫のルネが王様の膝の上にいたら、きっとすごく映えると思うわ!
「わたくし、思ったのですが、『暴君になる定め』というのは、『他の王にはできない偉業を成し遂げる』という意味なのでは?」
「なるほど。あの予言は、そのように読み解くこともできるな」
オリヴァー殿下は、話しつつルネを撫でている。ルネは気持ちが良いみたいで、のどをゴロゴロと鳴らしていた。
「失礼ながら、今の王様は、歴史に名を残すようなことはないかと……。ですが、オリヴァー殿下は、いずれ大きなことをする方なのですわ!」
歴史書に書かれるような、すごい活躍をする方だから、予言で『暴君になる』なんて言われたのよ! 第二王子殿下は帝王学を学んでいるらしいけれど、そんなすごい予言なんてされていないわ!
オリヴァー殿下は、特別なお方なのよ!
ああ、将来がすごく楽しみだわ!
「どうやらそのようだな」
オリヴァー殿下は少し緊張しているようだった。
「勉強だけでなく、馬や剣や槍にも、もっと力を入れてくださいませ! 目指せ、草原……、いいえ、この大陸の覇者ですわ!」
わたくしは、その年のオリヴァー殿下の誕生日に、馬と乗馬の教師を贈った。馬に乗れなければ、『草原を統べる猛き荒鷲』にはなれないもの。
両親とアルトゥス侯爵夫妻には、「婚約者同士なのに、二人で遠乗りにも行かれないのですわ!」と怒っておいた。
「たしかに、遊び歩くには足がいるだろう」
なんて言って、アルトゥス侯爵夫妻は嫌な笑みを浮かべていた。自分のところの寄り子と婚約させた王子様に対して、なんなのかしら……? あの人たち、すごく感じが悪いのよね……。
◇
アルトゥス侯爵夫妻に対する疑問は、王立学園に入学すると、すぐに答えが得られた。
わたくしとオリヴァー殿下は、自分たちに関するたくさんの噂話を聞くことになったの。
わたくしはウォロ子爵家の一人娘だから、領主科に通うことになった。これは当然のことよ。
オリヴァー殿下は、第一王子でありながら騎士科。
王家がなんの瑕疵もない第一王子殿下を、子爵家に婿入りさせようとしているのよ。噂にもなるわよね……。
――わたくしとウォロ子爵家は、アルトゥス侯爵家がオリヴァー殿下に与えた、鉄球付きの足枷。
わたくしの本当の役目は、オリヴァー殿下がヘルムート殿下を追い抜いて、玉座に就くのを防ぐこと……。
わたくしは、オリヴァー殿下に屈辱を与える、ただの刑具にすぎなかったのよ……。
それでも、わたくしは放課後になると、騎士科の鍛錬場に行ってオリヴァー殿下と会った。
オリヴァー殿下は、すっかり逞しくなっていた。軍馬を力強く乗り回し、どんな武器を選んで戦っても強かった。剣からレイピア、槍、ランスと呼ばれる馬上槍。弓だって三本いっぺんに引ける上に、百発百中なの。
「エリーゼ」
オリヴァー殿下は、わたくしの姿を鍛錬場の柵の向こうに見つけると、休憩をとって会いに来てくれる。
わたくしたちは他の生徒と距離をとり、手を繋いで、鍛錬場から校門へと続く並木道をゆっくり歩いた。『婚約者同士の他愛ない会話』をするために。
オリヴァー殿下の手には、剣だこができていた。王様になるために努力している証だった。
そんなオリヴァー殿下の足枷でいることは、苦しくて……。
だけど、繋いだ手の温もりに、鼓動は勝手に速くなる。
オリヴァー殿下に笑顔を向けられれば、幸せすぎて自然と笑い返していた。
わたくしたちは、『ただの仲良しな婚約者同士』ではないのに……。
「私は『第二王子殿下を支える立派な将軍』になるらしいな」
オリヴァー殿下が吐き捨てるように言った。
「『亡き前王妃殿下の不義の子』などという噂も聞きましたわ」
「その場合、父親は誰になるのだろうか……?」
「『すでに王家によって消された使用人の若い男』だとか」
わたくしも苦笑してみせる。
オリヴァー殿下の母の実家であるテーグラ侯爵家は、アルトゥス侯爵家に政争で負けていた。アルトゥス侯爵家が、大神官長に『第一王子殿下は、長じて王位を得たら暴君となる』という嘘の予言をさせた時点で、完全に力を失っていたようね。幼いオリヴァー殿下が虐げられるのすらも、もはや止められないほどに……。
あの頃は、それでも、オリヴァー殿下を『亡き前王妃殿下の不義の子』に仕立てることはできなかった。国王陛下が待ち望んでいた、お世継ぎの男子だったから……。
「ヘルムートが立太子されるようだ」
「ついにですか……」
いつか、こんな日が来ると思っていたわ……。
「ああ。父上が、私たちの資質を考えて選んだのだとか」
「そうなのですか……」
「父上は、ご自分が玉座にしがみつくために、幼い私を捨てた方だからな」
オリヴァー殿下の声音には、悔しさが滲んでいた。
「国王陛下が玉座に居座っていてくれるからこそ、生きられた、ということもあるかもしれませんわ……」
そうでなければ、オリヴァー殿下は、アルトゥス侯爵家に殺されていたのではないかしら……?
