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暴君となる定めの王子様と婚約したので、精一杯お力になろうと思います!

作者: 赤林檎
掲載日:2026/10/07

「私は暴君となる定めなのだ! 放っておいてくれ!」


 わたくしがオリヴァー殿下と初めて会ったのは、王宮の庭園でだった。

 秋も深まってきた時期だったから、地面には落ち葉が散っていた。

 オリヴァー殿下は、常緑樹でできた生垣の裏にしゃがみ込み、こちらを睨みつけていた。


 亡き前王妃が生んだ、呪われし予言を背負った第一王子殿下。


 金髪には枯れ葉が絡んでいて、青い瞳は昏く濁っていた。

 痩せ細った身体を包むのは、まるで寝間着のような簡素な綿の服。薄汚れた灰色で、シャツは袖口が解れていたし、トラウザーズは丈が足りない。


 わたくしの方はというと、王子様と婚約できると聞いていたから、ピンクのフリフリのドレスを着ていた。頭にも大きなピンクのリボンを着けて、地味な茶色の髪と瞳の女の子なりに、精一杯のお洒落をしていた。


 お互い、六歳だった。


「暴君とは、なんでしょうか……?」

「私もよく知らないが……、どうやら悪者であるらしい」

「まあ……、悪者……」


 わたくしは王命により、オリヴァー殿下の婚約者になった。

 両親と寄り親であるアルトゥス侯爵夫妻からは、「オリヴァー殿下のお力になるように」と言われていた。


 あの頃のわたくしは、幼くて、純粋で、素直で……。

 大人たちの思惑を察するような、利口な子供でもなくて……。

 だから……。


「ウォロ子爵家のエリーゼ、オリヴァー殿下が立派な悪者となれるよう、お手伝いいたします!」

 わたくしは、その場でひざまずいた。自分なりに、全力でやるつもりだったのよ。

「悪者を相手に、なにをしているのだ!?」


 オリヴァー殿下はひどく慌てて、わたくしの両腕を支えて立たせてくれた。

 あの頃から、強くて、やさしい方だった。

 ひどく虐げられていたのだから、心が歪んでいたって、少しもおかしくなかったのに……。


「わたくしはオリヴァー殿下の婚約者ですから、お力になりますわ!」

 両親とアルトゥス侯爵夫妻の命令には、従わないといけないわよね!

 わたくしはすごく張り切って、オリヴァー殿下に笑いかけた。


「お力、とは……?」

「オリヴァー殿下が暴君となる定めなら、お役目を果たせるよう、わたくしがお助けいたします!」

 わたくしはオリヴァー殿下の両手を握った。

 オリヴァー殿下は、とても驚いた顔をしていた。

 王子様の手を勝手に握るなんて、いけなかったかしら……?

 わたくしは急いで手を放した。


「使用人ですら、私を『飢えた狼』などと呼んで避けるのだぞ……」

 そう言った声には、まるで元気がなかった。

 王族は敬意を込めて『翼獅子』と呼んだりする。そう習ったはずなのだけど……。なんで『飢えた狼』なのかしら……?


「悪者だからですか……?」

 わたくしは絵本の中の悪者を思い浮かべた。オリヴァー殿下とは、だいぶ違うわ……。オリヴァー殿下の方が、だいぶ痩せているもの。

 ああ、だから、『飢えた狼』なのね!


「そうだ。私は呪われた定めを生きている。私に近寄るな!」

 オリヴァー殿下が急に怒鳴ってきて、今度はわたくしが驚いてしまった。

 悪者には手下が大勢いるものよ。オリヴァー殿下には立派な悪者になってもらうのだから、『近寄るな』なんて滅茶苦茶なことを言うのは止めてもらいたいわ!


「悪者なのに、女の一人も侍らせないのですか……?」

「……なに?」

「わたくしがお母様に読んでもらった絵本だと、悪者は立派な椅子に座って、女の人の腰を片腕で抱いていました。そんな様子を『女を侍らせる』と言うみたいです」

 わたくしは一生懸命に説明した。オリヴァー殿下には、まず悪者について知ってもらうことが必要よ。


「なるほど……。だが、使用人たちですら、私を嘲笑い、立ち去っていくのだぞ……」

「それはいけませんね」

 わたくしは、こましゃくれた口調で言った。


「だが、そうなのだ……」

 オリヴァー殿下は震えながらうつむいた。

 元気がないにも程があるわ……。


「そういう時には、使用人の背中に向かって、悪者らしく『貴様、覚えていろよ!』と怒鳴れば良いのです! きっと悪者らしさが足りていないのですわ!」


 わたくしは絵本に出てきた悪者の姿を思い出しながら、拳を握りしめ、地面を踏み鳴らした。だいたいこんな感じだったはずよ。

 オリヴァー殿下が、やってみせてくれた。最初は勢いが足りなかったけれど、何度かやったら悪者らしい感じになってきた。


「悪者らしさか……」

「はい! それっぽさは必要だと思います!」


 わたくしは王子様の婚約者になれると聞いて、すごくうれしかったの。だけど、会ってみたら、オリヴァー殿下は、まったく王子様らしくなかった。だいぶガッカリしたわ。

 絵本で見た王子様は、金の冠を頭に載せて、水色の長い上着に白いタイツ、茶色のブーツを履いていたのよ。それでね、プレゼントをくれたり、ダンスに誘ってくれたりするの。


 オリヴァー殿下を悪者だと思っている方たちも、きっと同じよ。悪者らしくなくて期待外れだったのよ!


「そういうものだろうか?」

「はい!」

「私も悪者らしさについて考えてみるとするか……」

 オリヴァー殿下は、なんだか困惑しているように見えた。


「その意気です!」

 わたくしはオリヴァー殿下をたくさん励ました。

 この調子で、ちゃんとオリヴァー殿下のお力にならなくちゃ!


 ◇


 あの日は、わたくしとオリヴァー殿下の『顔合わせ』をする予定だったらしいの。だけど、わたくしは、こっそり庭園の東屋を抜け出した。大人たちが「オリヴァー殿下がいないぞ!」とか「突っ立っていないで、さっさと探しに行け!」とか「全員だ! お前も行け!」なんて騒いでいるから、退屈になってしまったの。後で、すごく怒られたわ。


 東屋には、両親とアルトゥス侯爵夫妻が残っていた。大人が四人もいたの。それなのに、わたくし一人すら、きちんと見ていられなかったのよ。わたくしも悪かったけれど、大人たちの方にも問題があったわよね……。


 わたくしは王宮内で迷子になった末に、自力で東屋に戻った。けれど、オリヴァー殿下の方は、使用人たちがいくら探しても見つからなかったらしいわ。両親とアルトゥス侯爵夫妻が、そう言っていた。

 それで、結局『顔合わせ』はできなかった。段取りが悪すぎよね……。


 わたくしは「オリヴァー殿下となら、もう会ったわ」と教えてあげた。だけど、『顔合わせ』というのは、二人で会って話すだけではダメだったみたい。別の日に改めてやることになったの。


「お父様、お母様、暴君とはなんですか?」

 わたくしは帰りの馬車の中で訊いてみた。


「どこでそんな言葉を覚えてきたのだ!」

 お父様が、また怒り始めた。怒るようなことなの?


「子供が、止めなさい!」

 お母様の言うことは、いつもなんとなく、どうしたら良いのかわからない。子供だと、なんなの? なにをどう止めたらいいの……?

 わたくしは、仕方ないから黙ることにした。


「だから嫌だったのよ!」

 お母様は、今度はお父様に文句を言い始めた。なにが嫌だったのだろう……? 『だから』は、どこから出てきたの?


「仕方ないだろう! 寄り親の命令なのだから!」

 ああ、わたくしを悪者のオリヴァー殿下と婚約させたくなかった、という話なのね……。


「だからって!」

「私にどうしろと言うのだ!」

「アルトゥス侯爵夫妻にも同い年の娘がいるのだから、そちらと婚約させてくれたら良かったのよ!」

「そんなことを私に言うな!」


 お母様とお父様は、激しく言い争いを始めてしまった。

 わたくしも「余計なことを言うな!」とすごく怒られた。

 暴君に詳しくなれたら、もっとオリヴァー殿下のお力になれると思ったのに……。

 どうしたらいいの……?

 なんとかしなくちゃ……。


 ◇


 それから十日ほどして、わたくしとオリヴァー殿下は、また『顔合わせ』をすることになった。

 アルトゥス侯爵家からの命令で、わたくしはオリヴァー殿下に贈り物を持っていくことになった。

 わたくしの言ったものを、アルトゥス侯爵家で用意してくれるのですって。


 ……うーん、やっぱり悪者に必要なものが良いわよね!