「あの父上がか……?」
「ええ。幼いオリヴァー殿下は、みすぼらしい姿であっても、使用人に世話をされ、死なない程度には食事を与えられていました。そのことに、国王陛下や、お母上の実家のテーグラ侯爵家が無関係だったとは、わたくしには思えませんわ……」
わたくしの言葉を聞くと、オリヴァー殿下は長いこと考え込んでいた。
こういう時、白猫のルネがいてくれると助かるのだけれど……。
「エリーゼ、私は噂の通り『第二王子殿下を支える立派な将軍』になってやろうと思う」
オリヴァー殿下は、覚悟を決めたようだった。青い瞳は、どこか遠い場所を見ている。
きっと、遠回りをして王冠を手にするつもりなのよ。
「とても良いお考えですわ」
わたくしが言うと、オリヴァー殿下の目が、わたくしに向けられる。
オリヴァー殿下がほほ笑むと、わたくしもうれしくなる。
これからもずっと、オリヴァー殿下には幸せでほしい……。
わたくしは、必ずオリヴァー殿下のお力になる。
オリヴァー殿下が王として立つのを、誰にも邪魔させはしないわ。
◇
王位を得るには、なんらかの力が必要よ。
ヘルムート殿下にとっての力は、母親の実家であるアルトゥス侯爵家だった。
あの日、オリヴァー殿下が教えてくれた通り、ヘルムート殿下は立太子された。
オリヴァー殿下はヘルムート殿下の立太子式に鎧を身に着けた姿で参加し、国王陛下と王妃殿下、ヘルムート殿下の前でひざまずいた。
「立太子おめでとうございます。私はこれより、国と民を守る荒鷲となりましょう」
いかにもそれっぽく聞こえるわよね。
鷲というのは、鳥の王者。
わたくしには、オリヴァー殿下が敵に下ったのではないとわかったわ。
――今は力を蓄える時。必要ならば、敵にだって頭を下げる。
それは、我が王の誇り高き姿だった。
オリヴァー殿下は十六歳で王立学園を卒業した後、まず騎士団に入団し、騎士として三年修行してから軍部に移った。このルートで軍部に入るのが、この国では一般的なの。
わたくしには、もうオリヴァー殿下のことを遠くから応援することしかできなかった。
オリヴァー殿下が軍部に入ると同時に、国王陛下が崩御され、ヘルムート殿下が国王となった。
オリヴァー殿下は自分の力で軍部で出世していった。上官になった部隊長や将軍たちを、次々と味方につけて……。
見目麗しく、戦わせれば強い。
今のオリヴァー殿下には、人を従わせるだけの魅力があった。
各地を転戦しつつ軍部を掌握するのに、五年かかった。
五年……。きっと短かったのだろう。けれど、わたくしには、ひどく長く感じられた。オリヴァー殿下のものであるはずの玉座に、ヘルムートが就いていたのですもの。
さらに二年の歳月をかけて、オリヴァー殿下はヘルムートから王冠を奪い返した。
前王妃とヘルムートは処刑され、アルトゥス侯爵夫妻は息子に爵位を譲った後、馬車の事故で死亡。
「おめでとうございます、オリヴァー殿下。いいえ、国王陛下……」
わたくしは馬車の窓から、青い空を見上げる。
あの方は、天翔ける荒鷲。この大空を自由に飛ぶことができる。
アルトゥス侯爵家が、わたくしをオリヴァー殿下の婚約者にした。その理由の一つは、上位貴族たちが、子爵家の娘に頭を下げることを良しとしないからよ。
オリヴァー陛下だって、それをわかっているはず……。
――『荒鷲を閉じ込める鳥籠』なんて、いらないの。
ウォロ子爵家は、両親が親戚から養子をもらい、その子に継いでもらうことになっている。
オリヴァー陛下の妃には、アルトゥス侯爵家にいる同い年の令嬢がなるだろう。今回の政変の結果、実家に戻ることになった、ヘルムートの王妃だった方……。敵対する勢力を取り込むには、あの方を妃に迎えるのが一番手っ取り早い。
わたくしだって、オリヴァー陛下と一緒に帝王学を学んだのよ。それくらいわかるわ。
「さようなら、オリヴァー……」
わたくしの背中には、オリヴァー陛下と同じ空を飛ぶための翼はない。
馬車は国境を越え、草原に入る。
女には、女の世界がある。
草原に住む部族の女にとっても、王国貴族の女にとっても、刺繍は大事な嗜みであり娯楽。
わたくしは母の刺繍好きな友人に仲介を頼んで、草原の部族に嫁入りさせてもらうことにしたの。
とある部族の長老の孫で、同い年の男性なのよ。しかも初婚なのですって。祖父ほど年の離れた方に嫁ぐことだって覚悟していたから、こんな嫁ぎ遅れには、この上ないお話だった。
いずれ『草原の大シャール』と呼ばれる大部族長にもなれるような、荒々しく逞しい若者なのだとか……。