 わたくしは一生懸命に考えて、黒猫をお願いすることにした。

「子猫だなんて、子供らしいわね」

 アルトゥス侯爵夫人から褒めてもらえた。わたくしが頼んだのは、子猫ではなくて、黒猫だったのだけど……。

 両親は「生き物なんて……」と文句を言っていた。


 わたくしは王宮に連れて行ってもらって、東屋でオリヴァー殿下にご挨拶をして、バスケットに入れた子猫を献上した。白猫だったけれど、もう猫ならなんでも良いと思うことにした。


 それからすぐに、両親とアルトゥス侯爵夫妻は、わたくしたちに「二人で遊んできなさい」と言い残して、国王陛下と王妃殿下のところに行ってしまった。


「私に友を連れてきてくれたのか……」

 オリヴァー殿下は、二人きりになると、真っ白な愛らしい子猫を抱いて泣き出してしまった。子猫はおとなしく、されるがままになっていた。


「えっと、そうではなくて、悪者はだいたい黒猫を膝に載せているのです。その猫は白いですけど……」

 わたくしはオリヴァー殿下に、悪者は立派な椅子に座って女の腰を抱き、黒猫を撫でたり、太い葉巻を吸ったりしているようだと伝えた。

 子供は葉巻を吸うことができないから、猫を連れてきたのよ。白猫になってしまったけれど……。


「そういうものなのか?」

「はい! 絵本で見ました!」

 わたくしは持ってきた『悪の親玉の人助け』という絵本を見せた。オリヴァー殿下も、これでだいぶイメージをつかみやすくなると思うの。


「なるほどな」

 なんて、何度もうなずいていたわ。


「この悪者ですが、オリヴァー殿下よりだいぶ太っています」

 わたくしは絵本の中の男を指さした。この男は、お父様より年上みたいで、髪に白髪が混じっているの。

 オリヴァー殿下は、まだ若いから、白髪は無理よね。

 だけど、でっぷりしたお腹なら、なんとかなると思うの!


「オリヴァー殿下も、もっとたくさん食べて、太らなければ!」

 わたくしは侍女に持たせていた包みを、オリヴァー殿下に渡した。

 オリヴァー殿下が東屋のテーブルの上で包みを開くと、パウンドケーキが一本。食べやすいように、一切れずつに切ってある。

 わたくしが、日持ちがして、食べると太りやすいお菓子を料理人に作ってもらったの。

 子供向けだから、お酒に漬けたドライフルーツは入っていないのよ。悪者は、お酒もたくさん飲むみたいだけどね。


「オリヴァー殿下、食事の量を増やしてもらって、おやつも食べるようにしてくださいませ! 痩せすぎでございます!」

 立派な悪者への道は、なかなか厳しいようだわ……。

 こんな木の枝みたいに痩せっぽちでは、人に襲いかかったりする体力だってないと思うの。


「そうだな。使用人に命じるとしよう」

「使用人とは話せるようになったのですか?」

「ああ! 『貴様、覚えていろよ!』は、かなり効いたぞ! 使用人たちは震えあがっていた!」

「お役に立てて良かったですわ! やはり悪者らしさが足りていなかったのですね!」

「ああ、そのようだな!」


 オリヴァー殿下はパウンドケーキを一切れ手に取った。

 表面は綺麗な茶色に焼けていて、中はやさしい卵とバターの色よ。

 オリヴァー殿下は端の方を遠慮がちに齧った。どうやらお口に合ったみたいで、オリヴァー殿下の青い瞳が輝く。


「こんなに美味しいものは初めて食べた!」

「そうなのですか! 次は他のお菓子も持ってきますわ! どんどん食べて、樽のようなお腹になれるよう、頑張っていきましょう!」

「さっきの絵本に出てきた男のようにか。そうすると、服もこれではいけないな」


 悪者は『お高い三つ揃え』という黒いベスト付きの茶色いスーツを着て、指には大きな宝石の付いた金の指輪をいくつも着けていたわ。外出する時には、茶色い中折れ帽を被るのよ。


「そうですわね。服もなんとかしないと……」

 わたくしの方も『露出度の高い真っ赤なドレス』を用意しないといけないわね。


「また使用人に命じて、必要ならば『貴様、覚えていろよ!』と言おう」

 オリヴァー殿下はこれまでどこか自信なさげに立っていたのだけれど、今はお腹を突き出すようにして、偉そうに立っている。少しは悪者らしい感じになってきたわ!


「オリヴァー殿下、わたくし、暴君について、両親に教えてもらおうとしたのですが……、上手くいかなくて……」

 わたくしはうつむいた。悪者の配下として、これでは力不足よね……。

 悪者の一番の手下は、『右腕』なんて呼ばれているの。わたくしも、まずはオリヴァー殿下の『右腕』を目指していたのだけれど……。


「私が使用人たちに改めて詳しく聞いた話によると、暴君というのは悪い王で、私は『悪い王になる』と予言されているようなのだ」

「まあ! オリヴァー殿下は悪者ではなく、王様になる定めなのですか!? それでは、わたくしは大人になったら、『悪者の情婦』ではなくて、王妃様になるのですか!?」


 なんということなの! 悪者と王様では、だいぶ違うわ!

 使用人たちも、王様になる方から『貴様、覚えていろよ!』なんて凄まれたら、処刑される未来しか見えないわよ!


「悪い王になると予言されている……。なるほど、私は王になるのか……」

 オリヴァー殿下も、ご自分の勘違いに気づいたようね。しっかりしてほしいわ! わたくしたち、間違った方向に進むところだった!


「わたくしたち、悪者ではなく、王様を目指すのですね!」

「そのようだな」

「悪い王様だったとしても、王様としての基本的なことは、できないと不味いですわよね?」

「王として、か……。考えてみよう」


 こうして、オリヴァー殿下とわたくしは、王様と王妃様になるための努力をすることにしたのだった。


 ◇


 わたくしとオリヴァー殿下は、婚約者として定期的に会えるようになった。王宮の庭園の東屋でお茶会をしながら、情報交換ができるようになったの。


「使用人たちによると、王様になるためには、帝王学というものを勉強しないといけないらしい」

 オリヴァー殿下は紅茶の入ったカップを置くと、わたくしが持ってきたアップルパイを食べた。こんがり焼けたツヤツヤのパイ生地に、黄金色のとろりとした林檎ジャムが入っているの。


 テーブルの隅では、ルネと名付けられた白猫が寝そべっている。


「帝王学なんて、すごくそれっぽい名前ですわね!」

「ああ。それで、どうやらヘルムートは帝王学を学んでいるようなのだ」

「第二王子殿下がですか? 王となる定めだと予言されているのは、オリヴァー殿下なのに?」

 わたくしは納得がいかなかった。予言で王になるのはオリヴァー殿下だとわかっているのに、なんでなの? 予言の意味がないではないの!


「ヘルムートは……、王妃殿下の実の子だからな……」

「オリヴァー殿下は亡き前王妃殿下のお子様ですわね。ということは、つまり……、今の王妃殿下は、オリヴァー殿下の継母……?」


 わたくしは、はっとしてオリヴァー殿下を見つめた。オリヴァー殿下も力強い眼差しで、わたくしにうなずいてくれた。


「そうだ。私は『継子いじめ』にあっていたのだ」

「そのようですわね! ああ、なんということなの!」

「王となる者に対して、許しがたいことだ」

 オリヴァー殿下は、紅茶を一口飲んだ。カップを持つ手が怒りで震えていた。


「そんなことで負けてはいられません! 帝王学は自力で勉強していきましょう!」

 わたくしはオリヴァー殿下の両手をカップごと包んだ。


「ああ、そうだな!」

 オリヴァー殿下は、元気に応えてくれた。


「家庭教師は付けられているのですよね?」

「ああ」

「良かった! では、読み書き計算は問題ないですよね! 図書室は自由に使えますか?」

「使える。王となるのに必要そうな本は、片っ端から読んで覚えることにするよ」

「わたくしも立派な王妃としてオリヴァー殿下をお支えできるよう、家にある本を片っ端から読んで覚えますわ!」


「お互い、がんばろう!」

「はい!」


 わたくしたちだって、ヘルムート殿下に負けないくらい、帝王学に詳しくなってやるわ!