馬車が止まった。
わたくしは御者の手を借りて、馬車から下りる。
草原からの迎えの者たちが立っていた。
男も女も、真っ赤なエンパイアドレスのような服を着ている。婚礼の介添え人用の衣装なのだろう。
王国では白い服で結婚式をするけれど、草原では赤い服。
――ウォロ子爵家との縁はここまで。
わたくしを残して、馬車が王都へと戻っていく。
わたくしは小さな天幕で赤い詰襟の婚礼衣装に着替えて、赤いベールを被った。
二人の若い女に手を引かれ、ロバの引く一人乗りの赤い簡素なロバ車に乗せられる。
ロバ車が動き出すと、車輪が二つしかないせいで、ひどく揺れて気分が悪くなってきた。このままでは、婚礼に支障が出てしまいそうよ……。
草原の民は山羊や羊を育てつつ、天幕ごと馬やロバで移動しながら暮らしていると聞く。星の位置で自分のいる場所を把握し、雲の流れで天気を予測するのだとか……。
太鼓や金物太鼓を叩く音がして、わたくしは女性たちの手でロバ車から降ろされた。
草原の結婚式は、過去の風習である略奪婚を模して行われる。
花嫁は嫁ぎ先の天幕があるのとは逆方向に進んでいき、花婿が白馬に乗って奪いに来る。先ほどの楽器の音も、襲撃を知らせる警鐘が元になっている。
わたくしは花婿によって馬上に引き上げられ、横乗りで草原を走っていく。
手綱を握る手には、宝石付きの金の指輪がいくつも着けられていた。
袖口は赤で、金糸で龍の刺繍がしてある。
わたくしは片手で赤いベールを上げた。
夫となる方が被っている海賊の船長みたいな赤い帽子の下には、金髪に彩られた精悍な顔がある。
「オリヴァー……陛下……」
赤い詰襟の婚礼衣装を着ているのは、王宮にいるはずの方だった。
「ああ、君の夫となる男だ」
オリヴァー陛下が蕩けるような甘い笑みを浮かべて、わたくしを見つめている。
「どうして……」
わたくしは王妃には……、いいえ、側妃や愛妾にだって相応しくないと、オリヴァー陛下にもわかっているはずよ。
旧アルトゥス侯爵家派の者を二人も妃にするなんて、オリヴァー陛下の派閥の者たちには受け入れられないだろう。
わたくしは旧アルトゥス侯爵家派がオリヴァー陛下に宛がった婚約者。それをわざわざ愛妾にしてまで傍に置き続けるなんて、側妃以上に許されない……。
「私の妻は、エリーゼ、ただ一人だ」
「国が割れてしまいます」
わたくしは慌てた。やっと手に入れた王権が揺らいでしまうわ。
「王侯貴族の反対か? それがどうした!」
「ですが……!」
「私は国号を変えるぞ、エリーゼ! オリヴェリーゼ大帝国だ!」
白馬が勢いを増した。
オリヴェリーゼ……、オリヴァーがエリーゼに捧げる国……。
「幼い私を『飢えた狼』と蔑んだ『肥えたる翼獅子』は、もはや空を飛ぶことはできぬ。我が国の紋章は『昼と夜の狭間で遠吠えする餓狼』とする」
右半分は太陽と雲、左半分は月と星々、その下で吠える狼のボス。
いずれオリヴァー陛下は、大陸の覇者となるつもりなのだ。
「私……、いや、余は皇帝となり、エリーゼを皇后とする! 逆らう者は、誰一人として許さぬ!」
オリヴァー陛下は、どうやら本気のようだった。
「そんな横暴なことが、まかり通るのですか!?」
「横暴! ああ、そうだ! 余は横暴なる君主! 暴君である! エリーゼがいたから、余は暴君になれたのだ! 余が荒鷲ならば、エリーゼは風だ! 余を大空へと押し上げる風!」
この方は……、なんという殺し文句を言うのだろう……!
わたくしはオリヴァー陛下に抱きつき、草原の流儀に従って両頬に口づける。
オリヴァー陛下は声を上げて笑った。
「余は辺境で蛮族と戦った折、大シャールと一騎打ちをして勝ち、あの男の末の息子となった! 草原では末子が跡継ぎとなる! この草原も、いずれ、すべて余のものとなるのだ!」
わたくしたちの頭上で、何者にも縛られない荒鷲が舞う。
風が吹き、白い雲が流れる。
「妻よ、帰るぞ! 老いたる我が友、ルネも待っている!」
草原の大シャールにして、大陸の覇者。
皇帝オリヴァー・シャール・オリヴェリーゼ。
後に、氾濫をくり返す大河に堤防を築き、交易路となる街道や海路を東の果てまで伸ばし、大陸共通語を定め、共用文字を作る。
時に王侯貴族から私財を巻き上げつつ、民のためにいくつもの偉業を成し遂げた。
大陸に数百年に及ぶ平和をもたらした、天地を統べる『猛き荒鷲』にして『飢えたる狼』。
オリヴァー陛下は予言の通り、立派な暴君となったのだった。