 ◇


 それから三年ほど、わたくしたちは本を読み漁って、様々な知識を蓄えた。

 その過程で、暴君というものについても、きちんと調べてみたわ。


「暴君というのは、悪い王とも言い切れないようですわ」

 わたくしは庭園の東屋で、オリヴァー殿下の前に数冊の歴史書を置いた。

 オリヴァー殿下は本を一冊手に取り、ページを素早くめくる。


「わたくしが調べた限りでは、貧民窟の出身で王になった者、民のために街道や水路を整備したのに、なぜか暴君と呼ばれている者、外敵を防ぐ巨大防壁を作ったのに、暴君と呼ばれている者……。必ずしも悪いとは言えない者も、暴君と呼ばれていましたわ」

「この者は私も知っている。かつての草原の覇者であり、近隣諸国を平定して戦乱を終わらせたのだったと思うが……」

 オリヴァー殿下が人物画のページを見せてくれた。海賊の船長みたいな黒い帽子を被り、詰襟の服を着て、大きな黒い馬に乗っているわ。


 わたくしは、草原のことも調べておこうと思った。オリヴァー殿下が立派な暴君になったら、草原を統べることだって、あるかもしれないもの。草原で暮らす人々の文化や習慣などを知っていたら、オリヴァー殿下の統治のお手伝いができるわ。


 白猫のルネが遊んでほしいみたいで、そのページの上にごろんと横になった。長い尻尾が、優雅に揺れている。

 わたくしとオリヴァー殿下は、ルネの愛らしい姿に笑ってしまった。


 ルネは、いずれ王様の愛猫になるのよ。絵本や物語に出てくる王様は、真っ赤な衣装に金の冠。白猫のルネが王様の膝の上にいたら、きっとすごく映えると思うわ!


「わたくし、思ったのですが、『暴君になる定め』というのは、『他の王にはできない偉業を成し遂げる』という意味なのでは?」

「なるほど。あの予言は、そのように読み解くこともできるな」


 オリヴァー殿下は、話しつつルネを撫でている。ルネは気持ちが良いみたいで、のどをゴロゴロと鳴らしていた。


「失礼ながら、今の王様は、歴史に名を残すようなことはないかと……。ですが、オリヴァー殿下は、いずれ大きなことをする方なのですわ!」


 歴史書に書かれるような、すごい活躍をする方だから、予言で『暴君になる』なんて言われたのよ! 第二王子殿下は帝王学を学んでいるらしいけれど、そんなすごい予言なんてされていないわ!

 オリヴァー殿下は、特別なお方なのよ!

 ああ、将来がすごく楽しみだわ!


「どうやらそのようだな」

 オリヴァー殿下は少し緊張しているようだった。


「勉強だけでなく、馬や剣や槍にも、もっと力を入れてくださいませ! 目指せ、草原……、いいえ、この大陸の覇者ですわ!」

 わたくしは、その年のオリヴァー殿下の誕生日に、馬と乗馬の教師を贈った。馬に乗れなければ、『草原を統べる猛き荒鷲』にはなれないもの。


 両親とアルトゥス侯爵夫妻には、「婚約者同士なのに、二人で遠乗りにも行かれないのですわ!」と怒っておいた。


「たしかに、遊び歩くには足がいるだろう」

 なんて言って、アルトゥス侯爵夫妻は嫌な笑みを浮かべていた。自分のところの寄り子と婚約させた王子様に対して、なんなのかしら……? あの人たち、すごく感じが悪いのよね……。


 ◇


 アルトゥス侯爵夫妻に対する疑問は、王立学園に入学すると、すぐに答えが得られた。

 わたくしとオリヴァー殿下は、自分たちに関するたくさんの噂話を聞くことになったの。


 わたくしはウォロ子爵家の一人娘だから、領主科に通うことになった。これは当然のことよ。

 オリヴァー殿下は、第一王子でありながら騎士科。

 王家がなんの瑕疵もない第一王子殿下を、子爵家に婿入りさせようとしているのよ。噂にもなるわよね……。


 ――わたくしとウォロ子爵家は、アルトゥス侯爵家がオリヴァー殿下に与えた、鉄球付きの足枷。


 わたくしの本当の役目は、オリヴァー殿下がヘルムート殿下を追い抜いて、玉座に就くのを防ぐこと……。

 わたくしは、オリヴァー殿下に屈辱を与える、ただの刑具にすぎなかったのよ……。


 それでも、わたくしは放課後になると、騎士科の鍛錬場に行ってオリヴァー殿下と会った。


 オリヴァー殿下は、すっかり逞しくなっていた。軍馬を力強く乗り回し、どんな武器を選んで戦っても強かった。剣からレイピア、槍、ランスと呼ばれる馬上槍。弓だって三本いっぺんに引ける上に、百発百中なの。


「エリーゼ」

 オリヴァー殿下は、わたくしの姿を鍛錬場の柵の向こうに見つけると、休憩をとって会いに来てくれる。

 わたくしたちは他の生徒と距離をとり、手を繋いで、鍛錬場から校門へと続く並木道をゆっくり歩いた。『婚約者同士の他愛ない会話』をするために。


 オリヴァー殿下の手には、剣だこができていた。王様になるために努力している証だった。

 そんなオリヴァー殿下の足枷でいることは、苦しくて……。

 だけど、繋いだ手の温もりに、鼓動は勝手に速くなる。

 オリヴァー殿下に笑顔を向けられれば、幸せすぎて自然と笑い返していた。


 わたくしたちは、『ただの仲良しな婚約者同士』ではないのに……。


「私は『第二王子殿下を支える立派な将軍』になるらしいな」

 オリヴァー殿下が吐き捨てるように言った。


「『亡き前王妃殿下の不義の子』などという噂も聞きましたわ」

「その場合、父親は誰になるのだろうか……?」

「『すでに王家によって消された使用人の若い男』だとか」

 わたくしも苦笑してみせる。


 オリヴァー殿下の母の実家であるテーグラ侯爵家は、アルトゥス侯爵家に政争で負けていた。アルトゥス侯爵家が、大神官長に『第一王子殿下は、長じて王位を得たら暴君となる』という嘘の予言をさせた時点で、完全に力を失っていたようね。幼いオリヴァー殿下が虐げられるのすらも、もはや止められないほどに……。


 あの頃は、それでも、オリヴァー殿下を『亡き前王妃殿下の不義の子』に仕立てることはできなかった。国王陛下が待ち望んでいた、お世継ぎの男子だったから……。


「ヘルムートが立太子されるようだ」

「ついにですか……」

 いつか、こんな日が来ると思っていたわ……。


「ああ。父上が、私たちの資質を考えて選んだのだとか」

「そうなのですか……」

「父上は、ご自分が玉座にしがみつくために、幼い私を捨てた方だからな」

 オリヴァー殿下の声音には、悔しさが滲んでいた。


「国王陛下が玉座に居座っていてくれるからこそ、生きられた、ということもあるかもしれませんわ……」

 そうでなければ、オリヴァー殿下は、アルトゥス侯爵家に殺されていたのではないかしら……?


「あの父上がか……?」

「ええ。幼いオリヴァー殿下は、みすぼらしい姿であっても、使用人に世話をされ、死なない程度には食事を与えられていました。そのことに、国王陛下や、お母上の実家のテーグラ侯爵家が無関係だったとは、わたくしには思えませんわ……」

 わたくしの言葉を聞くと、オリヴァー殿下は長いこと考え込んでいた。

 こういう時、白猫のルネがいてくれると助かるのだけれど……。


「エリーゼ、私は噂の通り『第二王子殿下を支える立派な将軍』になってやろうと思う」

 オリヴァー殿下は、覚悟を決めたようだった。青い瞳は、どこか遠い場所を見ている。

 きっと、遠回りをして王冠を手にするつもりなのよ。


「とても良いお考えですわ」

 わたくしが言うと、オリヴァー殿下の目が、わたくしに向けられる。

 オリヴァー殿下がほほ笑むと、わたくしもうれしくなる。

 これからもずっと、オリヴァー殿下には幸せでほしい……。

 わたくしは、必ずオリヴァー殿下のお力になる。

 オリヴァー殿下が王として立つのを、誰にも邪魔させはしないわ。


 ◇


 王位を得るには、なんらかの力が必要よ。

 ヘルムート殿下にとっての力は、母親の実家であるアルトゥス侯爵家だった。


 あの日、オリヴァー殿下が教えてくれた通り、ヘルムート殿下は立太子された。

 オリヴァー殿下はヘルムート殿下の立太子式に鎧を身に着けた姿で参加し、国王陛下と王妃殿下、ヘルムート殿下の前でひざまずいた。


「立太子おめでとうございます。私はこれより、国と民を守る荒鷲となりましょう」

 いかにもそれっぽく聞こえるわよね。


 鷲というのは、鳥の王者。

 わたくしには、オリヴァー殿下が敵に下ったのではないとわかったわ。


 ――今は力を蓄える時。必要ならば、敵にだって頭を下げる。


 それは、我が王の誇り高き姿だった。


 オリヴァー殿下は十六歳で王立学園を卒業した後、まず騎士団に入団し、騎士として三年修行してから軍部に移った。このルートで軍部に入るのが、この国では一般的なの。


 わたくしには、もうオリヴァー殿下のことを遠くから応援することしかできなかった。


 オリヴァー殿下が軍部に入ると同時に、国王陛下が崩御され、ヘルムート殿下が国王となった。


 オリヴァー殿下は自分の力で軍部で出世していった。上官になった部隊長や将軍たちを、次々と味方につけて……。

 見目麗しく、戦わせれば強い。

 今のオリヴァー殿下には、人を従わせるだけの魅力があった。


 各地を転戦しつつ軍部を掌握するのに、五年かかった。

 五年……。きっと短かったのだろう。けれど、わたくしには、ひどく長く感じられた。オリヴァー殿下のものであるはずの玉座に、ヘルムートが就いていたのですもの。


 さらに二年の歳月をかけて、オリヴァー殿下はヘルムートから王冠を奪い返した。

 前王妃とヘルムートは処刑され、アルトゥス侯爵夫妻は息子に爵位を譲った後、馬車の事故で死亡。


「おめでとうございます、オリヴァー殿下。いいえ、国王陛下……」

 わたくしは馬車の窓から、青い空を見上げる。

 あの方は、天翔ける荒鷲。この大空を自由に飛ぶことができる。


 アルトゥス侯爵家が、わたくしをオリヴァー殿下の婚約者にした。その理由の一つは、上位貴族たちが、子爵家の娘に頭を下げることを良しとしないからよ。

 オリヴァー陛下だって、それをわかっているはず……。


 ――『荒鷲を閉じ込める鳥籠』なんて、いらないの。


 ウォロ子爵家は、両親が親戚から養子をもらい、その子に継いでもらうことになっている。


 オリヴァー陛下の妃には、アルトゥス侯爵家にいる同い年の令嬢がなるだろう。今回の政変の結果、実家に戻ることになった、ヘルムートの王妃だった方……。敵対する勢力を取り込むには、あの方を妃に迎えるのが一番手っ取り早い。

 わたくしだって、オリヴァー陛下と一緒に帝王学を学んだのよ。それくらいわかるわ。


「さようなら、オリヴァー……」

 わたくしの背中には、オリヴァー陛下と同じ空を飛ぶための翼はない。


 馬車は国境を越え、草原に入る。


 女には、女の世界がある。

 草原に住む部族の女にとっても、王国貴族の女にとっても、刺繍は大事な嗜みであり娯楽。

 わたくしは母の刺繍好きな友人に仲介を頼んで、草原の部族に嫁入りさせてもらうことにしたの。

 とある部族の長老の孫で、同い年の男性なのよ。しかも初婚なのですって。祖父ほど年の離れた方に嫁ぐことだって覚悟していたから、こんな嫁ぎ遅れには、この上ないお話だった。

 いずれ『草原の大シャール』と呼ばれる大部族長にもなれるような、荒々しく逞しい若者なのだとか……。


 馬車が止まった。

 わたくしは御者の手を借りて、馬車から下りる。


 草原からの迎えの者たちが立っていた。

 男も女も、真っ赤なエンパイアドレスのような服を着ている。婚礼の介添え人用の衣装なのだろう。


 王国では白い服で結婚式をするけれど、草原では赤い服。


 ――ウォロ子爵家との縁はここまで。

 わたくしを残して、馬車が王都へと戻っていく。


 わたくしは小さな天幕で赤い詰襟の婚礼衣装に着替えて、赤いベールを被った。


 二人の若い女に手を引かれ、ロバの引く一人乗りの赤い簡素なロバ車に乗せられる。

 ロバ車が動き出すと、車輪が二つしかないせいで、ひどく揺れて気分が悪くなってきた。このままでは、婚礼に支障が出てしまいそうよ……。


 草原の民は山羊や羊を育てつつ、天幕ごと馬やロバで移動しながら暮らしていると聞く。星の位置で自分のいる場所を把握し、雲の流れで天気を予測するのだとか……。


 太鼓や金物太鼓を叩く音がして、わたくしは女性たちの手でロバ車から降ろされた。

 草原の結婚式は、過去の風習である略奪婚を模して行われる。

 花嫁は嫁ぎ先の天幕があるのとは逆方向に進んでいき、花婿が白馬に乗って奪いに来る。先ほどの楽器の音も、襲撃を知らせる警鐘が元になっている。


 わたくしは花婿によって馬上に引き上げられ、横乗りで草原を走っていく。

 手綱を握る手には、宝石付きの金の指輪がいくつも着けられていた。

 袖口は赤で、金糸で龍の刺繍がしてある。


 わたくしは片手で赤いベールを上げた。


 夫となる方が被っている海賊の船長みたいな赤い帽子の下には、金髪に彩られた精悍な顔がある。

「オリヴァー……陛下……」

 赤い詰襟の婚礼衣装を着ているのは、王宮にいるはずの方だった。


「ああ、君の夫となる男だ」

 オリヴァー陛下が蕩けるような甘い笑みを浮かべて、わたくしを見つめている。


「どうして……」


 わたくしは王妃には……、いいえ、側妃や愛妾にだって相応しくないと、オリヴァー陛下にもわかっているはずよ。

 旧アルトゥス侯爵家派の者を二人も妃にするなんて、オリヴァー陛下の派閥の者たちには受け入れられないだろう。

 わたくしは旧アルトゥス侯爵家派がオリヴァー陛下に宛がった婚約者。それをわざわざ愛妾にしてまで傍に置き続けるなんて、側妃以上に許されない……。


「私の妻は、エリーゼ、ただ一人だ」

「国が割れてしまいます」

 わたくしは慌てた。やっと手に入れた王権が揺らいでしまうわ。


「王侯貴族の反対か? それがどうした!」

「ですが……!」

「私は国号を変えるぞ、エリーゼ! オリヴェリーゼ大帝国だ!」

 白馬が勢いを増した。

 オリヴェリーゼ……、オリヴァーがエリーゼに捧げる国……。


「幼い私を『飢えた狼』と蔑んだ『肥えたる翼獅子』は、もはや空を飛ぶことはできぬ。我が国の紋章は『昼と夜の狭間で遠吠えする餓狼』とする」

 右半分は太陽と雲、左半分は月と星々、その下で吠える狼のボス。

 いずれオリヴァー陛下は、大陸の覇者となるつもりなのだ。


「私……、いや、余は皇帝となり、エリーゼを皇后とする! 逆らう者は、誰一人として許さぬ!」

 オリヴァー陛下は、どうやら本気のようだった。


「そんな横暴なことが、まかり通るのですか!?」

「横暴! ああ、そうだ! 余は横暴なる君主! 暴君である! エリーゼがいたから、余は暴君になれたのだ! 余が荒鷲ならば、エリーゼは風だ! 余を大空へと押し上げる風!」

 この方は……、なんという殺し文句を言うのだろう……!

 わたくしはオリヴァー陛下に抱きつき、草原の流儀に従って両頬に口づける。

 オリヴァー陛下は声を上げて笑った。


「余は辺境で蛮族と戦った折、大シャールと一騎打ちをして勝ち、あの男の末の息子となった! 草原では末子が跡継ぎとなる! この草原も、いずれ、すべて余のものとなるのだ!」


 わたくしたちの頭上で、何者にも縛られない荒鷲が舞う。

 風が吹き、白い雲が流れる。


「妻よ、帰るぞ! 老いたる我が友、ルネも待っている!」


 草原の大シャールにして、大陸の覇者。

 皇帝オリヴァー・シャール・オリヴェリーゼ。

 後に、氾濫をくり返す大河に堤防を築き、交易路となる街道や海路を東の果てまで伸ばし、大陸共通語を定め、共用文字を作る。

 時に王侯貴族から私財を巻き上げつつ、民のためにいくつもの偉業を成し遂げた。

 大陸に数百年に及ぶ平和をもたらした、天地を統べる『猛き荒鷲』にして『飢えたる狼』。


 オリヴァー陛下は予言の通り、立派な暴君となったのだった。

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― 新着の感想 ―
野望に満ちたボーイミーツガール、いい…! 王国の王なんてみみっちいこと言わないでこうなったら大陸の覇者になったる心意気、お見事です。40代くらいで帝国を作れそう~!!
GJ! 善き善き♪ ボーイミーツガールが天辺目指して何処までも!は、大好きですよ!(人*´∀`)。*゜+ イェーイ! (≧▽≦)ノシ
小さめの王国継承問題程度かと思ったら思った以上に壮大になった。 エリーゼちゃん、子爵後継以上の教育受けてなさそうだけど、元の母国以上の大帝国の皇妃のお仕事……ガンバレ!
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